波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

老人がこんなに良いものだとは

2024年09月19日 | 日記・エッセイ・コラム

(9/3『老人の考えはまとまらない』から続く)
づけば老人になっていたが、こんなに良いもんだと知らなかった(笑)。わかっていればもっと早くなりたかった。こんなんだったら死ぬまで生きてもいいな(笑)。なにが良いかと言えば、余計なストレスが無い。
スポーツも勉強も手先も全然自信の無かった子ども時代、大人になって給料もらう仕事ができるかどうか心配だった。新聞配達で月500円の給料もらうのでも大変だったから、自分が生きていくには相当の奮闘努力が必要だと思った。明るい希望を持ちつつ競争社会へ怯える少年時代であった。

がされ競争させられ自分をつまらない人間だと思わせる空気は今がずっと濃厚だから、ボンヤリしていたら確実に置いてかれる(「老いて枯れる」と出た)わけだが、「ワシ、もう競争しないし」の老人に過度のストレスは降りかからない。「もういいんだもん、欲望も管理できるし」の老人は無敵。
性欲は絶えて久しくなったようだし、睡眠欲は毎日が日曜日だから欲外だし、食欲は健康志向と重なり驚くほど減塩減甘減油&小食になったから自宅飯が一番うまくなった。

間泥棒の童話『モモ』で、生産性無き子ども時代の遊びが大人になるにつれて無駄とノンビリの悪と教え込まれ、あくせくと脇目ふらずに働かされて、楽しい時間が巧妙に盗まれてきたことを感心しながら読んだ。今までの暮らしや仕事を否定しないが肯定できないことも多かった。老人になると行く行かないは自由だが、「子ども」時代に直結する時間戻しの回路が出来るのは朗報。
朝起きて「今日は何をして遊ぼうかな」の今は、盗まれた時間の取り戻し中。トイレ掃除やゴミ出しや歩く買い出しも、鈴なりのミニトマトや曲がった胡瓜の収穫も、イラスト描いて送信したりブログの更新、こういう全部が一喜一憂できる自分の意思で使える時間。
人生100歳なんて調子良い言葉で、老人時間を盗むプロの泥棒がワンサカ出没しているが、マンマと引っかからない賢さは持っていたい。その秘訣は、「子ども」回帰の心を忘れないことかもしれないなあ。外界への興味喪失とまだ少し残っている変な競争意識が危ない。


ミヒャエル・エンデ著『モモ』は、作者の思想が直接的に表現されているからファンタジー好きのママヨさんは2回読んでも入れなかったそう。ファンタジー苦手の哲学好き波風氏は逆に面白かった、人生の深淵をのぞき込むような感じが。子どもの読者がこの本を好むことに興味を持った ♪斉藤和義『歩いて帰ろう』が散歩中に声を出して歌うお供。『モモ』の主張に通じている  裏ブログ『腹が固まった』にあるように、何は無くても健康一番を実感。季節の変わり目、このブログ読者の皆さんもご自愛下さい。

コメント    この記事についてブログを書く
« 吾亦紅を送る | トップ | 好きだった漫画 »

日記・エッセイ・コラム」カテゴリの最新記事