仕事帰りで、なにも考えたくないとき。
ただ余裕もなく。
なんとなく寄り道でもしたくなるけど、
疲れた身体が、帰り道へと急がせる。
同じ方向へと足を向ける人たちにも、
どことなく安定感がない。
気怠く、何かを考えようとすることが、ひどく負担に思え、
よく知っているハズの街が、見知らぬ土地にも感じる。
何もかもが負担にも思えてくる。

やればできる!
やらねばできぬ。
だけど、やらぬから、出来ないまま。
・・・と言うのは、根拠のない精神論にも聞こえる。
世の中には、「出来ること」と「出来ないこと」があり。
もちろん、「出来ること」であっても、
現実的には、無理があることも少なくない。
過程こそが、大事とされる学生時代なら、
結果が出なくても美徳とされるのが努力というところでも、
社会人として責任を伴うプロは違う。
片手間であろうが、全力であろうとも、結果がすべて…。
単純に見えても、実務的なことを把握していない人間の言葉は軽く。
そこで結果を伴わない事態や言い逃れのできない失態が起きれば、
口にできるのは、“努力”という言葉でしかなく。
口にすれば、最後となってしまう。
だから「努力」という言葉は、好きになれない言葉の1つ。
そんな言葉が安直に使われる社会認識を
踏みツブしたくもなるときもある。

とくに問題もなく、仕事が終わったときでも、
職場の問題点や改善点に気が付いてしまうときがあるけど。
その逆のときは、かなりキツい気分になる。
やっぱり、どこかで一杯、やっていくかな。