ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

心貧しき者とは

2015-10-26 22:15:04 | Weblog



 10月26日

 昨日、北海道の多くの地点で初雪が観測された、とのニュース映像が流れていた。
 いつも雪の遅い、道東太平洋側の釧路、帯広でも雪が降ったとのことだが、それが夜だったのか、私は気づかなかった。
 ただ、確かに日ごとに気温が下がっていくのは感じられるし、今の時期には見えていることが多い、日高山脈の主稜線はすっかり白くなっていて、もうこの山々の雪は根雪になって消えることはないだろう。

 毎年のことだが、家の林の紅葉も、今や盛りの時を迎えようとしている。(写真上)
 それも、毎日続く青空を背景にしているので、ひときわ色鮮やかに見える。
 赤いハウチワカエデとヤマモミジに、黄色いイタヤカエデにミズナラなどが、秋のひと時の色彩の饗宴(きょうえん)を繰り広げている。
 私は毎日のように、この小さな林の周りを歩き回り、何枚もの写真をカメラに収めては、ただただ感心するばかりで・・・。
 生きているということは、生きていくということは、そしてなんのために生きるのかということは、簡単に言い換えれば、この一年に一度の、わずか二週間ほどの、紅葉の光景を見るためなのではないのか、とさえ思ってしまうのだ。
 もちろんそれは、秋の紅葉だけではない、厳冬期の雪に覆われた山々の姿も、そして萌えいずる新緑の木々が山裾に続く眺めも、さらに夏山の稜線を彩る高山植物の群落も、こうした野山の植物たちの織りなす景観こそが、今を生きる私と伴にあるということ、それもその時だけに見ることのできる、ひと時の証(あかし)として。

 さらに、そうした私の好きなものは、もちろん野山の四季の景観だけではなく、そこに住む、生き物たちとの出会いや、それらを包み込む大空と雲が織りなす景観や、夜空にきらめくあまたの星々たちもそうであるし、さらにはたまにしか見ないけれども、青空に輝き揺らめく茫洋(ぼうよう)たる海の眺めも、また同じように心に残るものだ。
 好きなものは自然界だけではない、家の中にいても、その時々の思いに従って、自分の好きな本を読むことができるし、いつでも映像を見ることができて、また好みの音楽を聞くこともできる。
 つまり、私の身の回りにも、いつも私が所有してる私の好きなものがあるからこそ、それらを自然の景観と併せて、私の心の大切な引き出しとして、取り出し眺めては、生きていくための励ましにしているのかもしれない。

 ただし、自然の景観などは、本来そこに在(あ)るだけのものであり、個人的な働きかけで得られるものではなく、誰でも自由にいつも見知ることのできるものなのだから、そのことと比べれば、私たちが現代文明の利点として享受し所有しているものとでは、大きな差異があって、極論すれば、持つ者と持たざる者、富めるものと貧しき者との差が、誰でも同じように持つことはできないという格差が、いつの時代にも厳然として存在しているということだ。
 この人間誕生以来の、社会闘争と格差という大きな問題については、とてもこんな所で取り上げるべきものではないし、ましてや浅学の徒(せんがくのと)に過ぎない私などの手におえるものではない。

 ただここで問題にしたかったのは、私たちに持つことの喜びを与えてくれる私的所有物ではなく、私たちに心のいやしを与えてくれる、自然界の景観についてである。
 私たちは誰でも、自由に自然の中に入り込み、いつでもその景観やたたずまいにじかに触れることができる。
 そして、それが、自然からの恵みである収穫物や獲物を目的にする場合はともかくとして、ただ自然の内ふところに抱かれていたいという思いで足を踏み入れる時には、人は誰でも、まるで母なる自然からの呼び声にこたえるかのような気持ちになっているのではないのか。
 母の声のする方に、子供が歩いて行くように・・・。何の利益利害関係もない、ただ本能の呼びかける声に導かれるままに、無心な気持ちで。

 そこで前回少し触れた、あの有名な聖書の一節が浮かんできたのだ。

 「こころの貧しい人たちは幸いである。天国は彼らのものである。」(新約聖書 マタイによる福音書第五章第三節より)

 この”こころの貧しい人”という言葉を、若いころには、”強欲で心豊かな生活を送る人”と対句になる、”身の丈(たけ)に合ったものだけで満足して、余分な欲を持っていない人”というふうに解釈していたのだが、その後に、”神の教えが必要なこころ貧しき人”という意味だとも教えられ、それなりに納得していたのに、最近、ある本を読んで、この言葉は、私が思う以上に、さらに厳しい哲学的観念を持つ言葉だと知ったのだ。
 
 それは、『エックハルト説教集(田島照久 編訳、岩波文庫)』である。
 中世ドイツの神秘主義の宗教家でもあった、エックハルト(1260~1328)の名前は知っていたのだが、彼の説教伝記的著作物 を読むのは初めてであり、そこで、文学的哲学的にも、ある種の暗黒時代だとも言われることの多い中世ヨーロッパの時代に、これほどまでに神の教えと人の関わり合いを真剣に考え論じた人がいたこと、それ故に教会聖職者たちの反感をかって宗教裁判にかけられ処刑されてしまったのだが、彼の思いが、後にエラスムス(1466~1536)やトマス・モア(1472~1533)らによる当時の堕落した教会批判につながり、ついにはあのマルチン・ルター(1483~1546)などに受け継がれて、やがてルネッサンスの宗教改革の大きなうねりとなっていったのだろうと、改めて考えさせられたのだ。

 さてこの本の中に、「三つの内なる貧しさ(マタイによる福音書第五章第三節)についての説教」という項目があり、そこで彼は、貧しさを二つに分けて、まずキリストへの愛から自らが引き受けた善きものとしての”外なる貧しさ”があり、そしてもう一つは、『マタイによる福音書』の中で”こころの貧しい人”と言われているような、”内なる貧しさ”があるとしている。
 その”内なる貧しさ”には”三つの貧しさ”があって、それぞれについて詳しく述べていくと難しくなるので、彼があげた三つの項目としてだけ書いていくことにすると。
 その一つは、”なにものも意志することのない人” であり、それは彼の痛烈な批判の矛先(ほこさき)が、神の意志を自らが代わりに実行しようとする聖者に対してさえ向けられていることが分かる。
 二つめは、”なにも知ることのない人”として、神が心のうちにあるままに、何も知らずに純粋でいなければならないとして、三つめに、”なにも持たない人”として、神がその人の中で自由に動くことができるように、内外すべてのものにとらわれてはいけないとしたのだ。

 つまりすべての束縛から解き放たれて自由であること、それは彼によって”離脱”と名づけられて、むしろ中国の”老荘の思想”や仏教の世界、そして今まで何度も取り上げてきた鴨長明(『方丈記』)や吉田兼好(『徒然草』)などの、日本の中世の隠者たちの考え方にさえ近しいものを感じるのだ。

 紅葉に彩られた林を眺め、やがて日高山脈のかなたに日が沈んでゆき(写真下)、そして満天の星空になる時、私はただそれらを眺めてここにいるだけであり、何も変えたいとは思はないし、何も詳しく知りたいとは思わないし、余分なものを付け加えたいとも思わない。そのままそこにあることが、私の生きることなのかもしれない。





 ところで、家の林の紅葉を眺める時に、林の中をあちこち歩き回り、ついでに木々の手入れなどをすることが多いのだが、その時にこの林の周囲の木々に、群れになって鳴き騒ぐ鳥たちがいて、それは別に珍しくもない、ヒヨドリたちなのだが。
 九州の家の、ベランダに置いてあるエサ台に来て、いつも占領していたのもヒヨドリであり、そこでは一年中いる留鳥(りゅうちょう)なのだが、今来ているヒヨドリたちは、渡りの途中に立ち寄った今の時期だけの渡り鳥なのだ。
 彼らは、庭の小さな木になったリンゴに、そしてキタコブシやハマナスの実などをついばんでは、体力をつけて、さらなる南の地へと飛んでいくのだろう。
 さらにうれしいことが一つ、全く久しぶりに、あのクマゲラが家の林の中をあちこち飛び回っていたのだ。写真に撮ることはできなかったが、あの黒い大きな体で木に垂直に止まっていた。
 今では、すっかり針葉樹・広葉樹の混交林(こんこうりん)になってきた、家の小さな林にまで飛んできたということは、それだけ周囲に広葉樹の林がなくなってきたということだろうし、逆にクマゲラの生活環境の現状を考えれば、憂うべきことでもあるのだが。

 さらに、前に書いたクマゲラではないキツツキが空けた屋根裏の穴(10月5日の項参照)は、ちゃんとふさいでいたのだが、なんとまたそこから少し離れた所に、さらに大きな穴を開けていたのだ。
 そのアカゲラが連続ノックしての工事音に、家の中にいる私が気がつかないことはあり得ないから、多分、半日がかりで街まで買い物に出ていたスキに、しっかりと空けたものだろうが、全く油断もスキもあったものではない。
 そこで今回は、街のホームセンター出かけて行って、屋根材として並べてあった90cmほどのアスファルト下地材(280円)を買ってきて、少し広めに張ってねじ止めした。
 翌日の昼前に、また家の北側の屋根の方から、例のノック音が聞こえてきた。しかし小さく低く、すぐに終わってしまった。
 いつものアカゲラは、これはくちばしが効かないとあきらめて、家から離れたのだろう。
 私は家の中にいて、小さなガッツポーズを一つ。

 しかし、うまくいかないこともある。
 チェーンソーが、スターターからの始動はしても、相変わらずすぐに止まってしまうのだ。
 燃料供給系のキャブレター関係か、それをつなぐパイプか何かだろうけれども、なかなか分解するまでの勇気が出ないし、これはあきらめて店で修理してもらうしかないのだろうか。
 林内倒木の最低限必要な箇所は、仕方なく手引きノコで切ったけれども、切り分けるにはどうしてもチェーンソーが必要だし、それでもこのままにしておいて、春になってから切ってもいいのだけれども。
 
 そうして思い通りにならない時には、気分転換にと録画していたAKB関連の番組を見るのだが、二日前にはいつものNHK・BSでの”AKB48SHOW”の時間帯で、同じ姉妹グループである”乃木坂46SHOW”が放送されていた。
 そこでは、前回も書いていたように、新曲「今、話したい誰かがいる」がフル・バージョンで歌われていて、それで秋元康によって書かれた歌詞の最後までが分かって、ちゃんと曲の全容を知ることができたのだ。
 普通の民放テレビ局の歌番組での演奏曲は、大体が縮めたショート・バージョンで歌われる場合がほとんどで、いつも残念に思ってはいたのだが、さすが年寄りにやさしいNHKだと、ありがたく聞かせてもらった。

 今の乃木坂46には、少し前までのAKBにもあったアイドルらしい初々しさがまだ残っていて、衣装もロングスカートや制服姿が多くて、さらにはアイドルらしいきれいな容姿のメンバーが多くて、その点では他のAKBグループのどこもかなわないというべきか、他の4グループとは違った、結成当時からの上品なアイドルグループの姿を維持し続けているといえるだろう。
 しかし、ここでも世代交代の時期は迫ってきているようにも見えるし、絶対的な看板娘である白石麻衣も23歳になって、アイドルとしては先が見えてきてやがては卒業していくのだろうが、その後、乃木坂はどういうふうに変わっていくのだろうか。
 それはさておき、今度の新曲も、歌詞作曲ともに相変わらずいい曲であり、このグループに合った名曲がよく続くものだと思う。逆に言えば変わり映えのしない似たような曲とも言えるのだろうが、それでも、大きく変化することを望まないアイドル・ファン、乃木坂ファンには好意を持って迎えられることだろう。
 創立メンバーの一人である白石麻衣がせつに望んでいる紅白初出場は、ファンならずとも誰の目にも明らかなことだろう。
 
 他に、先週見たテレビ番組から、山関係ばかりになるけれども、まずはNHKの『ブラタモリ・富士山編』の第2弾で、今回は宝永山火口の話であり、私が3年前に初めて富士山に登った時(’12.9.2、9の項参照)も、頂上お鉢一周での展望を除けば、一番良かったと思った場所がこの宝永火口だったので、実に興味深く見ることができたし、その時には知らなかった割れ目火口の溶岩列を、もう一度見に行きたくなったほどだ。
 そしてこれもNHKの番組だが、『新日本風土記・上高地』にも見入ってしまった。
 白黒テレビの昔から続く、ローカル色豊かな原日本的な風景とそこに住む人々を描く番組で、今回も上高地界隈(かいわい)で働く人々に焦点を当てていて、その中には私が知っている人も二三人いたが、改めてその仕事ぶりなどが紹介されていて、なるほどと今さらながらに思った。
 映像の中に映し出された、上高地や涸沢などの様々な景観を見ながら、私は、やはりここは日本の山岳景観の中で、まず最初に名前を挙げる場所であり、私の最も好きな場所の一つであることを、再確認させられたのだった。
 今までに、何回となく通い、槍・穂高だけでなく、徳本峠(とくごうとうげ)に霞沢(かすみざわ)岳、あるいは常念山脈へと、それぞれの山に向かい、そして下りてきた時にたどったのが、この清流梓川(あずさがわ)沿いに続く上高地への道だったのだ。 
 
 もし死に場所を自由に選べるのなら、あの梓川の明るい玉砂利の河原で、正面に明神から前穂高の岩壁を見ながら横になり、"何も意志せず、何も知らず、何も持たずに”、そのまま静かに息を引き取りたいと思うほどで・・・。
 年をとればとるほど、男はロマンティックな思いにふけるものでありまして・・・。

 芭蕉の有名な一句、「旅に病(や)んで 夢は枯れ野をかけめぐる」にちなんで・・・。

 私としては、「旅に病み 夢は山河をかけめぐる」、となるのでありましょうか。

 


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