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捕らぬ狸と虎の威を借る狐!?

(前回の続き)
それなりに、お金を所有しているかということは、
「「生活の糧」に余裕があるということ」とも思える。
※経済的には違うらしいのだけど。

日常生活では、そんな考え方も支障はなく。
言葉に置き換えて意識することもなかった。
かつて、金や銀で鋳造された貨幣から、
国が“金”との交換を約束するものとして紙幣が用意されて、
現在の社会では、名目紙幣となっている。
(名目紙幣…貨幣は象徴であって、食料でも燃料でもない。)

この“お金”って、どこで刷っているのだったかな?
日本に限らず、国家が税として納めることを認めたものが貨幣であり。
国家や世界の情勢によって、価値が変動することになる。
つまり普段、意識することもないけど、
お金の価値は絶対ではないということだ。
もちろん無駄遣いを推奨しないけれど、ね。

金銭の価値が変動することで、
生活に影響されるような社会は問題がある。
お昼どきに、弁当屋やコンビニに並んでいるオニギリの値段が、
為替レートのように変動されても、面倒臭く。
お昼休みが終わっても、食事をとれない者まで出てきそうである。
どこかの誰かが、世の中を調整してくれているということだろう。



どんな“もの”であっても、ありがたみが減ってしまえば、
価値は下がることになる。
国の命令で、造幣局の方が、“お金”をガンガン刷っていけば、
ありがたみが減って、“お金”の価値は下がってしまう。
いわゆるインフレになってしまう。
これは経済など勉強していなくても知っているようなこと。
だから、国のエライ人から…、
「今回のコロナショックに伴いまして、
国民の皆さまへの給付金を用意致しますので、
造幣局の方にはガンガン刷っていただいております!」
…など言われている事態を喜んでもいられない。
それに、まだ届いてこないんだよなぁ…。
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捕らぬ狸に化かされそうです!?

仕事もしないで、お金をもらえるのなら、
ボクはハッピーだぁ♪などとも喜んでもいられない。


この“はんぐおーば”では、
最近、“エラい人”という言葉を使い回しているけど。
エラい人というのは、何を考えているのか分からないときもある。
これは社会(政治や経済)のエラい人、
大臣や長官ではなく、
身近なエラい人…、
社長だとか、部長とかにも言えること。
なかには、不届きなことを考えている人
(“エラいこと”をしてくれる人)もいて、困ったものである。
色々な物語によれば…。
大昔のエラい人(殿様や王様など)は、
平民のことなど考えもせず、
領地を私物化して、好き勝手なことをしてきた。
大人しくしていた人たちも、やがて堪忍袋の緒が切れてしまって、
吊るし首にされることも少なくなかったらしい。
エラい人がいなければ、大事なことは決められないけれど、
吊るし首にされたくないとなればと、
妥協点が求められたのかは知らないけど。
法律やら憲法とかには、ゴチャゴチャと記されている。



今から、90年ほど前の1929年。
アメリカで起きた金融恐慌は、世界的な規模のものとなり。
アメリカは、政府主導の公共事業を行うニューディール政策で、
失業者対策を行なった。
欧州の大英帝国やフランスなどでは、
本国と海外植民地、自治領など以外からは、
輸入を抑えるブロック経済を行って、排他的な市場圏を形成する。
この世界恐慌による社会不安などから、
ドイツ、イタリアで、
ナチズムやファシズムが台頭していくことになり。
軍事行動を起こしたり、領土拡大を目指したりして、
第二次世界大戦に突入することになっていく。
今回のコロナショックも、世界的な被害をもたらしている。
現代の事情は、90年前と違う。
第二次世界大戦後、植民地主義は崩壊していき、
自国内に、未開拓の産業や資源がある国など限られている。
これは収束してもノンビリとはできそうにないところ。
(続く)
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とばっちり!:コロナビール風評被害

先日、ようやく営業再開となった馴染みの飲食店で
食事とビールを味わうことにしました。
ここで“験担ぎ(げん・かつぎ)”として頼んだのが、“コロナビール”。


ビールの銘柄に詳しくない人には、
今回のコロナショックに便乗したタチの悪いネーミングにも
思えるかも知れないけど。
陽光に恵まれた中南米メキシコで親しまれてきたビール。
残念ながら、今回のコロナショックでの風評被害によって、
生産中止となってしまった。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」は、世界共通というところだけど、
とばっちりもいいところ。
必ずしも、好きなタイプのビールではないけど。
ちょっとヒドい話しなので、売り上げの足しになることを願って、
いただくことにしました。



中南米に限らず、コロンブスの新大陸到達以降から、
南北アメリカ大陸と伝染病とは、歴史的な因果がある。
アステカやインカなどの文明が、弱体化して滅んでしまったのは、
ヨーロッパから持ち込まれた天然痘などのウイルスによるもの。
コロナビールの生産中止が、
不当な侵略行為を受けてきた人たちの歴史とも、
ダブってしまうのは酔っているからかな?
それなら、もう1本いただきますか。
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デジタル機器との現実社会(リアル)…。

(画像は、先週末の秋葉原。本文との関連はありません。)

チェ・ゲバラが処刑された地でもある南米ボリビア。
このボリビアを舞台としたコンピュータゲームを、
ここ数カ月、友人の誘いもあって楽しんでいる。


昭和世代のファミコン人間には、
現在のコンピュータゲームには驚かされることが多い。
まるで実写映像のようなリアルなCG映像の世界で、
主要キャラクター(主人公)をアナログコントローラーにより操作できる。
デジタルに対して、アナログと言えば…、
どこかレトロで、一世代前のものにも聞こえる。
だが、アナログ信号をデジタル技術で再現するのは、
制約が多く、複雑で高度な処理能力を求められる。
アナログコントローラーは、操作レバー(スティックレバー)だけでなく。
「決定」や「解除」を行なうアクションボタンへの「強」「弱」まで、
認識できるコントローラーとなり。
レーシングゲームなどでは、
アクセル(スロットル)を一気に踏み込むように、強くボタンを押し込めば、
エンジンの回転数が急加速するような演出まで行われる。
ブレーキでの操作の場合にも、一気に押し込んで、急ブレーキをかけられる。
これだけ高度で複雑な操作を処理できるようなゲームのシステムは、
業務用のゲーム筐体でもなければ、かつては不可能だった。
そんなアナログコントローラーも、目新しい技術ではなく。
10年ほど前から、家庭用のゲーム機にも用いられている。
子供の頃に夢見ていた未来社会とも異なり。
いつもの生活…、
当たり前の日々の中にいると忘れそうになるけど。
かつては、SFの世界でしかあり得ないようなことが、
当たり前になりつつあることを実感する。



さて…。
実写並みの映像で展開されるリアルなゲームであっても、
現実とは異なるのは、仕方のないことなのだろうか?
例えば、現実の世界では、車輛(自動車)のハンドルから手を放したまま、
運転するドライバーなどは、まずいない。
オートバイなら、尚更となる。
しかし、アナログコントローラーは、
ハンドルとは違って、ボタンやレバーに触れていれば、
指先の圧力を感知して、運転中の車体が不安定に揺れることになる。
コントローラーから、手が放れている状態が、
もっとも車体が安定するという状況には、強い違和感がある。
(現実ではないのだから、仕方がないけど、ね)
それでも、フルCGによるゲームの世界(ヴァーチャル)が、
現実社会(リアル)に近付いてきたのを感じる。
いずれ現実を超えるデジタル世界ができたとき、
“何”が現実となるかも変わってしまうのかも知れません?
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