ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(101)

2009-04-18 17:56:16 | Weblog



4月18日
 快晴の空が広がっている。ワタシは飼い主を促して、朝から散歩に行く。暑くも寒くもない、今の季節が、やはり一番気持ちが良い。
 風はそよそよと、新緑の梢を揺らし、青空に映えて美しい。ウグイスの声が、のどやかに、長く伸びて聞こえる。
 岩の上にあがり、高みから辺りを見下ろす。他に何かいないか、音はしていないかと耳を澄ます。さらに、青々と茂った草を、少し食べる。たまり水を、ペロペロとなめて、さて一休みだ。
 そんなワタシを待っていて、しびれを切らした飼い主は、先に帰ってしまったが、まあそれでいい。 春の日差しの中、草むらの中で、しばらくのんびりとしていよう。

 「天気の良い日は、どうして、こうも気分が良いのだろう。そして、青空の下、家の周りの新緑の色合いが、キラキラと輝き、私の瞳を通して、体中に広がっていくようだ。
 こんな日の朝には、あのやさしい音楽を、ハイドンの曲を聴くとしよう。CDをセットすると、部屋の中に、初期の交響曲の一つの、穏やかな調べが流れていく。やっぱり、ハイドンは、いいなあと思う。

 フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732~1809)は、神聖ローマ帝国内のハプスブルグ家・オーストリアの、小さな村の貧しい家に生まれた。少年時代は、ウィーン聖歌隊に所属し、その後、34歳の時から58歳の時までを、西ハンガリーのエステルハージ公に、宮廷楽長として仕えた。
 しかし、ニコラス・エステルハージ公の死後、楽長の職を離れてから、二度にわたりイギリスのロンドンを訪れて、著名な音楽家として大歓迎を受けた。そして、再び、請われてエステルハージ家の楽長に戻った時期もあったが、病に倒れて、76歳で亡くなっている。
 ヨーロッパ中に、その名が知られた大音楽家であったにもかかわらず、実直で飾らない人柄が誰からも愛され、”パパ”ハイドンと呼ばれていたという。彼は、同時代のモーツァルトを、最高の音楽家だと讃え、さらに、若きベートーヴェンの才能さえも認めていたのだ。


 ハイドンは、エステルハージ宮廷のために演奏する、わずか20人ほどの小さなオーケストラの、楽長として仕えていたのだが、そんな長い宮仕えの歳月の中で、書き綴ってきた交響曲は、前任地のボヘミアでの分も入れると、92番まで数えられる。その後、楽長の職を離れてからの、ロンドン交響曲と呼ばれる後期のものを加えて、彼の作曲した交響曲は、全部で104番までということになる。
 他にも、オペラから声楽曲、さらに、これまた80曲をこえる弦楽四重奏曲を含む、様々な室内楽に至るまで、実に数多くの曲を書き残している。
 天才であったモーツァルトが、36歳の若さで亡くなっていることを思えば、確かに、その倍の歳月を生きたハイドンであったからこそ、これらの音楽が作られたのだ、と言えるのかもしれない。
 後世の私たちは、あのモーツァルトの夭折(ようせつ)を嘆く一方では、ハイドンの長命であったことの幸運を喜ぶべきであろう。

 聴いていたCDは、その1番から104番までのすべてを収めた、交響曲全集(アンタル・ドラティ指揮 フィルハーモニア・フンガリカ、DECCA 33枚組 没後200年記念盤、6,990円、写真上)からの一枚である。
 このドラティ指揮のものを、昔、レコード盤で買って聞いていた。1セット、5~6枚組で、9セットもあり、とても全部買えるはずもなく、2セットだけだったが、価格は、6枚組の廉価盤もので、8,100円。今、すっかり安くなったこのCDの値段と比べれば、隔世の感がある。
 しかし、この輸入盤レコードは、当時、その素晴らしい音質で評価の高かった、イギリス・DECCAのもので、、あのボスコフスキー指揮のモーツァルトとともに、未だに手元に置いてある。

 私は、音楽評論家ではないのだから、1956年の、あのハンガリー動乱で亡命した音楽家たちで編成された、このフィルハーモニア・フンガリカの演奏(録音は1969年から1972年)について、現代のフル・オーケストラや古楽器オーケストラと比較してなど、細かいところを、あれこれ講釈しても始まらない。
 ただ、すべての曲のそれぞれが、ハイドンの職人技とも言える意匠をこらしたものであり、その見事な音の流れに身を任せるだけで、私は、幸せな気持ちになれるのだ。このCDボックス・セットが、今年の今までの中で、最高の買い物であったことは確かである。

 もうひとつあげたいのは、前にも書いたことのある(12月13日と18日の項)、ハイドンのCDセットの一点である。
 ハイドン弦楽四重奏曲 作品64,76,77 モザイク弦楽四重奏団 (naiveレーベル 5枚組、5,390円、写真下)。
 今回のCDボックスのカバー絵は、トルコ風衣装に身を包んで座る、若い男の肖像画である。前回のカバー絵(コヴェントリー伯妃 メアリー・ガニング)とは、対になるものかもしれないが、『長椅子に座る紳士』という題名が記されているだけで、詳しいことは分からない。
  中の、それぞれのCDケース・カバーは、これまた見事な、リオタールやワトー、ブーシェなどのスケッチ・デッサン集である。
 演奏は、前回書いたのと同じように、素晴らしい。それまで聴いていたタートライSQ(弦楽四重奏団)やコダーイSQ、ウェラーSQのものと比べて、ピリオド(古)楽器の響きもあってか、新鮮に聞こえてくる。
 
 ハイドンは、音楽史の中では、バロックから古典派に変わった時代の、最初の偉大な一人として、記憶されているだけで、後ろにモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトと続くだけに、その音楽は、あまり重要視されてはいなかった。
 しかし、今、この二つのCDセット聴きながら思うのは、ハイドンの人柄を映すような、そのたおやかな音の流れについてである。
 自分の宮仕えの音楽家としての仕事を、主人の趣向にかなうように、実直に務めあげながらも、その仕事の中に、己の喜びと、音楽の真実を見つけていくこと・・・。
 一方、モーツァルトとベートーヴェンは、宮廷音楽家としての、安定した地位を求めながらも、己の誇りと強い自負心のために、辛い境遇の中で、ひとりで闘い反抗し続けて、音楽家として生涯を終えることになった。しかし、彼らのその苦闘ゆえにこそ、数々の名曲が生み出された、ともいえるのだが。
 さらに、私の思いは、前に4回にわたって書いてきた(3月28日~4月8日の項)、あの岩佐又兵衛のところにまで、さかのぼっていく。
 つまり、そこには様々な人生があり、様々な歓喜と悲哀があったのだと、誰しも、そんなふうに・・・。


参考文献 『大作曲家の生涯』(H・ショーンバーグ、共同通信社)、『名曲大辞典』(音楽之友社)、ウィキペディア他のウェブサイト。


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