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匿名するは、訳にあり

(序文?)
子供の頃、転勤の多い父親の仕事の影響から、
何度も引っ越し、転校していた。
そんな状況もあり、
同級生たちとの話題についていけないことも少なくなかった。
そういう子供は、からかわれることも多く。
どこか置いてきぼりにされたような気分にもなった。
やがて周囲とは、距離をとるようになっていくのだけど、
そうすると理解のない大人たちの言動がうるさくなっていく。
「(大人には)それなりの事情があるのだから、仕方がない」
「みんなも(子供同士なら)分かってくれるよ」
こんな言葉を、当たり前のように言う。
正直、そんなもの分かりようがない。
いや…、誰も分かろうとなんかしない。
こんなドロドロとした暗い感情をかかえていれば、
他人との会話にも苦労していくことになる。



さて…。
以上のような“こと”は、
匿名性のあるネット上でもなければ記せない人は、
少なくもないと思われる。
“誰”が言ったのかを知られることもない匿名だからこそ、
伝えられることは、かなり多い。
実名で、同僚や上司のハラスメントや不正行為、
企業レベルの不祥事などを伝えれば(チクれば)、
生活や社会的な環境を脅かされ、
社会人なら、職場での居場所を失ってしまう人間もいる。(※)

※実体験、一部の事実を伏せてレポートしようとしたが、
上手くまとまっていないけど、ね。

現代の社会は、どこもメディアコントロールされている。
巨大な象に踏みつぶされるしかないアリのような存在には、
不満の声を上げられないこともある。
例え、アリでも群れをなせば、
象でも倒せるというのは童話の世界だけの話でしかなく。
そんな社会の実態を、ネットの匿名性は伝えられるようにしてきた。
匿名での情報提供を可能とするインターネットは、
不正や腐敗の事実を、第三者に伝えられる数少ない手段。
公明正大を謳う教育機関でさえ、イジメのような事柄を隠蔽し、
告発しようとする者への圧力をかけていた事実がある。
テレビや新聞のようなマスコミでさえ、
不都合な事実は伝えてくれないことが明らかになったことを、
苦々しく思っている人間は少なくもない。



コロナウイルスによる自粛生活を余儀なくされた2020年5月において…。
SNSでの誹謗中傷によってテレビ番組に
出演していた著名人の自殺という悲劇が発生した。
女子プロ〇スに興味もなく、テ〇スハウスという番組の事情も知らない。
だから、亡くなった若い女性に起きた不幸については、
まるで分からない。
ハラスメントやプライバシーの侵害にあたる行為があったのは、
匿名性のあるネット上だったことも無視できないから、
SNSへの誹謗中傷を抑止する動きもあると聞いている。
デジタルインフラの社会的な影響を考えれば、
正しいことにも思えるが…。

インターネット上から匿名性が失せれば、
実社会での不正や不当な行為も、メディアコントロールされかねない。
「インターネットを通して、不都合な情報(都合の悪い情報)が、
世間に知られないように抑制したい」と考えている人間は多く。
その手段も生まれつつある。
デジタル社会の現代において、
「政府や大企業(報道機関も含む)」が善良であるという考え方は危険であり。
事実、そうではない。
もちろん大企業ではなくても、例外ではなく。
ネット社会の匿名性を疑問視する前に
ネット社会からの反撃を恐れているのは、
どのような人種(存在)なのかも考えて欲しいところ。
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