ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

自分の言葉に

2015-09-14 21:32:43 | Weblog



 9月14日

 台風の後に、北関東・東北などに、甚大な集中豪雨の被害をもたらした低気圧帯は、ようやく東に抜けて、この北海道でも、今日は久しぶりの、見事な青空が広がっていた。
 もう、山の紅葉が始まっている。大雪山の様子が気になるところだが、しかし、この全道的な晴れの予報に浮かれて、今すぐに出かけていくわけにはいかない。
 
 早朝の霧が晴れて、快晴の青空が広がり、日高山脈の山々がずらりと並んで見えていても、そこはがまんのしどころで、たちまちのうちに、山脈の上に絵筆で白い線を引いたように、雲が出てくるのだ。
 まさしく朝の天気予報で言っていた、”大陸から続く高気圧に覆われて、全国的に晴れるでしょう。しかし、東北北海道では、寒気の影響で雲が広がるでしょう”という、予報は見事に当たっていたのだ。

 外に出て、木の根元に”生(なま)肥やし”をまきながら、私は満足げな吐息を一つつく。
 山々の上に雲はあるが、それ以外は見事な快晴の空が広がっている。
 暑くも寒くもない、秋のさわやかな大気の肌ざわり、そよ風。
 秋の訪れを一足早く告げるかのような、エゾヤマザクラの紅葉と、あの『北の国から』の、正吉の”百万本のバラ”の代わりになった、黄色いオオハンゴンソウの花。(写真上)

 私の足元で、か細く音を立てているもの以外、何の音も聞こえない静けさ。
 その私の、生理的な満足感も併せて・・・なんと満ち足りた、幸せなひと時だろうと思う。

 ”タワーマンション最上階の家”に住んでいて、夜ごと”とびっきりの美女”と一緒に、”フェラーリ”に乗って、”三ツ星レストラン”に行って食事をする、なんてえことが私の夢では決してないのだ。
 むしろこうして、不便な田舎のぼろい家に住んで、車庫にはたまにしか乗らない、1998年製のこれまたぼろいクルマが置いてあり、家の周りに生えている植物たちをその季節ごとに食べては、キツネやヘビやネズミや鳥たちに囲まれて、ひとりで気楽に暮らしていることのほうが、どれほど幸せなことか・・・と貧乏人なりにイキがってみせるのだ。

 と言いながら、今さすがの私も、全く困り果てていることがあるのだ。
 前々回に書いていた家の井戸が、まだ干上がったままなのだ。もう3週間にもなる。
 ポリタンクに入れてきたもらい水で、何とか日々しのいでいるが、なにぶん限りある水だから、不便極まりない毎日だ。
 洗い物にしても、二度三度使って暗く濁ってからようやく捨てるありさまで、非衛生的なことはなはなだしい。
 確かに、それは山登りの時の、山小屋泊まりやテント泊での、山上での生活に似ていて、そういう経験があるからこうしてガマンもできるのだが、それも限度問題であり、山での生活も数日から1週間くらいにもなれば、確かに体じゅうがべたつき、頭はかゆいし 一日交替ではきまわしたパンツ下着は臭ってくるし、(山小屋で働く人たちはどうかといえば、スタッフ用に風呂はあり休みも取れるからいいが)、ともかく風呂好きな日本人としては、体も洗えない長期山行としては、もうぎりぎりの日数だろう。

 もっとも、ここはそんな山の上ではないから、その気になれば町の風呂屋に入りに行くこともできるし、コインランドリーで洗濯することもできるのだが、それにしても、汲み置き水をいつも少しづつ気にして使うしかないし、そんな3週間にも及ぶ、毎日が水不足という生活には、もう耐えられなってきているのだ。
 もちろん、井戸が枯れたのは、今までにここで何度も経験してきたことであり、別に珍しいことでもないのだが、若い時に比べて、それが体にこたえるような年齢になってきた、ということもあるのだろうが。 

 この北海道にいることは、私にとっては冬こそがベスト・シーズンなのだが、その雪に覆われた冬に水が枯れることもあり、外に出なければならないトイレの問題と併せて、年を取った今ではその不便さに耐えられなくなって、泣く泣く冬場はここを離れることにしているのだ。
 それなのに、夏場でさえこのありさまで、今さらながらにいろいろと考え込んでしまうのだ。
 それ相当のお金をつぎこんでも、ここでの水回り、トイレ状況を改善して住み続けるのか、それともそんなことは、老い先短い私には、無駄な出費となるだけだからとあきらめて、ともかく人並みの生活を送れるように、ライフラインだけはちゃんとそろっている九州の家に戻るのか。
 ”To be,or not to be. That is a question." とつぶやいた、ハムレットの気持ちがよくわかるというものだ。
 
 言葉にすることによって行動に移すようになり、行動することによって言葉は確かなものとなる。
 昨日の夕方の時間帯で、フジテレビ系列で『言葉のチカラ』という番組が放送されていた。
 せっかくのいいコンセプト(企画内容)で、1時間半もの番組なのに、地方局の制作ゆえか、放送時間帯も空いた時間にはめ込んだふうであり、さらにせっかくのいい話も、まとめ方にあまりにも工夫がなかった。
 言いたくはないが、NHK教育ふうな内容なのだから、むしろNHKによる制作ならばもっと内容のある、しっかりとまとまった番組になったのではないかと思ってしまうのだ。
 
 それはともかく、番組は各界著名人たちの、忘れられない一言や、名言格言などを紹介していて、映画監督の山田洋次や亡くなった歌舞伎の中村勘三郎から、ベストセラーになった『ビリ・ギャル』の当の本人、そしてわれらがAKBグループの”さっしー(指原莉乃)”に、ヒラリー・クリントンから武田鉄矢他に至るまでの、多士済々(たしさいさい)の顔ぶれだった。
 その中で、”さっしー”が今度の総選挙で1位になった後のスピーチで、涙ながらに、”自分は欠点の多い人間だけども努力してここまで来た”のだと話していた時の映像を見ながら、私はその前の日にウェブ・ニュース・サイトで見た、あるタレントの言葉を思い返していた。
 
 それは44歳になるというあるスポーツ系のタレントが、自分はAKBなどのアイドルたちのファンであると、ツィッターなどで公言していて、それに対してネット上での賛否両論の書き込みが続いていたのだが、そのことに反応して、あるお笑いのタレントが、たまたま同じ44歳だとのことだが、本気で彼を非難するような言葉を自分のブログに書いていたのだ。
 「アイドルなんて若い時に好きになるもので、今アイドル好きだと公言しているような大人は大嫌いだ。」 

 私は年寄りだけれども、AKBのファンだし、孫娘のようなAKBグループの子たちが好きである。
 前回書いたように、夫を亡くして落ちこんでいたある女の人が、娘たちに誘われてアイドルのコンサートに行って、すっかり”嵐”のファンになったということ。
 さらに、これも前にも書いたことだが、その昔、まだ母が元気だったころ、叔母さんと二人で北海道のこの私の家に来て、テレビを見ていた時に、あの若手の男優が好きだと、女子高生のように目をか輝かせて、二人楽しく話し合っていたこと。

 この批判ブログを書いたお笑い系のタレントは、クルマが好きで、競馬が好きで、相方とともに、今ではおしゃれで多趣味な、都会派のタレントとしても知られているのだ。
 もっとも最近では、彼らだけでなく、そうした”物言う”評論家然としたお笑い系のタレントが増えていて、こうした取るに足りない話だけならまだしも、重要な社会事情から政治情勢に至るまで、まともな学者系の評論家よりは、よほど自信に満ちた意見をテレビ番組で披露しているようである。
 ただし、そうした彼らの言葉一つ一つに対して、年寄りの私が今さらあれやこれや言ったところで、ただの田舎のじじいの独り言にしか聞こえないだろうし。
 そうなのだ、年寄りの私たちは、ただそうした若い人たちの意見があることを聞いておくだけでいいのだ。
 これからの日本や世界の進む道などは、かれら働き盛りの世代や若い世代が決めていくものなのだから、自分たちの思う進みたい方向に行けばいいだけの話だ。
  自分たちの未来は、すべて自分たちの言動に責任があることを知ったうえで。

 そして、私は、そうした今の人たちの考え方とは違う、昔ふうな考え方や人としての在りようなどを思い返すことになるのだ。
 その一つ、当時、人間関係構築の指南書として一世を風靡(ふうび)した、一冊のベストセラーがある。
 それは、デール・カーネギー(1888~1955)が書いた 『人を動かす』(山口博訳 創元社)である。(注 あの鉄鋼王カーネギーとは別人)

 そこで彼は、”人を動かす”ための三つの原則を挙げていて、長くなるが以下に書き出してみる。 

「人を批判したり、非難したり、小言(こごと)を言ったりすることは、どんなばか者にもできる。そしてばか者に限って、それをしたがるものだ。
 およそ人を扱う場合には、相手を論理の動物だと思ってはならない。相手は感情の動物であり、しかも偏見に満ちて、自尊心と虚栄心によって行動するということを、よく心得ておかねばならない。」

 第二の原則としては。

「どんな人間でも、何らかの点で私よりは優れている。私の学ぶべきものを持っているという点で。」

 三つ目の原則としては。
  
「常に相手の立場に身を置き、相手の立場から物事を考える。」

 もちろん、こうしてここに挙げた言葉は、誰に言うわけでもなく、自分自身への戒(いまし)めとしてのものであり、”もって自らの肝に銘ずべき”言葉なのだ。

 日中は、山々の上に雲が続いていたが、それ以外では、ほぼ快晴の青空が広がっていた。
 気温は22度までにも上がって、さすがに日差しは暑かったけれども、そよ吹く風はすっかり秋の肌合いだった。
 しかし、夕方前になって、山沿いの雲が黒雲になって広がってきて、十勝地方全域で雷雨注意報が出されていた。
 そんな、黒雲の覆う空の中で、一か所だけがあかね色に染まり、その下に山々が見えていた。
 日高山脈のペテガリ岳からルベツネ山にかけての稜線だった。(写真下)

 山にかかる雲を生む冷たい空気が抜ければ、山の天気も良くなるはずなのに。
 明日の天気予報でも、まだ寒気が残り、不安定だとのことだが・・・。
 すべては、お天気次第なのだ。脳天気な私のことゆえ・・・。


 


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