ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

密やかな愉しみ

2017-05-01 21:19:47 | Weblog



 5月1日

 連休には、いつも家にいることにしている。
 町も、野山も人であふれているからだ。
 そんなところに出て行くくらいならば、家のベランダの揺り椅子に座って、風に吹かれてきらめく、新緑の庭木を見ていたほうがいい。
 もちろんできるならば、この季節の野山の樹々を見ていたいのだが。
 その連休に入る前の日、朝から快晴の空が広がり、空気は澄んで遠くの山もよく見えていた。
 これは、まさに”渡りに舟”の例え通り、山に行くしかない、おあつらえ向きの日だったのだ。
(もっともその日以降、今日に至るまで快晴の天気が続き、さらには明日もまた快晴の予報なのだが。)

 この”渡りに舟”とは、行かなければならない時に、ちょうど、向こう岸に渡るための船が待ってくれているようなもので、それはまた、やがて私にも最後の時が来て、三途(さんず)の川の河原に下りて、それが三つの試練の場の、どこに振り分けられるかはわからないけれども、ともかくそこで目の前に、あの世へと向かうべく、渡し舟が待ってくれているようなものであり、”ああいい人生だった”と観念して、乗り込むことができればいいのだが。

 さてこのところ、家の周りの山にばかり行っているので、久しぶりにクルマで遠出してみようと思い、九重に行くことも考えたが、そういえば去年の秋に、紅葉の木々に囲まれてひと時を過ごした(’16.11.21の項参照)あの山の、新緑を見てみたいと思ったのだ。
 いざ、とクルマで出かけたのだが、やはり外に出れば気分はいいし、行く途中の、山々の新緑風景も、青空の下ひときわ鮮やかに照り映えていて、どうしても写真に撮りたくなってしまう。(写真上)

 登山口に着いた時には、もう9時半にもなっていたが、もっとも、新緑や紅葉の時期は、朝夕よりは日中のほうが、光に照り映えてきれいだから、絵葉書写真を撮りたい私にとっては、ちょうどよい時間でもあったのだが。
 林道をしばらく歩いて、いよいよ、涸れ沢沿いの登山道を登って行く。 
 もう、ほとんどすべての木が芽吹いていて、薄黄緑から萌黄色(もえぎいろ)が多いのだが、やはりヤマザクラやモミジ、カシの仲間の樹々のような、薄紅色やみかん色などの新緑の葉が混じっていると、その対比模様がきれいで、青空の下の春の山の季節をより鮮やかに実感することができる。

 沢沿いの道から、急斜面の山腹の道になるが、一歩ごとに新しくの木々の形が変わり、あきることはない。
 いったん、台地上の所に出て、そこから白い凝灰岩(ぎょうかいがん)の道を、ジグザグに十曲がりして林を抜け、草地になった稜線の鞍部(あんぶ)に出る。
 汗をかいた体に、心地よい風が吹きつけてくる。
 遠く、九重の山並みが見えている。まあ、どこの山を選んだとしても、今日のこの雲一つない青空の下では、何も言うことはないだろう。
 空と山と、そして私がいて・・・。
 
 一休みをした後、山頂へと向かう。
 最初は左に山稜をたどって、もう二つ向こうの山にまで行くつもりだったのだが、下の登山口にも、そしてこの先に続く尾根の入り口にも、通行できない旨の警告表示が掲げられていて、今ここでその前に立って見たのだが、山頂部からの東面の山体崩壊がひどく、反対側の西斜面も急勾配なだけに、とてもすぐに新たに道を開くことはできないだろうから、もう二度と登れない山になるのかもしれない。
 私は、今までに、冬と春先に二度、縦走したことはあるのだが。
 ともかく、行くことのできる方向にある山への道をたどることにしたのだ。

 花が咲くのは、まだ一カ月先になるミヤマキリシマや、ヤシャブシなどの灌木の間を抜けて、頂上に着く。
 そこには、反対側から登ってきただろうに二三人がいた。
 ちょうど12時になるころで、一休みしただけで、登って来た同じ道を下りて行った。
 この道は、いつも人に会うことの少ない静かなコースなのだ。樹林帯に入り、山腹斜面から、涸れ沢沿いの道を下りて行く。
 もう午後にもなるのに、ルリビタキやコルリの明るいさえずりの声が聞こえていた。
 そして去年、紅葉の木々の中でひと時を過ごした(’16.11.21の項参照)あの場所に戻ってきた。
 朝通った時には、まだ暗い影になった部分もあったが、今の時間帯になると林の中全体に光があふれていて、新緑の林というにふさわしい光景になっていた。(写真下)




 まさに、”・・・もえいづる春になりにけるかも”(『万葉集』1418 志貴皇子)といった光景だった。
 ここで、去年の秋の時と同じように、鳥の鳴き声とともにひと時を過ごし、さらに周囲に点在するヤマザクラを見るために、何度か道を外れて、山腹斜面を上り下りしては、新たな景色を楽しみ、その幾つかを写真に収めた。(写真下)
 ”思い出は心のフィルムに焼き付けて”という、賢者(けんじゃ)の言葉が繰り返し言われているけれども、いかんせん、私は、そんな美辞麗句(びじれいく)が何十年先までも続くものではなく、非現実的なものだと知っているからこそ、私は目の前のきれいな風景を、いつも私だけにわかる絵葉書写真として、撮り残しておきたいと思うのだ。




 こうした人目に触れないような、山中の景観こそが、最近、特に私が好むようになってきたものであり、まさに”木を見ずして森を見る”という鑑賞法から、次第に”森を見ずして木を見る”方向へと変わってきているのかもしれない。
 じじい好みの、ものの見かたや考え方が悪いというわけではないが、人は年相応に、自分の環境の中で、満足できるものを見出そうとするものなのだろう。
 さしずめ、今の私の好みは、”じじいだけの密(ひそ)やかな愉(たの)しみ”になっているのかもしれない。
 
 そういえば、あのルイス・ブニュエルの映画で『ブルジョワジーの秘(ひそ)やかな愉しみ』(1972年、仏・スペイン)という映画があった。
 晩餐(ばんさん)会に招かれた6人の紳士淑女が、何かの手違いでなかなか食事にありつけず、夢の中での舞台などが入り混じり、司教が殺人者の庭師の告解を聞いて、銃の引き金を引いたりと、同じスペインの画家ゴヤの描いた絵のように、空虚な貴族社会の一断面を描きながら、さらには宗教の本質までをも暴(あば)き、暗い笑いに満ちた、極彩色の混濁といった映画だったが、もっともブニュエル自身が、本来はシュールレアリスト(超現実主義者)としての映画作家であり、あの衝撃的な『アンダルシアの犬』(1928年、画家ダリとの共同脚本)から出発したことからもわかるように、彼の映画監督歴を見れば、まさにブニュエルらしい作品だともいえるものなのだが、今の制作資本主義の映画界では決して作られない映画だろうし、この映画が作られたころまでは、20世紀初頭からの、あのシュールなそしてアナーキー(無政府主義的)な芸術風潮が、まだ生き残っていた時代だったのだ。

 そして、さらに翌年、マルコ・フェレーリ監督による映画『最後の晩餐』(1973年、仏・イタリア)が公開されたが、それは食道楽の趣味で結ばれた中年男の4人が、食欲・性欲のかぎりをつくし、嘔吐(おうと)排せつ物の中で死んでいくという、まさに荒唐無稽(こうとうむけい)で退廃的な話の、日本では考えられないような映画であり、もう二度と見たくはない映画でもあるが、しかし、私が食道楽、グルメではなく、毎日をありあわせのものだけですませる粗食を旨(むね)として、質素な生活を送っているのは、一つには、反面教師としてのこうした映画を見たからなのかもしれない。
 ただ映画としての作りは悪くはないし、さらに唯一救いになったのは、豪華な演技派俳優陣の組み合わせだった。
 マルチェロ・マストロヤンニ(『ひまわり』『甘い生活』)、ウーゴ・トニヤッティ(『女王蜂』『豚小屋』)、ミシェル・ピコリ(『昼顔』『美しき諍い女』)、フィリップ・ノワレ(『地下鉄のザジ』『ニュー・シネマ・パラダイス』)。
 
 私は、今のコンピューター・グラフィックス作画による大作映画などは見たくないし、ただありがたいことに、これまでに作られた数多くの名作映画があり、そんな昔の映画を見ていれば、今でも時を越えて、映画芸術の世界を十分に堪能(たんのう)できると思っている。
 それは、文学の世界においても、私が新しい小説は読まずに、古典の世界にだけはまり込んでいるのと同じことなのかもしれない。
 
 そして音楽は、もちろんクラッシック音楽なのだが、数年前から、そこにAKB・乃木坂の音楽が入り込んできていて、それはどう説明すればいいのだろうか。
 もっとも、そのAKB・乃木坂に関する思いは、一時と比べれば、明らかに少し冷めてきたというべきか。
 それは最初から、孫娘のようなメンバーの娘たちがかわいいからというよりは、秋元康の作詞と彼が選んだ作曲家による歌が気に入ったからだったのに、最近の歌は、とても前のように録画して、何度も聞きたいとは思わなくなってきたのだ。

 はっきり言えば、秋元康による曲作りに、新鮮さが感じられなくなったということだ。
 AKBの歌の頂点は、もう何度も言っていることだが、まだ私がAKBを好きになる前の、つまり後になってテレビで見ては聞いた曲なのだが、『UZA(ウザ)』をおいて他にない。
 もちろん、その後に広い世代から受け入れられた、あの『恋するフォーチュンクッキー』や『365日の紙飛行機』のような国民歌があるとしてもだ。
 乃木坂も、後で知った『君の名は希望』から、『バレッタ』『何度目の青空か』そして2年半前の『命は美しい』辺りまでが、今でもクルマの中で聞いている曲なのだ。
 まあそうして、AKB・乃木坂の歌も、私の頭の中では、昔の歌だけを”古典”として聞き続けていることになるのだろうか。

 またしても、本題の新緑・ヤマザクラの話から、すっかりわき道にそれて、久しぶりにAKBの話にまで行ってしまったが、それもじじいの気まぐれゆえと、お許し願い、最後に、新緑の風景に戻ることにして・・・先ほどの場所の林の中で、目で木を追っていて、真上を振り仰いで見た時の光景を一枚。(写真下)
 名残(なご)りのヤマザクラと新緑の樹々・・・。ありがとう。



  

  


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