二日酔いを意味する英語の「はんぐおーば(a hangover)」
まあ“酔っ払い”の言うこと。by.NA-094
はんぐおーば
戦いの後始末と、8月の終わり
戦時下においては、戦争に大義があるかどうかなどは関係ない。
だから、不正がまかり通ってしまうこともあるのは、
歴史が証明している。
これまでの人生において、
ウマが合わないと思う人物と出会うこともあった。
その中には、単にイヤな人物だと思えるだけでなく、
明らかに悪意的な人間もおり。
それが組織社会で関わり合うこととなる人物(同僚や上司など)だと、
かなり悩まされることにもなった。
実際、自分本位な行動をとっていただけでなく、
不正行為までしたものまでいたのだから、
収まりどころのつかない感情を抱えることとなった。
しかし、こんな話は、戦時下とは異なる平時の日本での生活においてのこと。
もし戦時下であれば、このような案件は、別の面を見せることになる。
簡単に言えば、「処刑」されるか「リンチ」にされるかである。
それを理解できるものであれば、隠蔽を図ろうとするだろう。
社会全体が不穏な状態となる戦時下においては、
“巻き添え”や“とばっちり”で謀殺されてしまう人間が、
平時とは比べものにならないようにも思える。
理想的なまで社会正義が浸透している世界でも、
不正の排除は困難で、不正は、社会にとって、大きな脅威。
数年前、ある不正行為の実情を把握しきれないことから、
本社のエラい人たちは、不正行為を行なった同僚や上司とも、
その事業所の人員を、まとめて処罰することにした。
それは(親会社への)対外的なアピールだけでしかなく。
もちろん納得できるハズもなく、本社の役職者とぶつかることになった。
ここで本社にとって、解決すべき問題は、
「不正行為」から「本社の判断には、不都合な人物」へと、
変わることになった。
それを、迂闊(うかつ)にも気付いていなかった。
ハッキリ言えば、本社のエラい人たちには、実務経験もない人間がおり。
無理解な(バカでやる気もない)人物たちへの説明と説得には、
かなりの時間と根気が必要になった。
本社が、現場サイドの仕事を理解できないのは、
単純に、本社の怠慢でしかなく。
今、そのような時間と向き合っていたときには、
感じ取れなかった後悔が、心に静かに染みていく。
いつの頃からか?
8月15日の終戦記念日より、
8月が終わっていく、
今の時期になってから戦争について考えるようになった。
今も、政情不安定な地域や内戦状態の国だってある。
戦争体験者である祖父母が亡くなって、ずいぶんと経っており、
正直、75年前の戦争のことなど、どうでもいい。
戦争や紛争のようなものとは、これからも無縁でいたい。
暴力とは、無縁でいたい。
“いじめ”や“ハラスメント”のような社会的な暴力も含めて、
暴力とは関わりたくもない。
そう考える人は少なくもないだろう。
「“他人”など、どうでもよいから、“自分”は関わりたくない」というのは、
ある意味、自然な感情。
だけど…。
そんな問題とは、無縁でいたいと思っている人間には、
かなり下劣な行動(マネ)ができるものもいる。
それは、守るべき平和なのだろうか?
戦争が終わって、生活は一変する・・・そう思っていた。
(2020年8月28日加筆訂正)
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