GWも終わって、さわやかで天気のいい毎日だというのに、まだこのネタ続けてます。
よっぽど好きなのね。
我ながらしつこい性格だこと。
今年の電王戦についての記事はこちら。
<作戦間違い@電王戦>
<その2>
<その3>
<その4>
<その5>
<その6>
<その7>
要は人類対コンピュータという異様な異種格闘技の雰囲気を盛り上げてやっていて、そういうのが好きな人ももちろんいるのだろうけど、僕にとってはどうにも筋が悪い、というか、大局観に欠ける味の悪い手という直感が拭いきれないでいます。
もうどうやっても勝ち目は薄いので、次回以降は(えっ、まだ続けるつもり?)盤駒を用意するとか、複数で相談するとか、いろんな趣向でハンディをつけていい勝負に持ち込もうとするのかもしれないけど、僕はどうも食指が動かないというか、名人戦も含め、人間同士の方がよっぽどワクワクする今日この頃です。
(すみません、批判めいてる書き方ですが、僕にとってはそう思えるだけで、新たなファンの発掘、開拓などなどかなりのメリットがあるのはよくわかっていますし、単純に同じことを来年も続けるという一手は指さないのだろうと踏んでます。)
さて、連盟プロデューサーとして縦横無尽に活躍する遠山五段の記事、第3回電王戦総括 コンピュータとの共存共栄と今後の電王戦について。いろんな角度から電王戦を検証、総括しています。
一部を引用させてもらいます。
----------------------------------------
将棋の内容は、完敗と完勝が1つずつ、接戦が3つでした。
接戦となった3局は、長いねじり合いの末、コンピュータの粘り強さに屈しました。
<中略>
ソフトの実力はすごいところに来ている、それがハッキリしました。
イベントとしては、トラブルもあって途中は不安も抱きましたが、第4・5局の視聴者数や世間の反応を見ると、将棋の世界を知らない人まで巻き込んだビッグイベントに育っているようです。
第2回に続き、「ファンに喜んでもらえるかどうか?」という観点では勝ったと思います。
プロ棋士vsコンピュータという構図は、最初の頃に比べて人々の感じ方が変わってきていると感じています。
コンピュータの強さが認められたことで、対決だけではなく対局者(開発者含む)の物語、そしてその周辺の諸々にも注目が集まっています。
プロが負けるのは驚くけど、今はコンピュータに勝てる分野なんてほとんど無いし、棋士の人生に興味があるし、電王手くん面白いね、という感じが生まれているかと。
そこで個人的には今までの形にとらわれず、今後は真剣勝負とエンタメをよりうまく共存させて楽しめるものを提供するのがいいと思います。
将棋ファン、ニコ生ファン、そして将棋を知らない人にも楽しんでもらえるよう、より高めていくことができるはずです。
コンピュータとの戦いにはどこかで区切りをつけるべきと主張する人も多くいます。
ソフトが「プロの中位以上」になった以上、プロのトップと戦っても勝つ可能性は十分あります。
人間側のトップが一度でも負ければ、チェスの歴史に則ると、将棋もコンピュータに越えられたということで決着、終わりになりそうです。
でも将棋界にとって決着をつけることに意味があるのでしょうか。
「共存共栄」を目指すなら無理に決着を付ける必要はないと思います。
将棋はもっと一般社会に出ていきたい、出ていくべきものです。
ここ最近、棋士がメディアに取り上げられる機会が増えています(怒り新党の豊川七段は最高でした!)。
いい波が来ていることは疑う余地がなく、その波に乗れるのか、将棋界としても勝負所です。
将棋というものが一般に広く知られ、より発展した日本文化となっていくことを私は強く望んでいます。
将棋を愛する全ての人(今まで応援いただいている全てのスポンサー含む)にとって、それは素晴らしい未来だと確信しています。
電王戦はその一助となりつつあります。今後はより人間とコンピュータが手を取り合い、「共存共栄」しながら素晴らしい未来へ向かいたいです。
-----------------------------------
「ファンに喜んでもらえるかどうか?」という観点。
遠山五段は勝ったと思いますとの意見。
トータル的に言えば、新たなファンが増えた、今まで将棋に興味のなかった人が興味を持つきっかけとなった、という意味で、(実際の数値的にはわかりませんが)大きな成果があったのだと思います。
ただ、周りの声を聞いても、僕のようなひねくれもののオールドファンが少なからずいることも確かです。
(とは言え、なんだかんだ言っても全然興味もなく無視しているわけではなく、ちゃんとニコ生見て、盤面を見守りながら、手に汗握って人間を応援したりもしています。)
ただ、敢えて苦言を呈するなら、会場の過剰な演出が僕にはどうにもTOO MUCHに思えてしまいます。
将棋の品格とか、長い歴史ある伝統文化の側面との不協和音を感じてしまうのです。
将棋はもっと今の時代に合うものになっていかなければいけない。
時代とともに将棋は変化していくべきである。
ネット社会の中で将棋はさらに強く生き残っていかなければいけない。
確かにその通りです。
時代に合わせて変わるべきこと。
どんな時代になろうと変わってはいけないこと。
そこをしっかりブレずに見極めていけばいいことです。
遠山五段の言ってる《将棋はもっと一般社会に出ていきたい、出ていくべきものです。》というのは本当にそう思います。
故米長前会長の号令のもと、危機感を持って一丸となって普及に力を入れた作戦が本当に実ってきています。
すべてのプロ棋士や連盟職員など関係者の皆様の意識や生活があの頃と一変したのではと思います。
これだけあちこちでたくさんのイベントがあり、大会があり、教室があり、それがことごとくネットやメディアを通じて発信されている。
僕ら将棋ファンはどれだけ恵まれているのだろうか。
理事の方々、そして、遠山五段もそうだし、ねこまどもがんばっているし、関係者の皆さんは、どうしたらもっと将棋の価値や楽しさを広く上手に伝えられるかと真剣に悩んで考えているのだと思います。
《いい波が来ていることは疑う余地がなく、その波に乗れるのか、将棋界としても勝負所です。》
あの頃と違って、解説会に行っても若い女性がいっぱいいるし、若い人たちや子供たちの関心や浸透度は目を見張るものがあります。
棋界一丸となっての努力の賜物だと心から敬意を表します。
外に出ていくこと、新たなファン層を開拓すること、新たなスポンサーへのアプローチ、などなど、戦略的に普及活動をしていくことは本当に大事なことです。
しかしことを焦ると作戦間違いもありえるし、しっかりした大局観を持って慎重に一手一手進めていくべきだと思います。
反面教師の例としてすぐに思い出すのは、前に何度も書いた<バレーボール中継のこと>。
国際的なバレーボールの大会だというのに、必ずアイドルが出てきて歌ったり踊ったり、ルールも何も知らないのにキャアキャア声援したりするあのおぞましい光景。
その競技の真の面白さ、醍醐味を伝えようとするよりも、視聴者を真っ向から子ども扱いしてしまうテレビ局の暴挙。
そしてどこの局でやるのでも皆判で押したようにジャニーズなどのアイドルを起用して試合の品格を落としているというのはバッカじゃないの?!と思ってあきれかえっていました。
最近、バレーボール業界の人に聞いたのだけど、結局のところあの作戦は失敗だった、と言ってました。
アイドルの追っかけやファンたちは会場にも大挙押しかけてキャアキャア騒いだのだけど、結局歌や踊りを見るだけで、バレーボールファンになる人はほとんどいなかったというオチ。
こんな悪手を何年も続けたのだけど、結局はバレーボールファンとしてはちっとも根付かなかったというお粗末。
ぜひともこんなことにならないようにお願いします。
いろんなターゲットがいるので難しいけれど、将棋の健全な発展、伝承のために、今の時代に合うやり方を取り入れつつも、一番大切にしなければいけない部分を見誤らないでほしいです。
より発展した日本文化としての明るい未来へ向けての将棋のブランディング戦略、期待しています。
よっぽど好きなのね。
我ながらしつこい性格だこと。
今年の電王戦についての記事はこちら。







要は人類対コンピュータという異様な異種格闘技の雰囲気を盛り上げてやっていて、そういうのが好きな人ももちろんいるのだろうけど、僕にとってはどうにも筋が悪い、というか、大局観に欠ける味の悪い手という直感が拭いきれないでいます。
もうどうやっても勝ち目は薄いので、次回以降は(えっ、まだ続けるつもり?)盤駒を用意するとか、複数で相談するとか、いろんな趣向でハンディをつけていい勝負に持ち込もうとするのかもしれないけど、僕はどうも食指が動かないというか、名人戦も含め、人間同士の方がよっぽどワクワクする今日この頃です。
(すみません、批判めいてる書き方ですが、僕にとってはそう思えるだけで、新たなファンの発掘、開拓などなどかなりのメリットがあるのはよくわかっていますし、単純に同じことを来年も続けるという一手は指さないのだろうと踏んでます。)
さて、連盟プロデューサーとして縦横無尽に活躍する遠山五段の記事、第3回電王戦総括 コンピュータとの共存共栄と今後の電王戦について。いろんな角度から電王戦を検証、総括しています。
一部を引用させてもらいます。
----------------------------------------
将棋の内容は、完敗と完勝が1つずつ、接戦が3つでした。
接戦となった3局は、長いねじり合いの末、コンピュータの粘り強さに屈しました。
<中略>
ソフトの実力はすごいところに来ている、それがハッキリしました。
イベントとしては、トラブルもあって途中は不安も抱きましたが、第4・5局の視聴者数や世間の反応を見ると、将棋の世界を知らない人まで巻き込んだビッグイベントに育っているようです。
第2回に続き、「ファンに喜んでもらえるかどうか?」という観点では勝ったと思います。
プロ棋士vsコンピュータという構図は、最初の頃に比べて人々の感じ方が変わってきていると感じています。
コンピュータの強さが認められたことで、対決だけではなく対局者(開発者含む)の物語、そしてその周辺の諸々にも注目が集まっています。
プロが負けるのは驚くけど、今はコンピュータに勝てる分野なんてほとんど無いし、棋士の人生に興味があるし、電王手くん面白いね、という感じが生まれているかと。
そこで個人的には今までの形にとらわれず、今後は真剣勝負とエンタメをよりうまく共存させて楽しめるものを提供するのがいいと思います。
将棋ファン、ニコ生ファン、そして将棋を知らない人にも楽しんでもらえるよう、より高めていくことができるはずです。
コンピュータとの戦いにはどこかで区切りをつけるべきと主張する人も多くいます。
ソフトが「プロの中位以上」になった以上、プロのトップと戦っても勝つ可能性は十分あります。
人間側のトップが一度でも負ければ、チェスの歴史に則ると、将棋もコンピュータに越えられたということで決着、終わりになりそうです。
でも将棋界にとって決着をつけることに意味があるのでしょうか。
「共存共栄」を目指すなら無理に決着を付ける必要はないと思います。
将棋はもっと一般社会に出ていきたい、出ていくべきものです。
ここ最近、棋士がメディアに取り上げられる機会が増えています(怒り新党の豊川七段は最高でした!)。
いい波が来ていることは疑う余地がなく、その波に乗れるのか、将棋界としても勝負所です。
将棋というものが一般に広く知られ、より発展した日本文化となっていくことを私は強く望んでいます。
将棋を愛する全ての人(今まで応援いただいている全てのスポンサー含む)にとって、それは素晴らしい未来だと確信しています。
電王戦はその一助となりつつあります。今後はより人間とコンピュータが手を取り合い、「共存共栄」しながら素晴らしい未来へ向かいたいです。
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遠山五段は勝ったと思いますとの意見。
トータル的に言えば、新たなファンが増えた、今まで将棋に興味のなかった人が興味を持つきっかけとなった、という意味で、(実際の数値的にはわかりませんが)大きな成果があったのだと思います。
ただ、周りの声を聞いても、僕のようなひねくれもののオールドファンが少なからずいることも確かです。
(とは言え、なんだかんだ言っても全然興味もなく無視しているわけではなく、ちゃんとニコ生見て、盤面を見守りながら、手に汗握って人間を応援したりもしています。)
ただ、敢えて苦言を呈するなら、会場の過剰な演出が僕にはどうにもTOO MUCHに思えてしまいます。
将棋の品格とか、長い歴史ある伝統文化の側面との不協和音を感じてしまうのです。
将棋はもっと今の時代に合うものになっていかなければいけない。
時代とともに将棋は変化していくべきである。
ネット社会の中で将棋はさらに強く生き残っていかなければいけない。
確かにその通りです。
時代に合わせて変わるべきこと。
どんな時代になろうと変わってはいけないこと。
そこをしっかりブレずに見極めていけばいいことです。
遠山五段の言ってる《将棋はもっと一般社会に出ていきたい、出ていくべきものです。》というのは本当にそう思います。
故米長前会長の号令のもと、危機感を持って一丸となって普及に力を入れた作戦が本当に実ってきています。
すべてのプロ棋士や連盟職員など関係者の皆様の意識や生活があの頃と一変したのではと思います。
これだけあちこちでたくさんのイベントがあり、大会があり、教室があり、それがことごとくネットやメディアを通じて発信されている。
僕ら将棋ファンはどれだけ恵まれているのだろうか。
理事の方々、そして、遠山五段もそうだし、ねこまどもがんばっているし、関係者の皆さんは、どうしたらもっと将棋の価値や楽しさを広く上手に伝えられるかと真剣に悩んで考えているのだと思います。
《いい波が来ていることは疑う余地がなく、その波に乗れるのか、将棋界としても勝負所です。》
あの頃と違って、解説会に行っても若い女性がいっぱいいるし、若い人たちや子供たちの関心や浸透度は目を見張るものがあります。
棋界一丸となっての努力の賜物だと心から敬意を表します。
外に出ていくこと、新たなファン層を開拓すること、新たなスポンサーへのアプローチ、などなど、戦略的に普及活動をしていくことは本当に大事なことです。
しかしことを焦ると作戦間違いもありえるし、しっかりした大局観を持って慎重に一手一手進めていくべきだと思います。
反面教師の例としてすぐに思い出すのは、前に何度も書いた<バレーボール中継のこと>。
国際的なバレーボールの大会だというのに、必ずアイドルが出てきて歌ったり踊ったり、ルールも何も知らないのにキャアキャア声援したりするあのおぞましい光景。
その競技の真の面白さ、醍醐味を伝えようとするよりも、視聴者を真っ向から子ども扱いしてしまうテレビ局の暴挙。
そしてどこの局でやるのでも皆判で押したようにジャニーズなどのアイドルを起用して試合の品格を落としているというのはバッカじゃないの?!と思ってあきれかえっていました。
最近、バレーボール業界の人に聞いたのだけど、結局のところあの作戦は失敗だった、と言ってました。
アイドルの追っかけやファンたちは会場にも大挙押しかけてキャアキャア騒いだのだけど、結局歌や踊りを見るだけで、バレーボールファンになる人はほとんどいなかったというオチ。
こんな悪手を何年も続けたのだけど、結局はバレーボールファンとしてはちっとも根付かなかったというお粗末。
ぜひともこんなことにならないようにお願いします。
いろんなターゲットがいるので難しいけれど、将棋の健全な発展、伝承のために、今の時代に合うやり方を取り入れつつも、一番大切にしなければいけない部分を見誤らないでほしいです。
より発展した日本文化としての明るい未来へ向けての将棋のブランディング戦略、期待しています。

以前、TV局のスタッフが「バレーボールは地味なんで、我々が盛り上げなきゃいけないんですよ」と語っている記事を見たことがあります。
ライトユーザーの取りこみは必要だと思いますが、その競技に愛着を持っていない人が担当すると、ズレたことになるんだと思います。香川のMOMの件とか。
一時よくなってたJRAのCMが、またひどくなりました(ノ_-。)
共感いただきありがとうございます。
>以前、TV局のスタッフが「バレーボールは地味なんで、我々が盛り上げなきゃいけないんですよ」と語っている記事を見たことがあります。
もちろん盛り上げなきゃけないのでしょうけど、その盛り上げ方の方向ですよね?
空気を読めずに、当事者だけが良かれと思ってとんでもない盛り上げ方をしちゃうとこういう風になるのだと思います。
センスとか大局観なんだと思います。
>ライトユーザーの取りこみは必要だと思いますが、その競技に愛着を持っていない人が担当すると、ズレたことになるんだと思います。香川のMOMの件とか。
おっしゃる通りです。
愛着ない人が考えると、まあこの競技だからこんなもんかな、こんな風にすれば盛り上がるだろ、とどうしても短絡になりますよね。
>一時よくなってたJRAのCMが、またひどくなりました(ノ_-。)
競馬もよく引き合いに出されますね。
昔は怖いお兄さんとかやばそうなおじさんとか、赤鉛筆耳にはさんで、とても家族連れで行けるような場所じゃなかったですものね。
一つは、言わずと知れた渡辺2冠のブログ。
http://blog.goo.ne.jp/kishi-akira/e/91626b2168320270fc4202c58986a9e8
もう一つは宮本調教師の奥さんのブログ。
http://blog.livedoor.jp/yukiko_miyamoto1/archives/53126560.html
>競馬界と将棋界双方のイメージアップとライトユーザー獲得に貢献しているブログを2つ。
そうですね。こういう業界をブリッジするパワーというのは、なかなか戦略的にやろうとしても難しくて自然発生的なものが効果や影響力ををもたらすのですよね。
ありがとうございました。
僕も中山競馬場のすぐそばに住んでることもあり、昔から競馬は大好きです。
昔ほど熱中してはないけど、競馬のこともブログに書こうかな?
私が電王戦関連で一番気になるのは、コンピューター側が、『別に将棋でなくても構わない』、もしくは、『将棋は手頃な良い題材』くらいに考えているのではないか?ということです。
共存共栄とは、少し甘いのではないでしょうか?
私には失礼ながらコンピューター側に将棋への熱情は感じられませんし、『名をあげるチャンス』くらいに思ってるんでしょ?と斜に見てしまいます。
なんでもかんでも新しいことをして、新しい商売をすれば良い、というのはどうなんでしょうか?
失ってしまったら、取り返せない、知らない方が面白い、モノ、コト、将棋界のような世界では、他以上に慎重にすべきでは?
>いつも読み応えある記事、ありがとうございます。
いつも見ていただいてるようでありがとうございます。
そう言っていただけてうれしいですし励みにもなります。全く更新できてなくて心苦しいです。
>私が電王戦関連で一番気になるのは、コンピューター側が、『別に将棋でなくても構わない』、もしくは、『将棋は手頃な良い題材』くらいに考えているのではないか?ということです。
まあそんなことはないと思いますが、もしかしたらそんな思いもあるのかなあ??と勘繰ってしまう瞬間もあります。
>共存共栄とは、少し甘いのではないでしょうか?
私には失礼ながらコンピューター側に将棋への熱情は感じられませんし、『名をあげるチャンス』くらいに思ってるんでしょ?と斜に見てしまいます。
はい。将棋の伝統に基づく深さや重さに対するリスペクトがあまり感じられません。
流行り(?)のゲームの一種のような、売れそうなコンテンツのワンノブゼムのような。
>失ってしまったら、取り返せない、知らない方が面白い、モノ、コト、将棋界のような世界では、他以上に慎重にすべきでは?
はい、そこが心配です。
商売のネタとして利用されて捻じ曲げられたくはないと危惧しています。