ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

北国の春

2013-04-22 20:37:55 | Weblog
 

 4月22日

 数日前に、北海道に戻ってきた。その北の大地には、まさしく北国の春が訪れていた。
 ともかく、まだ寒くて、そしてなつかしい暖かさもあった。

数日前、福岡から飛行機に乗る時に、そして東京羽田で乗り換えた時にも、外の気温は20度を超える暖かさだった。
 しかし、東北上空にさしかかったあたりから、3層の窓ガラス(正確にはアクリル板)の中が凍りつき始めて、その氷の結晶が見えていた。
 もちろん、1万メートルもの高度だから気温が低い(-50度)のは当たり前だが、その前に東京羽田に駐機していた間に、機体が暖められていて、その温度差が大きくて、少し凍りついたのだろうか。
 それは、天気予報で言っていたように、冷たい空気が北日本を覆っていたからでもあるのだろう。降り立った北海道の十勝では、2時の気温は4度だった。

 ただし、いつもの年に比べて、雪解けが早く進んでいるようだった。周りの広大な畑には、もう雪は残っていなかった。わずかにカラマツの防風林沿いや、家の軒下などに少し汚れた雪が残っているだけだった。

 家に戻ってきて、やるべきことはいろいろとあった。
 まずクルマだ。北海道の田舎では、クルマがないと身動きが取れないのだ。6年使用の中古車を買って10年余り乗っているから、毎年心配なのだが、バッテリーをつなぐと一発でかかってくれた。ありがたや。

 クルマは、古いほど税金が高くなっている。つまりお金があって新しい車に次々と買い換えた方が、税金面でもさらに優遇されるのだ。
 排ガス規制の面から、そうしているのはわかるけれども、古いものを大切に使い続けることがいけないかのような、世の中の仕組みが気になるのだ。一方では一台数千万もするようなポルシェに乗って、脱法ハーブを吸いながら運転しては事故を起こし、周りに迷惑をかけている人もいるのに。

 などと、余計なことを考えても仕方がない。
 自分は、自分の世界の中で生きていくしかないし、またそのギリギリの中で耐え忍ぶ自分の姿が、まさに”おしん”的なけなげさに見えては、マゾ的な喜びにつながるのだ。
 あーあ、女王様、もっと厳しく叩いて下さい・・・おーっと、これこそ余分なことだ。

 家の中に入ると、ひえーって感じで、気温は2度、外より寒いのだ。
 つまり丸太小屋自体が、いったん冷やした空気を外に逃がすまいと、そのままに保ってくれているためなのだ。だから夏にはいいのだが、こうして冬の間に家を空けると、冷蔵庫状態になってしまうのだ。
 すぐに薪(まき)ストーヴに、薪を入れて火をつける。ゴーっといって燃え始めたストーヴを、そのまま丸一日燃やし続けて、やっと部屋は20度近い快適な気温になったのだ。
 そして一度暖まってしまえば、この家は何と暖かいのだろうか。あの九州の、小さなポータブル石油ストーヴしかない家の寒さと比べて・・・。

 だからできることなら、この北海道の家で冬を過ごしたいのだ。
 この家で二度の冬を過ごした経験からいえば、外は-20度になっていても、家の中にいればそれほど寒いとは思わなかった。
 ぬくぬくとした気分でゆり椅子に座りながら、窓の外の雪景色を見ては、音楽を聞いたり本を読んだりする毎日だったのだ。
 それは、思えば、年寄りになってからのことを先取りしたような、心穏やかないい日々だった。
(もっともいつも言うように、ちゃんと住み続けるためには、水回りを何とかしなければいけないのだが。)

 さて、小屋開けの仕事はまだまだある。打ちつけたり、閉めきっていたがんじょうな雨戸などを開けて、空気を入れ替える。部屋のあちこちでは、越冬しようとしていたハエが寒さに負けて散らばり落ちている。
 掃除機を、くまなくかける。外しておいたコンセント、ケーブルなどを取り付ける。

 そして次に、家の中に入れていた揚水(ようすい)ポンプを外の井戸の所へ運んで、取り外していた長いパイプを再び取りつける。迎え水を入れて、コンセントにつなぎ、家の中の蛇口を回すと、始めは赤さびの水がどっと出た後、良かった何とかきれいな水が出てくれたのだ。
 ここまでで、2時間余り。

 もう時間がない、急いで町の郵便局に行って、九州の家から送っておいた荷物を受け取り、プロパンガス屋さんに行って、ボンベを交換してもらい、友達の家に行って、夕食をごちそうになり、他に知り合いの家を回って、7時過ぎにようやく家に戻ってきた。
 まだ家は、十分には暖まっていない。冷たい布団を敷いて寝る。母さん、ミャオ、また北海道の家にやってきました。

 そういえば、去年のミャオが亡くなった後からそうなのだが、それまでは毎年何回も繰り返してきたミャオとの別れがつらかったのだが(’11.4.23の項参照)、もう今はさようならを言う相手もいないのだ。今年からは何のためらいもなく、ただ予定した旅行の時間に従って九州の家を後にしただけのことだった。
 それはまた、家で待ってくれている人が誰もいないという、一抹(いちまつ)の寂しさを感じることにもなるし、むつかしいものだ。
 考えてみれば、すべてが丸く収まり良かったということなど、あり得ないことなのかもしれない。

 いつも一つの出来事の前や後ろには、帳尻(ちょうじり)を合わせるような、プラスやマイナスになることが起きており、またはこれから控えているということなのかもしれない。
 運命や偶然は、誰にもわからないものだからそう呼ばれるのだろうが、その良し悪しはいつも50パーセントに50パーセントであり、その影響もまた半々なのだ。

 どっちにも転ぶことがあるものだと考えれば、そうした運命論や偶然の差配などで、自分の人生を決めつけられることはなくなるはずだ。
 つまり、いつも五分五分のことになってしまうのならば、自分の人生は、考え方次第で、いつでも自分の力だけで変えることができるはずなのだ。
 今の私は、そうして自分で決めてきたから、ここにいるのだというだけのことだ。それを、良いこととも悪いこととも考えないことだ。

 前回も書いたように、本来の私は、余り深く考えずに、アホの世界にとどまるべきなのであって、”同じアホなら、生きなきゃ、そんそん。あーえらいやっちゃ、えらいやっちゃ、よいよいよーい”ということなのだろう。

 かくして、翌日の早朝、目が覚めて、また新たな景色の毎日が始まるのだと、外を見ると、そこは何と一面の銀世界だった(写真上)。
 新緑が輝かしい九州からやってきたばかりの私には、十数度もの気温差以上に、まるで冬の季節に戻ったような光景に驚いてしまった。

 この目の前の景色を、どう考えればいいのか。一つには、好き勝手に毎年、九州と北海道を行き来している私に、天上の神様が、”おまえが思っている憧れの北海道は、そんな楽な所ではないぞ”とばかりに、厳しい冬の試練を浴びせたのではないかということ。
 あるいは、”えらいやっちゃ”の神様が、ムツゴローさんのように、”おー来たか、よしよし”と言って頭をなでなでして、ごほうびに私の大好きな雪景色をプレゼントしてくれたのか。
 この五分五分の判断に、脳天気な私が選んだ答えは、後者であることは言うまでもない。 

 しかし、さすがに北国の春なのだ。雪は一日で溶けて、日当たりのよい林の中には、一面にフキノトウの花が開いていた。(写真下)
 遠くに見える日高山脈の山々は、まだすそ野までいっぱいに雪に覆われたままの冬景色である。
 これから初夏にかけて、その雪が次第に溶けていき、最後にはカール(氷河圈谷)や高い沢筋に残るだけになる。
 それまでにはさまざまの花が咲き、私はその春の季節とともに歩いて行くだろう・・・しかし、こうした麗(うるわ)しき春と一緒に歩むことができるのは、もうあと何回残っているだろうか。 
 毎年毎年の、今年限りの”北国の春”なのだ。

 前にも書いたことがあるけれど、1973年のアメリカ映画『パピヨン』のラスト・シーンを思い出してしまう。
 蝶(パピヨン)のイレズミをしたスティーヴ・マックィーン演じる主人公が、無実の罪をきせられて、孤島にある劣悪な環境の刑務所に送られてしまうのだが、その中で耐え抜いて脱獄に成功し、ただひとり漂流する小さな手作りいかだの上で、叫ぶのだ。
 ”I'm still here!"

 それは、何と生きていることを実感させる言葉だったことか。
 「おれは、まだここで生きてるぞー」。こうしてブログを書き続けるのは、そうした私自身に向けた言葉でもあるのだ。


 

  

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