波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

君のことは忘れないよ

2024年02月23日 | 日記・エッセイ・コラム

年取るほど、人は血筋と財産とプライドにこだわるらしい。物心ついて以来の「自分はいったい何ものなんだ?」の回答を求めてそこに行き着くわけだが、死ぬ間際まで離れないのが欲望なんだね。。中でもプライドとか名声は最後の最後までの厄介さ。老人は「自慢話と説教と長話」(高田純次氏談)というのも、実は無意識の「俺は偉い」が原因かもなあ。

突然難しい話で恐縮だが、「『私』は有限だが『国家』や『国民』は無限。そうだとすれば国家や国民のために死ねば、『私』は不死となる。国民という観念は、死への怖れ、不死の欲望で支えられている。自らの財産、血統、文化を永久に残したいという欲望が、ナショナリズムの土台」という文章に立ち止まった。この辺りの頁を何度となく開き、死ぬ間際の私的な欲望がナショナリズムという公的思想と連続している指摘に新鮮な驚きがあった。
大事だと思ったのは、そこからの解決(=ナショナリズムからの脱却)は、「自分はたまたま生まれ、たまたま死ぬのだ。ひとりで生き、ひとりで死ぬ、死んだ後は無」の境地に立てるかどうかだ、と言う点。何度も、ウームと考え込む。(引用は全て徐京植著『ディアスポラ紀行 -追放された者のまなざし-』岩波新書)

 

わくわく ゆっくり 暮らす(波風立男氏2024目標)は、欲望過剰迷惑老人にならない戒め。楽しみを日々見つけ、それを年相応に飽かず急がず自分でやってみる願望。老境に突然ネトウヨに変身する方もいるようで、三大欲望に対する自己管理力は想像以上に大事だ。死んだら忘れてくれていいからね、化けて出るとかしないからとは言えるが、君のことはすぐに忘れるからね、とは言えない。だって、君と出会うことができたから波風氏は今書いたようなことも考えられるようになったのだからね。君が波風氏と同じ考えか全く逆かの違いはあっても・・・・本心は忘れたくても・・・・


画像『固定観念若干否定雛』(2/20裏ブログ)をラインで送ったら息子たちいわくガチャピンとムック?キャッチャーとバッター?と大喜利みたいな返事 このブログ見てくれる人が数日間隔で更新しているのに毎日100人前後もいる。FBやXと違う長い独り言を読んでくれる有り難さに感謝感謝。一緒に時代を生きて一緒に歳をとっている感覚は悪くない。

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