7月29日
拝啓 ミャオ様
ミャオ、長い間、近況を知らせずにいて、申し訳なかったと思っている。その間に、九州では、豪雨の被害が相次ぎ、心配はしていたのだが、ただ歳の割には、すばしこいオマエのことだから、何とかしのいでいるのだろうが。
しかし、降り続く雨の中、一日中、雨宿りの物陰で、ただじっと座っているのは、つらいことに違いない。飼い主として、本当に申し訳ないと思っている。
これほどまでに、長引いた梅雨も、いつかは明ける時が来るだろうから、それまで辛抱しておくれ。
10日前に知らせていたように、この一週間の間、私は、いつもの、本州の夏山に登る旅に出ていた。本来の計画は、まだ行ったことのない、東北南部の飯豊連峰を縦走することだった。しかし、本州に張り付いたままの梅雨前線のために、それをあきらめ、梅雨明けが発表されたばかりの、関東甲信越地方、それも、より前線から離れている、南アルプスへと変えるべく、出発の二日前に計画を立て直した。
それでも、依然として天気への不安を抱えたまま、北海道を飛び立って、東京へと向かい、そこから高速バスに乗り換えて、甲府へ、そこで泊まって、朝一番の4時のバスで、南アルプスの北岳に、向かうつもりだった。
ところが、前日の曇り時々晴れの予報は、前線の南下で、曇り時々雨に変わり、週間予報では、その後も曇りや雨が続くとのこと。雨の中を歩きたくはないから、さらに計画を変更し、幾らか日も差すという、八ヶ岳か北アルプスへ行くしかないと考えた。
しかし、翌日の朝の天気予報では、長野県全域で曇り時々雨へと変わる。梅雨前線は、再び北上していて、晴れ間が出るのは、北陸地方だけだった。その日は、あの南西諸島での、皆既日食の日でもあったのだが。
ただ、私にとっては、その一生に一度見られるかどうかという皆既日食よりは、目指す山々の姿を、晴れた青空の下に見たいだけだ。
そして、決心した。晴れているところへ行こう。そうだ、あの加賀の白山に登ろう。甲府から松本へ、そして篠ノ井線で長野に出て(大糸線の方が近いのだが、連絡が悪い)、長野から信越本線で直江津へ、そこで北陸本線の特急に乗り換え、ようやく金沢に着いた。
費用も時間も、余分にかかってしまったが、すべては一期一会(いちごいちえ)の山のためだ。駅の観光案内所のやさしいおねえさんに、安くて新しいビジネスホテルを紹介してもらい、荷物を置いて、街に出る。
金沢は、その昔、母を連れての、中部・北陸への旅の時に、兼六園などに立ち寄った思い出がある。その時にも、さすがに加賀百万石の伝統を受け継ぐ、良い町だと思ったのだが、その思いは、今回も変わらなかった。
白山の地図を買うために、近代的な建物が立ち並ぶ駅前から、整備されたメインストリートを歩いて、武蔵ヶ辻から、ついでに香林坊、片町へと足を伸ばした。
クルマが行きかう賑やかな通りの並木からは、その雑踏に負けないくらいに、セミの鳴き声が聞こえていた。さらに、裏通りに入って行くと、もう車の音も聞こえない、土壁に囲まれた静かな一角があった。長町の武家屋敷跡である(写真)。
気温は27度くらいで、それでも涼しいのだろうが、北海道から来た私には、汗が流れてくるほどの蒸し暑さだった。
しかし、その武家屋敷の長い塀に沿って歩いていると、いつしか、昔の家の静かなたたずまいに、同化され、私は何か、物語の一つの情景の中にいるかのようで、それまでの暑さも忘れ、思わず辺りの冷気に身震いしてしまった。
思えばここは、私の好きな作家の一人でもある、あの泉鏡花の生まれ育った町でもあったのだ。凛(りん)とした、品格ある冷気をたたえた、鏡花のその作品の幾つかを思い返してみた。『照葉狂言(てりはきょうげん)』『雛(ひな)がたり』『由縁(ゆかり)の女』・・・。
宿に戻ってきて、さっそく明日の天気予報を見る。曇り空で、時々晴れ間も出るでしょう・・・とのことだが。さらに、その後の週間予報にも、はっきりとした晴れの日はない。それでも、もう他に行く所はないし、明日からは、この三日間の山歩きに出かけるだけだ。
さて、何度も山登りの計画を変え、金沢くんだりまでやって来た、この鬼瓦熊三(おにがわらくまぞう)の、明日はどうなるのだろう。続きは次回に。
それにしても、ミャオと別れて一ヶ月・・・。ああ、会いたいなあ、ゴロンと横になったミャオの体をなでたいなあ、ミャオが美味しそうに魚を食べている所を見たいなあ、ミャオと一緒に散歩をしたいなあ・・・。
飼い主より 敬具