ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

好きなものと幸福論

2015-09-21 22:09:18 | Weblog



 9月21日

 秋の連休のさなか、私は家にいる。
 快晴の空の下、秋色の肌合いもくっきりと、日高山脈の山々が見えている。
 夏の間は、なかなかその姿を見せてはくれなかった山々が、空気の澄んだこの季節になると、晴れていれば、平原のかなたに立ち並んでいるのが見える。これからは、それがいつもの光景になる。

 朝の気温は9度。露の降りた庭に出て、暖かい日の光を浴びる。
 取り急ぎやらなければならい仕事もなく、のんびりとしてもよい一日であることが、何よりも私をくつろがせてくれる。
 それは特に山に登った後、家に戻ってきた翌日などに、よく感じることなのだが。

 山登りは私の楽しみであると同時に、しかし出かける前までは、いろいろ調べたりさまざまの準備をしなければならず、それが面倒に思える時もある。
 もっとも、そうして計画を立て山に思いをはせることも、楽しの一つにもなるのだが。
 そこで現地に出かけ、いざ登っている時には、ただ激しい運動に没頭しているだけであまり余分なことは考えないし、そして、その山歩きが終わっても、まだ疲れきった体のままで、再び家まで帰らなければならないのだ。
 家に戻って一晩眠って、翌日目が覚めて、体の節々の痛みを感じながらも、そこでようやく、大きな安らぎのひと時が来るのだ。
 あの時の山々の姿を思い浮かべては、何とか歩き通してきた満足感に浸り、そしてもう今日一日は何もしなくていいのだという、大きなゆとりを感じる幸福感に浸るときこそが、実は山登りに付随してある、もう一つの大きな楽しみなのかもしれない。
 それは、山登りだけではなく、もちろん他のスポーツにも、さらに広げて、自分が行動を起こしたすべての物事に関しても、同じことが言えるのだろうが。
 つまり、自分の行動によって、思い通りの満足感を得られればもとよりのこと、もし希望していた結果が得られなかったとしても、自分はここまでやったのだからと自分を慰め、それなりの満足感に浸ることはできるだろう。

 こんなことを書いているのも、こうしたさわやかな風が吹く快晴の一日なのに、どこにも出かけず家にいて、それでも何か満ち足りた思いでいられるのは、数日前に、今が紅葉の盛りにある山に登ってきたばかりであり、その幸せな思いが続いているからなのである。
 それも前回の登山(8月4日、11日、17日の項参照)からは、一月半も間が空いてのことだったから、なおさらのことだ。
 私の最近の山登りの傾向は、数年前と比べても明らかに変わってきていて、年を経るごとにその山行回数が減ってきたばかりではなく、若いころのより難しい未知のルートを選ぶよりは、とりあえずは、やさしく楽な所へと行くようになってきているのだ。

 もう今までに何十回となく訪れている、この秋の大雪山の紅葉を見るために、今年はどうするのか。
 大まかにいえば、表大雪と呼ばれる山域には、つまりアプローチもよく手軽に紅葉を楽しむことのできるコースだけでも、六つほどはあり、私は、それぞれを入れ替わりにして毎年登ってきている。
 その中でも、一番よく知られていて、観光客でも手軽に見て回ることのできる、旭岳温泉口(旧勇駒別温泉)から入るコースは、秋に登ったのはもう5年も前のことで、久しぶりだから行ってみようと思ったのだ。

 というのも、この大雪山は北海道の中央部にあり、それより西側にある旭川や札幌からは、この旭岳温泉口や天人峡温泉口に愛山渓温泉口とさらに南側に続く十勝岳連峰などへと登るには、表側になって道路交通の便がよく、一方では、東側になる帯広や釧路方面からはぐるりと遠回りになって、少し不便になる。
 もっとも、裏側の高原温泉口、銀泉台口、層雲峡口から大雪山に登るには、札幌や旭川からは逆に遠回りになってしまうのだが。
 ともかく、若いころは片道3時間半とか4時間クルマで走って、その後8,9時間かけて山に登って、さらに再びクルマで走って、その日のうちに家に戻ってきていたものだが、もうこの年寄りにそんな元気はない。
 表側から大雪山に登る時には、午後に家を出て、ふもとの民宿に泊まり、翌朝早く山に登るという形をとることが多くなっている。

 それで、余分な金がかかることになるが、といっても北アルプスなどの山小屋の半額ほどで、夕食付きの二段ベッドで眠れるのだから文句はないし、年寄りにはそのくらいのゆとりと用心深さがあってしかるべきだし、お金も、その昔ニシン漁でもうけた金が少しばかりあって、それも最近のオレオレ詐欺でだまし取られないようにと、ちゃんと庭に埋めたカメの中に入れてあるから大丈夫なのだ。

 ”草木も眠る丑三つ時(うしみつどき)・・・ゴロスケ、ホーホーとフクロウが鳴くころ、森の中の一軒家の庭に何やら小さな明かりが見える。近づいてみると、鉢巻き頭にローソクを立てた男が一人(『八つ墓村』か)、何やらスコップで地面を掘っている。ガツガツ、ザー。カチンと音がして、陶器のカメが見えてくる。男はにたりと笑い、カメのふたを開けて、土に汚れた手で旅行費用のためにと、2枚の札を取り出す。”

 そこで、あの『北の国から』の音楽が流れてくる。
 就職で上京する純が、東京へのトラック便に乗せてもらうお礼にと、純の親父さんが運転手に渡した、土に汚れた指紋のついたピンの万札を、運転手はそんな金は受け取れないと、純に返し、純はそこで父親の思いを知って、その万札を握りしめ、助手席に座って静かにすすり泣くのだった。
 『北の国から』全シーンの中でも、忘れられない誰もがもらい泣きした、あの名場面を思い出したのだ。

 ただ、この偏屈じじいの場合、自分の楽しみのためだけにお金を使い、日ごろはけちけち暮らしていて、全く”どもならん、ごうつくばりじじい”なのだ。

 さて冗談は、その辺りまでにして、今回は、その旭岳温泉口から、裾合平(すそあいだいら)を経て、当麻乗越(とうまのっこし)方面へと行くことにして、まずは昼の天気予報で明日と明後日の天気予報を確かめてから、午後になって家を出て、夕方には旭川近郊の民宿に着いたのだ。

 翌朝、深い霧の中を走って、旭岳ロープウエイ前の駐車場にクルマを停めた。
 紅葉シーズンはすぐにいっぱいになる、この無料駐車場だが、朝一番の時間のためか、まだ半分程のクルマが停まっているだけだった。
 朝一番の6時半のロープウエイも、混み合うほどではなかった。
 しかし、残念なのは空模様だ。昨日の予報では、昨夜の雨や雪を降らせた寒気が抜けて、後は一日いい天気のはずだったのに、その寒気が十分に抜けていないのか、まだまだ雲が多くて、山々の頂上部分は隠れていた。
 しかしその雲は、西から東へと流れていて、取れそうな気配もあるのだが。
 
 ロープウエイ姿見駅(1600m)から歩き出す。
 いつもなら正面にどっしりと高く旭岳(2290m)が見えるはずなのだが、頂上部分は相変わらず雲がまとわりついている。
 姿見平の周りのウラジロナナカマドの紅葉も、赤いというよりは橙(だいだい)色に近い感じで、今年の紅葉の色合いに少し不安を覚えるほどだった。
 ともかく、まずは裾合平へと旭岳の山裾をぐるりと回りこむ道をたどって行く。
 前後に数人ずついるけれども、一人歩きの登山者が多くて、時折鈴の音が聞こえる静かな山道だった。
 朝露に濡れた紫色のエゾオヤマノリンドウの群落が、朝の光を受けていた。

 やがて道の両側にウラジロナナカマドが増えてくるが、この辺りもまだ橙色が多く、赤い色になっているものは少なかった。
 裾合平分岐からの道は昨夜の雨(山頂部では初雪)で、ぬかるみがひどかった。
 しかし、この辺りから、紅葉の色は勢いを増してきて、まずは池塘(ちとう)に岩を配した庭園風な所で、いつものように写真を撮る。(写真上)
 ただ雲の流れが速く、十分に光が当たるのを待っていて、一枚の写真を撮るのにも時間がかかってしまう。
 そして、ピウケナイ沢の渡渉(としょう)点付近からは、当麻岳(2076m)南面の紅葉模様が、今までに見たことがないほどに見事だった。(写真下)



 飛び石伝いに、少し水量が多めなピウケナイ沢を渡り、振り返り雲が取れつある旭岳を眺めながら、当麻乗越(とうまのっこし、1700m)に着いた。
 ここは、下に広がる沼の平(ぬまのだいら)の湖沼群を見るための、絶好の展望台になっているのだが、雲が多くまだらになっていて、紅葉模様も今一つだった。
 しかし、ここまでで戻る人が多いのだが、お楽しみはこの先にある。
 当麻乗越から先に登っていくと、稜線斜面になって、ウラシマツツジやクロマメノキ、チングルマなどの低灌木(かんぼく)の紅葉が、白い砂礫地の道のそばに彩りを添えている。
 ところが私はといえば、もう脚にきていて、バテバテになりながら、標高差200mほどの斜面を登り切ると、当麻岳末端の頂上稜線に出て、右手下に紅葉の裾合平が広がり、雲の取れてきた旭岳が雄大に見えている。(写真下)



 ただ欲を言えば、昨日黒岳山頂部などでは初雪が降ったとのニュースが流れていたから、その山頂部を覆う白い雪と山裾の紅葉との対比を楽しみにしていたのだけれども、残念ながらそれほどの雪ではなかったのだ。
 もっとも朝の、雲が多く山が見えない天気からすれば、少なくともこうして山々が見えるまでに回復しただけでも、感謝すべきなのだろう。
 そして、行く手の安足間岳(あんたろまだけ、2194m)へと続く尾根の、チングルマの紅葉が流れ下る、赤い南斜面も素晴らしい。
 数人ほどの人が、あちこちでカメラを構え、腰を下ろしていた。やはり、皆ここが良い場所だということを知っているのだ。
 一休みして先に向かうことにする。
 体力的にも、時間的に言っても、もうぎりぎりだったけれども、なんとしてももう少し先に行きたかった。
 それは、この先の高原状にゆるやかに続く、チングルマの尾根道を歩きたかったからだ。

 そして、9月半ばとはいえ、時によっては稜線部は雪に覆われていて、もう準冬山装備が必要な時もあるくらいなのだが、今日は風も弱く、あまり寒くもなくて、たださすがに指先は冷たく手袋は必要だったが、長そでウェアーにウィンド・ブレイカーを着ているだけで十分だった。
 そして私の好きな、チングルマの間の高原逍遥(しょうよう)の道が始まる。(写真下)

 

 しかし、登って行く私の脚の疲れは限界に近かった。
 ノロノロと歩む最後の一登りで、ようやく安足間岳の頂上にたどり着いた。
 北東面が開けて、荒れた火山斜面の比布岳(ぴっぷだけ、2197m)と愛別岳(あいべつだけ、2112m)が見え、さらに右手に高く大雪山第2位の北鎮岳(2244m)がそびえ立っていた。
 時間は12時半に近く、ロープウエイ駅から歩き始めて、もう5時間半もたっていた。
 後は下るだけだから、登るよりは楽だけれども、長い帰りの道が残っているのだ。

 休みもそこそこに下っていくと、さすがに行く手には人影も見えない。
 当麻岳の急斜面を、痛めているひざをかばいながら、ゆっくりと下りて行き、そして当麻乗越に着くころには、行きには雲がかかっていた旭岳と左手の熊ガ岳(2210m)が並んで見えていて、まだ雲は多めで日陰の部分もあったが、それでも十分に満足のできる光景になっていた。(写真下)




 ピウケナイ沢に下り、登り返して、さらにゆるやかに裾合平分岐へと登って行く。
 その分岐点のベンチに、4人が座っていた。私も、腰を下ろした。
 先ほどから、30分ごとに水を飲みたくなるほどに疲れていたからだが、どうしてもロープウエイ最終時間が気になる。
 間に合うだろうとは思っていても、少しでも早く着きたいからと、少し休んだだけで腰を上げた。

 そして、さらにゆるやかに登って行くのだが、途中でやはり、脚にきてしまった。
 少し前からその気配はあったのだが、今や太ももがつって歩けなくなってしまったのだ。
 しかし、このまま腰を下ろすと、もっとひどくなってしまうからと、我慢して牛歩の歩みで、脚を押さえて引きずり歩きをして行く。
 後ろから来た人が、すぐに私を追い抜いて行った。
 こんな歩き方では、到底最終便には間に合わない。とすれば、さらに2時間かけて、ロープウエイわきの登山道を降りることになるのか。

 必死に脚をたたきながら歩を進めていると、次第に痛みは治まってきて、再び普通に歩けるようになってきた。ありがたや。
 ただ油断できないのは、この道は意外に登り下りがあって、その対応で、再び脚の筋肉がけいれんするかもしれないということだ。
 歩幅をさらに小さくして、無理しないように歩いて行く、途中で立ったまま休んでは残り少ない水を飲んだ。

 3年前に(’12.7.31の項参照)、南アルプスは北岳の大樺沢雪渓を上がって八本歯のコルに着くころに、ひどく脚がつって、しばらく歩けずに休んでいたことがあったが、その時に北岳山荘診療所に来ていた医師から、原因は脚を冷やしたことと水分の補給が足りなかったことだと言われて、それなりに注意はしていたのだが。
 ともかく、そのまま歩き続けて、やがてロープウエイ駅が見え、観光客の声が聞こえる遊歩道に戻った来て、やっと一安心して、最終便よりは1時間前のロープウエイに乗ることができたのだ。
 一月半もの間が空いての登山だというのに、いきなりコースタイム10時間もの歩行をするなんて、年よりらしからぬ無理をして・・・、

 旭岳温泉のお湯につかって、汗を流し体をもみほぐしては、疲れが取れていくようだった。
 今日も民宿に泊まるべく、クルマで向かう西の空は、夕焼けに染まっていた。
 今日の山を思い返しては、幸せな気持ちになった。

 昨日の宿には、もう一人、就職先が決まっているという大学4年生の男の子が泊まっていて、私の世代に近い民宿の宿主を交えて、三人でいろいろと話をした。
 宿主が言うには、昔は一人旅の出会いを楽しむ若者が多かったのに、今では個室を選んで泊まり、手間のかかるやっかいな客が多くなったし、中には旅に来ていて退屈でやることがないと言う若者もいて、人生の限りある時間を何と思っているのだろうと憤(いきどお)っていた。
 同席していた彼は、そんな私たち年寄りの話を真剣に聞いてはいたが、最後に、「私には、お二人のように好きなものや趣味と呼べるものがないけれども、何かいいものはないでしょうか」とおずおずと尋ねてきた。

 宿主が答えて言った。「自分の好きなことを突き詰めていけば、いつかそれが人生を通じて君の求めるものになっていくだろうし、ただそれを趣味とかいう遊び半分なもののように呼ばないほうがいいいと思うよ。」
 そして、私は、いつもと同じように、あのベルナルド・ベルトリッチ監督の映画『1900年』の中で、大地主の初老の男が、小作人のせがれを捕まえて、吐き捨てるように言った言葉をそのままに伝えた。
 「わしはお前が盗みたくなるようなものは何でも持っているが、しかし一つ足りないものがある。くやしいことに、お前はただのケチなドロボーだが、しかしわしにはない、まだこれからのあふれんばかりの未来を持っている。」 
 
 そのことと考え併せて、もう若者ではない年寄りの私は思うのだ。
 これも前に書いたことがある、あのフランスの哲学者アランの言葉であるが。

「悲観主義は気分に属し、楽観主義は意思に属する。」

「楽観主義は誓いを要求するものであり、・・・幸福になることを誓わねばならぬ。」

「わたしたちはなにもしないでいると、たちまち、ひとりでに不幸をつくることになるから・・・。退屈が何よりの証拠である。」 

(『幸福論』 アラン著 白井健三郎訳 集英社文庫)

 晴れの日が続く天気予報で、私は翌日も、別なルートで山に登って、再び大雪山の紅葉を楽しもうと思っていた。

 次回へと続く。 

 


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