7月1日(2日)
この1週間は、それまでのストーヴを燃やすほどの、肌寒い曇り空の日々から一転して、毎日青空が広がり、急に暑くなってきた。北海道にも、夏がやって来たのだ。
昨日などは、内陸部の名寄(なよろ)や富良野では33.7度を記録して、あの梅雨明けした沖縄よりも気温が高くなったとのことだ。(名寄は26日から1日まで、毎日30度を超える真夏日が続いている。)
この6月になってから、内地の梅雨を避ける形で、梅雨のない北海道を目指して旅行に来た人たちも多くいるだろう。国道をクルマで走っていると、よく内地ナンバーのバイクやクルマを見かけるようになってきたからだ。
そして、そのうちの6月初旬、中旬に来た人たちは、寒いうえに梅雨と変わらぬ天気の悪さに残念な思いをしたことだろうが、一方で下旬に来た人たちは、連日の晴れ渡った空に恵まれて、さわやかな北海道の初夏を満喫できたに違いない。
景色を楽しむ旅はどうしても天気次第になるけれども、運が良ければ毎日青空の下で楽しく旅を続けることができるし、運が悪ければ曇りか雨の毎日で終わってしまうことになる。しかしそれを一度限りの不運に終わらせないためには、長期間の旅にするか、あるいは何回も再訪するしかないだろう。
そうすれば、いつしか旅先での天気の比率は五分に近づき、旅の良さも悪さもあわせて知ることができるようになる。天気の良い日だけを知っている人より、あるいは天気の悪い日だけしか知らない人よりも、より深くその地方の環境を知ることにもなるのだ。
人生とて同じことだ。日の当たる所だけを歩いてきた人よりも、あるいは日陰の人生を送ってきた人たちよりも、その両方の時を経験してきた人たちのほうが、より深く人生の意味を知っていることになるだろうし、その時々に応じて臨機応変に対応することもできるようになる。
満足しているだけではなく、不満だらけでもないということ、心の持ち方としては、そうでありたいものだ。
しかし、年を取り経験を積み、他人と競い合うことから次第に離れて行くようになれば、あとはゆったりとして穏やかな自分の時間を求めたくなる。
山に登るのも同じことだ。年を取れば、若い時に目指した変化のある困難なルートよりは、のんびりと時間をかけて周りを見回す余裕のあるルートを選ぶようになる。それも、天気の良い日だけを選んで行くようにして。
そんな山登りのためには、この1週間はおあつらえ向きの天気だった。
あの人気ある住宅リフォーム番組の、ナレーターのセリフではないけれども、「まあ、なんということでしょう。天の匠(たくみ)は、山の好きな人たちのために、極上の天気を用意しておいてくれていたのです。」
全く、信じられないほどの天気が続いたのだ。月曜日から土曜日まで、毎日快晴の空が広がっていたのだ。さすがに後半になると、空は高温のためにもやった感じになり、山はかすんでやっと見えるくらいになってしまったのだが。
私はそのうちの二日を選んで、大雪山に行ってきた。
大雪山の東側にある四つの登山口のうちの一つである、銀泉台(ぎんせんだい)より赤岳に登り、小泉岳を経て白雲岳避難小屋に泊まり、翌日白雲岳に登って銀泉台に戻るという、まさにお花見遊覧コースである。
つい2、3年前までは、一日で往復して家まで帰るくらいのコースだったのに、私は今やすっかりぐうたらな登山者に成り下がってしまい、良く言えば余裕ある登り方へと変わってしまったのだ。
”これでいいのだー。ばーか、ぼんぼん。”と、本来の脳天気な私には、ふさわしい登り方になっただけのことだ。
もう少し若いころの私なら、未知のハードなコースを求めて、テント一式を背負い、日高山脈の縦走に汗を流していたのに。ましてこう1週間もの天気が続くなら、日高の山々に登るにはふさわしい日々だったのに。
しかし、あの重たいザックを背負い、あたりにひそむヒグマに気をつけながら、きつい勾配の尾根道を登り続けるしかない日高の山々よりは、ザックも軽くてすむし、登山者が多いからヒグマの心配もそれほどではなく、なだらかな山をハイキング気分で歩ける、そんな大雪の山々のほうに足を向けたくなるのは、私みたいなオヤジ登山者には当然のことなのかも知れない。
そして実際に行ってみて、期待通りの青空のもと、咲き始めた山の花々を眺め、ひとりで気ままに歩く高原のワンダリング(逍遥、しょうよう)を楽しむことができたのだ。今でもその数日前の山歩きのことを思い返すと、ニヒニヒと満足の笑みが浮かんでくるほどだ。
(まあその様子は、例の鬼瓦、おにがわらオヤジのひとり笑いだから気持ち悪いものがあり、とても人様にお見せできるものではありませんが、ともかくこうして鬼瓦島の鬼は、幾つかの良き思い出を糧(かて)に生きているのでございますよ。)
さて、山の上で泊まるわけだから、そう急いで夜明け前から家を出ていく必要もない。いつものように日が昇る頃に目をさまし、ゆっくり朝食をとって支度してから家を出た。
平原の彼方には、日高山脈も東大切の山々も見えていて、その上には朝霧もなく晴れ渡った空が続いていた。
大雪国道から、銀泉台へと上がる砂利道に入り、登山口の駐車場に着いたのは、もう8時過ぎにもなっていた。すでにクルマが40台ほども止まっている。みんな天気が良くなるのを待ちかねていたのだろう。
しかし、そうした彼らは朝早くとっくに出発しているから、前後には誰もいなくて、いつもの静かなひとり歩きを楽しむことができた。
何より、さわやかな空気の快晴の空の下に見える、残雪と新緑の山々の素晴らしさ。
第一花苑の残雪斜面の背後には、ニセイカウシュッペ(1879m)の山なみが連なっている。(写真上)ここは秋になると、紅葉風景('11.9.24の項参照)を撮るために三脚のカメラが立ち並ぶ所だが、今はその道に人影はなく、私は何度も立ち止まっては少しずつ変わるその景色を見ては楽しんだ。
次の小さな雪渓を二つ上がって灌木帯を抜けると、台地状になったハイマツ砂礫帯に出る。コマクサ平である。しかし、そのコマクサの花はようやく咲き初めでちらほらという感じだったが、マニアらしいおじさん3人組がカメラを構えていた。そしてもう下りてくる人たちにも出会った。
行く手に残雪を多くつけた東ノ岳(2067m)がそびえたち、その左手には、二ペソツ・石狩連峰も並んでいる。道はゆるやかに下り。新緑のナナカマドが美しい正面には、豊かに雪を残した第三雪渓の斜面が見えてくる。(写真中)ここも秋は素晴らしい紅葉の名所になるのだ。(同じく'11.9.24の項参照)
その雪渓を登っていると、上からザラメの雪音をたてて山スキーヤーが二人滑り下りて行った。私もスキーは持っているし、いい気分だろうなとは思うのだが、とてもここまでスキーを持ち上げる気力はない。
次の奥の平からキバナシャクナゲが多くなってきて、イワウメやミヤマキンバイにエゾコザクラも見かけるようになってきた。そして最後の第四雪渓を登りきると、溶岩台地の砂礫帯になり、岩塊の赤岳山頂(2078m)に着く。
そこには、下の所で私を抜いて行った3人がいたがすぐに先へと向かい、頂上は私ひとりだけだった。人の話し声も聞こえない、風の音と、遠くの鳥の声だけが聞こえてくるだけの山頂にいることが、私には心地よかった。
眼下の雄滝の沢を隔てて、白雲岳(2229m)、旭岳(2290m)、北鎮岳(2244m)という大雪第三位までの山々が取り囲む光景は素晴らしい。風はわずかにあるだけで、何よりも晴れ渡った青空が広がっているのだ。
一休みした後、ゆるやかな小泉岳へと続く吹きさらしの尾根道を歩いて行く。ここから、大雪の高山植物分布の特徴の一つでもあり、周氷河地形でもある、縞模様の構造土に咲く花々を見ていくことができるのだ。
今の時期は、花の咲き初めであり、イワウメ、ミネズオウ、イワヒゲ、タカネスミレ、ミヤマキンバイ、メアカンキンバイ、エゾオヤマノエンドウ、ポソバウルップソウ、チョウノスケソウなどである。
数人が行きかう小泉岳の頂上(2158m)付近から見ると、旭岳の上に小さな雲が二つ三つと出ていた。この後、旭岳が雲に陰るかもしれないから、そんな旭岳を眺めるために今から白雲岳に登っても仕方がない、明日行けばいいのだ。今日は、ゆっくりとこの花々を見ていこう。
私は、人影の見えない小泉岳から緑岳(2020m)へと至るなだらかな砂礫地の尾根を、花を見ては何度も立ち止まりながら下りて行った。
鞍部(あんぶ)の分岐点から、右にヤンベタップ右股の沢へと降りて行く。途中にエゾノハクサンイチゲの群落があり、他にエゾコザクラやチシマアマナなどが咲いている。そして、行く手の丘の上に立つ白雲岳避難小屋の下から、こちら側まで一面の大雪渓が続いている。南の方には雪原の彼方にトムラウシ山(2141m)が見える。
2時ころに小屋に着いて、寝袋などを広げて自分の場所を確保した後、サブザックに水とカメラを入れて、再び外に出る。
目的はいつもの高根ヶ原方面である。途中から登山道を離れ広い雪原斜面に出て、さらに先まで続く雪庇(せっぴ)が張り出した雪堤(せきてい)の上を歩いて行く。私の大好きな雪の上の道だ。
涼しいうえに見晴らしが良く、ザラメの雪は登りも下りも歩きやすい。ここから高根ヶ原にかけての尾根台地の東側には、毎年冬の季節風によって高さ数十mもある巨大な雪庇が張り出している。毎年違うその形を見るのが楽しみでもあるのだが、今年は残念ながら今一つという感じだった。
その雪堤の上を、キタキツネが一匹歩いていた。私が止まるとじっと見て、再び歩き出すと、急いで走り出して向こう側に隠れてしまった。雪堤が途切れて、右にハイマツを分けて登山道に出る。
花は今までのイワウメやミヤマキンバイだが、もう少し後になるとエゾツツジにチシマギキョウやリシリリンドウなどが咲き出すはずだが、今はわずかにチシマキンレイカが一輪だけ咲いていた。
そしてスレート平から高根ヶ原へと一段下りるところにある草原湿地帯には、今年も変わらずホソバウルップソウとキバナシオガナが群生していた。(写真下)しかしここも1カ月後には、今度はクモマユキノシタの一大群生地になるのだ。
さてそのホソバウルップソウは、あの小泉岳付近の花が、咲き初めだったのと比べると、ここは標高が300m近くも低く、もう花が終わりに近づいているものもある。それにしても、このさわやかな薄青紫の小さな花の集まりは、何度見ても素晴らしい。
内地では、北アルプスの白馬岳(2932m)から三国境(2751m)にかけての斜面に、点々と群生しているのを何度か見ているのだが、その名前はただのウルップソウである。そしてこの北海道のものだけがホソバと名付けられているのだが、しかし葉はそれほどには細くなく、むしろあの白馬岳のものをマルバウルップソウと呼びたいくらいなのだ。
この内地のウルップソウは、あと八ヶ岳の赤岳(2899m)から横岳(2829m)への稜線でも見ることができるとのことだが、残念ながら私は、秋と冬にしか登っていなくて夏の八ヶ岳は知らないのだ。
ちなみに、このウルップソウの仲間にはもう一種類があって、北海道の夕張岳(1668m)に咲く白い花のユウパリソウである。ずいぶん昔に、私はその花を見るために夕張岳に登ったのだが、その時には同行者がいた。
以来、その花とその時の彼女の思い出はかすかな甘い香りとして残り、私は今もなお、あのユウバリソウを見に行く気にはならずにいる。
さて、ヒグマ出没のために近年はほぼ通行止めになっている、三笠新道分岐点からさらに少し先まで行くと、高原沼方面を見下ろすことができる。秋の沼周辺の俯瞰(ふかん)しての眺めが素晴らしい所だ。さらにその先の、コマクサ群落地もまだちらほらという状態だった。
そこでもう4時になっていた。はるかかなたに丘の上に立つ小屋が見えている。あそこまで戻らなければならない。いくら夏至(げし)を過ぎたばかりでまだ日が高いころだとはいえ、もう戻るには限度の時間だ。数年前までは、このさらに先にある忠別沼まで日帰りで往復したというのに。
帰りのゆるやかな登りの道でさえ、疲れた足には耐えられず、何度か休みながら、1時間半近くかかって小屋にたどり着いた。
部屋の中は、みんなが食事の最中で湯気が上がっていて、寒くなってきた外と比べて暑いほどだった。私も遅ればせながら食事を作って食べた。今日の宿泊者は、某テレビ局の撮影クルー数名を含めての10人と、外のテント場の2人だった。テレビ局を除けばみんなが一人で来ていた。
食事の後は外に出て、そんな皆と言葉を交わしながら、夕日に染まるトムラウシ方面を眺めていた。
この白雲小屋に泊まるのはもう何度目になることだろう。毎年飽きることなく来ては、周りの雪景色を眺め、花々を眺め、紅葉を眺めまた帰って行くだけのことなのだが・・・。
そして小屋に戻り寝袋にもぐり込んだのだが、いつものようになかなか眠ることができないのだ。キツネが一匹、キツネが二匹・・・ヒグマが一頭、ヒグマが二頭・・・ああ、かえって怖くなり眠られない。寝返りを右に左に打って、すると突然足がつった。周りの人の手前、声も出せずに、あぶら汗を流し痛さをがまんして足を伸ばし、曲げるのだが・・・。
眠れなくても目をつぶってさえいれば、それはそれでいいのだ、今夜一晩だけのことだ。ああ痛い、キツネが一匹、ヒグマが一頭・・・。
(次回に続く。)
(と昨日ここまで書き終わったところで、何とパソコンがフリーズしてしまった。買ったばかりの最新型なのに、もう何度もフリーズしていて情けない。結局、強制シャット・ダウンで書き終わった文章の半分が消えてしまった。腹を立てても仕方のないことだが。ヒマな私は、こうしてまた半日かけて書き直したのだ。あーあ、何という人生。)