ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

吉凶相半ばす

2018-05-07 21:01:59 | Weblog



 5月7日

 昨日から雨になり、今日は断続的に強い雨が降っている。
 その前までの、連休の間はおおむね好天の日が続き、各地は行楽や帰省のひとたちで、さぞやにぎわったことだろう。
 しかし、その長い連休の間、私は一度、用事があって仕方なくクルマで出かけた以外、結局はずっと家にいた。
 もっとも出かけようにも出かけられず、庭仕事の一つさえできなかったのだ。
 屋根から落ちて受けた脚の傷は、意外に重く、痛みが抜けないまま、動くことさえままならなかったのだ。
 病院に行って、化膿止めと痛み止めの薬をもらっただけで、あとは傷口に薬を塗って、腫れていたいところを濡れタオルで冷やして、ただおとなしくしているしかなかったのだ。
 
 しかし、満潮の潮がいつまでも引かないわけはないし、降り続く雨もいつかは止むのだから。
 昨日あたりから、さしもの痛みも少しずつ引いてきたのだ。
 ほんの少しずつなのだが、そのきざはしは自分の身体だけによくわかるのだ。 
 もちろん、腫れや痛みもまだまだ残ってはいるのだが、暫時快方へと向かっていることは確かのようだ。

 ところが、”一難去ってまた一難”、今度は歯が痛くなってしまい、食事さえ満足にとれなくなってしまったのだ。
 連休の前から、歯がしみて食べられないほど痛くなり、歯医者に行かなければと思っていたのだが、何しろ連休にかかるのでその後にしか行けないし。
 その症状は、虫歯の痛みというよりは、触るだけで痛いから、口の中に食べ物を入れるには流し込むしかできないし、ずっとかすかな鈍い痛みも続いているし。
 今日は、土砂降りの雨で、ともかく明日の予約は入れたのだが。

 まあ、この一か月ほどの間、私にとっては良くない事件が三つも続いたことになる。
 それを、さらに悪いことが続く前触れと見るのか、この辺りで凶から吉へと変わる”運の潮目(しおめ)時”と見るべきが。 
 自分に都合よく考えてみれば、それらの一つ一つが次から次に起きて、北海道へ戻ることをその度ごとに先延ばしにさせてきたのだから、おそらくは今は帰る時期ではないとの、”天の声”のお導きだったのかもしれない。
 またそうではなくて、もう一つの天の声が、”今こそ、悔い改めよ、もうこの世でのおまえの時間は終わりに近づいている”と宣告する、前触れの出来事だったのかもしれない。

「人はしばしば、自分が不幸に見えることにある種の喜びを感じることによって、不幸である自分を慰める。」

(『ラ・ロシュフコー箴言(しんげん)集』二宮フサ訳 岩波文庫)

 しかし、こうして痛みが続くということは、人を卑屈にさせ、弱気にさせてしまうということになるのかもしれない。
 誰しもが分かっていたことなのだろうが、”苦痛の中で生き延びるよりは死を”と、舞台上の悲劇の役者が叫ぶのも、大げさなものではないように思えてきた。
 近年、医学の進歩は目覚ましく、今までなら助からないほどの病状の人が助かるようになり、そんな手術ができる”神の手”を持つ医師たちが、一躍脚光を浴びる時代になって、それは実に喜ばしいことだとは思うのだけれど、一方では、何本ものチューブにつながれ、”胃ろう”の施術を受けてまでも延命治療をされることが、果たして物言わぬ患者自身にとって、満足すべきことなのだろうか、それほどまでに最後の最後まで生に固執すべきものなのだろうかと考えてしまう。
 つまり、終末医療の問題が大きく取り上げられるようになってきた今日では、自力での回復が望めなければ、すべてのチューブを取り外して、本来生きもののすべてがそうであるように、”自然なる死”を望むという人たちが増えているとも言われているけれども。 
 もっとも、そのことについては、大前提となる”死の定義”があり、様々な医学倫理規定があり、一筋縄では解決できない難しい問題なのだろうが。

 こうして、ほんの些細なケガをしたことから、このところ、続いて”死の問題”について取り上げることが多くなったが、それは私に限ったことではない。
 古来、多くの哲学者や思想家、文学・芸術家たちが考えてきたことでもあったのだ。
 今までに何度も取り上げてきた、吉田兼好(1283~1352)の『徒然草』の一節は、何度読み返しても心に染み入るものだ。
 700年以上も前の、中世の時代に生きた人から、私たちは今なお学んでいるのだ。

「死期は序(ついで)を待たず。死は、前よりしも来たらず。かねて、後ろに迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来たる。」(第百五十五段)

「若きにもよらず強きにもよらず、思いがけぬは死期なり。今日まで遁(のが)れ来にけるは、ありがたき不思議なり。暫(しば)しも世をのどかにはおもひなんや。」(第百三十七段)

「されば、人、死を憎まば、生を愛すべし、存命の喜び、日々に楽しまざらんや。・・・。人皆生を楽しまざるは、死を恐れざる故なり。死を恐れざるにはあらず、死の近きことを忘るるなり。・・・。」(第九十三段)

(以上『日本古典文学全集』27「方丈記、徒然草他」小学館)

 これはまさしく、あのハイデッガーが『時間と存在』の中で言っていることと同じであり、”死を意識して残りの時間を知ることで、本来の人間存在の時間の意義を知る”ことになるのではないのだろうかと。
 これらのことは、洋の東西を問わず、”生きるために死を考えてきた”人たちたちが、たどり着いた一つの方向なのかもしれない。
 前回あげた、モンテーニュ(1533~1592)の『エセー』の冒頭には、あのローマ時代の文人政治家キケロ(BC106~43)の言葉が掲げられている。

 ”哲学をきわめることは死の準備をすることだ”、その後で彼は様々な事象を取り上げては、以下のように結論づけているのだ。

 ”死は、死んだときも生きているときもおまえたちと係わりがない。なぜなら、生きているというのは、おまえたちがこの世にいるからであり、死んだというのは、もはやこの世にはいないからだ。”
 ”われわれの生命はどこで終わろうと、それはそこで全部なのだ。人生の有用さは、その長さにあるのではなく使い方にある。”
 ”万物がおまえたちと同じ働き方をするではないか。おまえたちと一緒に老い朽ちないものが何かあるか。千の人間、千の動物、千のその他の生きものがおまえたちが死ぬのと同じ瞬間に死ぬのだ。”

 彼が生きた中世の宗教改革の時代に、キリスト教徒であった彼が、ストア学派の自然欲求の抑圧とは逆の、つまり、反宗教的な自然主義的な考え方を持っていたことに驚かされるのだ。

 さらには、目まぐるしくイスラム王朝が代わっていた時代の、12世紀ペルシャに生きた哲学者詩人のオマール・ハイヤーが書いたと言われる四行詩からなるあの有名な『ルバイヤート』(平凡社ライブラリーの岡田恵美子訳の本が手元にないので、ネットサイトに載っていた小川亮作訳のもの)をあげておく。

 ”楽しく過ごせ、ただひと時の命を、
  一片(ひとひら)の土塊(つちくれ)も、ケイ・コバード(ペルシャ神話の王)やジャム(魔法の杯)だよ。
  世の現象も、人の命も、けっきょく
  つかの間の夢よ、錯覚よ、幻よ!”(109)

 ”酒を飲め、永遠の生命だ。
  また青春の唯一の効果(しるし)だ。
  花と酒、君も浮かれる春の季節に、
  たのしめ一瞬(ひととき)を、それこそ真の人生だ。”(133)

 今のイスラム国家の厳しい戒律からは考えられない、あまりにも刹那快楽主義的な詩だが、背後に浮かび上がる、無常観・・・。

 いつの時代でも、どの国においても、こうした共通の死生観があり、死を意識することで、自分たちを律し、それだからこそ逆に、つかの間の生の賛歌を謳歌したくもなったのだろう。

 “いのち短し 恋せよ乙女 
  あかき唇 あせぬ間に
  熱き血潮の 冷えぬ間に
  明日の月日は ないものを”

(「ゴンドラの唄」吉井勇作詞 中山晋平作曲 松井須磨子歌、あの大正時代録音のレコード針音が混じる松井須磨子の声で聴きたい。)

 私には、もうこうした若き日のたぎり立つような想いはないけれども、追憶の中では、幾つもの思い出が浮かび上がってくるのだ。
 
 新緑の季節、連休の間どこにも出かけられなかったが、いつもは早々と北海道に行ってしまい、のんびりと庭の新緑を楽しむことなどなかったのだが、今年は相次ぐケガや病気事故などで長居して、いつもは見られないサルスベリの赤い新緑の葉を見ることができたし、サクラやカキの若葉を背景にした。赤いモミジの新緑の葉も見ることができたのだ。(冒頭の写真)

 「人は決して今思っているほど不幸でもなく、かつて願っていたほど幸福でもない。」(前記『ラ・ロシュフコー箴言集』より)

 


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