12月13日
曇り空で、気温7度。昨日までが、14度くらいもある暖かさだったので、少し肌寒く感じる。
ワタシは、例のごとくストーヴの前で、寝ている。実は昨日は、余りよく寝ていないからだ。昨日の夕方、いつものように飼い主と散歩に出かけた。少し離れたススキの斜面のところまで行き、そこで飼い主が先に帰ってしまった。
暗くなって、もう百鬼夜行(ひゃっきやこう)の夜の道を歩くのはいやだった。仕方なく、近くにある家の物陰に隠れて、一晩を過ごし(-1度と冷え込み寒かった)、朝になってやっと飼い主が迎えにきて、一緒に家に帰った。
毎日、飼い主の鬼瓦顔ばかり見ていると、うんざりするので、たまには外で、他の動物たちの気配を感じて、緊張した時間を過ごすのも悪くはないのだが、それもまあ真冬の寒さではないから良いけれど、そのあたりのことは飼い主も分かってはいるのだろう。
寝ていると、隣の居間のほうから、やさしい音の響きが聞こえてくる。飼い主がいつものようにCDを聴いているのだ。
「一昨日、少し離れたところにある大きな町まで行ってきた。ミャオはコタツの中で寝ていたので、そのままにしてきたが、今ではもう心配はない。
幾つかの用を済ませて、ついでにCD屋に寄って、一つのセットものと他にもう一枚のCDを買ってきた。
そのうちの5枚組のセットものには、モザイクSQ(弦楽四重奏団)の演奏する、ハイドン(1732~1809)の弦楽四重奏曲の作品20の6曲、作品33の6曲、そして作品51『十字架上の七つの言葉』が収められている。
まだ2枚ほど聞いただけだが、始めから安心して、このモザイクSQのやさしい流麗な響きに身を任して、聴くことができる。というのも、既にこのSQの演奏で、モーツァルトの弦楽四重奏全集(5枚組)の、素晴らしい演奏を聴いていたからだ。
その昔、レコードの時代には、このハイドンの弦楽四重奏を様々なSQで聴いていたのだが、その中でも、特にウィーン・コンツェルトハウスSQやウェラーSQ、タートライSQのものが気に入っていた。
つまりは、ウィーン系の弦楽の響きが(タートライSQはウィーンのすぐ隣のハイドンのいたハンガリー)、好きだったというだけのことだが、このモザイクSQは、そのウィーンの有名な古楽器オーケストラ、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスのメンバーからなっているのだ。
今では、古楽器(ピリオド楽器)で演奏するソリストやグループは珍しくなく、その時代に立ち返ろうとする学究的なものから、斬新的な解釈で演奏するものまで様々である。
古楽器によるSQとして、すぐに思い浮かぶのは、クィケン兄弟他によるクィケンSQである。彼らの演奏するハイドンも悪くはないが、それ以上にこのモザイクSQによるものは、私の心のひだになめらかに入ってきて、やさしく包んでくれる。
彼らの誠実な演奏は、その当時ハイドンが仕えていたエステルハージー公の館で行われていた演奏が、どのような響きだったのかと考える時の、一つの答えのような気がするのだ。
CDの時代になってから、さらにコダーイSQや、前記のクィケンSQのものを聞いてきたが、もうこれからはこのモザイクSQのCDをかけることが多くなりそうだ。
ところでこのCDセットを店頭で見つけたときに、魅(ひ)かれたのは、モザイクSQというだけでなく、そのボックス写真ゆえにでもあった。
ソファーに腰をおろして物思いにふけるトルコ風な衣装を身につけた若い女・・・。どこかで見覚えのある絵のタッチだ。
箱の底に書いてある細かい文字を何とか読む。やっぱり、ジャン=エティエンヌ・リオタール(あの現代の哲学者リオタールとは少し綴りが違う)だ。そして『コヴェントリー伯妃 メアリー・ガニング、1749.パステル』の表記。
このリオタールの絵に、私は、何十年も前の若き日のヨーロッパの旅の時に、当時の東ドイツはドレスデンのツヴィンガー宮殿にあった、アルテ・マイスター美術館で出会っていたのだ。
『チョコレートを運ぶ娘』(写真)である。パステル画による細密な描写を得意としたリオタール(1702~1789)の、よく知られた一枚で、私は初めて見たこの絵がすっかり気に入って、その時に写真にまで撮っていたのだ。
写真のなかった時代に、まるで生き写しのように描く画家がもてはやされたが、しかし写真が絵に取って代わると、そんなに有名だった画家でさえ忘れ去られてしまうことになる。
リオタールはそんな画家の一人だが、埋もれさせてしまうには惜しい画家だと思う。そんなリオタールの絵を、箱の絵の『メアリー・ガニング』だけでなく、中のCDジャケットにも見ることができる。
なんと見事なデッサン描写力だろう。今のところ、このリオタールの画集がないだけに、貴重なものではある、小さなCDジャケット・サイズで残念ではあるが。
しかし、今回は買わなかったが、同じモザイクSQの、別のハイドンの後期の弦楽四重奏曲のセットがある。まあそう簡単に売れるものではないから、年が明けてから買いに行ってもよいだろう。
音楽を楽しめて、絵画を楽しめて、これだからクラッシック音楽はやめられない。はいはい、確かに年寄りの音楽だと言われますが、これが私の好きな道。ミャオには、迷惑ではないよね・・・。」
曇り空で、気温7度。昨日までが、14度くらいもある暖かさだったので、少し肌寒く感じる。
ワタシは、例のごとくストーヴの前で、寝ている。実は昨日は、余りよく寝ていないからだ。昨日の夕方、いつものように飼い主と散歩に出かけた。少し離れたススキの斜面のところまで行き、そこで飼い主が先に帰ってしまった。
暗くなって、もう百鬼夜行(ひゃっきやこう)の夜の道を歩くのはいやだった。仕方なく、近くにある家の物陰に隠れて、一晩を過ごし(-1度と冷え込み寒かった)、朝になってやっと飼い主が迎えにきて、一緒に家に帰った。
毎日、飼い主の鬼瓦顔ばかり見ていると、うんざりするので、たまには外で、他の動物たちの気配を感じて、緊張した時間を過ごすのも悪くはないのだが、それもまあ真冬の寒さではないから良いけれど、そのあたりのことは飼い主も分かってはいるのだろう。
寝ていると、隣の居間のほうから、やさしい音の響きが聞こえてくる。飼い主がいつものようにCDを聴いているのだ。
「一昨日、少し離れたところにある大きな町まで行ってきた。ミャオはコタツの中で寝ていたので、そのままにしてきたが、今ではもう心配はない。
幾つかの用を済ませて、ついでにCD屋に寄って、一つのセットものと他にもう一枚のCDを買ってきた。
そのうちの5枚組のセットものには、モザイクSQ(弦楽四重奏団)の演奏する、ハイドン(1732~1809)の弦楽四重奏曲の作品20の6曲、作品33の6曲、そして作品51『十字架上の七つの言葉』が収められている。
まだ2枚ほど聞いただけだが、始めから安心して、このモザイクSQのやさしい流麗な響きに身を任して、聴くことができる。というのも、既にこのSQの演奏で、モーツァルトの弦楽四重奏全集(5枚組)の、素晴らしい演奏を聴いていたからだ。
その昔、レコードの時代には、このハイドンの弦楽四重奏を様々なSQで聴いていたのだが、その中でも、特にウィーン・コンツェルトハウスSQやウェラーSQ、タートライSQのものが気に入っていた。
つまりは、ウィーン系の弦楽の響きが(タートライSQはウィーンのすぐ隣のハイドンのいたハンガリー)、好きだったというだけのことだが、このモザイクSQは、そのウィーンの有名な古楽器オーケストラ、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスのメンバーからなっているのだ。
今では、古楽器(ピリオド楽器)で演奏するソリストやグループは珍しくなく、その時代に立ち返ろうとする学究的なものから、斬新的な解釈で演奏するものまで様々である。
古楽器によるSQとして、すぐに思い浮かぶのは、クィケン兄弟他によるクィケンSQである。彼らの演奏するハイドンも悪くはないが、それ以上にこのモザイクSQによるものは、私の心のひだになめらかに入ってきて、やさしく包んでくれる。
彼らの誠実な演奏は、その当時ハイドンが仕えていたエステルハージー公の館で行われていた演奏が、どのような響きだったのかと考える時の、一つの答えのような気がするのだ。
CDの時代になってから、さらにコダーイSQや、前記のクィケンSQのものを聞いてきたが、もうこれからはこのモザイクSQのCDをかけることが多くなりそうだ。
ところでこのCDセットを店頭で見つけたときに、魅(ひ)かれたのは、モザイクSQというだけでなく、そのボックス写真ゆえにでもあった。
ソファーに腰をおろして物思いにふけるトルコ風な衣装を身につけた若い女・・・。どこかで見覚えのある絵のタッチだ。
箱の底に書いてある細かい文字を何とか読む。やっぱり、ジャン=エティエンヌ・リオタール(あの現代の哲学者リオタールとは少し綴りが違う)だ。そして『コヴェントリー伯妃 メアリー・ガニング、1749.パステル』の表記。
このリオタールの絵に、私は、何十年も前の若き日のヨーロッパの旅の時に、当時の東ドイツはドレスデンのツヴィンガー宮殿にあった、アルテ・マイスター美術館で出会っていたのだ。
『チョコレートを運ぶ娘』(写真)である。パステル画による細密な描写を得意としたリオタール(1702~1789)の、よく知られた一枚で、私は初めて見たこの絵がすっかり気に入って、その時に写真にまで撮っていたのだ。
写真のなかった時代に、まるで生き写しのように描く画家がもてはやされたが、しかし写真が絵に取って代わると、そんなに有名だった画家でさえ忘れ去られてしまうことになる。
リオタールはそんな画家の一人だが、埋もれさせてしまうには惜しい画家だと思う。そんなリオタールの絵を、箱の絵の『メアリー・ガニング』だけでなく、中のCDジャケットにも見ることができる。
なんと見事なデッサン描写力だろう。今のところ、このリオタールの画集がないだけに、貴重なものではある、小さなCDジャケット・サイズで残念ではあるが。
しかし、今回は買わなかったが、同じモザイクSQの、別のハイドンの後期の弦楽四重奏曲のセットがある。まあそう簡単に売れるものではないから、年が明けてから買いに行ってもよいだろう。
音楽を楽しめて、絵画を楽しめて、これだからクラッシック音楽はやめられない。はいはい、確かに年寄りの音楽だと言われますが、これが私の好きな道。ミャオには、迷惑ではないよね・・・。」