ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(99)

2010-05-16 19:43:09 | Weblog



5月16日

 拝啓 ミャオ様

 まだまだ、朝夕は寒くて、ストーヴの薪を燃やす毎日である。二三日前までは、最高気温が8度位までしか上がらない日々が続き、そのうちの一日は、朝のうちにミゾレが降り続いて、辺りが白くなったほどだ。
 そういえば大分前のことだが、近くの農家のおじいさんから、今頃の季節についての話を聞いたことがある。
 「山がまだ白いうちは、安心できない。雪が降ったり、霜が降りたりすることもあるからな。」

 その山々、十勝平野から見る日高山脈は、あの三日前に降った雪で、さらに白く輝いている。いつもの連休の頃の、雪山の景色である。

 昨日の朝、起きてみると、辺りは一面の深い霧の中だった。天気予報では、高気圧が張り出してきて、全道的にお日様マークがついている。登山者も増える土曜日だけれども、こんな日に山に行かない手はない。
 クルマに乗って家を出て、霧の中を、ゆっくりと走って行く。しかしその霧も、山すそに近づく辺りから、次第に取れ始めて、青空の中に、山々の鮮やかな白い頂が見えてきた。
 林道に入ると、道の脇に少しだけ雪が残っていたが、橋を渡り、大きなカーブを曲がると、もう道いっぱいに雪が残っていて、そこには新しいタイヤのあとがついていた。
 タイヤの大きさから見れば、大型の四駆(よんく)のクルマだろう。同じ四駆とはいえ、私の中型車ではとてもムリだ。道端にクルマを停めて、そこから歩き始めた。

 家を出るのが少し遅かった上に、これでは余分な林道歩きの時間がかかってしまい、天気の良いうちに、頂上まで行けるかと心配になってきた。しかし、今は快晴の空が広がり、木々の上に、白い伏見岳(1792m)と妙敷山(おしきやま、1731m)が並んで見えている。何としても登りたいと思う。
 15分ほど歩いた所に、大型四駆のクルマが二台停まっていた。その先の道は、もう道路いっぱいに厚い雪が残っていて、そこから、幾つかの登山靴の跡がついてる。
 その跡をたどって行くと、さらに15分ほどで、広い沢を横切るカーブの所に来た。今までに何度も通っているから、地形は良く分かっているし、妙敷山に登るならば、ここからだ。

 この二つ並んだ伏見岳と妙敷山は、いずれも日高山脈主峰群の眺めが素晴らしく、伏見岳の方には夏道がつけられていて、登山口までの取り付きも簡単であり、人気のある山である。
 一方の、妙敷山には道はなく、沢登りで行くか、あるいは雪のある時に登る他はない。
 伏見岳の方には何回も登っているし、妙敷山にも、雪の時期に三回登っているが、今回のコースも、下りに利用したことがある。

 出発前の計画では、以前にたどったように、伏見に登って、妙敷へと縦走して、この沢へと降りてくるつもりだった。しかし、伏見への登山口へはさらに、ここからまだ25分くらいはかかるだろう。つまり、普通の今の時期なら、雪が消えていて、登山口までクルマで行けるのに、それができずに、結局1時間近くの、林道歩きの往復をしなければならないのだ。
 それで、今回はここから上がって、妙敷山だけを目指すことにした。

 100mほど沢をたどり、左から降りてきた林道跡に上がる。しかしその道は、斜面と一緒になって雪に埋もれている。それならと、浅い沢状になった急斜面を登って行くことにする。
 残雪期の山へ取り付くには、なるべく日の当たらない沢状のところを詰めて行くのが普通だ。雪崩の恐れさえなければ、雪が固く締まって歩きやすいからだ。去年のカムイ岳への取り付きもそうだった(’09.5.17,19,21の項)。

 アイゼンをつけて、標高差300mの急斜面を登ってい行く。ヒグマはもとより、シカの足跡さえない。ガシガシというアイゼンのツメ音と、私の息づかいの音だけだ。
 振り返ると、木々の間に、青空を背景にして白い伏見岳の姿が美しい。
 やがて、あえぎながらやっとのことで、妙敷山の北尾根に出た。さて、ここからは、長々と伸びる雪堤(せきてい、せっぴが発達して、堤状に連続するもの)が、標高差800mほどの頂上へと続いている。
 その雪の上に、私は何と、左側から来て頂上へと向かう、まだ新しい足跡を見つけた。

 アイゼンをつけていない、ビブラム(イタリア有名ゴム社)底の登山靴で、その大きさと歩幅から見れば、私よりは少し背が低いくらいで、若くはない男の単独行者らしかった。
 それにしても、どこから登ってきたのだろう。クルマはどこに置いているのだろう。どのくらい先にいるのだろう。
 もっとも、この時期に、余り有名でもないこの山に、滅多に利用されないこのルートをたどって、ひとりで登るくらいの人だから、それは私とて同じことなのだが、本当に山が好きな人だろうと思った。

 日本においては、単独行の登山は、公には建前上、なるべく一人で行かないようにと勧告される。もし一人きりで遭難した場合の、死の危険性と、遭難したことによる関係各位への莫大な迷惑を考え合わせての、事前予防ということで、警告されるのだ。
 しかし、このことについては、決して一致することのない賛否両論がある。無謀な行動をあらかじめ止めてくれ、心配する親心に応えるべきだと賛同する意見と、個人の感性・行動にまで立ち入るべきではない、と反対する意見に分かれるだろう。

 そこで、ある話を一つ。若き日のオーストラリア旅行で、アデレード近郊の切り立った海岸を見に行った時、その岬に向かう道には立て札があって、そこには、『危険、行くならリスクを覚悟で』と書いてあった。
 もし、日本の同じような所なら、恐らく、『危険、立ち入り禁止』と書いてあることだろう。

 あの名著『単独行』で有名な、加藤文太郎は、植村直己と伴に日本最強の単独行登山家であるが、彼は『単独行について』という短い文章の中で、次のように述べている。
 「もし登山が自然から色々の知識を得て、それによって自然の中から慰安が求められるものとするならば、単独行こそ最も多くの知識を得ることができ、最も強い慰安が求めえられるのではなかろうか。
 なぜなら、友と伴に山に行く時は時折山を見ることを忘れるであろうが、ひとりで山や谷をさすらう時は一木一石にも心を惹かれないものはないのである。」(『日本の名随筆 山』 北杜夫編 作品社)

 何はともあれ、山が好きであるから、山に登るのであり、一人で行くのは、たまたまの状況から始まった習慣でもあり、もともと心にあった山の静かな自然の中にひとりいたいという気持ちとが、入り混じってそうなったのかも知れない。

 目の前には、尾根の東側に張り出した雪堤がゆるやかに続いていて、上部で急傾斜になり、妙敷山頂上稜線につながっている。
 この尾根の木々の間から、西側には白い三角形の伏見岳が見えている。振り返ると、登ってきた雪堤の彼方に、木々に被われ岩稜(がんりょう)が連なる剣山(1205m)が見え、その左手には、芽室岳(1754m)の白い二つのピークが見える。
 上空には、雲ひとつない青空が広がり、下の林の方から、ルリビタキやウソの鳴く声が谷間にこだましていた。

 急傾斜になる所で、先行者に追いついた。私よりは若いが、笑顔がいっぱいの中年の男だった。
 下に停めてあった、二台のクルマの一つが彼のクルマであり、たまたまそこで追いついた、もう一台のクルマの三人は、伏見岳の方に向かったとのことだった。
 彼がこの尾根へ取り付いたのは、私が入ったもう一つ手前の小沢とのことで、これですべての疑問は解消した。

 さて私は、相変わらず重たいカメラを首から提げて、時々写真を撮るので、そのまま彼の後から、少し間を開けて、登って行くことにした。そうして、先行する彼のステップを利用させてもらうことにもなり、ありがたく礼を言った。
 雪の表面は、気温が上がりグズグズになって潜り込みやすく、先を行けば、その分疲れるのだが、そのかわり、前方に広がる足跡一つない雪面を見て行くことができる。
 写真を撮る私としては、先を行きたかったが、彼よりは年寄りのグウタラな私だから、結局は後の方で良かったのだ。

 頂上からの稜線に出て、最後の斜面を登って行く。左手には十勝幌尻岳(1846m)から始まって、札内岳(1895m)とエサオマントッタベツ岳(1902m)が相並んでいる(写真)。その後ろには少し雲が出ていたが、山々にかかるほどではなかった。
 斜面の木々が途切れて、30cmほどの新たな雪が降り積もった、白い山稜を登ると(写真下)、頂上だった。車を降りてから、6時間近くもかかっていた。

 見慣れてはいるが、それでも見飽きることのない、日高山脈核心部の大展望だった。エサオマンの右手には、去年登ったカムイ岳(1756m)と1780m峰、そして日高幌尻岳(2052m)、戸蔦別岳(1959m)、北戸蔦別岳(1912m)、1967m峰、ピパイロ岳(1917m)の主峰群が並び、さらに北へとチロロ岳(1880m)、1726m峰、芽室岳などが続き、それらの山々の後には、あの十勝岳連峰、大雪連峰、ニペソツ、ウペペサンケなどが見え、遠く東方には阿寒の山がかすんでいる。
 何よりもこの快晴の天気が、頂上に着くまで、さらにこの一日中続いてくれたことがありがたい。
 
 彼をそのまま残して、厚い雪に被われた山頂から、少し東側に降りたハイマツの斜面で、温かい日差しを浴びながら、横になって、日高の山々を眺めていた。殆んどが、私の登った山々だった。
 風もなく、遠くでかすかに鳥の鳴く声が聞こえていた。晴れ渡った空が続くのに、心任せて、1時間半ほども頂上にいた。

 さてと立ち上がり、頂上に戻り、後はただひたすらに下るだけだった。時々深くはまり込むことがあっても、大またで雪の斜面をずんずんと下り、時には尻セード(お尻をついてすべる)で滑り降り、あっという間に尾根末端に、そして古い林道をたどり、クルマの所に戻り着いた。
 下りは、わずか、1時間半ほどだった。

 近くの国民宿舎の風呂に入り、さっぱリとした気分になって、シルエットになって暮れなずむ日高山脈を眺めながら、家へと帰って行く。
 良い天気の日に、良い山に登れたことは、なんという幸せだろう。北海道に戻ってきての、前回前々回の登山が、十分な展望の成果を得られなかっただけに、今回はなおさらに、心地よい満足感に満たされているのだ。

 ああ、生きていて良かった。ありがとう、かあさん。そして、ありがとね、ミャオ。


                                          飼い主より 敬具


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