ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

大雪の朝

2015-11-30 20:27:12 | Weblog



 11月30日

 一週間前のこのブログに書いていたように、その天気予報通りに、次の日には雪が降った。
 翌日、朝の積雪は、15cm~20cmで、雪の少ない十勝地方の11月としては、かなり多い積雪量であり、表の道まで50mほどあるのだが、雪スコップで道を開けるための雪かき(北海道では雪はねとも言う)に、1時間半ほどかかかった。
 さすがに汗びっしょりかいて、もっともそれだから、その後に家に戻って、暖かいストーヴのそばで一休みするのが、楽しみになる。

 しかし、その次の日もまた雪になって、夜になってもまだ降り続いていた。
 夜中にかけて、家の周りのあちこちで、”ドシン、ドシン”という音が響いていた。
 ”なまはげ”姿の冬の大鬼たちが、家の周りを歩き回っているような・・・。
 ”悪い大人は、いねかー。ぐうたらで、無精者の大人は、いねかー。” とふれまわっているような・・・。
 そこで思い出したのは、宮沢賢治の詩の一編。

 「今日は一日あかるくてにぎやかなゆきふりです。
  ひるすぎてから
  わたしのうちのまわりを
  巨(おお)きな重いあしおとが
  幾度ともなく行きすぎました。

  わたしはそのたびごとに
  もう一年も返事を書かない
  あなたがたずねてきたのだと
  じぶんでじぶんに教えたのです。

  そしてまったく
  それはあなたのまたわれわれの足音でした。

  なぜならそれは
  いっぱいに積んだ梢(こずえ)の雪が
  地面の雪に落ちるのでしたから。」

 (宮沢賢治 作品第1004番)

 翌日の朝、窓を開けて見た朝の光景。また新たな雪が50cmほども積もっていた。(写真上)

 それは、2シーズン続けて、冬の間もここにいた時の、春先の大雪の光景に似ていた。
 二日間、併せて70cmほどの湿った雪が降って、木々の枝先がしなっていた。
 何より、急こう配の屋根から少しづつ滑り落ちてきた雪が、目の前に垂れ下がり、そしてその軒下に溜まり積もって、1m以上もの高さになっていた。

 午後になって日が差してきて、それでも気温はやっと+2度までしか上がらない。
 まず玄関から車庫まで、さらに表の道までの雪かきを始めたのだが、深さ50cm~70cmもある湿った雪を、雪スコップですくいとって放り投げていくのは、やはり重労働であり、前日に珍しく腹に来る風邪にかかっていたこともあって、体調が今一つだった私には、そう無理はできない状況だった。
 1時間余り、全体の3分の1ほどを終えたところで、残りは明日に、体調を見てからにしようと思った。
 ということは、家への道が空いていないことになり、明日までは誰も家には来られないということだ。
 そこには、大雪で家に閉じこもることの、不安感と妙な安心感があるのだが・・・。

 そして次の日は、朝から快晴で、雪の日高山脈が”モルゲンロート”の朝焼けに映えていて、急いでカメラを持って外に出た。昨日除雪していなかったことを悔やんだが、仕方ない、後は冬山ふうに雪をかきわけ”ラッセル”して行くだけのことだ。
 ところが、車庫からの道は、表の道までまっすぐに開いていた。
 誰かが、除雪してくれていたのだ。



 何とありがたいことだろう。
 おそらくは隣の農家の人が、夕方にかけて(4時前に陽が沈むから、もう夜なのかもしれないが)、トラクターを乗り入れて、きれいに除雪してくれていたのだ。
 
 私はその時、テレビを見ていて、外で少しトラクターの走って行く音がしたのを聞いたような気はしたのだが、家に入ってくる道を除雪してくれているとは思わなかったのだ。その時にすぐに出て行って、礼を言うべきだったのに・・・。
 私が、2シーズン続けての冬を過ごした時にも、こうした大雪の時には、彼がトラクターで来てくれて、あっという間に道を開けてくれて、どれほど助かったことだろう。
 もっとも今年の場合は、こんなに雪が積もるとは思わずに、ぐずぐずとここから出発できずにいた私が悪いのだが、それでも彼はまだ私がいることを気にしていてくれて、困らないようにと、何も言わずにまず道を開けてくれたのだ。
 北海道の男たちは、いつでも黙って、”高倉健さん”なのだ。

 私はその時、家の中にいて、あのフィギュアスケート長野大会の男子フリーの模様を、テレビを見ていたのだ。
 それも、羽生弓弦選手の圧倒的な滑りと演技に(アナウンサーが思わず”別次元”の世界ですと叫んだように)、かたずをのんで見守っていたのだが、いつしかもう彼の作り出す世界に引き込まれていたのだ。
 そして、4回転ジャンプを終えた後での、ステップシークエンスで、日本映画『陰陽師(おんみょうじ)』(2001年)からの音楽(梅林茂作曲)に乗って、(その日本的な音楽にこだわった彼の思い)、なめらかにあやしく、ただひたすらに滑る姿は、まさに見ている私の胸に迫りくるほどだった。
 それはまた、あの2006年のトリノ五輪で、荒川静香選手が、プッチーニのオペラ『トゥーランドット』の中の有名なアリアからの演奏に乗って、滑らかに美しく、ただひたむきに滑る姿に(その時、母の死から間もないこともあって、私は、不覚にも涙したのだが)重なって、思い出してしまったのだ。
 ひたむきな姿は、誰の心をも打つものなのだ。
 羽生選手の世界最高得点というのも、まさにそうして感じていた人々の想いの結果だったのだろう。
 
 しかし、その時、外でトラクターに乗って除雪作業をしていた彼は、オンタイムでこの時の羽生選手のテレビは見られなかったのだ。
 隣の、哀れなじいさんのために、除雪しておいてやろうとだけ思って、ひたすらに・・・。 

 さて、私は様々な思いに駆られながらも、その除雪された道を歩いて、表通りに出た。
 それは、素晴らしい快晴の朝だった。中空にかかる残月の下に、雪に彩られた日高山脈の山々が、朝の赤い光を浴びて立ち並んでいた。(写真下)



 こんなに晴れた日には、この”モルゲンロート”の朝焼けの楽しみの後にも、まだまだ雪の雪原歩きの楽しみがある。
 朝食をすませてしばらくのんびりした後、私は冬用長靴にスノーシューをつけて、林を抜けて、丘のほうへとゆるやかに登って行った。
 (この時の、丘陵地帯への”ワンダリング”、さまよい歩きについては、また別な日に書くことにする。)

 ともかく私は、ここにいてこそ味わえる冬の雪景色の一端を、先取りする形で楽しむことができたのだ。
 それも前回書いたように、九州への出発を、事情があって先延ばしせざる得なかった代わりに得た、実にありがたいひと時だったのだ。
 確かに悪いことがあれば、良いこともあるし、さらにそのままでは終わらずに、まるで連関していくように、また悪いことも起きるのだ。
 それは、この十勝地方には珍しい11月の大雪に対して、私は何らの対策も立てずに、もう九州に戻るのだからと、少しのんびりと構えていたがゆえに、不都合な真実が起きたのである。
 もちろん、それは雪かきに始まるのだが、その雪が最初は湿った雪だったものが、寒さが厳しくて、毎日-5度から-10度ぐらいにまで下がるものだから、屋根に積もった雪がそのまま厚く凍りついて、垂れ下がっているのだ。
 まだいろいろと他の仕事があり、こんな時期から、軒下にうず高く積もった雪のそばを通らなければならない私には、極めて危険な状態になっていたのだ。(北海道では、毎年のようにこの屋根からの落雪で死者が出ているくらいなのだ。)

 そして数日前、上に書いたようにお腹にくる風邪をひいていた私は、夜に突然の腹痛でトイレに(というより便所だが、それは自分で作った小屋の一角にある簡易便所と呼んだほうがふさわしい所なのだが)、あわてて駆け込みたくなったのだ。
 そして急いで玄関のドアを開け、さらに軒下の乱れ固まった雪のそばを通って、便所にまで行かなければならない距離の遠さ・・・身をよじりながら、ああ、もう出る出る、生まれるー。
 ぎりぎりがまんすることのマゾヒスティックな苦しみの喜悦(きえつ)と、すべてをこのまま吐き出してしまいたい、あの開放感の悦(よろこ)びへの狭間(はざま)にあって、私は果たして、無事にたどり着くことができたのだろうか・・・。ああ、無情!
 
 ともかく、九州への出発を延ばしたことで、美しい雪景色には出会えたけれども、こうしてトイレに行くのが大問題になるし、まだまだ他にも、雪の中での井戸ポンプの取り外し作業や、そのための溜め置き水での洗い物、他の小屋の打ち付け封鎖作業に、生ごみ処理など、いろいろと余計な手間がかかることになってしまったのだ。
 それらのことは、冬を通してずっといるつもりだったのなら、それ相応の準備をしていて、それほど大変な作業にはならなかったのだろうが。
 人は予期しなかったことに出会うと、いつもうろたえ慌てるものだが、かといって、日ごろからすべてのものへの対応に気を配っておくというのも、またそれはそれで落ち着かなく気ぜわしいものだ。

 つまり、日常の毎日で、ある程度は予測していても結局はいつも予測できないことが起こり、結局は行き当たりばったりになり、よく言えば臨機応変(りんきおうへん)ということになるのだろうが、ともかくその日暮らしで生きているというのが、本当の所ではないのだろうか。
 偶然も運命も、幸運も不運も、すべて込みでのその人の人生なのだし、ただその幸運を、疑いもなく満面の笑みで迎えるのか、あるいは微笑を浮かべながら、不運の芽がひそんでいるかもしれないことにいつも身構えておくのか、あるいは不運に出会って、嘆き恨んでばかりいるのか、それともそこに小さな幸運の芽があることを見つけようとするのか、そのことで、人生の楽しみ方に差が出てくるのかもしれない。

 今回、九州に帰るに帰れなくなっている私には、あらめて自然の脅威を思い知らされたこともあり、まだまだ学ぶべきこともあったのだが、一方では、もちろんあの雪の山々の姿を目の当たりにできたことにもなり、それがここにいたがゆえの、大自然からのありがたい贈り物だったのだろう。
 私には、それで十分である。
 
 また、明日にかけて雪が降るとのことだが・・・。 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。