ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

富士の高嶺に降る雪も

2019-07-22 21:13:48 | Weblog




 7月22日

 冒頭に、初冬の北アルプスは燕岳(つばくろだけ、2763m)からの、早暁(そうぎょう)の雲海に浮かぶ富士山(3776m)の写真(右側は南アルプス甲斐駒ヶ岳 2967m)を載せたのには、理由がある。

 今、九州では雨が降っている。
 今日は、晴れている沖縄と北海道を除いて、全国的に雨模様になるという天気予報が出ている。
 梅雨が明けた沖縄・奄美と梅雨のない北海道以外の、九州・四国・本州の四国の梅雨明けが遅れいて、特に私の夏の遠征登山をで目指している、東北地方などは来週でさえ、はっきりしない天気予報になっているのだ。
 もう今ごろは、山の上にいる予定だったのに。
 最近は、自分の体調不良(ひざを痛めていたり、脚をけがしたり)や、こうした天気不順で、この3年は夏の遠征登山には行っていないのだ。
 思うに、それはこうした夏の遠征登山の最後となった、数年前の北アルプスは後立山(うしろたてやま)連峰縦走の山旅(2015.8.4~17の項参照)と、その3年前の11月に行った(上の写真の時の)北アルプス燕岳から大天井岳(おてんしょうだけ、2922m)への山旅(2012.11.8~19の項参照)、この二つの山行が、特筆するに値する素晴らしいものであっただけに、その反動としてあるもではないのかと。
 つまり、いつもの私のものの見方である、”物事はすべて五分五分だ”という理論から言えば、それらの良かった分の埋め合わせとして、この数年は神様が差配して、誰にでも平等であるようにと、私が予定した時に都合が悪かったり、天気の悪い日が続くようにしているのだろうと。

 もっともそれは思うに、今まで山登りをする時には、なるべく晴れた日ばかりを選んでいい思いをしてきたから、これは”調子に乗んじゃねえぞ”という、私へのきついお叱りのお仕置きかもしれないのだ。
 漫画「がきデカ」で、網タイツ姿のこまわりくんが、しばられてアレーっと声をあげているような、確かそんなワン・シーンがあったような。
 それだから、今年もまた夏の遠征登山には、行くことができなくなるかもしれないと、半ばあきらめてはいるのだが。(というのも、8月にかけては夏休みの繁忙期に入り、飛行機の便は満席なることが多くなり、北海道に帰ることさえ苦労することになるからだ。)

 そこで、ふと山のことを思ったのだ、それもわずらわしいい俗世の塵埃(じんあい)からはひとり離れて、いさぎよくすっくとそびえ立つ、富士山のことを思い浮かべたのだ。
 あの有名な、『万葉集』の第三巻に収められている、山部赤人(やまべのあかひと)の一句、" 田子の浦ゆ 打ち出でて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪はふりつつ " があり、その前に置かれた長歌の一首。

” 天地(あまつち)の 分れし時ゆ 神さびて 高く貴(とうと)き 駿河(するが)なる 富士の高嶺を 天(あま)の原 降り放(さ)け見れば 渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光も見えず 白雲も い行きはばかり 時じくぞ(時となくいつも)雪は降りける 語り告(つ)げ 言い継ぎいかむ 富士の高嶺は "

 さらに、もう一つの長句もあるのだが、長くなるので前半部は省略するが、最後の一節には。

” 大和の国の 鎮(しず)めとも います神かも 宝とも なれる山かも 駿河なる 富士の高嶺は 見れど飽かぬかも ”

 この『万葉集』は、多くの恋にまつわる歌が収められていて、恋人や夫婦、家族の間での愛に満ちた歌の一大集成なのだが、しかしその中には、極めて数が少ないながらも、”叙景歌”とも呼ぶべき風景描写の歌があり、この山部赤人こそは、その叙景歌の道を拓いたとも言うべき歌人である。

 そこで、あまりにも有名なこの富士山の歌をあげてみたのだが、その前後する長歌を合わせて読んでみれば、富士山が、いつまで見ていてもあきない山であり、万人に語り継ぎ言い継いでいくべき山であると、念を押すように言っているのだ。
 これは、現代の山好きな人々にも通じる思いであり、こうして、山を見るのが好きな人が昔からいたということだ。
 もし、この山部赤人を、当時は人跡まれな秘境の地であっただろう上高地に連れて行って、梓川の清流の彼方にそびえる穂高連峰を見せたら、どういう短歌を作ったであろうか。

 たとえば、当時も街道や平地から眺めることのできた3000m峰である、あの北アルプスは立山連峰の、剱岳(つるぎだけ、2998m)を詠んだ歌がある。
 前にも何度かこのブログでも書いたたことがあるのだが、同じ『万葉集』の第十七巻に収められた大伴家持の「立山の賦(ふ)」と名付けられた歌一首(長歌)と短歌があり、ここではその短歌一首を。

” 立山に 降り置ける雪を 常夏(とこなつ)に 見れども飽かず 神(かむ)からならし "
 
 何度も書くことになるが、”神様のおいでになる雰囲気に満ちた所”や、”いかにも神様がいるらしいところ”という意味で使われた、この”神さびて”や”神からならし”という言葉が、その音の響きはもとより、古代人たちの山に対する畏敬の念をあらわしていて、現代人のわれわれにも響くなんとこころよい言葉だろうと思う。
 昔から、悪魔が棲(す)むと恐れられていたヨーロッパ・アルプスと比べて、一方では、神様が棲むと畏(おそ)れられた、日本人の山に対する想いが良く表現されている言葉だと思う。

 そこで先週書こうと思っていて、書けなかった先々週の『ポツンと一軒家』の話になるが、愛知県の山奥で先祖代々の家屋敷と田んぼや畑を受け継いで、一人で奮闘し、半ば楽しんでいる66歳になるというおじさんの話しだ。 
 彼は、高校受験でこの地を離れて以来、大学を卒業後は大手保険会社に勤めていて、支店長までも歴任していたが、一人でこの地に住んでいた母親と、手入れされていない田畑や山林のことなどが気になって、35年務めた会社を早期退職してこの地に帰ってきたのだ。
 しかし、母親はその4年後に他界してしまい、一時は1時間半かかる下の町にある家で暮らしていたが、やはりこの地のことが気になって、町の家には妻とその親たちがいて彼女は手が離せないから、今はひとりでこの家に来ていて、時々下の町に下りて行くぐらいだとのことである。

 その田畑では、兄の家族との二軒分だけの米野菜を作り、あとは周りの木々の間伐や手入れをしていて、草刈りが欠かせないという。
 そこで取材スタッフの一人が、自然の中で住むということは、その自然のままに茂るままにまかせて住む、ということではないかと問いかけると、彼はがぜん反論してきて、”里山文化論”とでも言うべき話をしたのだ。
 つまり、”里山に住む”ということは”、人間が周りの自然を手入れしてやって、人家のあるところと山林との間の緩衝地(かんしょうち)を作り、そこで、自分が使わせてもらっている自然と上手に付き合っていくことが必要でありであり、そのためにも周りの手入れは欠かせないのだ。

 特にこの辺りはイノシシの被害が大きいからと、大型の重機を操って杭を打ち、周りを囲む高い柵を作り、害獣が入り込まないようにしているのだ。
 彼は言う、田舎に住む人間は他人に頼っていてはだめだ、田舎だから仕方ないといじけているよりは、自分で何とか工夫し生み出すべきだと。
 家の周りの山の斜面には、ホソバシャクナゲ、ヤマツツジにヤマシャクヤクそれになんとアツモリソウまでが咲いていたのだ。
 一方で沢から引いた新鮮な水でアマゴを養殖して、それが手に負えないほど大きくなったからと、その丸々と太ったアマゴを取材陣に食べさせていた。
 彼の目標は、これから高床式の丸太小屋を建てて、露天ぶろを作り、発電設備も作るつもりだと言っていた。
 いかに先祖から受け継いだ土地であるとはいえ、ただ一人で、なんでも工夫して作り上げていくその姿には、アメリカやカナダでの開拓者たちが行ってきた、フロンティア・スピリット(開拓者魂)とでも言うべき創意と工夫に満ちていた。

 彼の旺盛な、やる気に満ちた生き方から言えば、私の北海道での生活などとるに足りないものかもしれない、これでいいのだと、いつも小さな自分の領地の中だけで満足しているのだから。

 さて、このところ実はこのブログのテーマとなるべき、テレビ番組が幾つもあって、しかし、書ききれずにたまっていってしまうばかりで、ここにその幾つかだけでもと書いておくことにする。

 いつものNHKの『ブラタモリ』で、今回は釧路湿原がテーマだったのだが、三四回は行っている私でさえ、高層湿原や水系の話、摩周湖にまで及ぶ霧の話しなど興味深く見せてもらった。
 同じNHKの『ダーウィンが来た』で、ネコの島として有名な福岡県の小島、相ノ島での、ネコたちのファミリー形成の話は、新たに知らされたこともあり、興味深いものだったが、それにしても思い出すのは、わが家の飼い猫だったミャオ、子供のころに避妊手術を受けさせられていて、家族を持てなかったこと・・・ごめんね。
 これも、NHKの再放送時代劇ドラマから『雲霧仁左衛門』、原作が池波正太郎と筋立てがしっかり作られていて、中井貴一のお頭以下の配役陣が素晴らしく、撮影もかなり意識して撮られていたし、言葉づかいを現代風にして迎合するのではなく、なるべく昔風に話させていたことなど、このNHKの時代劇の作り方は、民放での時代劇が激減している中ではより責任重大であり、その伝統を守っていってほしいものだ。
 NHKのBS映画劇場から、1998年のアメリカ映画、あのロバート・レッドフォード監督の作品で、当時見た時もアメリカの素晴らしい自然と人間の生き方を感じたものだが、大きなゆるやかな川の流れの中でフライ・フィッシング(疑似餌釣り)をする映像が何とも美しく、本気になって魚釣りを始めようかと思ったぐらいだった。
 NHK・Eテレ『100分で名著』、日本の古典「平家物語」を、あの宝生流(ほうしょうりゅう)能楽師である、安田登が琵琶の音に合わせて語っていくさまが素晴らしく、全巻この語りで録音してくれれば、私も買って聞きたいと思うほどだった。
 番組中で解説する彼の話もなかなかに面白かったが、数年前の彼の著作物「日本人の身体」(ちくま新書)を読んだ時も感じてはいたのだが、多少、牽強付会(けんきょうふかい)とまでは言わないにしても、漢字の成り立ちに結び付けて断定してしまうところがあり、多少気になるところもあったが、繰り返すが、琵琶の音色に合わせての彼の語りは絶品だった。

 まだまだ他にも、テレビを見た中に含まれていた、いわゆる”金言・格言”はいくつもあったのだが、もう年寄りの記憶は、右から左へとすぐに流れ去ってしまい、少し前に見た雲の形でさえ、とても思い出せないしまつです、はい。

(参考文献:『万葉集』一~四 伊藤博 訳注 角川文庫、『万葉開眼』土橋寛 NHKブックス)

 


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