ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

”まして”の翁

2019-07-15 21:16:33 | Weblog




 7月15日

 わが家の庭に咲く、梅雨時の花は、クチナシである。(写真上)
 人によって、好き嫌いはあるのだろうが、春先のジンチョウゲの花の香りとともに、このクチナシのあたりに漂う香りの風情は、何とも言い難い。
 初めこの場所にあったのは、花の色が夏にふさわしい涼しげな白い色だからと、ムクゲを植えていて、それはそれでよかったのだが、確かに母が言うように、散り際があまりにも汚く、見た目にも悪いので、このクチナシに植え替えたのだが、香りはいいし、刈込みにも耐えて、毎年こうして咲いてくれて、今では、わが家の庭でのかけがえのない花の一つになっているのだ。

 しかし、他の所に植え替えたそのムクゲの木は、やはり土が合わなかったのか、ほどなく枯れてしまった。
 今でも、このクチナシの花が咲くころになると、同じ時期に咲いていたあのムクゲの花を思い出す。
 申し訳ないという、多少の悔恨(かいこん)の情を含めて。
 人生の中で、誰にでもあるような、功罪(こうざい)相半(あいなか)ばする思い出の一つとして。

 今日は、午前中から日が差していて、三日ぶりに洗濯をして、外に干すことができた。
 若い人たちの中には、洗濯が嫌いという人もいるようだが、昔のように、洗濯板でごしごしこすって洗っていた時代と比べれば、今では洗濯機まかせで洗ってくれるのだから、後はただ外に干して乾いたら取り込むだけの仕事なのに。
 それは、むしろこの外に干して、きれいになった洗濯物が並んでいる姿を見ることが、何とも言えないさわやかな満足感になるというのに。
 小さな満たされた気持ちというのは、コンビニで買ってきたものを食べながら、スマホをいじったり、ゲームしたりすることのなかだけにあるのではなく、日常の小さな家事の中にも、いくつもあるのだけれども。

 そこで、思い出したのは、あの「方丈記(ほうじょうき)」を書いた鴨長明(かものちょうめい、1155~1217?)の「発心集(ほっしんしゅう)」からの一節である。
 仏心を起こしたり出家したりすることを言う、”発心”という本の題名からもわかるように、この本は仏教説話集の形をとっていて、その少し前の時代に書かれた日本最大の説話集であるあの「今昔物語(こんじゃくものがたり)」(全4部31巻からなる大冊であるが、私が読んだのは、そのうちの本朝世俗部の第4部だけでしかない)や、さらにその前の時代に書かれた「日本霊異記(りょういき)」、などの流れを受けて書かれた、その時代ならではの分かりやすい法話集でもあるのだ。

 この仏教説話集の流れは、以後も仏教だけではなく、儒教的な教えをも含んだ説話集や、昔話や小説などとなって、日本文学の系譜の中で連綿(れんめん)と受け継がれていくのだ。
 それは、あの江戸時代後期の上田秋成の「雨月物語(うげつものがたり」や、明治時代の泉鏡花の「高野聖(こうやひじり)」などの一連の物語小説をあげるまでもないだろうが。
 そこで余談にはなるが、どうしても現代的な表現の形としての映像美の世界、映画からも見てみたくなるのだが、こうした日本的な古典に題材をとった名作と言えば、何と言っても、黒澤明監督のリアリスティックな名作「羅生門(らしょうもん)」(1950年)と溝口健二監督の映像美あふれる「雨月物語」(1953年)がすぐに思い出されるし、私の日本映画の二大古典と言ってもいいほどであるが。

 もちろん、様々な芸術作品に対する評価は、その人のそれぞれの時代において、様々な好みが変わるように変化していくものであるから、私がここに書いている作品などは、あくまでも”じじい”になりつつある私の今の時点における評価であって、例えばそれが20代のころの私であったならば、全く別な評価を下していたであろうが。
 つまり、物事には、絶対的な評価などありえないのだ。時間によって、人々のその時その時の感じ方によって、さまざまに変化していくものであるということを、心得ておくことが必要なのだろう。

 さて前置きがすっかり長くなってしまったが、この鴨長明の「発心集」の中に、”「まして」の翁(おきな)”という一節がある。
 原文でも、それほど長くはないのだが、わかりやすいように私なりに現代語訳で書いてみるとすれば、以下のようになる。

” 近江の国に、乞食(こつじき)をして家々を訪ね歩く年寄りがいた。
 彼には、修行僧のようなさしたる徳があるようには見えなかったが、親しみやすく話しかけてくるので、人々も彼を憎めずに、施しものを与えてやっていた。
 ただ彼には口ぐせがあって、ものを見たり人の話を聞いていて、いつも”まして”というくせがあって、そこで人々が、彼を”ましての翁”と呼ぶようになったという。
 一方、大和の国にいたある修行僧が、夢枕のもとで、この年寄りは、必ずや往生(おうじょう)を遂げるほどの人物だ、とのお告げを受けて、彼は近江の国に出かけて行って、その年寄りが住むみすぼらしい庵(いおり)を訪ねた。
 しかし、その年寄りとはずっと一緒にいたが、夜になっても、修行らしいことはしなかった。
 そこで、思い切って、どんな行(ぎょう)をなさるのですかと尋ねると、その年寄りは、別に何もしませんと答えた。
 修行僧は、それではここまで私が訪ねてきた意味がない、実は夢枕にあなたのことを告げられて、どのような修行をなされる方かと知りたかったのです、隠さないで教えてくださいと言った。
 そこで、初めてその年寄りは、彼に向かって話し出したのだ。

「実は、一つの行をしています。
 それは”まして”という、くちぐせがそうです。
 つまり、食べ物がなくて飢えている時は、それ以上にひどい死んだ後の餓鬼道(がきどう)に堕(お)ちた時のことを思い、寒い時や暑い時には、それ以上の寒熱地獄のことを思い、たまたまおいしいものをいただいた時には、天上でいただく甘露(かんろ)な食べ物は、おそらくこれ以上に美味しいはずだと思い、今食べている物には執着しないようにして、さらに、美しい着物の色や、きれいな管弦声や声にも惑わされないようにして、すべては極楽浄土(ごくらくじょうど)に勝るものはないはずだからと、自分に言い聞かせては、この世の今だけの楽しみにひきこまれないようにしているのです。」

 それを聞いた修行僧は、はらはらと涙を流し、その年寄りに手を合わせ拝(おが)んでは、帰って行ったという。
 この年寄りは、別に厳しい修行をして、極楽浄土への思いにたどり着いたわけではないけれども、日ごろからの考え方で、物事の理(ことわり)を知り、極楽往生するべき所を知ったのではないのだろうか。”

 この話を読んだ後には、さらに思い出される言葉がある。
 この後の時代に、親鸞(しんらん)の弟子の一人であると言われている、唯円(ゆいえん、1221~1289?)によって書かれたとされる、師親鸞の言葉をまとめた本「歎異抄(たんにしょう)」があり、その中にあるあの有名な言葉が思い浮かんでくる。


” 善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや”

 もちろん、ここで親鸞の言っていることは、阿弥陀仏の前では誰でも罪を犯した悪人であり、すべての人間が悪人であるとしても、念仏を唱えれば往生を遂げることができるということなのだ。
 さらにこのことは、神の御前では、すべての人が罪人(つみびと)であるのだからという、あのキリスト教の教えにもつながってはいないだろうか。

 今回は、いつもの私の理屈っぽい考え方と、宗教倫理観がいつしか相重なって、わけのわからない話になってしまったが、そう考えてしまうようになったのには訳がある。
 例のごとく、九州への旅の行き帰りで、いつもの遠征の山旅を考えていたのだが、来るときには南九州が大雨だったりと天候が今一つで、飛行機が運休にならないかと心配したほどだったのに、今度は、北海道に戻る時になって、梅雨前線が居座りいつ梅雨が開けるともわからない状態で、これ以上遅れると夏休みに入り、飛行機は大混雑して乗れなくなる恐れもあるし。
 ただこの間、一度チャンスはあったのだが、つまり東北日本海側には三日間続いて晴れマークが出ていて、実際山の天気も良かったとのことなのだ。
 しかし、それは戻ってきてすぐのことで、こちらでの用事がまだ残っていて、とても出かけることはできなかったし。
 かくして、私は、せっかくの好天の機会をむざむざと見逃してしまったのだ。
 だと言って、そのことをいつまでも悔やんでいても仕方ないと、そこであの”ましての翁”の話を思い出したというわけである。

 何か大きな過ちを犯したわけではなく、たまたま山に登る機会を逃したということだけなのだから、代わりに洗濯する喜びを味わうことができているし、水が自由に使えるこの家での、食器の水洗いは楽だし、水を多く使う冷やし中華が作れるし、トイレは水洗でいつでも使えるし、汗ばんだ体は毎日風呂に入って流せるし、これ以上何をかいわんやの、幸せな状態なのに、山に行きそびれたぐらいで、自分に腹を立てたところで、何になるというのだ。

 いつものように、”頭の中は、ちょうちょうが飛んで、おつむてんてん。これでいいのだ”。

 昨日の『ポツンと一軒家』の話について、ひとこと書いておきたいと思っていたのだが、すっかり駄文を書き連ねて、ここまで長くなってしまったので、次回にまわすことにする。

(参考文献:「方丈記 発心集 歎異抄」三木紀人訳注 學燈社)


 



 


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