ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

穏やかな日々

2014-06-02 21:03:34 | Weblog



 6月2日

 このところ全国各地では、早すぎる真夏の気温になり、猛暑日を記録しているとのことだが、この北海道でも同じように暑くはなっているのだが、私のいる十勝地方の気温は、まだ30度を超えてはいない。
 朝は10度以下にもなる冷え込みがあるし、暑い日中でも25度を超えるくらいだ。
 さすがに日差しは夏の暑さだが、空気が乾燥しているから、吹く風はさわやかで、日陰に入れば少し肌寒くさえ感じる。
 空はもう何日も晴れ渡り、青空に時々薄い雲が流れていく。

 いい季節だ。
 どこにも行きたくはない。
 この青空の下、新緑の木々や、草花に囲まれ、遠くに日高山脈の山々を眺めながら、毎日を暮らしていると、もうそれだけで十分な思いになる。
 これ以上何がいるというのだ。

 この春に、こちらに戻ってきて(もう一月あまりにもなるが)最初のころは、もともと水回りが不便なうえに、肝心の井戸水が出なくなるし、それまでいた九州の家では、それが普通の家なのだろうが、下水道は整備されていて、当然のようにいつでも風呂に入れるし洗濯もできるのに、それと比べて、ここは何と不便極まりないことかと、不平たらたらの思いだったのだ。
 しかし、新しい井戸ポンプに換えて、ともかく最低限の生活用水が確保されると、その他の不便さには、いつものことだからと慣れてきて、今はこうして、静かな自然の中で、大好きなこの北海道の空気の肌触りを感じながら、毎日を送っていけることにすっかり満足してしまい、やはりこの家にいたほうがいいと思い直しているのだ。

 ”のど元過ぎれば熱さを忘れ”のたとえの通りに、幾つになっても同じことを繰り返しているのだ。
 思えば、もう私の人生のかなり多くの時間を、この小さな家で過ごしてきたのだから、多少の不便は覚悟の上と分かっているはずなのだが。

 昨日、今日と山々がよく見えて、絶好の登山日和だった。
 特に今日なんぞは、一日中快晴の空で、さわやかなそよ風が吹き、ずっと山が見えていて、まさに残雪の山歩きにふさわしい日だったのだが、このところ書いているように、もうそれほど山にガツガツしなくなってきていて、一月に一度行けばいいと思うようになっていて、それはもちろん、もう北海道のめぼしい山のほとんどには登っているからでもあり、また年寄りになって動き回るのが面倒になってきたからでもある。

 しかし、山に登らなくても、家の周りでも自然の美しい景色を見ることはできる。
 昨日、最近気になっていたあの春の眺めを見るために、家から少し離れたところにある場所へと車を走らせた。
 それは、菜の花畑であり、畑にすき込んで肥料にするための草花なのだが、一面の黄色の広がりは、私たちの目をも楽しませてくれることになる。

 母がまだ元気だったころ、春になるといつも車に乗って出かけたものだった。
 ゆるやかに流れる川沿の河原に、帯のようにつながり続く、あののどやかな九州の菜の花畑の光景が忘れられない。
 ・・・その眺めとは違うけれども、この北海道の広い大地の一面を彩る、菜の花畑の光景もまた素晴らしい。

 毎年どこかの農家が、自分の畑に菜種をまいているのだが、もちろんそれは輪作(畑の作付を毎年変えて地力を保つ)の計画でもあって、その農家以外の人には、どこが黄色くなるのかは、花が咲くまでは分からないのだが、それが毎年の私の楽しみの一つにもなっているのだ。
 そして今年は、その背景にちょうどいい具合に日高山脈が見えるとはいかなったが、それでも、広い菜の花畑とそれを区切るカラマツ林、さわやかな雲が流れる初夏の空と・・・ここに椅子でも置いて、ずっと眺めていたいような光景だった。(写真上)

 先日、テレビのあるバラエティー番組で、タレントたちが、「私たちは日ごろ空なんて見ようとも思わないから・・・」と言っいたが、それは都会での忙しい毎日の中では当然のことなのだろうし、また別の番組では、ある高層マンションに住む女優の日常生活として、同じように高い階にあるスポーツクラブで、美しくきらめく東京の夜景を見ながら、フィットネスの運動に励む彼女の姿を映し出していた。

 こうして都会に暮らす彼女たちは、私の住んでいる田舎のみすぼらしい小屋には住めないように、私も都会の高層マンションで暮らすことはできない。
 どちらの生活が正しいのかという問題ではなく、それはもう子供の時代から育まれ大人になって確固たるものになっていった、いわゆる性分(しょうぶん)、性向の差であるとしか言えないものなのだろう。

 ただ人間を、類人猿からたどってきた進化の過程にあるとするならば、彼女たちこそが、自らが生み出した文明に適応して、変化し進化し続ける人間たちであり、こうして田舎の生活にしがみ続ける私たちは、文明の環境に順応できない、進化することのできない人間たちであると言うことはできるだろう。

 先日、日本創成会議の人口減少問題分科会から、「2040年には、全国896の地方自治体が人口減少高齢化などの影響で、消滅の危機に直面することになるだろう。」との調査発表があった。 
 さもありなん。
 私たちのような、田舎暮らしを好む人間たち、進化することのできない人間たちは、ごく小さな少数派でしかなく、そのまま高齢化していけば、若者はいなくなり、自治体としての形が成り立たなくなり、さらに彼らが死に絶えることでまた集落も消滅することになるのだろう。

 大都会、地方都市だけがふくれ上がり発展し続けていき、そこでは都市生活に適応し進化し続けることのできる、大多数の人々が暮らしていくことになるのだ。
 そのこと自体、生物進化論の立場から言えば、実は正しい流れのようにも思えるのだ。

 他方で、今までの生物たちの繁栄と絶滅の歴史を見ていけば、進化できなかった者たちいわゆる守旧派は、絶滅するわけではなく、どこかで細々と命脈をつなぎ、生物界によくある亜種という珍しい形で生き残るのかもしれない。

 同じように先日発表された人口動態調査によれば、相変わらず北海道は、全国人口減少都道府県の第一位にあり、上にあげた消滅自治体数でも断然トップの数であった。
 それでいいのかもしれない。大幅に人口が減っても、大規模農業企業体、漁業企業体、そして外国人相手の巨大リゾート地などが作られることになり、北海道はちゃんと生き延びるだろう。
 別にこの大自然豊かな北海道がなくなるわけではなく、むしろ人間がいなくなることで、大自然に生きる生物たちの更なる活力が生まれるのかもしれない。

 何もそこまで、老いぼれジジイの私が心配することはないのだが、未来への考えをめぐらすのは他人事ながら興味深いことだ。
 そういえば先日、北海道の放送局制作による番組が二本放送された。
 一つは、HTBの『氷の島のメッセージ グリーンランド温暖化の最前線から』というドキュメンタリーであり、 あの有名な北大低温科学研究所が、地球温暖化の現実として、グリーンランドの氷河の急激な変化でもある、その後退・減少の実態を調査していた。

 さらに取材班は、このグリーンランド最北の集落に住む一人の日本人の漁師のもとを訪ねるが、彼が言うには、年ごとに結氷の時期が遅くなり、犬ぞりが使いずらくなってきたとのこと。
 彼は、あの植村直己さんにいろいろと教えてもらったこともあり、イヌイットの女の人と結婚し、以後40年ここに漁師として住み続けていて、今では孫が9人もいるとのことだった。
 
 もう一本は、NHKの『独り歩いて北極点へ』という、ある若い冒険家の北極点行のドキュメンタリーだった。
 荻田泰永(36歳)は、目的を見失っていた学生時代に、公募による北極圏徒歩行に参加し、以後10回以上北極圏での犬ぞり、徒歩行を実行し、今年はついに、今まで日本人としてはまだ誰も成し遂げたことのなかった、無補給単独徒歩による北極点到達に挑んだのだ。
 過去の日本人記録としては、あの日大隊に始まり、植村直己、集団の一員としての和泉雅子、大場満郎、河野兵市などが北極点に到達していたのだが・・・。

 しかし、彼は40日にも及ぶ苦闘の末、道半ばで断念することになる。
 その苦しい決断に至るまでには、いろいろのことがあったのだろうが、大きな理由の一つは、予想外に繰り返し続いていた、乱氷帯を乗り越えるのに手間取ったことにある。
 その乱氷帯は、地球温暖化で氷が薄くなり流されやすくなって、氷同士がぶつかって盛り上がり、行く手をふさぐ形になっていたのだ。

 私はこの番組を見ていて、比較にはならない小さな冒険だったけれども、あのオーストラリアの砂漠で、何度も転びながら、そのたびごとに重たいバイクを抱え起こした時のことを思い出していた。(4月7日の項参照)
 さらに、この番組の中で、今年同じ北極点を目指す他のパーティーなどが紹介されていて、単独行は彼一人だけだったが、それを知った二人組の一人が言っていた。
 「おれは頼まれたって一人では行きたくないね、肉体的に精神的に、二人でいるときの十倍はつらいだろうからね。」

 私は、たった一人でこの丸太小屋を建てた時のことを思い出していた。長く重たい丸太を抱え上げるときには、一人だけだから、片方ずつを持ち上げていくしかないし、丸太積みが高くなって上で作業しているとき、もしノミや鉛筆一本落としても、下で拾って手渡してくれる人など誰もいなかったのだ。
 つまり丸太小屋を一人で建てるということは、二人で建てるときの、数倍の労力と時間がかかるものなのだ。

 しかし、思えばすべてはどこかでつながっている。
 若き日の冒険も、地球温暖化も、高層マンションに住むことも、田舎に年寄りだけが取り残されることも・・・。
 しかし、すべて地球の歴史、生物の歴史の流れから見れば、大したことではないのかもしれない。
 ただ黙々と、自然の生物たちは生き続けるだけなのだから・・・。
 
 さて、庭のチューリップ花が終わって、代わりにエゾヤマツツジとレンゲツツジの花が咲き始めて、ライラック(ムラサキハシドイ)の花も今が満開になっている。
 林のふちには、白いチゴユリが群れて咲いているし、ナナカマドの木の根元には今年もクロユリの花が咲いてくれた(写真下)。
 さらに林の中には、ツマトリソウの白い可憐な小さい花が点々と見え、一方では群落をなしてベニバナイチヤクソウが咲き始め、ササ原の緑の葉の間には、白い鈴なりの花が見え隠れして、あのスズランのかぐわしい香りが漂ってくる。

 山に行けなくっても、こうして天気の良い日に、庭いじりをして林の中を歩き回り、半日、ブログ書きでパソコンの前に座っていたとしても、まずは、満足すべき穏やかな一日があったということだ。

「・・・人間の大事、この三つには過ぎず。飢えず、寒からず、風雨に侵(おか)されず、閑(しず)かに過ごすを楽しびとす。・・・」

(吉田兼好 『徒然草』第百二十三段より)


  

 

  


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