ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

シャクナゲのつぼみ

2015-04-06 21:10:54 | Weblog

 4月6日

 晴れた日が1週間ほども続いた後、今度は曇り空に時々小雨という日が、もう数日も続いている。
 天気が悪いのに、気温は高く、朝から15度余りもあり、そして日中には20度以上にまで上がっている。日も差していないのに。
 そうした暖かさの中で、まして温かい雨でたっぷりとうるおった草花や木々たちは、いっせいにうごめき始めたようだ。
 あの、ストラヴィンスキーの名曲『春の祭典』の、出だしの力強く刻まれるリズムにのっていくかのように・・・。
 (テレビでおなじみの脳科学者茂木先生が出題する、”アハ体験”の写真のように)、じっと見ていればわからなくても、時間をおいて見れば一目瞭然(りょうぜん)に変化している、庭の景観・・・。(末尾の写真参照)

 庭のブンゴウメの花は散ってしまい、かすかに残るその梅の香の上に、大きく枝を広げたヤマザクラが、今やもう満開に近い白い花々をつけている。
 カツラの木の、小さく並んだ萌木(もえぎ)色の若葉も可愛らしい。
 それぞれの木々にも、小さな若葉の芽吹きが見られる。
 冬を越したシャクナゲの葉さえ、どこか明るさが感じられ、何よりそれらの葉の集まりのただ中に戴(いただ)いているつぼみが、日ごとに大きくなり、中から花びらの赤い色が見えてきて、今でははちきれんばかりにふくらんでいて、もう1日2日で大きくはじけて、あでやかな花が開くことだろう。(写真上)

 こうして、シャクナゲの枝先を冬からずっと見続けていることが、花が咲くまでの何とも待ち遠しい春の楽しみの一つではある。
 冬には、まだ小指の先ほどしかなかったツボミが、それでも冬の日差しを受けて少しずつふくらんでいき、春の暖かい日差しを浴びて、一気に大きくなって、その花びらを押し出すように大きく花開くさまは、いつもの春の光景だが、何度見てもあきることはない。

「年経(へ)れば 齢(よわい)は老いぬ しかはあれど 花をし見れば 物思いもなし」  (前太政大臣 藤原良房)

(『古今和歌集』 巻第一 五十二、河出書房版 『古典名歌集』より)

 時がたてば、誰でも年老いてしまうが、春に咲きはじめた花を見ていれば そうした自分が年寄りになった憂(うれ)いも忘れてしまうほどだ。
 それほどまでに、生き生きとしてあふれいずる生の喜びがあることを、また自分にもあったことを知ることのできる、変わらぬ春のひと時ではある。
 そうした、春に咲く花の、芽吹きの力強さを最も強く感じるものは、このシャクナゲであり、そのツボミから開花までの、目にも鮮やかな生の胎動(たいどう)と躍動感こそは。まさにこの世における生そのもののしるしのようにも思えるのだ。
 まして、自分がその若さのただ中にいる時よりは、むしろ盛りを過ぎて限りある春を知った時にこそ、ひときわ痛切にそのありがたみを感じるものなのだ。

 そして、そのツボミの時から、大きくふくらみ、花の色がのぞき、一気に花開いて、しばらくの間その花びらを広げているが、やがて花弁の一部に茶色いシミがつきはじめ、おしべが取れて、やがて花びらも散ってしまう。
 その一部始終を、年寄りである私は見守り続けるのだ。
 しかし、振り返りわが身を見れば、何もわかってはいなかった若い時には、その花々がまだツボミの時に、面白半分でその中がどうなっているのかともぎ取ってしまったり、花が咲けば咲いたで、その美しさを自分のものにと、素早く摘み取っていたこともあったのだ。 

 今までにも何度か書いたことだが、もうそのころでもすっかりおばあさんになっていた、母と叔母さんの二人を、クルマに乗せて旅行をしていた時に、宿のテレビに映っていた若い男の俳優を見ては、まるで若い娘のようにはしゃいでいたので、私は思わず”いい年をして”と横から茶々を入れたのだが、二人の答えは、テレビ画面から目を離さずに、”いいの、今の自分は置いといてだから”ということだった。
 私も今や、あの時の二人の年に近づいてきていて、年甲斐(としがい)もなくAKBの若い娘たちのファンになっているのだ。
 それでも、私だけではないということを知ったのは、これも前に書いたことだが、しばらく前に確かNHKの『鶴瓶の家族に乾杯!』 だったと思うが、70幾つかにもなる牛飼いのじいさんが、”これからAKBの新曲のCDを買いに行くところだ”と言った時には、思わずうれしくなって手を叩いたほどだった。
 それは、じじいになった負い目を感じながら、1年余り”隠れAKB”ファンとして生きてきた私が、これからはもう世間に、AKBファンであることを”カミングアウト”して、胸を張って生きてゆこうと励まされた一瞬でもあったのだ。

 母と叔母さんがそうであったように、あの牛飼いのじいさんがそうであったように、この私がそうであるように、あのシャクナゲのツボミから花が開くまでを見ることは、さらにAKBの娘たちが生き生きと歌い踊っているのを見ることは、ただ理屈抜きに若く美しいものは心地いいものであり、ただ見ているだけでも、そっと見守っているだけでもどこか心楽しくなるものなのだ。
 それは、今きらめき輝いている青春を見ていることであり、さらにはかつて自分もそうであった青春の思い出として眺めること・・・。

 そこで最近、よく見るようになったAKB関係の、ネット上での情報サイトからの話だが、まずはあの秋葉原の本拠地でもあるAKBの各チームが毎日公演をやっているAKB劇場のことだが、そこでは年に何度か、一般のファン以外に、”遠くに住んでいる人たち向け”や”女性ファン向け”や、何と50歳以上の”シニア向け”の日が用意されているということだ。
 むろん私は行きたいとも思わないが、あのCDを買っている牛飼いのじいさんみたいな人にこそ、見せてあげたい気もする・・・ただ彼は、生き物相手の自分の仕事のために一日も休めはしないのだろうが、もしも行くことができたとしたら、彼は娘たちが踊り歌う舞台を前にして、”ああ観音様、ありがたや”と手を合わせるかもしれない。
 
 ところがこの”シニア向け”の日を設けたことで、若い男の子のファンなのだろうが、その情報サイトに書き込みをしていた。
 ”若い女の子が好きな50代以上の変態じじいの前に、僕らのアイドルをさらしものにするのか”、と劇場の運営に文句をつけていた。さらには”小金を持っているじいさん世代を狙った劇場の運営方針”だからと、さめた見方の書き込みをしている若者たちも多数いた。
 そして、他にもまるでここは掃き溜めかと思うほどに、品位のかけらもない書き込みが多いのだが、年代は不明にしても、前にも書いたように、自分の”推しメン(バー)”のライバルに対するあの”アンチ”と呼ばれる”オタク”たちの、見るに堪えない悪口の数々と同じように、自分好みのメンバーの娘たちに対しての、それ以上に読むに堪えない欲望にぎらついた卑猥(ひわい)な言葉の羅列(られつ)が見られるのだ・・・。
 
 一方で、今や年とともに涸れつつある私たち年寄りには、あの牛飼いのじいさんがそうであるように、AKBの孫娘たちは、若い男の子たちが目の前に見る生身の若い娘としてではなく、つまりそれは若者たちの”会いに行ける生身のアイドル”としてではなく、ただテレビなどで眺めているだけでありがたいアイドルとして、例えて言えば”観音様”や”マリア様”として、現実と夢の狭間(はざま)にある存在になっているのかもしれない。
 もう私でさえ、朝起きた時には、どこが現実でどこが夢なのかわからないヨイヨイの状態があるくらいだから。
 そして、あの情報サイトに”50以上の変態じじい” と書き込んでいた彼が、自分が50歳になった時に何と言うか知りたいものだ。

 ことほどさように、人は環境の差だけではなく、経験の差、年齢の差によって、大きくものの見方考え方が変わってくるということだ。
 こうして、星の数ほどある様々な意見の中で、唯一誰が正しいとか決めつけることはできないが、それでは前に進めないからと、大多数に要約されていくことになり、また少数派は、自分の意見が通らぬという不満を抱えることになるだろう。
 そうしたことは、人類が誕生して集団生活を営み始めた時から生じた問題であり、さらなるストレスの積み重ねの中で生きていくしかないのが、今の現代社会の人々なのだろう。

 だから、そういう所には居たくないという人々が出てくるのも当然のことであり、今でこそそうした都会からの”ドロップアウト”や” Uターン Iターン”や”田舎暮らし” などと、多少飾り立てて呼ばれてはいるが、日本の中世の時代には鴨長明や兼好法師、西行法師などのように、名のある”隠者”と呼ばれる人たちがいたし、中国にはたとえば”竹林の七賢人”と呼ばれる人たちもいたし、ギリシア・ローマ時代には、ソクラテス、プラトーン、アリストテレスという三大哲学者の他に、哲学することを目的にして、一つの家でともに暮らし論じ合っていた人々もいて、彼らは”知を愛する人”フィロソフォス(哲学者の語源)と呼ばれていたのだ。                           
 その中でも有名なのは、”快楽を善”ととらえた”エピクロス学派”と、それに相反するように”理性の力で欲望を抑え、自分を律して倫理的に生きる”ことを目的とした、”ストイック”の語源ともなったゼノン(BC335~263)に代表される”ストア学派”の考え方である。

 しかし、この両者の全く相反するようにも見える哲学的生き方というのは、実は取りつきの考え方が違うだけで、結論的には、これもまた前にも書いたことだが、あのジョン・シュレシンジャー監督の1967年の映画の題名のように”遥か群衆を離れて”、”心の平静さを保って生きていく”ことにあったのだ。
 つまり、エピクロス(BC342~271)のいう快楽は、世に言う感覚的瞬時的な快楽を意味するのではなく、苦痛から逃れ苦悩から脱却することによってできた、平静なる心の状態である”快”を意味したものなのだ。
 そしてそれは、仏教修行の果てにたどり着く宗教的な”さとり”にも似ているし、また中世の隠者たちが、世俗の世を捨てて人里離れた所に隠れ住んだ目的とも、また相通じるところがあるように思えるのだ。
 
 このエピクロスの人となりや言葉について書いてある本の中で、安く手に入れることのできる唯一の文庫本である、岩波文庫の『エピクロス』(出隆、岩崎允胤訳)が、長年品切れ状態だったのが、一年前にようやく増刷されて私も読むことができるようになったのだが、さてその本の、最初の宇宙の構成や物事の成り立ちなどの、推測的な哲学考察は今の時代から見れば、到底受け入れることのできない非科学的なものが多いけれども、その後の主要教説と呼ばれる、弟子たちへの手紙に書かれた断片としての言葉は、あのキケロー(BC106~43)の対話集『老年について』(’14.4.1の項参照)他や、マルクス・アウレーリウス(121~180)の『自省録』 (’12.12.10の項参照)と同じように、2000年もの時を隔てても、同じ人間の思いとして心に響いてくるのだ。
 
 ここでは、その幾つかだけをあげてみることにする。

「人々からの損なわれることのない安全は・・・多くの人々から逃れた平穏な生活から生まれる安全である。」

「飢えないこと、渇(かわ)かないこと、寒くないこと、これが肉体の要求である。これだけを望んで所有するに至れば、その人は、幸福にかけては、ゼウスとさえ競いうるだろう。」

「人はだれも、たったいま生まれてきたばかりであるかのように、この生から去ってゆく。」

 人々の心はいつの時代も変わらないし、自然の姿もまた変わらない、ただその時々に生きている顔ぶれが変わるだけであり、さらに年齢とともに自分の心が変わっていくだけだ。
 
 上の写真にあるように、朝、撮ったシャクナゲのツボミが、夕方には下の写真にあるように、さらに大きくふくらんでいて、その中の一輪の花が開き始めていた。
 その上に枝を広げるヤマザクラの花は、一日でもう満開になっていた。
 はっきりと確かに、今は、春のさ中にあったのだ。


   


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