ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(109)

2009-09-01 21:36:49 | Weblog



9月1日

 すっかり、ワタシは飼い主のいる家のネコになった。飼い主から言えば、つまりは、ミャオのいる家ということなのだろうが。
 朝まで部屋で寝ていて、飼い主の朝食が終わったら(ちなみに、ワタシは朝食は食べない、年寄りネコとしての健康のためだ)、一緒に散歩に出かける。帰ってきたら、飼い主が出してくれたミルクをひとナメして、後は日がな一日、ベランダの風通しのよい日陰で、寝て過ごす。
 そして、日が少し傾いてきたころから、飼い主にニャーニャーと鳴いて、サカナをくれと催促する。大体は、おばあさんがいたころから、一年を通して、5時ということに決まっていたのだが、飼い主は、今では4時半にはサカナを出してくれる。
 それは一つには、いつもワタシを置いて北海道へ行ってしまうことへの、罪滅(つみほろ)ぼしの、意味が込められているのかもしれないが。ともかくこの30分は、ワタシには大きいのだ。
 昼間と比べれば、ずっと涼しくなってきているし、その上にまだ十分に明るいから、ワタシは野生の本能を忘れないようにと、あちこちを歩き回り、夜には、今までエサをくれていたおじさんの所に、ひょっこりと顔を出したりもする。

 そういえば、ある夕方のことだ。ワタシは、物置の裏側の所で、いい具合に一匹のトカゲと出くわした。
 瞬間、ワタシの毛は逆立って、眼の瞳孔(どうこう)はカッと開き、すぐに体を縮め息をひそめて、次の瞬間、飛びかかった。
 しっかりとワタシの前足が、トカゲの体をとらえた。爪先がその獲物の体に食い込む感覚・・・クー、この感じがたまらん。ネコに生まれてきて良かったと思う瞬間だ。さて、どうするか。

 数年前のこと、寒い冬のさ中、二カ月もの間、この山の中でひとりきりで、全くのノラネコとして、暮らしたことがある。飼い主は、ワタシのエサやりを、近くのおばさんに頼んでいたのだが、そのおばさんが年明けに、急に引っ越して行ったのだ。
 ワタシは、悲しいかな、生まれながらの半ノラの性格が災(わざわ)いして、他所の家に行ったり、他の人間にすり寄って行って、食べ物をもらうということができなかったのだ。
 だから、その時は、ワタシは、ただ生きるのに必死だった。食べられるものは何でも食べた。ネズミ、モグラ、トカゲ、バッタ、カタツムリ、ミミズ、そして、たまには運良く、キジバトなどの鳥を仕留めたこともあったのだ(’08.3.9の項、参照)。

 しかし、今は、飼い主にもらった生ザカナを食べたばかりだ。そうだ、飼い主に見せてやろう。
 口にくわえて、一目散に家に入り、テレビを見ていた飼い主に向かって、ミャーオと鳴く。が、獲物をくわえたままだから、声が少しくぐもってしまい、ンミャーゴといった声になる。
 飼い主が、いつもの声と違うとすぐに気づいて、振り返る。ワタシは、獲物のトカゲを口から離して下に置き、ニタリと笑う。
 ところが、おっととと・・・トカゲが逃げ出した。ワタシは慌てて,前足で捕まえようとする。捕まえたと思ったところで、トカゲはソファの裏へと逃げ込んだ。飼い主がすぐに、やってきて、ソファを動かしてくれたが、トカゲはさらに細かい隙間を伝って、ステレオなどの置いてある、サイドボードの裏に入り込んだらしい。
 飼い主がぶつぶつ言いながら、サイドボードの裏を、ほうきで叩いたりしていたが、トカゲは出てこない。万事休すだ。
 飼い主が、文句を言っているのがわかった。ワタシは、ベランダに出て、毛づくろいをした。良かれと思ってしたことが、うまくいかないこともあるのだ。

 ともかく、ワタシは夜も、あちこちと出歩いて、そして帰って来たと飼い主に鳴いて教えて、体を優しくなでてもらい、いつものコタツ布団の上で、おとなしく朝まで寝る。そんな毎日が続いてくれれば、ワタシはそれだけで良いのだ。

 
 「こちらに戻ってきてから、1週間になるが、すっかり、ミャオが家のネコになってくれた。今まで、半ノラでいたことを忘れたみたいに、いつもの家にいるミャオに戻ってくれた。こんないい加減な飼い主に、文句も言わずに、その上、元気でいてくれるミャオには、感謝するばかりだ。

 いつものように、朝、ミャオと一緒に散歩に出て、その道すがら、青草の中に、ただ一本のネジバナが咲いているのを見つけた(写真)。
 別に、取り立てて珍しい、野の花だというわけでもないのだが、その姿を見るたびに、いつも何かを思ってしまう。 

 ネジバナの別名は、モジズリであるが、そこで思い出すのは、あの百人一首にある有名な歌である。
 『陸奥(みちのく)のしのぶもぢずり誰(たれ)ゆへに みだれそめにし我ならなくに』(あの陸奥の信夫もじずり模様のように、我を忘れて思い乱れるようになったのは、いったい誰のせいだろう)
 この歌は、下の句が少し変えられているが、本歌は古今集にある源融(みなもとのとおる、河原左大臣)によるものである。
 それはともかく、この歌にうたわれている、”もぢずり”のことを、長い間、私はネジバナのことを言っているものだと思っていた。身をよじって咲く花の姿が、いかにもその思いにふさわしかったからだ。
 しかし、正しくは、上の訳のように、信夫(しのぶ、福島県信夫郡)地方で作られた、もじずり模様だとされているが、一説には、忍草(しのぶぐさ)で文字を摺(す)った、という解釈もされているとか。(余談だが、昔、信夫山という技巧派の力士がいたが、そのもとになった信夫山は福島市にある。)

 難しい話はともかくとして、ネジバナは、時々道端で見つけては、こんな所にと、嬉しくなる花の一つではある。らせん状に、小さな花が巻き上がって、形づくるその独特な姿。そして薄紅色の、その色合いが、また可憐で素晴らしい。


 誰にもあるように、私も若いころに、幾つかの恋をした。片思いの恋は、ひとり思いつめては、ひたむきに燃え上がるだけのもの。しかし、いつか思いが叶(かな)い、結ばれる恋のその先には、いつも身をよじるような、抜き差しならぬ思いの時が待っていた。その思いは、私からだったのか、いやそれ以上に、彼女の方からだったのかもしれない。
 今は今だから、後悔はしないけれども、もう少しわかってあげていればと、若い日の自分を、ただ悲しく思うだけだ。

   ・・・・・・
   日が去り 月がゆき
    過ぎた時も 昔の恋も 二度とまた帰ってこない
   ミラボー橋の下をセーヌ河が流れる
   日も暮れよ 鐘も鳴れ
   月日は流れ わたしは残る 

  (堀口大学訳『アポリネール詩集』より)


 私、不肖(ふしょう)、鬼瓦熊三(おにがわらくまぞう)、ひとり秋の虫の鳴く音を聞きながら、がらにもなく物思いにふけり、いつしか、あのハスキーな声の、ドリス・デイが歌うセンチメンタル・ジャーニーが、耳の奥に聞こえてまいりました、はい。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。