ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(202)

2011-11-20 14:13:54 | Weblog


11月20日

 昨日まで雨が降っていた。一昨日は一日中、雨が降り続いていた。ワタシは寝ているしかなく、起きるのは、居間の隅のエサ場に置いてあるミルクをなめに行くか、魚を食べる時だけだ。とはいってもそれまでは、毎日晴れていたが、ストーヴをつけてもらった部屋で横になって寝ていることが多かった。

 数日前のそんなある日、ストーヴの前の座布団の上で寝ていたワタシは、窓辺から差し込むさらに暖かい日差しに、いい気持ちになり、下のほうがゆるんで、大きなシミをつくるおもらしをしてしまった、それも二度も。ワタシは飼い主を見てニャーと鳴いた。
 飼い主は、座布団の上から下りたワタシの目の前に、シッコでぬれた座布団を突きつけた。その声は穏やかだったが、すぐに私を抱え上げて、玄関のドアからワタシを外に出した。ワタシは、しばらく玄関前にいて、その後、庭に出てトイレをすませて、ベランダのほうに回って部屋に戻ってきた。
 ニャーと鳴くと、そこには別の座布団が置いてあった。ワタシはその臭いをかぎ、飼い主の臭いなどがするのを確かめて上にあがり、再び横になった。
 一昨日は、雨の降る中、朝と夜に、同じようにして外に出され、ワタシは仕方なく雨に濡れながら庭に出て、トイレをすませて家に戻った。ニャーと鳴いて帰ったことを知らせると、飼い主がそばに寄ってきて、濡れた私の体をタオルでふいてくれた。

 ワタシは思うのだ。動物たるものはすべて、日々まずは目の前にある事柄だけに追われるようにして生きている。確かにそうだからこそ、その出来事にいかに的確に対処していくかが、大切になってくる。しかしもう一つ、さらに重要なことがある。それは、そうしたらどうなるかを予測することである。
 この二つの決断のバランスこそが、野生の中で生きていく上で最も重要なことなのだ。勇敢さは、自分をさらにたくましくしてくれるだろうし、しかし行き過ぎれば、思慮の足りない無謀さとなり、自らの命取りともなりかねない。一方で、熟慮し自重することは、確かに危険を避けることにもなるだろうが、いつまでも自立成長できない臆病な心と体のまま、命尽きてしまうということにもなりかねないのだ。

 飼い主の話によれば、昔の中国にいた偉い人で、孔子(こうし)とかいう人が、「中庸(ちゅうよう)の徳たる、それ至れるかな。」と言っていたそうだ。
 つまり、何事もほど良い所にとどまれば、それが一番よい生き方なのだということなのだろう。今の世の中の人間たちは、そうした昔の人の言葉を知らないようにも思える。すべての混乱の源にあるのは、自分だけは、自分たちだけはという欲望から出たものであり、昔からその尽きることないお互いの欲をめぐって、今もなお絶えることなく争い続けているのだ。

 ワタシは、年寄りネコになったからこそ思うのだ。今はただ、体の中から聞こえる自然の本能の声に従い、生きていくことであり、一日でも長く生き延びること、それが一番大切なことだと。そして、そのために必要なことは、何事もほどほどにすることにあると。
 体が衰えてきて、昔通りにはいかないけれど、飼い主が求めるような暮らしをするように努力すること、それは、二人で暮らしているからこその、お互いさまのことなのだ。


 「前回書いたように、ミャオがシッコをしなくなったと喜んでいたのに、やはりミャオはもらしてしまった。それは、あの夏にかけての反抗的な、わざと私の目の前でしたシッコではなかったからまだ救いはあった。つまり、座布団カバーを洗濯して、シミのついた座布団にスプレーをして外に干しただけですんだからだ。
 しかし、いつまた本格的なシッコをするかもわからない。私は、ホームセンターに行って、少し厚めのメーター売りのビニールを買ってきて、コタツ布団の下とさらに座布団とカバーの間にも敷いた。いつも洗濯しなければならないのは覚悟して、あとはそれでシッコが座布団や畳敷きの床にしみこむことを防ぐことができればいいのだ。
 ミャオは今、安らかに寝ている。そうした姿を見るだけで、私の気持ちも穏やかになるのだから。

 一昨日からまる一日半もの間降り続いた雨が、昨日の午後になってようやくあがり、今日にかけて青空も広がってきた。その暑いほどの日差しは、11月とは思えないほどで、昨日の気温は20度を超えていた。
 その雨が降る前までに、庭仕事のいくつかはすませておいた。植え込みの剪定(せんてい)と掃き集めた落ち葉焚(た)きなどである。
 家の庭には、さまざまな木があって、この時期はあのレレレのおじさんではないけれど、何度も庭掃除をしなければならなくなる。ウメやサクラ、カキ、カツラなどの落ち葉がうずたかく積もるからだ。しかし、庭の紅葉はまだ終わったわけではなく、主役たるべきモミジとサトウカエデの紅葉や黄葉が半ばほど進んだところである。

 晴れた日が続いた今週だったが、その一日を選んで、私は久しぶりに山に行ってきた。山登りは、前回の槍ヶ岳登山(10月16日、22日の項)からは、1カ月もの間があいている。それだから体力的にも無理をしない所へ、と言っても九州の山はそれほど高くないから、どこに登っても北アルプスや日高山脈ほどのハードな登山にはならないのだが、その上、今の時期の山頂からの眺めは、もちろん冬景色には程遠く、味気ない冬枯れの景色が広がっているだけだから、それならば、まだ紅葉が残っているかもしれない山麓めぐりのトレッキングにしようと思った。それもあまり人が来ない所に。

 九重山系、黒岳(1587m)の登山口にある男池(おいけ)駐車場に着いたのは、8時半くらいだった。クルマは他に数台が停まっているだけだ。初夏のミヤマキリシマの花の季節には、ここの二つの駐車場があふれるほどになり、道端にも車の列ができるほどなのだが、今は閑散としていて私には全く喜ばしいばかりである。それも当然だ、途中から見えた山麓の林も紅葉の時期はとっくに過ぎていて、冬枯れの景色しか残っていなかったからだ。

 ところが、登山口からすぐの二次林(原生林が切られた後に自然に生えてきた木々の林)の中を歩いて行くと、すっかり葉を落とした高い木々の下には背の低いモミジやカエデがあって、まだ十分にきれいな紅葉のままで残っていた。それは朝の光が当たらない山影になっていた林の中で、色もまた原色系の鮮やかな色ではなく、少し淡い感じの色合いであり、全体的に薄いベールをかけられたような陰影のない秋の光景だった(写真)。
 これまで私が好んで求めてきた山での秋の色合いは、青空に映える、劇的なまでの赤の色彩、まるで張り絵のような色彩の対比であったのだが、今この淡い秋の色彩を目の前にして、私はしばしの間立ち尽くしてしまった。高い空の上では、風の音がしていたが、この山影の林の中は静かだった。周りには、だれもいなかった。鳥の声一つ聞こえなかった。
 
 あのグスタフ・クリムト(1862~1918)の白樺林の絵のような、落ち葉が散り敷いた木々の間に、薄紅や黄色や薄緑の葉が見え隠れしている陰影のない光景。ウィーン世紀末を象徴するような官能的な女性美を描いて一世を風靡(ふうび)したクリムトが、それだけではなく幾つかの白樺林の風景画を残したように、原色的などぎつい色彩の秋の盛りの光景ではなく、すべてをやわらかく包み込むような、秋の終わりの淡き紅葉の風景を前に、私は、さらなる自然界の景観について考えさせられたのだ。
 それは、アポロン的なものとデュオニソス的なもの(ニーチェの『悲劇の誕生』における芸術類型の区分)と言うほどまでに明確な区別ではないにせよ、私には今までそれほど気に留めたこともないような、ほのかな光の中の光景だったのだ。
 もちろん、私の登山は晴れた日ばかりではなく、周りが見えない霧に包まれた中を歩いた時もあり、その霧の風景を趣(おもむき)があると感じたこともあったのだが、それでもできることなら晴れた日の明瞭な光景を切望していたのだ。
 今回の紅葉の風景も、もう縮んだり黒くなったりした葉の上のほうに、終わりの紅葉が残っているという光景を想像していたのに、林の高い木々に守られて今が盛りの紅葉もあるということを、それも十分な日光を受けていないからだろうか、少し淡い色になって、そのつつましやかな色合いとともに私の心に響いてきたのだ。

 しかし、紅葉の林はそこで終わりだった。あとは枯れた落ち葉が散り敷く、ブナやケヤキ、クヌギなどの木々の冬枯れの道が続いていた。平治岳から大船山と続く山なみとこの黒岳との狭間(はざま)にある苔むした岩塊帯をたどり、黒岳の登り口になる風穴に着いた。途中で二人を抜き、向こうから来る一人に出会っただけだった。
 この道のりには展望が開けるところはなく、葉を落とした木々の間から、右手に大船山、左手に黒岳天狗塚が見えているだけだったが、私にはこの静かな晩秋の山歩きだけで十分だった。一休みした後、岳麓寺(がくろくじ)に行く道と分かれて、左に上峠へと向かうトラバース道に入って行く。
 あまり人が通らない道の上に、枯葉が降り積もっていて、道かどうか判別しにくいところばかりだった。ただ所々古いペンキ印やテープがあって、何とか迷わずに歩いて行けた。
 そこは登り下りも結構あって、単なる水平道ではなかったが、南面の暖かく穏やかな道で、その一面の冬枯れの木々の間に、時折、辺りの中での唯一の紅葉が見えていた。おそらくはあのニシキギ科のマユミだろうが、薄紅色の紅葉が薄水色の空に映えて見あきることはなかった。

 急な下りで上峠に着き、そこから白水鉱泉へと降りて行くが、少し下った辺りでこのトレッキング・コース最大の見ものが待っていた。モミジ、カエデの紅葉と黄葉の林である。それは、行きに見たあの男池付近の二次林と同じで、細い木が多く大木はなかったし、色鮮やかというのではなく、まして群生するというほどでもなかったが、他の樹が混じる林の中で、何とも楽しくなるほどの点描画の色合いの競演だった(写真)。



 この黒岳の全山が、華やかな紅葉に彩られるという10月中下旬からは、ずいぶん遅れた紅葉見物だったが、私は十分に満ち足りた思いで、白水鉱泉へと下りて行った。そしてラムネ水で有名な鉱泉からは、たまたま通りかかったクルマに手をあげて、男池駐車場まで乗せてもらった。
 最近はヒッチハイクをやる人が少ないようだが、私は、この白水鉱泉からの道でも2度目だし、若いころの外国旅行の時からずっと、近くは、あの5か月前の屋久島旅行(6月17日、20日、25日の項)の時にもヒッチハイクをしたが、必要な時にはしり込みせずにクルマに手をあげることにしている。
 ただし問題は、私の恐ろしげな外観だ。ただでさえ怖いヒゲヅラの大きな男の私が、道端に立っていても、そう簡単にクルマは停まってはくれない。ほとんどはよけて通り過ぎて行く。
 そこで大切なのは、普通は見せたこともないとびっきりの明るい笑顔だ。ミャオ、笑うんじゃない。私だって、満面の笑顔になる時もあるんだから。そして、根気だ。とはいっても、今まで30分も待ったことはほとんどない。
 そして降りる時にはもちろん十分に礼を言い、時に応じてはジュース代にでもと小銭を置いていき、それは、あの『北の国から』の名シーンのように、泥のついたお札を渡すほどではないし、また女の人のクルマなら、彼女のほっぺにチューしたいところだが、それまでの勇気は私にはないというより、恐怖の叫び声をあげられるだろうから試みたことはないが、ともかく心からの感謝の言葉を伝えることだ。

 つまり、私は今回も、45分ほどかかる道を歩かずにすんだし、そこまでの5時間半ほどの一人っきりの山麓をめぐるトレッキングも、まさに静かな晩秋の山を楽しむのにふさわしかったし、全く幸せな一日だった。そして、このように最初から頂上を目指さない山歩きというのは、実は私にとっては初めてのことでもあったのだ。(ちなみに、出発点の男池の標高は860mであり、このコースの最高点の風穴付近の標高は1260mである。)
 私の山登りの何かが変わってきたのか、それとも変えようとしているのか。

 家に帰ると、ミャオがベランダにいて、私が戻ってきたのを見て、まだ夕方前なのにサカナをくれと鳴いた。またこうして次の一日へと続いて行くのだ。」


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