ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

冬が来る前に

2015-11-09 22:23:11 | Weblog



 11月9日

 数日前に、久しぶりに山に行ってきた。
 冬が来る前に、平地に雪が降る前に、秋のなごりの山と、冬の雪山の姿に会うために、山に登りたかったのだ。
 天気は、全国的にも晴れの予報だったが、北海道から見れば、高気圧がやや南にあり、少し等圧線の間隔が狭くなっていて、それが気がかりだった。
 朝起きて外に出ると、ともかく日高山脈はくっきりと並んで見えていた。ただ、どうも北の方には低い雲がかかっているようだった。
 
 年寄りになった今では、もう峠越えをしての、十勝岳連峰(’10.10.23の項参照)や、大雪山(’08.10.24の項参照)などの初冬の雪山に登る元気はなくなってしまって、最近はもっぱら時間のかからない、同じ十勝管内の手軽な山に向かうことが多くなっている。
 それもぐうたらな、このタヌキおやじにはありがちなことで、なるべく楽をして登り、初冬の山の眺めを楽しもうという魂胆(こんたん)なのだ。
 去年は、日高山脈が高度を減じて北に延び続ける主稜線上の最北端の山、佐幌岳(1060m、’14.11.24の項参照)に、その前の年は同じ日高山脈の支稜線の山、剣山(1205m、’13.11.18の項参照)に、といったぐあいだ。
 
 出かける前から決めていたのは、そんな低い北部日高の山である、オダッシュ山(1098m)に行くつもりでいたのだが、どうもモヤか雲がかかっているようで、そのあたりの山々が見えていないのだ。
 それは、南にかたよった気圧配置の等圧線のせいではないのかと、やはり気になっていた。西風が強く吹いていて、尾根筋に雲がかかっているのではないのか。
 せっかくの全道的な快晴の日に、雲がかかって展望がきかないような山に登りたくはない。
 目の前には、黄葉のカラマツ防風林の上に、妙敷山(1731m)から伏見岳(1792m)、そしてピパイロ岳(1917m)、1967峰へと続く日高主稜線の山々がくっきりと見えていた。(写真上)
 何よりも、晴れた日の山にまさるものはないし、今の時期に何度も登ってはいるが、何と言っても日高山脈核心部の山々の眺めが素晴らしい、伏見岳にするか、ただしオダッシュ山よりは倍近い時間がかかることになるだろうがと、しばし、どうしようかと迷ったのだ・・・。

 しかし、いつものぐうたらでずるがしこい、黒い角と黒い翼を持った私の心の中の”わるきー”が、ささやくのだ。
 ”そんなに苦労して何時間もかかって登ることはない。もう今までに何度も登っているのだから、年寄りなのだから、楽して登れる山にすべきだよ。あーヨイヨイと。” 
 (ちなみに、この”わるきー”は、AKBグループNMBの渡辺美優紀”みるきー”が、自分の心の中の小悪魔”わるきー”の衣装姿で歌うのだが、何ともかわいいのだ。AKBの柏木由紀”ゆきりん”が歌う場合は、”わるりん”となる。二つとも、You Tube参照。
 もっとも、メタボ体のタヌキおやじの私が、”わるきー”の衣装姿で舞台に現れたなら、会場はシーンとして”どんびき”、中には下を向いて”おえーっ”と吐く人もいるだろうから、あくまでも自分だけの想像の範囲内ということにしたい。)
 
 ということで、ともかく最初の目的通りに、オダッシュ山に向かったのだが、行ってみると、やはりその辺りだけに漂っていたモヤ霧の低い雲だった。新得町に近づくにつれて、北部日高の、低い山々の連なりが青空の下に続いていた。
 新得の町の中で、国道から分かれて山側に一直線にゆるやかに上がって行く。
 高速道路の道東道の下をくぐって少し行ったところから、オダッシュ山の登山道は始まる。
 もう9時近い時間なのに、先ほどの駐車エリアにも登山口周辺にも一台のクルマもなかった。
 それもそのはず、連休後の平日に、こんな有名でもない低い北部日高の山に、登ろうという人なんかいるわけはないのだ。
 そこが、いつもは巣穴にこもってばかりの、ぐうたらタヌキおやじの、山に出かける時のねらい目なのだから。ニヒニヒとひとり笑いの不気味さ。 

 しかし、一人で行って、巣ごもり前のヒグマが怖くはないのかと言われれば、7年前の剣山の時のように(’08.11.14の項参照)、偶然に出くわすことは十分にありうるのだが、この山でのヒグマとの遭遇はあまり聞いたことがないし、その植生から言っても、そうヒグマのエサになるようなものはないし、上部にはミズナラの木が多いが、ドングリの時期は過ぎているはずだし、あと考えられるのは、剣山で出会った時のように、ヒグマが沢から沢へと稜線を越える時だろうが、まあ鈴を鳴らして行けば大丈夫だろうと自分に言い聞かせた。

 ところで、この”オダッシュ”という名前は、他の多くの北海道の山と同じく、アイヌ語起源のものであり、”川下にシラカバが多いところ”あるいは”川砂のあるところ”の意味とのこだが。
 さて、小さな沢沿いにゆるやかに上がって行き、水場の標識のある所でその沢を渡り、樹林帯の丸い尾根の山腹をたどり、やがて急な斜面の登りになり、それが終わるころには、明るいシラカバ、ダケカンバの林の中をたどる道になる。
 振り返ると、まばらな木々の間に、十勝平野北西部の広がりを隔てて、広大な青空の下に、東大雪の山々、石狩連峰から二ペソツ、丸山、ウペペサンケ、そして然別の山々と続いている。
 なだらかになった尾根の南面をたどる道の途中、前峰の高みが見える辺りで、腰を下ろして休んだ。
 
 先ほどまで聞こえていた、多分に耳ざわりな、あの高速道路の車の走る音はもう聞こえなかった。
 ただ、高く青い空の上で、風の音がしているだけだった。
 何という、穏やかなひと時だろう。どこからか、生きていることとは、こういうことなんだよと聞こえてくるような。
 そこは、低いササの斜面につけられた前後に見通しがきいた道の途中で、葉の落ちた一本のダケカンバの陰になった所に、私は座っていた。
 (このオダッシュ山の登山道は、きれいに刈り払いがされていて、地元新得町民に親しまれている山であることがよくわかる。)
 長袖のアンダーの上に、厚手の長袖のシャツを着ているだけだったが、ずっと続く登りで汗をかいていたし、暑い日差しをよけられる木陰を選んだのだ。
 まだ、登り始めてから1時間余り、道半ばだったが、何の気がかりなこともなかった。
 あと同じくらいの時間で頂上には着くだろうし、木々の間からは白くなった十勝岳連峰と大雪に東大雪の山々も見えていたし、上空は晴れ渡っていて、雲がかかるだろう心配もなかった。

 オダッシュ山に登るのは、これで二度目になるが、最初に登ったのは、なんともう20年以上も前のことである。
 その時のことは、フィルムでわずかに10枚撮っただけの写真を見ながら、ようやく断片的にいくつかの光景を思い出すくらいでしかなく、まさに20年ひと昔も前のことと言えるだろう。
 時期は今と同じ11月で、天気も快晴で誰もいなくて、頂上からの大展望を心ゆくまで楽しむことができて、それほどまでの完璧な登山だったから、もう再度登る必要もないほどで、それよりも、当時はまだ数多く残っていた、他の日高の山に登ることのほうが重要であり、長い間、行こうとも思わなかった山の一つだったのだ。
 しかし、今や、かつての日高山脈の道なき道を、ひとり跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)して歩き回った元気はなくなり、最近では、ただひたすらに低山歩きばかりになっていて、それで、この山にも順番が回ってきたのだ。

 去年、このオダッシュの北に位置する佐幌岳に登って、そういえばもう長い間、あの山には登っていないと思い、先日久しぶりにわが家を訪ねてきた山好きな知人夫婦が、オダッシュ山に行ってきたと言うのを聞いて、そういえばと行ってみる気になったのだ。
 なあに、すべての物事のきっかけなんて、いつも偶然の重なりで始まるようなものなのだ。
 
 腰を上げて、再び急坂になった道を登って行くと、右手の尾根の北側に回り込み、ミズナラの林の日陰になったなだらかな道をたどって行く。
 先ほどから所々に残っていた雪は、もう消えることなく白い帯の道となって続いていた。
 勾配が増すと、凍りついている足跡の所が滑りやすく、これでは下りではアイゼンが必要になると思わせるほどだった。
 さらに前峰が近づくにつれて、すぐ上の所を風が音を立てて通り過ぎて行った。
 大岩のある前峰に着くと、強い風が吹きつけてきて寒く、すぐにウインドブレイカーを着込んだ。

 しかしここからは、私も憶えている快適な尾根歩きが続くのだ。
 それは、前峰から本峰へと続く、20分余りの、低いササとダケカンバが織りなす天上のプロムナード(遊歩道)だった。(写真下)

 

 そのゆるやかな道をたどって行くと、南面が大きく開けてきて、遠く剣山から芽室岳方面が雄大に見えてきた。
 最後は、それでもピークらしい急な登りになって、小さな草の丘になった頂上に着いた。
 コースタイムよりは長く、2時間半ほどもかかったが、写真を撮ったりして、いつものようにゆっくり歩いてきた年寄りとしては、十分な時間だった。
 風は少し強いけれども、この青空の下、周囲に大展望が広がり、そして誰もいなかった。
 ただ、20年前と比べて北側にあったそのダケカンバの枝が伸びていて、最大の見ものである十勝岳連峰から大雪山への眺めが少し見えにくくなっていた。
 そこで、腰以上に伸びたササをかき分けて北に続く尾根を少し行くと、ようやくそこからは、すっきりと一つ一つの峰が見えて、左から富良野岳(1912m)、三峰山(1866m)、上ホロカメットク山(1920m)、十勝岳(2077m)、美瑛岳(2052m)と並び、手前に重なって境山(1837m)と富士山型の下ホロカメットク山(1668m)が見え、美瑛からは石垣山(1822m)にオプタテシケ山(2013m)と連なる、白い十勝岳連峰の姿があった。(写真下)


 

 さらに白い帯は、オプタテシケから大雪山へと続き、手前に大きくトムラウシ山(2141m)があり、その左後ろにすそ野を広げる旭岳(2290m)、右後ろににはこぶしのように盛り上がる白雲岳(2230m)が見える。
 戻って、先ほどから東側に見えていた、東大雪の山々をあらためて見直してみる。石狩岳(1967m)連峰から二ペソツ山(2013m、ただし今の時期としては雪が少なく黒い山肌が目立つ)、丸山(1692m)、ウペペサンケ山(1835m)そして凸凹の盛り上がりを繰り返す然別の山々と続き、さらに遠く、雄阿寒岳(1370m)、雌阿寒岳(1499m)、阿寒富士(1476m)と並ぶ阿寒の山々も見ることができた。

 同じ日高山脈は、南側に縦位置になりこの山が低いために、多くは見えないが、剣山から久山岳(1412m)、芽室岳(1754m)、西芽室岳(1746m)、そして手前にペケレベツ岳(1532m)と続いてきて、この主稜線から離れた支稜線上の山として双珠別岳(1383m)と狩振岳(1323m)が近くに高く見えていた。
 そして20年前には、西側にもっとすっきりと見えていた気がするが、芦別岳(1727m)と夕張岳(1668m)も、ダケカンバの木々の枝の間にかろうじて見ることができた。

 山々の展望と青空と、吹きつける風の中、他に誰もいない頂上、そこに私は1時間近くもいた。
 この山だったら、年寄りの私でさえ、また来ることもできるだろう。そう思って頂上を後にした。
 
 帰りの、尾根のプロムナードもまた逆方向から眺めることになり、なかなかに良かった。
 さて、前峰からの雪道の下りだが、アイゼンは持ってきてはいたが取り付けるのは面倒だ。
 そこで、道の両側の、凍った足跡がついていない雪面に靴をおいて、慎重に下って行った。20分足らずでその緊張の時間も終わった。
 ミズナラの林から、明るいダケカンバの斜面へといい気分で下って行く。
 思わず、口をついて出てくる歌。

 ”思い通りにならない日は、明日がんばろう・・・人生は紙飛行機、願い乗せて飛んでいくよ・・・365日、飛んでいけ、飛んでみよう・・・”
 (NHK朝ドラ『あさが来た』主題歌「365日の紙飛行機」 作詞秋元康)

 タイトルには、AKBの歌とあるけれども、実際はAKBグループNMBの山本彩(さやねえ)がリードボーカルになって歌う歌であり、AKBファンの私だからというよりは、やはりいつものことながら、秋元康の歌詞と、わかりやすい曲調にひかれて、ついつい口ずさんでしまうことになるのだ。
 またドラマ自体も、今までにもここで書いてきたとおりに、現在、時代劇をしっかりと作ることのできる唯一のテレビ局であると言ってもいい、NHK時代劇班の力も合わさって、脚本もよく考えられているし、近年では最も見ごたえのある朝ドラではないかとさえ思う。
 といっても、今までNHKの他の朝ドラを、ちゃんと通して見たことはあまりないから、大きなことは言えないが、主演のきれいな姉妹役はもちろんのこと、わき役陣の人物像がそれぞれにしっかり描かれていて、それがまた、このドラマの充実ぶりを表しているともいえるだろう。

 とかなんとか偉そうなことを言っている割には、この日はこのドラマが放送されている時には山にいて、録画予約も忘れて見逃してしまったのだが、翌日その続きを見ても、一本見逃した違和感はあまり感じなかったから、まあ私の関心もそのくらいのものなのだろうが。
 ついでに先週見たテレビの中で、興味深かったのは、NHK・Eテレ『ミュージック・ポートレイト』という番組での、秋元康と元宝塚出身の女優黒木瞳の、音楽や歌に対する対談であり、その前の週からの、二回に分けての放送だったのだが、思わず二人の話にひきこまれてしまった。
 お互いに50代半ばに達していて(何という黒木瞳の若さ)、その二人のその時々で影響を受けた音楽が、二人の人生と表裏一体になっていて、実に興味深い話だった。

 二人があげた歌や曲は、全部というわけではないが、秋元康の『スーダラ節』『戦争を知らない子供たち』『大阪で生まれた女』『川の流れのように』『イマージン』『旅人よ』 などであり、一方の黒木瞳が選んだのは、『真実一路のマーチ』『風と共に去りぬ~タラのテーマ』『時の流れに身をまかせ』『ベルサイユのばら~愛あればこそ』『水に流して(エディット・ピアフ)』『(子供時代に練習した)ショパンのピアノ協奏曲1番』などであり、私から見れば年は離れているが、世代が近いと思わせる、二人の思い出に残る歌や音楽のそれぞれは、私が知っているものばかりだし、同じように選びたい曲もあるくらいなのだ。

 大人になって経験を積んでからでないと語れないことは、いろいろとあるのだ。
 若者には、若者の歌が、大人には大人の歌が、年寄りには年寄りの歌が、死にゆくものには死にゆく者の歌が・・・。

 さて、山からの下りは、急いだつもりはないのだが、それでも2時間もかからないくらいで下りてきた。
 休み時間を含めても、併せて5時間ほどの、今の私にはちょうど良い山歩きだった。
 いつもの、芽室町新嵐山の安くて入れる風呂で汗を流した。
 暖かいお湯につかって、心地よい体の疲れを感じながら、良い天気の日の、良い山の思い出を振り返ることができた。
 残り少ないだろう私の人生の、山の思い出は、これからもこうありたいものだ。
 
 冬が来る前に、雪が降る前に、登る山としてはそれで良かったのだが、昨日ついに、ここでも雪が降り積もった。
 初雪は前回書いたように、夜中だったらしくて見ることはできなかったし、朝、積もってもいなかったが、昨日の雪は、未明に降り始めて見る間に2cmほど積もって、辺り一面が真っ白になってしまった。冬が来たのだ。(写真下)
 その後、昼前には冷たい小雨に変わり、一日中降り続いた。朝の気温-2度、日中も+2度までしか上がらず、暖かい真冬の時期のようだった。
 今日、雨は明け方までには止んで、雪もすっかり消えてしまった。

 外に出てみると、まだ細かい雪が降っているようで・・・しかし、それはいっせいに散り始めたカラマツの葉だった。
 辺りはすべて、その黄色い葉に覆われてゆく・・・。
 秋が終わろうとしているのだ。
 いつも今頃になると思い出す、詩一編。

 「ささやかな地異(ちい)は そのかたみに
 灰を降らした この村に ひとしきりに
 灰は悲しい追憶のように 音たてて
 樹木の梢(こずえ)に 家々の屋根に 降りしきった
 ・・・。」
  
 (立原道造詩集より 「はじめてのものに」 『現代日本の文学』17 学習研究社)


 


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