即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

羽生さんとコンピュータ将棋

2014年07月14日 16時02分55秒 | 将棋
今年の電王戦についていろいろ考えてきました。
<作戦間違い@電王戦>
<その2>
<その3>
<その4>
<その5>
<その6>
<その7>
<その8>
もしも羽生さんよりも数倍強いコンピュータソフトができたら
電王戦その後

今日はそれに関連して月刊文藝春秋8月号の記事、
「◎名人復位独占インタビュー 羽生善治 若い世代に勝ち続ける思考法」についてです。

後藤正治さんのインタビューによるところもあるのでしょうけど、9Pにも渡る独占インタビュー、面白かったです。
いつもそうですが、羽生さんの一言一言に重みがあり、さらに羽生さんのファンになるとともに、将棋の奥深さを思い知らされます。

サブタイトルは
「時代と自分をいかにマッチングさせるか。
四十歳を過ぎた新名人が日々心掛けていること。」


いろいろ感じたことはあるのだけど、ずっと取り上げてきている流れで、電王戦、コンピュータ将棋に関係する部分について今日は書きます。

《コンピュータ将棋の未来》という項の中で、羽生さんの発言をいくつか紹介します。
-----------------------------------------------
基本的にテクノロジーの進歩は止まらないものであって、影響を受けていくことは間違いないと思います。

コンピュータの将棋は基本的にあまり一貫性がないんです。その局面で何がいいかを見る。瞬間瞬間に手を選ぶ。前からの手順の流れや構想の中でこうするということはない。形という概念がないんです。

質問「コンピュータ将棋に魅力を感じないのは「美」がないからと思えるのです。羽生さんや谷川さん、あるいはかつての升田将棋には盤上この一手、なんとも鮮やかで美しいと感じる手があった。美しさというのはコンピュータの価値観にはないですよね。」
そういう観点はおそらくないと思いますね(笑)。ただコンピュータ自身は美しいと思っていなくても膨大な量の情報と計算式で、結果としてそういうことが表現できるかもしれない。データの量でもって質を上げていくのがコンピュータの進歩であって、そういう可能性はある。

実はコンピュータ将棋で一番難しいのは“形づくり”だと聞いています。
棋士もどのように形づくりをするのか、言語化できません。言語化できないものを数値化して教えるのはやはり難しいわけです。


質問「コンピュータに勝つことはこの先難しいのでは?」
コンピュータに勝つためだけの研究をしたらどうなるかはわからない。でもそんな研究、非生産的じゃないですか。<中略>いわばバグ取りのような作業になってしまう。将棋をやっていて将棋じゃないような、そういう世界です。

YSSの指し回しはとても違和感があるんですよ。でも最近プロの実戦の間で少しずつ増えている。評価はまだ定まっていませんが、じゃあ、もしこれが升田幸三賞を取ったら、誰がもらうのか、という話です(笑)。
------------------------------------------------
納得できる話ばかりです。

コンピュータの将棋は一貫性がない。瞬間瞬間に手を選ぶ。形という概念がない。

そうなんでしょうね。
そのようにインプットされてるのだから当然と言えば当然です。

コンピュータは文脈が苦手って言われてるそうです。
というか、前からの手順の流れは全く関係なく、その局面だけで判断するのでしょう。
悪手を指してもひきずらない。
優勢と見ても油断しない。
どんな局面になろうとも無心で臨める。
積み上げてきたものは捨ててゼロベースで挑む。

この辺りは人間が見習わなきゃいけない部分だと思います。

コンピュータには美意識とか、価値観がない。
当たり前と言えば当たり前だけど、言語化できないこと、感覚的な部分は無理ということなのでしょう。
そこは人間しか持ち合わせていない部分。
人間の人間らしいところ。

この文藝春秋の同じ号に、国立情報学研究所新井紀子教授の
『ホワイトカラーの職場はロボットに奪われる』という記事も出ていて、これもまた興味津々でした。

あらゆる労働がコンピュータ化、ロボット化していく中で、人間に残された領域とは何か、という深ーい話です。
==========================
ロボット化の波は止まらない。
機械の生み出す製品の質やサービスが低くてもコストがそれ以上に下がれば人間からロボットへの代替は進む。コンピュータのできることに合わせて単純化されたマニュアルを作ってしまい、人間がコンピュータに合わせる作業をした方がずっと効率がいい。
機械が人間を支配するようだけれど、それはコンピュータより人間の方が汎用性が高いから。
ロボットは人間を理解しないけれど、人間はロボットを理解できてしまう。

アメリカのように企業寿命が短いとロボット技術を経営の中心に据えて組み立てて、後からそれを埋め合わせるように人間を配置する。
しかし日本は企業寿命が長いのですでに人間の細分化された組織が成り立っている。そこにコンピュータやロボットを導入しようとしても、すでに役割を持っている人間と重なってしまう。従って日本はまだまだ人にコンピュータを合わせようとする傾向がある。

このままでいくと単純作業だけでなくどんどん機械化、コンピュータ化が進んでいく。そしてローコスト化も進む。
結局人間の人間らしさの部分は言語や五感に対する感覚。その感覚が鈍くなり、コンピュータへの要求水準が下がるとさらなるロボット化を許すことになる。
========================
結局、電王戦関連記事でも書いたけど、コンピュータとの付き合い方の問題だと思います。
依存度をどんどん上げていくと知らないうちにコンピュータに人間が制御されているようになっていく。
そうならないよう、いかに人間が主体的に自分たちの理想とする未来予想図を描いていくのか。
人間に残された領域がどんどん狭められてくる中で、人間はその存在感やアイデンティティを立証するために何をしていくのか。
コンピュータに何をさせて、コンピュータとどう付き合って、どんな社会を作っていくのが人類の幸せなのか。

この記事を読んで類推するだけですが、羽生さんはコンピュータ将棋については、客観的というか、冷めた観方をしているように感じます。長期的な視点で極めて冷静に捉えているように映ります。
現代的で合理的な渡辺二冠の感覚とは明らかに違っているように見えます。

強くなったコンピュータに対抗しようと思って力を尽くすのは本末転倒だし、勝ったからどうということもないし、必死に勝ちに行くことすらモチベーションが沸かない。
コンピュータの感覚は刺激にはなるものの、所詮は人間が創り出したものだし、どんどん進化したところで、それ以上でもそれ以下でもない。
将棋というのは過去の優れた人間たちが長い歴史の中で脈々と紡いできたものなので、近年のコンピュータ社会の到来によってその価値や魅力が右往左往するものでもないし、受け継ぐ人間たちの手で着実に進化させていくべきもの、という強い思いがあるのでは、と勝手に思っています。

いつも思うわけだけど、人間同士の将棋の奥深さ、勝負の醍醐味にはますますはまっていく身としては、一時のブームのように、人類vs.コンピュータの格闘技を盛り上げようとする姿勢には疑問を感じ続けています。

この文藝春秋の記事の他の部分はまた取り上げようと思っています。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 命を繋げる、命を広げる | トップ | 熱中症 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ヅラだっちゃ)
2014-07-15 08:35:32
一つの事を深く時間を(お金も)かけて楽しむ人が、近年めっきり減った気がします。
語弊があるかもしれませんが、女性的な世の中だなぁ、と。
将棋界も、新しいファンの獲得も結構ですが、消費されてしまわないよう気を付けてほしいですね。
せっかく長い研鑽の歴史があるのですから。
堂々たる歴史 (nanapon)
2014-07-16 10:42:03
ヅラだっちゃさん、こんにちは。

>一つの事を深く時間を(お金も)かけて楽しむ人が、近年めっきり減った気がします。語弊があるかもしれませんが、女性的な世の中だなぁ、と。

女心と秋の空ってやつですか?(笑)
そうですね。
世の中移り変わりが早い。時間の進み方が加速してる。

>将棋界も、新しいファンの獲得も結構ですが、消費されてしまわないよう気を付けてほしいですね。
せっかく長い研鑽の歴史があるのですから。

おっしゃる通りです。
ほんのここ10年、20年の新参者なのだからリスペクトする気持ちがほしいです。伝統にあぐらをかかないよう、よそ見をせずに正座でしっかり前に進んでいってほしいです。

コメントを投稿

将棋」カテゴリの最新記事