ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(160)

2010-11-25 21:34:47 | Weblog



11月25日

 飼い主が帰って来てから、一週間ほどになる。ワタシは、もうすっかり自分のネコ時間に戻っての毎日を送っている。
 とはいっても、それはあくまでも飼い主の、人間時間の枠に合わせてのものだが、まあ、そう深く、時間について言うのはよそう。
 またあのアホな飼い主が、ハイデガーの時間の概念だとか、永遠についてだとか、しょーもない話をしたがるからだ。もっとも、そんな雰囲気になった時は、ワタシは飼い主と眼を合わさないようにして、寝たふりをすることにしている。
 一体、ネコを相手に捕まえどころのない時間の話などして、何になるというのだ。ワタシは、自分の手足の肉球と舌先に触れるものしか、今あるものとして信じていないのだから、まさしく雲をつかむような話はごめんだ。
 
 とはいっても、元来がぐうたらな飼い主だから、歳をとってのんびりしてきたワタシとは、ある意味では、ウマが合うともいえる。
 ストーヴをつけた暖かい部屋で、ワタシが大の字になって寝ていると(写真)、一方の居間の方では、飼い主が、訳のわからないクラッシック音楽か何かを聞きながら、いつしかソファの上でうたた寝をしている。
 年寄り同士で、昼寝ばかりして、飼い主と二人、ワタシたちの老後は一体どうなるのだろうか。

 しかし、「オレは今、介護保険料をしこたま取られているから、老後も心配はない。若い介護士のねえちゃんに、やさしい言葉をかけてもらいながら、オシメを取り換えてもらうのも悪くはない。赤ちゃんごっこを楽しめるからな。」などと、脳天気にほざいている飼い主だが、そのおねえさんたちに嫌われるような、ひひジジイになるのは目に見えている。
 ああ、なげかわしい。ワタシは、そんな年寄りにはなりたくないものだ。


 「ミャオがすぐに、家のネコに戻ったのは嬉しいが、やはりもうワガママを言い始めている。
 相変わらず、一日のほとんどを寝てばかりいて、起きている時は、その度ごとに、ドアを開けてくれ、ミルク飲むから傍にいてくれ、トイレに行くからついてきてくれ、あるいは退屈だからかまってくれ、時間だからサカナをくれと、ミャーゴミャーゴ鳴くのだ。
 やはり私も人の子だから、その声がうるさくなって、思わず声を荒げたりもするが、考えてみれば、ミャオがそうして私に甘えてくるのも無理はない。

 二ヵ月もの間、毎日おじさんがエサを持ってきてはいても、ずっと一緒にいてくれるわけでもない。ミャオはノラネコあがりで、他に仲の良い友達ネコがいるわけでもないし、一日のほとんどを、ベランダにいて、じっと寝ているだけだったのだ。
 鳴き交わす相手もいなく、ただ風の音や鳥の声、たまに通る車の音に耳を傾けるだけで・・・ひたすらに、飼い主の帰りを待ちながら。

 そのころのミャオの気持ちを思うと、胸が痛くなるほどなのだが・・・。さらに思うに、果たして私は、今までの自分の人生の中で、それぞれに別れてきた人たちに対して、その気持ちを十分にくみ取って、応えてあげていただろうかと。
 例えば、今は亡き母に、そして若き日に共に過ごした彼女たちに、私は、その気持ちをよく分かってあげていただろうか・・・。
 若い頃の心の痛みは、深くつらいけれども、歳を取ってからの心の痛みはひたすらに切なくて哀しいのだ。

 こんな気持ちになるのは、恐らく今日の重たい曇り空のせいかもしれない。明日は晴れるのだろうが、こうして少し落ち込む気持ちになるような、青空の見えない日もあるのだ。
 しかし、今の私は、若き日のようにいつまでもくよくよ考え悩んだりはしない。というのも、あの頃の、きちょう面さはいつしか失われいて、面倒なことにはかかわらず、重要なもの以外は適当にあしらうようになったからだ。
 つまりそうした判断こそは、人生の経験から得られたものであり、そうして歳をとっていくことは悪いことではない。何事も相半ばして、良くもあれば悪くもあると達観しては、すべての出来事にいつしか慣れてしまうものなのだ。
 いつかは、自分自身の死についてさえも・・・。

 それらの考えは、最近の身近なところでいえば、ミャオの生き方に教わったことでもあるが、本来は、私が、日本人として生まれ、日本人として育ってきたことにある。
 しかし、現代の日本人は西欧化されてしまい、昔の日本人とは大きく様変わりして、今では、本当の日本人の良さが失われてきている、などと言われる。
 もっともその話は、何をもって日本人の良さとし、あるいは欠点とするかという問題にもなるのだが、ここでは広い意味での、日本人らしさ、東洋人らしさということから考えれば、私は、昔も今も、さほど変わってはいないのではないのかとも思うのだが。
 そのことは、私も歳をとり、自分の考え方を冷静に見られるようになって分かったことでもあるのだが、私がいかに、ど日本人であり、また東洋人であることかということである。もちろん、それは否定的な意味だけではなく、それ以上に喜ぶべきこととしてもなのだが。

 私は、今の時代の日本人がそうであるように、積極的な仏教徒ではないし、冠婚葬祭や儀式においてのみ、神道や仏教のしきたりに従う消極的な仏教徒でしかない。
 ところが、今の自分の考え方のもとになるものをたどっていけば、もちろんそこには、西欧的な考え方に影響された部分もあるけれども、そのほとんどが、中国由来の、儒教、道教、仏教などからきたものであることに気づかされるのだ。

 例えば、あの中国は明の時代の、洪自誠(または応明、~1615頃)によって書かれた『菜根譚(さいこんたん)』は、長い時を経て受け継がれてきた儒教(じゅきょう)を根幹にして、さらに道教(どうきょう)や仏教の教えが混然一体となり、人生の哲学書として分かりやすく説明されていて、当時の中国の思想を、さらに言えば、その中国に大きな影響を受けていた日本の思想の源流を知る上でも、興味深い一冊ではある。
 時に応じて、どこかのページをめくれば、今の時代にも当てはまる、なにがしかの自分への格言警句を見つけることができるだろう。

 「一の楽境界あらば、すなはち一の不楽の相対、待するものあり。・・・ただ、これ尋常(じんじょう)の家飯(かはん)、素位の風光のみ、わずかにこれ個の安楽の窩巣(かそう)なり。」
 (『菜根譚』 後集59より、中村璋八・石川力山訳注 講談社学芸文庫)

 私なりに解釈すれば、「楽しいことが一つあれば、次にはイヤなことが一つあるものだ。・・・ただ、ふつうに家でご飯を食べている時のように、何事もない一瞬の光景の中にこそ、本当の安らぎがあるものなのだ。」 ということになるだろうか。

 そのことは、時代はそれぞれに異なるが、鴨長明が『方丈記』に書き、吉田兼好が『徒然草』に書き、さらには西行法師の和歌や良寛の漢詩に込めた思いでもあるのだ。
 こうして、俗世を離れ隠棲(いんせい)した古(いにしえ)の人たちの思いをたどっていくと、まるで尊敬する年かさの友の話を聞くような、心豊かな思いになることができるのだ。私ひとりではないのだと・・・。」


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