ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ヒオウギアヤメと虹

2012-06-24 17:53:33 | Weblog
 

 6月24日

 相変わらず、うっとおしい小雨模様の曇り空の日々が続いている。
 それは、いわゆる北海道からいえば内地になる、九州、四国、本州で降り続いている梅雨の大雨のように、災害をもたらすほどの雨ではなくて、ただ朝夕の霧雨が続いているだけなのだが、朝の気温は毎日10度以下で、ストーヴに火をつけることが多いのだ。
 
 ということで、ここ十勝地方での農作物の生育が気がかりだが、かといって家の周りの植物たちはいつも通りの適度なお湿りを受けて、まさしく繁茂(はんも)の季節を迎えているのだ。
 植物たちにとって、日光以上に重要なものが水であることを、私は去年の屋久島登山(’11.6・17,21,27の項参照)で思い知らされたのだが、今、この家の周りの草花にとっても、たまに差し込む薄日だけで、あとは地下から水と栄養分を吸い上げて、もうそれだけで生き生きと枝葉を伸ばすことができるのだ。

 「一緒では苦しすぎるが、ひとりでは生きていけない。」

 これは、あのフランソワ・トリュフォー監督の名作『隣の女(1981年)』での、女(ファニー・アルダン)のひたむきな思いを伝える言葉なのだが、植物たちの水に対する思いがあるとすれば、同じように言うのかもしれない。
 そして、人間による地球環境悪化の昨今では、植物たちは自分の思いを貫き通すために、水に対して自然に対して、映画の時のようにピストルを手にしてその決意を示すのだろうか。

 それにしても、ああ世の中で、げに恐ろしきは一途なる人の思いよ。
 そう大げさに考えないで、あきらめなさい、あきらめなさい。何事にも期待しなければ、ほーら、気持ちが軽くなるから・・・。

 さて家の周りでは、相変わらずいろいろな草花が咲いている。玄関先では、まだあの大振りで鮮やかなレンゲツツジの花が、オレンジ色の花の株から、次には黄色の株の花も満開を迎えている。大きな花びらは、見た目にも華やかであり、可愛げがないという人もいるけれど、この重たい曇り空の下、幾らかは私の気晴らしにもなってくれている。
 あのYouTubeは、”JWOW”のハナ・ミンクスおねえさんを見ているようなものだ。見るだけでも楽しくなるものがあってもいいじゃないか。

 ところで他にも、庭の端からは甘い香りがしている。ついに、あのハマナスの赤い花があちこちに咲き始めたのだ。そしてこれから、寒さが忍び寄る秋まで、私の目を楽しませてくれるのだ。
 一方、家の周りでは、前回書いたように、もう終わりに近いとはいえスズランの甘い香りが漂っているし、何よりこの雨模様の空に力を得たように、ヒオウギアヤメの紫の花が周りの緑の草々に映えて美しい。(写真)

 内地の梅雨の季節といえば、アジサイの花の他に、どうしてもアヤメ、カキツバタ、ハナショウブの花を思い出す。しかし調べてみると、アヤメとカキツバタは5月に咲く花であり、ハナショウブだけが梅雨の最中に咲く花だったのだ。
 それぞれの花の区別はといえば、花びらの下部が虎縞模様になっているのがアヤメであり、白いのがカキツバタ、黄色いのがハナショウブだということだが、最近では、ジャーマン・アイリスという色鮮やかな栽培品種もあちこちに植えられていて、さらに区別を難しくする。

 「いずれがアヤメかカキツバタ」という言葉は、たとえば、歌麿(うたまろ)の描く浮世絵『寛政三美人図』に描かれた美女たちのようなことを言うのかと思っていたのだが、ウェブで調べていて、実はその他に区別がつきにくいという意味もあるのだと初めて知った。

 ところで、家の周りに咲いているのは、ヒオウギアヤメであり、北海道のいたる所で見られるのだが(特に霧の中で見た霧多布(きりたっぷ)付近のあやめが原の群生は見事だった)、しかし内地では高山湿地帯だけに見られる花なのだ。
 そしてヒオウギという名前は、檜扇(ひおうぎ)つまり、扇子(せんす)を広げる下の部分に薄いヒノキの板を使った特別仕上げのものがあって、このアヤメの葉の重なり生えているところが似ているので名づけられたということだ。
 ともかく、日本の草花の名前のつけられ方には面白いものが多い。たとえば、オオイヌノフグリなど。

 アヤメは植物ラテン語名では、Irisつまりアイリスであり、ギリシア語ではイーリスと呼ばれ、ギリシア神話に出てくる虹の女神、イーリスであり、神の伝令となる女神ともされていた。
 あの旧約聖書に出てくる、神との契約のしるしとしての虹は、このギリシア神話の話に遠因しているのかもしれない。

 「すなはち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。」(『創世記』第9章)

 そこで思い出すのは、広い北海道で見た虹だ。若き日のバイク旅行の途中で見たのは、道北は音威子府(おといねっぷ)付近での鮮やかな虹、そしてこれはできすぎた話だが、根釧(こんせん)原野の地平線が見える虹別(にじべつ)付近で見た虹であり、当時私は東京から北海道への移住を考えていて、この大空からの神の啓示に、胸が熱くなる思いがしたものだ。
 もちろんここでも、雨上がりの後に、彼方に広がる十勝平原に大きな虹がかかっているのを見たことがある。そして、あの虹もまた私がここに住めるようにと、神がその約束を守った証しでもあったのだろうか。

 アメリカの古き良き時代のころに作られた、『オズの魔法使』(’39)というミュージカル仕立ての童話風な映画があった。主役はジュディ・ガーランド(1922~69)であり、そこで彼女が歌った『虹の彼方に』は大ヒット曲となり、今でもスタンダード名曲としてよく知られている。
 私はこの映画を何度か見ているのだが、当然のことながら若い時と、中年になった時以降とでは、映画の見方や評価も違ってくるのだが、数年ほど前に見たとき、私は映画の中で彼女の歌う姿に、思わず涙ぐんでしまったものだった。
 彼女は当時まだ17歳であり、これからの彼女の人生がどうなっていくのかも知らぬまま、若い娘が胸いっぱいの未来への思いこめて歌う姿に、私はいつしか自分の青春を重ね合わせていたのかもしれない。

 ジュディはこの『オズの魔法使』の大ヒットで、ハリウッドの大スターとなり、以後『若草の頃』(’44)や『イースター・パレード』(’48)で絶頂の時を迎えたが、その反面、私生活は荒廃していき、その後復活したかに見えた『スター誕生』(’54)の数年後には、銀幕から引退してしまい、長年の奔放(ほんぽう)な性生活に薬物、アルコール中毒などが重なり、わずか47歳でこの世を去っている。
 まさにハリウッドの栄光と悲惨を体現したような、スター女優だったのだ。あのライザ・ミネリは映画監督ビンセント・ミネリとの間にできた子であり、名作『キャバレー』(’72)での熱演熱唱ぶりは、母を超えたといっても過言ではない。

 そういった事情を知ったうえで、17歳のジュディが歌う姿を見ていると、何か万感あふれるものが湧き上がってくるのだ。生きていくということはと・・・。
 さらにこれも他人事だから、私ごとき年寄りが心配することはないのだろうが、前回書いたスズランの花について、その時にもう一つ書き加えたいとも思っていたことなのだが、ずいぶん前に、NHKで昔の北海道を描いた『すずらん』という朝ドラが放送されていて、そこでは清楚(せいそ)な顔立ちの、いかにもふさわしいと思われる若い女優がヒロイン役を演じていた。
 しかし、最近見たバラエティー番組で、今や妖気漂う女といわれる彼女は、何人もの男と付き合っていると公言し、さらに毎日一本の焼酎(しょうちゅう)を空けるのだと話していた。
 独身であり、芸能界で働く彼女だから、自分の思うように生きていけばいいのだろうが・・・。人それぞれの人生なのだ。


 さて今までここに何度も書いてきたことだが、この春に大切な家族でもあったミャオを失ってしまい、さすがの私もかなり気落ちしてしまった。それから私は、そのミャオの墓のある九州の家から離れて、北海道に戻ってきたのだ。
 そして、近くの友達たちに会ってるうちに、大分気持ちも癒(いや)されてきたが、まだ十分ではなかった。いつもは喜んで出かけていた山にも、あまり行く気がしなくなっていたからだ。
 ところが数日前のこと、遠くに住む友達夫婦が、こちらに戻ってきてもう1か月以上になるというのに顔を出さない私を心配して、家に来てくれたのだ。

 『朋(とも)遠方より来る(有り)、亦(また)楽しからずや』(『論語』「学而編」より)

 そして、二人と一緒に昼食を伴にしながら1時間ほどの間、普通にいろんな話をして、そのあと彼らはスズランを摘んで帰って行った。
 電話で話すより、メールをもらうより、何よりお互いの顔を見て話すことの大切さ、ありがたさ・・・。
 私たちはこうして、何事もないような日々の語らいの中で、生きていく気力を養っていくのだろう。二人が元気にしているのだから、まだ私も負けずにがんばらなければと。
 九州にいる時は、その相手がミャオだったのだが、そのミャオはもういないのだ。そのことを繰り返し自分に言い聞かせながら、これからも、生きていく道筋をしっかりと見据えていかなければと思ったのだ。

 今、この年になって初めて、じっくりとものを見ることができるようになり、いろいろと物事がわかるようになってきた。老年へと向かう今だからこそ、周りの世界は大きく広がってきたのだ。
 何と人生は面白く、楽しい喜びに満ち溢れていることか、時にはそれに匹敵する悲しみ苦しみがあるにしても・・・。私は、自分で道を決めて歩んで行くだろう。

 窓の外いっぱいに見える、新緑の木々、草花にありがとう。夕方になって、西の空から薄日が差してきた。



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