ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(203)

2011-11-27 20:12:04 | Weblog


11月27日

 今では、いつも飼い主がそばにいる生活にすっかり慣れてしまった。だから、もうミルクを皿ごと抱えてガブガブ飲んだり、魚を一日何回も催促して、腹に詰め込んだりする必要もなくなったのだ。
 飼い主が戻ってきてしばらくは、まだひとりでいたころの飢えの恐怖がどこかにあって、ガツガツしていたのだが、こうして毎日を安心して送れることが分かると、心も体も穏やかな気持ちになってくる。今では、少しのミルクと夕方の一匹の魚で十分である。
 天気のいい日は、部屋からベランダに出て、夕方まで外で過ごす。その間に、飼い主がいつものガーガーとうるさい器具を使って、部屋中を動き回っている。その後、飼い主は少し湿っぽいコタツ布団などを運んできて、ベランダの手すりに干している。夕方ワタシが魚を食べてコタツに潜り込むと、その中はワタシの臭いが大分消えていて、洗剤の匂いが強く残っているが、まあ出たり入ったりすればそのうち気にならなくなってくるだろう。

 つまり、人間には人間のやり方があるのだろうし、だから飼い主のやり方に従って、おとなしくしてワタシも慣れていけばいいのだ。そういうことは、若いネコの時には分からなかったことだ。年寄りネコになって、穏やかに暮らすことのありがたさがしみじみと分かってくる。
 秋になって、木々の緑の葉が、少しずつ色づいて赤い色に染まっていくように、生きることとは、なにも春から夏の明るい緑色の葉の時ばかりではないのだ。むしろ、そんな若い時、生き生きと動きまわっていた時こそが、実はワタシにとっては、様々な嵐に襲われた命の危機の時でもあったのだし。そして、今あるこの紅葉の盛りの時こそが、実はワタシのネコ生の中では、最も喜ばしき実りの時なのかもしれない。

 『昨日?そんな昔のことは憶えていないよ。明日?そんな先のことなど分からないね。』
 ワタシは、前に飼い主のそばで見た映画『カサブランカ』のハンフリー・ボガートのように、トレンチコートのエリを立て、斜めにかぶった帽子の下から他のノラネコたち見ながら、そう言っていた。われながら、なんとかっこいい言葉だろう。独り言で、ニャオーンと鳴いて、目が覚めた。
 ワタシは、部屋のストーヴの前で寝ていた。窓から、日が差し込んでいる。飼い主の呼ぶ声がする。どーれ、ワタシは背伸びをして、日の当たるベランダへと歩いて行った。


 「昨日、今日と晴れて次第に暖かくなってきた。気温も18度くらいにまで上がってきた。それまで、-2、3度まで下がり、強い霜の降りる日が二日もあったから、余計に暖かく感じられるのだろう。今日は風もなく、朝のうちの薄雲も取れて、穏やかな一日だった。

 私は、左官工事に精を出した。それは、1年近くも前から続いていた水漏れによる配管工事(1月15日の項参照)を、ついに業者の人に頼んでやってもらったからである。その工事の後の清掃と、外にある水まき用の水栓蛇口周りを、きれいにモルタルで固めて小さな小石のタイル張りにしたのだ。
 それにしても、1年余りも、もっともその三分の一ぐらいしかこの家にはいなかったのだが、その間もずっと場所不明の水漏れが続いていたから、使う時だけ表の水道元栓を開けていた。もちろんそれは、われながらよくそれでガマンしていたなと思うほどに不便だったのだが。
 しかし、なぜこんなに長い間放って置いたのかと言うと、元来の私のケチさはもとよりのこと、春から秋にかけてはこの家にいる期間が短く、その上に北海道の家でも井戸水が枯れて不自由していた経験があるし、まして山の上でテント泊する時などいつもわずかの水で何とかやりくりしていたので、ともかく水が使えないわけでもないこの状態を、それほど大変なことだとは思っていなかったからでもある。
 しかし、この冬にかけてまでガマンすることはできない。大きな出費になるのを覚悟して水道屋さんに頼むことにしたのだ。

 一人で来た彼は、1日がかりで手際良くすべてを終わらせた。私もそばにいて、少しは手伝ったのだが、それは彼の仕事を見て、いくらかでも配管作業を憶えるためでもあった。北海道の家の新たな配管工事を、いつかはやらなければならないからだ。
 長く引き回された古い鉛管の配管が、コンクリートの道などの下になっているために、水漏れ個所を見つけるのは、不可能に近く、新たに別の道で配管したほうがかえって手間もかからないし、まして今の保温材を巻きつけた塩ビパイプなら、凍結を心配してそう深く掘り下げて埋設する必要もないから早くすむはずだ。
 ともかく工事が終わり、私はその日から、水を自由に使えるようになった。もう、18Lポリタンクに水を溜めておいて使わなくってもすむのだ。蛇口を回せばすぐに水が出る。何とありがたいことか。何と幸せなことか。

 最近放送されていた、NHK教育の『100分で名著』のシリーズは、今回はフランスの哲学者、アラン(1868~1951)の『幸福論』についての話だった。この本に書かれている言葉については、今までにもこのブログでもたびたび触れてきたのだが(’09.5.31、7.19などの項参照)、今回もまたそのテレビ放送を見て新たに気づくことがあって、さらにひとつあげることにした。
 彼はそこで、今、生きていることの意味を幸福としてとらえたうえで言うのだ。

 『悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意思のものである。』(『幸福論』93章)

 つまり、自分が悲しみという感情のさなかにある時は、とても楽観的には物事を考えられずに悲観的になるものだ。だからこそ、自分がいつも幸福になろうとする楽観的な思考こそが必要であり、それは、まさに自分の積極的な意思によるものなのだ。
 このブログの’09.7.19の項でも触れていたのだが、あの雨降りの日のたとえのように、悪い状況の中でも幸せだと思う気持ちが、心の安らぎを生み新たな幸せを呼ぶということになる。
 水道がいつでも蛇口をひねれば使えるということ、それが今の私のささやかな幸福なのだ。いつまでもその思いが続かないとしても、とりあえず今だけの小さな幸せだとしても。

 前回、九重山系黒岳の淡い色彩の紅葉の美しさについて書いたのだけれども、先日、NHK・BSの『アインシュタインの眼』で『紅葉 穂高連峰』というタイトルで、涸沢(からさわ)の紅葉を科学的にとらえていて、紅葉の美しさは、よく日に当たり十分な紫外線を受けていること、さらに適度な気温の低下によるものだと説明されていた。
 なるほどそれで、あの黒岳山麓の低い木々の紅葉の色合いが少し薄く見えていたのかと、納得がいくけれども、山好きな立場から言わせてもらえれば、余分なタレントや司会者の話などどうでもよく、それよりももっと紅葉風景などを映してほしかったのだが。

 ちなみに、この時の出演者は、あの元ヤクルトの名捕手、古田敦也(ふるたあつや)氏だった。私はプロ野球も好きだし、テレビで良く見ている。
 私は今まで、いつも当時住んでいた地元の球団のファンだった。今では、九州と北海道に分かれて住んでいて、どちらを選ぶか苦しいところだが、一応ファイターズということにしている。しかし、その思いは、昔ほどには熱くはならなくなってきた。つまり球団の勝ち負けよりは、野球の試合そのものを楽しむようになってきたからだ。
 その意味からいえば、今年の中日・ソフトバンクの日本シリーズほど面白いものはなかった。両チームともに投手陣が素晴らしいから試合が引き締まり、少ない点差の緊迫した試合を心ゆくまで楽しむことができた。
 その中でも白眉(はくび)のシーンは、やはり第4戦、6回表中日無死満塁のピンチにマウンドに立ったソフトバンク森福の11球の投球に尽きるだろう。

 実はこんなことまで書いてきたのは、数年前、今話題になっているあの大球団会長の独断的な一リーグ制提唱の時、体を張って涙をまじえて訴え阻止したのは、当時のプロ野球選手会長、古田敦也氏だったのだ。
 私は、そのことを忘れはしない。今年のセパ両リーグの覇者による、素晴らしい日本シリーズが見れたのも、一つには古田敦也氏のあの涙の抗議があったからなのだ。
 御高齢の方に失礼を承知で言わせてもらえれば、引退すべき歳にありながら、いまだに権力の座に居続けようとする人間と、それに何も言えない取り巻きの人々。大王製紙にしろ、オリンパスにしろ、この大球団の内紛にしろ、根っこにあるものはみな同じなのだ、悲しいかな・・・。

 傍に話し相手がいないから、私の話は乱れ飛んでしまう。つまり、あの北アルプスは涸沢の紅葉の番組に、そんな山の紅葉などには興味もないタレントをあてがってしまう、制作者の適材適所の配慮がなかったことを言いたかったのだ。だからもちろんのことだが、今のプロ野球界の恩人のひとりでもある、古田敦也氏を悪く言うつもりなど毛頭ない。
 ただこうした、司会者、タレントによる番組進行のスタイルをやめてほしいと思う。それは経費節減にもなるし、この類の番組は、ドキュメンタリー形式にしてアナウンサーのナレーションを入れるだけで十分であり、あとは映像がすべてを雄弁に語ってくれると思うのだが。


 二三日前の、あのマイナスにまで下がった寒さが来るまでは、家の周りのあちこちのモミジ、カエデの紅葉が盛りになっていて、そんな暖かい晴れた日に、私はそうした華やかな木々を見て回った。(写真)
 青空の下にざわめきが聞こえてくるような豪華絢爛(ごうかけんらん)たる色彩絵巻、それは思えば古(いにしえ)の絵巻物の色彩に、そして能や歌舞伎の舞台衣装の中に見ることができるものであり、さらには歌や物語に読み込まれた鮮やかな色合いだったのだ。
 この鮮烈な赤は、日本だからこその色合いなのか・・・あの岩佐又兵衛(いわさまたべえ、1578~1650)による絵巻物語『山中常盤(やまなかときわ)』(’09.4.4の項参照)の残虐(ざんぎゃく)な殺戮(さつりく)場面、そして数日前のNHK・BSでの『蝶々夫人は悲劇ではない~オペラ歌手岡村喬夫80歳イタリアへの挑戦』でのラスト・シーンの演出、桜の下、二人の血の海が広がってゆく・・・。

 前回に書いた、淡い色彩の紅葉と静寂の中のひと時。私はどこへ行こうとするのだろうか。」

 

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