ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ひむがしの野に

2019-05-20 22:34:15 | Weblog




 5月20日

 近くの町に買い物に行って、ついでに風呂にも入りいい気分になって、暮れなずむ平原の中の道をクルマで走って行く。
 少し開けた車の窓から、田園の匂いのする風が入ってくる。
 何という幸せなひと時だろう。
 西の空には、太陽が日高山脈の稜線に落ちていき(写真上)、反対側の暗くなってきた東の空からは、大きな満月が昇ってきている。

 そうした時には、いつもあのいにしえの歌を思い出し、ひとりつぶやいてしまうのだ。

 ”東(ひむがし)の野に かぎろひ(曙の光)の立つ見えて かえり見すれば 月傾(かたぶ)きぬ”
(『万葉集』巻一 48 柿本人麻呂 伊藤博校注 角川文庫)

 今までも、このブログで何度も取り上げたことがあるのだが、この歌は、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の代表的な一首だとも言われていて、何よりその歌に先立つ長歌には、軽皇子(かるのみこ、後の文武天皇)とともに、早朝狩りに向かう時の、勇み立つ思いに満ち溢れていて、昇る朝日を軽皇子になぞらえ、沈みゆく月を過去になぞらえて作られたともされているが、そういう背景を知らずに、さらにはこの長歌に続く短歌三首の並びとも切り離して、この歌だけを単体として見たとしても、そこには、壮大な宇宙を思い浮かべさせるようなスケール感が感じられるのだ。
 まるであのスタンリー・キューブリック監督の不朽の名作『2001年宇宙の旅』(1968年、アメリカ)での1シーンが切り取られているかのような。
 もちろん、この和歌は、昔の野原の朝の光景を詠ったものなのだから、今、私の目の前にある田園風景とは異なっていて、さらには状況が朝とは逆の、夕べの光景ではあるとしても、今も昔も変わらぬ無窮(むきゅう)の天空の中で、朝な夕なに繰り返されている、大自然の風景の一つであることに変わりはないのだ。
(ちなみに、新元号の”令和”が、この『万葉集』の第五巻の中の”梅花の歌三十一首併せて序”の中の序文からとられているということだが、そこに至る経過については、浅学の徒たる私があれこれ言うべきことではないのだが、ただこれを機会に、日本文学の最高の古典に日の目が当てられて、多くの人が『万葉集』に興味を持つようになってくれたことだけでも、実に喜ばしいことだと思う。)

 ところで話を元に戻して考えてみれば、夕焼けの一瞬の光景の中にみる、自分だけで感じる小さな幸せな思いが、いくつも積み重ねられていって、それがこうして、北海道にいることの喜びになるのだろう。
 この歳になるまで生きてこられてよかったと思い、今生きていることができて幸せだと思うこと。
 若い時には、それほどまでに感じなかった、自然というものへの感謝の思いは、年を重ねていくごとに、年輪のように重なり増えていくものなのだろう。
 草も樹もも、虫も鳥も、一緒に生きている仲間として。

 先々週に放送された、いつもの『ポツンと一軒家』で、その前に放送された熊本県の山奥の、一軒家ごとに五軒もあった”ポツンと一軒家”の回の他にも、まだ一軒家があるということで、今回取材班が訪れた山奥の家には、89歳と83歳になるという老夫婦が住んでいて、おじいさんの方は、脳梗塞で倒れた後遺症から、運転免許は返納したというが、今は孫たちのクルマで送り迎えしてもらっていて、子供たちからは下で一緒に生活したらと言われているそうだが、おばあさんが言うには、”町は騒がしくて住みたくない。ここに居れば静かで、鳥の声で目が覚め、今はウグイスの声が聞こえてくるし、街で生活したいとは思わない。そして毎日、下の集落から友人知人たちが寂しいだろうからと訪ねてきてくれるから。と” 
 もう一本は、同じ山奥の一軒家だが、下の町から上がって来て、一時やめていた体験農家民宿の準備をしているという68歳のおばさんの話だった。
 宿泊者は、山菜を食べて五右衛門風呂を沸かして入るという体験に大喜びだそうで、私の不便な生活とあまり変わらないことなのだが。

 今、家の周りでは山菜のコゴミが大量に伸びてきていて、葉が開く前に、ぜんまいの形がまだあるうちにと、毎日食べてはいるのだが、何しろ一面に生えていて、それも毎年増えてきていて、その勢いは周りの圧倒的なササの勢力範囲の中に侵入するほどで、まさに一石二鳥のありがたい山菜なのだ。(写真下)




 このコゴミは、山菜野菜の中でも屈指の量のポルフェノールが含まれているということで、前回書いたアイヌネギ(ギョウジャニンニク)とともに、毎年私が冷凍保存することにしている二大山菜の一つなのだ。
 しかし、前から書いているように、今、家の井戸は枯渇していてもらい水の状態で、とても洗ったり煮たりするには大量の水が必要だから、それを抑えて水を使うとしても、平年の半分くらいしか保存できないだろうから、とても秋まではもたないだろうが、もっともここ十勝は農業王国であり、都会のスーパーで買うよりははるかに安い値段で、旬(しゅん)の野菜を手に入れることができるのだから、それほど悲観することもないのだが。 
 もっとも、こうして毎年、自分で作るよりは店で買って調達した方が、手間もかからずなおかつ安上がりにすむからと、わが家のネコのひたいほどの畑は、さらに年毎に小さくなってゆき、今ではキャベツの一畝とミニトマトの一畝、さらに前から作り続けている小さなイチゴ畑だけになってしまった。

 それにしても、思えば九州でもそうだったのだが、この北海道に来ても、今年はなんと天気のいい日が多いのだろう。
 青空大好きの”お天気屋”の私からすれば、これほどありがたい年はないのだが。
 つまり、山登りに夢中だったころなら、喜び勇んで毎週欠かさず山に向かったことだろうが、今では、そのころと比べれば、見る影もなく老いぼれてしまって、”フンドシひらひら”とさせながらよろよろと歩くじじいには、もうそんな元気があるはずもなく、その割に口だけは達者になって、経験者めかしてあれこれと言いたくなるのだ。
 例えば今回のあの屋久島豪雨で、幸いにも大きな被害者が出なかったからいいようなものの、集団のツアー登山については、いつも金銭的日程スケデュールの都合がついて回り、問題が起きると、あの夏のトムラウシ山(2141m)での大量遭難死のように、いつでも悲劇的な事件になりうることを肝に銘じておくべきだろう。
 今回、山中に取り残された登山者300人の救出劇にも、自衛隊などのレスキュー隊が出動していて、何か冒険ドラマ仕立てのように紹介されていたが、実は一歩間違えば同じような大量遭難の危険をはらんでいたのだ。

 もう8年も前のことになるが、私も屋久島に行ってきた。
 そのしばらく前から天気予報を見ていて、長い予備日を設けて、何とかその中で晴れの日を選んで、その計画に従って、屋久島の山を南北に縦走して宮之浦岳(1936m)に登ったのだが、それでも梅雨のさなかの青空は二日と続かず、本来2泊の所を1泊にしたぐらいで、二日目は小雨の中ずっと歩き続けるだけで、長くつらかったが、それでも”1か月に35日雨が降る”という、水の豊富な屋久島の、良くも悪くも現実の顔を見せつけられた思いがした。
 ただ最初の日に、半日の間でも青空の下の山を歩くことができて、念願のヤクシマシャクナゲを見て、ヤクシカやヤクザルにもあうことができたし、さらには、他に誰もいない私と縄文杉だけのひと時を過ごすことができたし、それは私の望む完全な青空の下の山ではなかったけれども、十分に満足することができたのだ。あのころだからできた、幸せな山旅だったのだ。(2011.6.17~25の項参照)

 私にとって、他にどんな理由があるにせよ、天気が悪いとわかっていて、山に登るということは考えられないのだ。
 ともかく、晴れた日にしか山に登らないというという私の思いは、これからも変わらないし、日時を自由に選んで山に行くというぜいたくさは、それは、私が青空をお金で買っていることになるのかもしれないが、ただそれが年寄りのわがままだと開き直り、このぜいたくな山行だけは押し通したいのだ。
 残り少ない人生の日々、大好きな山とともに過ごす時間は、大好きな青空の下でこそ初めて成就(じょうじゅ)されるものだからだ。

 さて、十勝地方のわが家に戻って来て、もはや1か月近くになるが、雨が降ったのは、にわか雨程度のものが、夜中に2回あっただけで、最初から干上がっていたわが家の井戸は、もうお手上げ状態であり、よほどの豪雨にならない限り、普通に井戸水を使えることはないのだろう。
 明日ようやく、一日中雨の予報が出ているが、まあ畑の植え付けや芝生の手入れぐらいは、何とかできるようになるのだろうが。

 それにしても、またも山に登るのが1か月以上も空いてしまった。
 夏の遠征登山などは、もう無理なのだろうか。
 厳冬期以外のシーズンには、毎日富士山を2往復しているという、今年74歳のおじいさんもいるのに。

 あの有名なフランドルの画家ピーテル・ブリュ-ゲル(1525~69)の、「怠け者の天国」に描かれている3人の若者姿は、とりもなおさず、私の今の姿を暗示しているのかもしれない。
 この春から夏にかけて、東京ではこの”ブリューゲル展”に”フェルメール展”さらには”クリムト展”と、見たい絵画展が目白押しの賑わいなのに、私はその混雑を恐れて、行く気にもならないのだ。
 山といい、絵画といい、コンサートといい、映画といい、もう今では、私の中の過去の思い出としてしか、楽しめなくなっているのだろうか。
 くそっ、こんなところでくたばってたまるか。
 




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