ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

新緑の赤い葉

2015-05-11 21:42:30 | Weblog



 5月11日

 まだ、北海道に行かずに、この九州にいて、新緑の季節を楽しんでいる。
 今が、一番いい時だもの、余り動きたくはないのだ。
 年を取ってきて、最近とみに強く思うようになってきたのは、外には出かけたくないということ。
 一週間に一度、離れた大きな町にあるスーパーに行って、食料品や生活雑貨などを買う以外、外食などの大した用もないのに、わざわざクルマに乗って町に出かけて行くなんてことはないし、もちろん夜遊びなどははなからやらないし。
 ただし、私も社会の中の一員として生きているから、いろいろと”よんどころない”理由で、町に出かけなければならないこともあるのだが。
 それでも基本的に、私はぐうたらなだけの男であり、何日も一人きりで家の中にいても、やりたいことはいろいろとあるし、退屈だと感じたことはないのだ。

 もし私が、あのカフカ(1883~1924)の小説『審判』(1925)にあるように、ある日突然無実の罪で逮捕されて、刑務所の独房に収容されたとしても、その時に一冊の本でも差し入れしてもらえれば、それを読みながらあとは三食付きの静かな部屋で、今までのように何事もなく暮らしていけるのではないかとさえ思う。
 もっとも、事はそう単純ではなく、毎日わけのわからない取り調べを受けて、精神的苦痛は限界に達し、今までの一人暮らしのわがままはきかないし、いろいろな不自由さも重なって、ついには気がふれてしまうことになるのかもしれないが。

 ただ他の人と比べれば、今がそうであるように、一人でいることをあまり辛いことだとは思わないのだ。
 しかし、こうして毎日ぐうたらな暮らしていると、ある朝、起きてみたら、自分の体が巨大な毒虫になっていた、というようなことが起きないとも限らない。
 先日、テレビで世界のニュースを見ていたら、今までアメリカでは深刻な問題になっている肥満病が、あのイギリスでも話題になっていて、過食からくる肥満病で、300kgを超える体重になって、自分では身動きもできずに、クレーン車で釣り上げられ、病院に運ばれたという人の映像が流されていた。
 その時に私は、あのカフカの小説『変身』(1916)を思い出したのだ。
 突然巨大な毒虫へと変身したのは、ストレスだらけの社会に対する嫌悪感からくる、出かけたくないという強い思いと、ぐうたらに暮らしたいという今まで眠っていた欲求が一気に膨れあがり、劇的な変化を遂げたということなのだろうが、その代わりに代償として科せられたのは、動くことさえままならぬ醜い姿であったということ、つまりすでにあの当時から、現代(飽食)社会が併せ持つ弊害の一つを、的確に予言していたということになるのかもしれない。
 さらに上にあげた『審判』でもまた、国家という強い規範の中で、その統制された社会の一員たるべく位置づけられた個人が、ある日、全く不可解な理由で逮捕されて裁判にかけられてしまうという、恐怖の出来事が描かれているように、この現代社会の中でもいまだに起こりうる”冤罪(えんざい)”事件に見られるように、一方では、不条理なことがまかり通る、統制国家になりうることを警告していたのかもしれない。

 と、まあ話がそれてカフカの小説にまでなってしまったのだが、言いたかったことは、日頃からぐうたらにしているとロクなことにはならないと、自省の意味も込めて考えてみただけのことだが、もっとも人間は誰でも、時には人々の集まる街中や、あるいは自然の中へと出かけたくなるものだから、まして私には、子供のころからもう何十年にもわたって続けてきた、山登りや野山歩きという習慣化された放浪癖があるものだから、じっとしてはいられずかといって遠出するのは嫌だし、そこでクルマでわざわざ出かけなくてもすむ、いつもの自分の家から歩いて登れる山に行こうと思ったのだ。 
 家からは、舗装された車道を通らずに、谷沿いの急な山道を通って再び車道に出るが、クルマにはたまにしか合わないし、そのまま歩いて1時間ほどで登山口に着く。
 後は、ゆっくり登っても頂上までは1時間半足らずという低い山であり、今までに数十回は登っているが、それも平日だけだから、他の登山者に出会うのもまれで今まで併せても数人だけであり、まさしく静かな山歩きを楽しめる、私だけの山なのだ。
 夏は暑くて早朝に登るしかできないが、やはり一番いいのは冬の雪の降ったすぐ後であり(1月5日の項参照)、さらにはこうした新緑の季節もいいけれども、ただ残念なことには紅葉の時期にはいつも北海道にいてここにいないので、どのくらいの紅葉になるかは分からないが、後に述べるように、山腹には広葉樹林帯が大きく広がっていて、モミジやヤマザクラ、ブナ、ミズキ、ノリウツギなどの木々もあるので、そこそこの紅葉を楽しむことはできるのだろう。
 
 さて、こうして朝の空気の中を歩いて行くのは、気持ちがいい。木々の上には快晴の空が広がっている。
 しかし谷沿いの道は急勾配で、胸が痛くなるほどに息が切れる。
 そのうちには、呼吸も慣れてきて、足取りも定まり、登山口に着く。
 前回はここから少し上まで行って、新緑の林を楽しんだのだが、あの時は午後遅く、今の朝の光とは違っていて、林の木々はまた別の姿を見せていた。
 歩き出すと、前と同じように、少し離れてオオルリが鳴いていたが、別の所では、ルリビタキのさえずりも聞こえていた。
 ルリビタキと言えば、いつも私はあの北海道は大雪山の初夏を思い出す。
 あのカール壁のようなカルデラ壁に囲まれた、高原温泉からの登りで、エゾトドマツの針葉樹林帯からダケカンバ帯に入るころ、展望も開けてきて周りの緑の山腹から、何羽ものルリビタキのさえずりが聞こえていた。上空に広がる青空・・・ああ、あのまだ雪が多く残り、稜線に花が咲き始めるころの大雪山にまた行きたくなった。
 もう今では、撮るべき写真もないくらい、何度となく登った大雪山なのに、こうして私の思いの中に繰り返し出てくるほどに、何度でも行きたくなる山なのだ。

 そうしたことからいえば、今登っている故郷の里山もまた、撮るべき写真がないほどに登ってはいるのだが、意味は違え、また私にとっては、何度でも登りたくなる山なのだ。
 陰影の強い木立を眺めながら、ゆるやかに山道をたどり、その先のスギ林の中へと入って行く。
 汗ばんだ体を、暗い林の中の静けさが包み込む。
 さわやかな明るい林から、涼しく暗い林に入り、また明るい林の中を歩いて行く。
 下草のササなどがあまりないから、先の方まで林の見通しがきいて、気持ちの良い山腹斜面をゆるやかに登って行く。
 少しずつ明るくなってきて、木々が途切れがちになると、まだ枯れたままのカヤに新緑の茎が伸び始めた尾根に出る。
 そこから、今まで歩いてきた広葉樹林帯の林を見下ろすことができる。
 それはまさに、木々たちだけの緑のサンクチュアリ(神聖な場所)だった。(写真上)

 一本のコナラの木の上で、ホオジロがしきりにさえずり鳴いていた。
 灌木(かんぼく)まじりの稜線に上がると、小さな株にミヤマキリシマの赤いツツジの花が数輪ほど咲いてはいたが、何よりも目を引いたのは、花が終わった後のアセビの木が、薄赤い新緑の葉を陽光に輝かせながら、一株ごとに盛り上がるように山腹に続いている光景だった。(写真下)



 
 新緑は、”緑”と書くけれども、何も緑ばかりではなく、赤い葉の新緑もあるのだ。
 例えば、民家の生け垣などに良く見られる、アカメガシ(ベニカナメモチ)はいうまでもなく、こうした山の中で見られるアセビやヤマザクラにヤマモミジなど、若葉のころに赤くなりやがて緑の葉に変わっていくものが幾つかあって、周りに比べる緑の葉の木がなくて一本だけで立っている時には、まるで秋の紅葉かと見間違えそうなほどである。
 なぜに新緑で赤い若葉なのか、ネットで調べてみると。
 それは確定的ではないにしても、赤い色素のアントシアニンが、害虫などを遠ざけ、さらには強い紫外線から守っているのではないかということだった。
 つまり、成長を早めるために早くから若葉を出せば、その分寒さにやられたり虫たちに食べられるリスクも大きくなるから、わが身を守るために赤い色素を出すようにして、徐々にそれを葉緑素を含む緑色へと変えていく仕組みを作り、、他方では、十分に気温が上がってから若葉を出す木々は、その分の遅れを取り戻すために、最初から成長活動に取り掛かれるように、十分な葉緑素を備えた緑の葉にしたのだろうと、考えてみた。

 地球上の生き物の頂点に立つ人間だけが、思うようにふるまってはいるけれども、この地球上には人類の何百万倍にもあたる無数の生物たち、動植物から菌類に至るまでもが、それぞれのやり方で、生物の食物連鎖の掟(おきて)に従って、必死になって生きていることを忘れてはならないのだが・・・。
 とはいえ、人は誰も、わが身のことを第一に考えて生きていく他はないし、今までここで何度も取り上げてきた『利己としての死』(日高敏孝著 弘文堂)に書かれているように、生物としての個は、死に至るまで、あくまでも自分の遺伝子を残すために生きているのではあろうが。
 しかし、と考えること自体が、人間だけが持つセンチメンタリズムだと言われれば、もうそこで返す言葉はなくなってしまう・・・。
 少なくとも、今、目の前に広がるこの光景自体を楽しむことは、自らが生まれ出でた母体である自然への、先祖回帰の思いであり、それは人間もまた生物としての一種なるがゆえの思いなのかもしれない。

 とかなんとか、理屈っぽいことを考えるよりは、今はこのさわやかな春の風に吹かれて、山の尾根道を歩いていることだけで十分なのだ。
 いつもの頂上に着いて、ひと時、周りの景色を楽しみ、下りはもう一つの尾根につけられた道を下って行く。
 その途中の南側の斜面には、数は少ないが、所々にミヤマキリシマが咲いていた。(写真下)




 6月の初めに、あの九重山は平治岳の上部を覆い尽くさんばかりに彩(いろど)る、ミヤマキリシマの大群落(’09.6.10の項参照)に比べれば、ここでは、比較するほどもない小さな株が数えるほどにしかないけれども、何と言っても九重山の花の盛りの時期に先立つこと一か月も前に、ひとり山に登った私に見せてくれるかのように、こうして咲いていることがうれしいではないか。
 私はその数少ないミヤマキリシマの花を、位置を変えて何枚も写真に撮った。
 青空の下の春の山、赤いアセビの新緑とミヤマキリシマの赤紫の花。私にはそれだけでもう十分だった。
 時々、AKBの歌を口ずさみながら山を下りて行き、脚も痛くならずに意外に早く家に帰り着いた。
 5時間余りの、他に誰とも会わない、さわやかな春のハイキング・コースだった。
 
 すぐに、汗でぬれた衣類を脱いで洗濯して外に干したが、それは夕方までには乾いてしまった。
 ベランダに椅子を出して、ノン・アルコール・ビールを片手に、新聞を読んだ。
 3年前までは、足元にミャオがいて、寝転がっていたのに。
 庭の新緑の木々が、風に揺れていた。
 いつか、母やミャオがそうであったように、その時が来るまで、こうして一日が過ぎていくのだろう。

 人は、それぞれ自分の生き方でしか生きていけないし、嫌ならば、リスクを承知で現状を変えるベく戦うか、あるいは嫌なことに見えても、実はそうではなくて素晴らしいものなのだと、視点を変えるしかない。
 『僕たちは戦わない』、このAKBの新曲をようやく何度かテレビで見ては、自分なりの判断をつけられるようになってきた。
 いつも言うように、私はAKBグループの曲を、彼女たちの曲というよりは、作詞家兼プロデューサーである、秋元康のメッセージ・ソングだと思っている。
 それは、自分の生徒たちでもあるAKBの娘たちへの、そして日本の若者たちへのメッセージであるとともに、あるいは彼と同じ私たち中高年の同世代に伝える、今の彼の思いなのかもしれない。

 「僕たちは戦わない 愛を信じてる。

  振り上げたその拳(こぶし) 振り下ろす日が来るよ。
 
  憎しみは連鎖する だから今 断ち切るんだ。・・・」  (秋元康 作詞)

 これだけの、反戦的なメッセージを、今のアイドルたちに歌わせるだけの作詞家が、あるいはプロデューサーが他にいるだろうか。
 もっとも一方では、私たち中高年世代が若者であったころに、世界を席巻(せっけん)していた”ラブ・ピース”マークに代表されるヒッピー文化の、今にして思えば生硬な理想主義だったのかもしれないが、そのころの匂いが感じられなくもない。
 ただあの東北大震災に関連して、彼が立て続け書き上げた曲、『風は吹いている』や『掌(てのひら)が語ること』などでは 、彼の使命感溢れるヒューマニズムの一端を知ることができるし、AKBの曲として見ても、いずれもなかなかにいい曲だと思う。

 さらにこの新曲で、”ぱるる”島崎遙香をセンターに配したのも、次世代に向かっての布陣であり、新鮮味が感じられるし、何より若手メンバーが増えて来て、今や”お姉さん”としての立場になり、AKBを代表するべく”ぱるる”自身の自覚が、彼女のその外観にも表れてきたように見えるのだが。
 ただ、昨日のNHK・BS『AKB48SHOW』での、32名選抜による群舞ダンスは、今までのステップよりは、はやりのヒップホップ系の手先の動きの面白さにポイントを置いた振り付けであり、どこか違和感を感じるというのが正直な感想だ。
 リズムに合わせた、ヒップホップ系のダンスなら少人数でかっちりとやるべきだし、ふりのそろわない大人数なら、もっとゆるやかな振り付けにするべきだったと思うのだが。
 ともかくAKBグループそれぞれの新曲の中で、振り付けと曲調の二つで納得できたのは、NMBの『DON’T LOOK BACK』とHKTの『12秒』だけで、このAKBの『僕たちは戦わない』と、乃木坂の『命は美しい』に関しては、秋元康の作詞に問題点はないとしても、どうも少し振付がそぐわない気もするのだが。

 さらに前々回書いていた、”まゆゆ”渡辺麻友主演のドラマ『戦う書店ガール!』は、1回目こそ可愛い”まゆゆ”の一生懸命な演技と、今まであまり扱われなかった書店ものということで面白く見たのだが、2回目からありきたりの恋愛ゲームになってしまって、ただでさえテレビドラマを見ない私は、その後も続いて見る気にはならなかった。
 それに比べれば、元AKBの大島優子主演の『ヤメゴク』は、ヤクザたちの”足ぬけ”を手伝う、警視庁の”コールセンター”が舞台という物珍しさもあって、多分に漫画チックな脚本演出とともに、現代版”ゲゲゲの鬼太郎”ばりの、大島優子の過去を隠した不気味な表情が興味をつのらせるし、ドラマとしては、『戦う書店ガール』のような低予算的な匂いはしないし、しっかりとお金をかけて作られたドラマという感じがする。
 それにしても、4%や6%という低視聴率の数字は、AKBファンの一人としては、それがメンバーたちの将来へのドラマ女優への道を切り開いて行くためのものとしては、まことに残念な思いもするが、一つにはやはり歌以外でのAKBの知名度が低いことと、アニメは見てもドラマは見ないという、いやテレビそのものを見ないで、スマホにかかりっきりだという今の若者たちの現状を、あらためて思い知らされたような気がするのだ。
 
 テレビ大好きだった私から見ても、最近一日に見る時間が急激に減ってきて、ニュース番組を中心にして、朝昼晩の30分から1時間がいいところで、特に夜の7時からのゴールデン帯の番組など、クイズかグルメ、面白事件等のバラエティーばかりで、見る気もしないし、それならネットでAKB情報でも見てた方がましだと思うくらいなのだ。
 年寄りの私でさえ、テレビ離れがすすんでいるというのに、今の若者たちにとってはなおさらのこと、やがて民放は、お買いもの情報サイトの一つになってしまうのかもしれない。
 その時のために、私は、今までにDVDやBRに録画しておいたたくさんの映画やドキュメンタリー番組、そしてAKBの番組などを、ちびりちびりと取り出しては、ひとり楽しむことにしよう。
 今までの私の登山記録である、山の写真をモニター画面に映し出しては、ひとり薄笑いを浮かべながら楽しむように・・・。
 「一枚・・・、二枚・・・、三枚・・・。」

 その一枚二枚と言えば、幼い子供のころ母親に連れられて見に行った映画『番町皿屋敷』 の恐ろしさを、今でも憶えているが、その時のお化けになって出てくる女優が、当時の美人女優だった入江たか子だったような気がしたが、ネットで調べてみると津島恵子であり(相手役は長谷川一夫)、つまり当時”化け猫役者”としてもあまりにも有名だった入江たか子の、幽霊役者ぶりが、私の記憶に強く残っていたためでもあろう。
 
 ああ、こんなことまで書いてしまうのではなかった。今夜、夢に出てくるのではないのか・・・いい年をしたじいさんが、幽霊の姿にうなされて夜中に目を見開いて起き上がるなんて、そっちの方がよっぽど怖い・・・。
 今日は何のことを書いたのやら、もう眠たくなってきて・・・一枚、二枚・・・。  
  


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