ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

白い羊の群れ

2015-12-21 20:39:45 | Weblog




 12月21日

 数日前に、全国的に強い寒波が襲い、各地で初雪が降ったとのニュースが流れていた。
 九州北部の山中にあるわが家のあたりでも、夜から昼ころまで小雪が降り続き、3cmほどの積雪になった。
 そして、翌日は予報どおりに、低気圧一過後の青空が広がっていた。
 前回の登山(11月9日の項参照)からもう一か月以上もたっていて、ぜひとも山に登りたいところだった。

 雪山に行くには、この辺りでは何といっても九重山なのだが、ここ最近は”登山ブーム”再来もあって、牧ノ戸峠の駐車場がすぐいっぱいになるし、人が多いのも気になるし、さらには雪の後の冷え込みで、たっぷりと道路に撒(ま)かれる凍結防止剤の”塩カル(塩化カルシュウム)”によって、クルマの裏側のサビがさらにひどくなるのもイヤだし、といろいろ理由をつけてはみたが、つまりのところ、”出不精(でぶしょう)”なじじいの理屈に過ぎないだけなのだが。
 (13年目になる私のクルマは、そうして冬の山にばかり行っていたものだから、底面はひどい赤サビだらけで、今年も防錆塗装をしてもらったのだが、去年春の車検ではそのサビのため、サスペンション丸ごと交換の高い出費になってしまったのだ。昔は”漁師町の中古車は注意しろ”(潮風でクルマがサビているから)と言われていたのだが、今では逆で”雪国の中古車は注意しろ”ということになるのかもしれない。)

 そこで、余り人に会うこともないし、家から歩いて登れるいつもの裏山に行くことにした。
 低い山ではあるが、家からの標高差は数百mほどあり、2時間半ほどはかかるから、これも立派な登山対象の山になるし、さらには近くて手軽な山だからと一年を通じて登っていて、おそらくは今までに数十回以上にもなるだろうし、あの九重山や大雪山以上に最も私が親しんでいる山でもあるのだ。 

 そんなうちの裏山だから、急いで家を出ることもない。ゆっくり朝食をとった後、いつもの朝ドラ『あさが来た』は昼の回で見ることにして、8時前に家を出た。
 7時すぎの日の出からまだ時間がたっていなくて、-5度の寒さの中を歩いて行く。
 しかし、あの北海道を離れる日の朝の、マイナス10度という鼻の中が凍りつきそうな寒さと比べれば、何ということはない。(12月7日の項参照)
 この寒い家にいるときの格好のまま、出てきたのだが、それは長袖上下の下着に、インナーのフリース を着て、その上に薄いフリース裏生地のジャージー上下で、他には毛糸帽子に厚手の毛糸手袋だけだが、ゆるやかに登って行く道だから、かえって温まるくらいだ。

 車道が終わって、林の中を行く登山道になる。(写真上)
 ただ、何と驚いたことに、その雪道に数人分もの足跡がついていたのだ。そんなにぎやかなグループに、上で会うことになるのだろうか。
 朝日を見るために、朝一番の暗いうちから登ったのだろうが、しかしよく見ると、下ってきた足跡のほうがはっきりとついている。つまり、もう下りてきて帰ってしまった後なのだろうかとも思ったが、その通りにずっと登った上の尾根ほうでは、足跡がアラレ状の雪に埋もれていた。
 つまり、彼らは、家の周りでは昼ころまで降っていたあの昨日の雪の中、山に登っては下りてきたのだろう。
 ということは、ありがたいことに、これで、今日もまた一人だけの静かな山になるということだ。
 
 昔はこの山にも、他にも二本ほど地元民がつけた作業道兼用の登山道があったのだが、年々その利用価値が薄れて、手入れもされなくなり廃道化が進んでいて、今ではこの林を通って西尾根から頂上に至る道が残されているだけなのだ。
 それだから、この道に他の新しい足跡がついていないということは、もうこの山には誰もいないということになるのだ。
 これで、いつもの静かな自然の中での、山登りができるということだ。
 葉が落ちた、コナラやヒメシャラなどの明るい林の中をゆるやかに登り、その先の暗い杉林を抜けて再び明るい林の中を行くと、一面に明るい薄黄金色のカヤに覆われた尾根に出て、道はゆるやかなジグザグの登りになる。 
 頭上には青空が広がり、輝く霧氷に縁どられた木々が一つ二つと現れてきた。(写真下)



 
 北海道とは違う、明るい冬色の光景であり、山に来たことがうれしくなるひと時でもある。
 山道の雪は5cmどまりで、夏場の小砂利の山道などと比べれば,むしろ歩きやすいくらいだ。
 尾根のゆるやかな登りは、ところどころに霧氷のミヤマキリシマの株を配置して、地上と青空との境を指し示しているかのようだった。(写真下)




 そして、私の頭の中に聞こえてきた歌は・・・。

 「飛翔(はばた)いたら、戻らないといって。
 目指したのは、蒼(あお)い、蒼い、あの空。・・・」 (”いきものがかり”水野良樹 作詞作曲)
 
 あの二か月ほど前のテレビで見た、『のどじまん・THE・ワールド』でのインドネシアから来たファティマが歌った、心に残る一曲だ。(10月5日の項参照)
 私は、ひとり口ずさみながら登って行った。
 
 そこから続く 、霧氷に飾られた尾根道歩きも楽しかった。
 何度も立ち止まりながら、目の前にある私だけが見ている霧氷の写真を撮っていく。
 時とともに次第に薄れゆき、不確かな形だけが残る頭の中だけの記憶と比べて、時にはそれ以上に鮮烈に美しく、ある時は残酷な時の流れを見せつけるかのような写真の力・・・。

 最近、私は、高校卒業以来、数十年ぶりに、同級生の彼女から手紙をもらった。
 思いがけない喜びと混乱と不安との感情がまじりあう中で、私はすぐに、その昔、彼女を含めた数名で、友達のクルマに乗って行った、小さなドライブ旅行のことを思い出した。
 そして、その時のフィルムを探し出し、スキャナーでスキャン編集しては、写真用紙にプリントしてみた。
 白いスーツ姿の彼女は、こちらを見て小さく微笑んでいた。彼女は、若くてきれいだった。
 私は、あふれ来るなつかしさで、まぶたを熱くした。

 それは、一枚の写真によって、昔の記憶があざやかによみがえってきた一瞬だった。
 しかし、それだけで、いい。十分なのだ。
 もう、すでに通り過ぎてきた人生の思い出は、そのまま自分の胸の内にあるだけのものであり、今さらその記録に手を加えてどうなるというのだ。
 何事にも、世阿弥(ぜあみ)の『花伝書』にある”秘すれば花なり”の言葉のように、意味合いは違うけれども、物言わぬまま、己の胸の内にとどめおいたほうがいいこともあるのだ。

 今まで自分が生きてきた中で出会った、様々な出来事の一つ一つは、すべてが良いことでもあり、悪いことでもあったのだ。
 ある時は、欣喜雀躍(きんきじゃくやく)して喜んだものが、実は後になって大きなマイナスとなるものを含んでいたり、またある時には、人生最大の悲劇だとハムレットのように嘆き悲しんでいたものが、実は後になって思えば、それが自分の成功へと導くべく、その後の努力の出発点だったのだと知るように、すべてがその時だけでは、簡単に判断できない様々な要素を含んでいるということではないのだろうか。
 だからと言って、すべての出来事にそれぞれに意味があるものだと、格言ふうに言うつもりはないが、ともかく”良くも悪くも五十歩百歩”の違いでしかないし、またそれをどう自分で受け取るかの違いによるものだと思うのだが。
 心すべきことは、その時の感情に流されずに、時間をおいて冷静に、すべては結果的に五分五分なのだと考えることなのだろう。

 霧氷に彩られた尾道を、たった一人で歩いて行くのは楽しかった。
 行く手の山体の斜面に、おそらくは水の流れる沢筋に沿って、灌木の茂みが上がってきたのだろうが、それらがすべて白い霧氷に覆われていた。(写真下)
 まるで、谷筋を登って、かなたの青空とのはざまを目指す白い羊たちのように・・・。
 前回に書いた、これもまた”冬の日の幻想”の一シーンなのだろうか・・・。




 青空の下、遠くに九重の山々や由布岳などが見えていた。
 2時間半以上かかって頂上に着いたが、四方の展望は途中までの眺めとさほど変わらない。ほんの10分足らずいただけで、下ることにした。それも廃道化が進む南尾根を下って。
 途中の霧氷は、もう昼に近く、大半が崩れ落ちていた。そして下も見えないような両側からのササかぶりの道は、予想以上にひどくて、着ていた上下のジャージーと登山靴は残り雪などでびしょ濡れになってしまった。
 ようやく登山口に出て、後はのんびりと車道の道を降りて、12時過ぎには家に帰り着いた。
 往復4時間余りの、年寄りの久しぶりの登山には、まさにちょうどいいコースだった。
 何より家のそばに、こうして有名でもない静かな山歩きができる、山があることに感謝するべきだろう。何歳(いくつ)まで登れるかどうかはわからないけれど。
 
 ところで思い出したのは、ロビン・ウィリアムス主演のアメリカ映画の佳作の一本で、『今を生きる』(1989年)という題名の作品があったことだが、それは熱血教師と若い生徒たちによるいかにもアメリカ理想主義的な話で、まさに感情あふれる思いに満ちた青春時代と呼ぶにふさわしいものだったのだが、今回の私の山登りは、その意味こそ違え、まさしくこれからの一回一回の登山がそうであるように、年寄りの”今を登る”登山だったのかもしれない。

 またしても、あの『養老訓』からの一節。

「老いての後は、一日をもって十日として、日々楽しむべし。

 ・・・世の中の人のありさま、わが心にかなわずとも、凡人なればさこそあらめ、と思いて ・・・なだめゆるして、とがむべからず、いかり、うらむべからず。

 又、わが身不幸にして福うすく、人われに対して横逆(おうぎゃく)なるも、うき世の習いかくこそあらめ、と思い、天命をやすんじて、うれうべからず、つねに楽しみて日を送るべし。

 人をうらみ、いかり、身をうれいなげきて、心をくるしめ、楽しまずして、はかなく年月を過ぎなん事、おしむべし。

 たとい、家貧しく、幸いなくして、うえて死ぬとも、死ぬる時までは、楽しみて過ごすべし。・・・」 

(『養生訓』 貝原益軒著 岩波文庫) 


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