4月6日 朝から気温は6度もあり暖かいが、曇り空で、日中も10度くらいまでしか上がらず、まだまだストーヴの前で寝ている。そこで、ウトウトと夢を見る。アハーン、ニャオーン。
それというのも、またあのマイケルや若いネコちゃんが家にやってきて、悩ましい声を出しては、ワタシに誘いをかけるからだ。三日ほど前のこと、ワタシが一匹の方とニャンして戻ってくると、またもう一匹の方がやって来た。ワタシは慌てて飼い主のいる家の中へ隠れるが、興味はあるからまた外に出て相手の出方を伺う。
やっと一段落ついて、飼い主の傍に戻り、その後の毛づくろいを念入りにする。そのワタシを、飼い主はニヤニヤして見ていた。
このすかんタコが、自分のことはどうなの、あのアイルランド娘とはどうなったの。
「ああ、例のパンを一緒に食べた子のことか。彼女は、実はその節約した食事のせいではないのだけれど、次の日に体の具合が悪くなってしまい、すぐに二人でオスロ市内の病院に行ったんだ。そこでの医師の診断は、すぐにイギリスに戻り(彼女はイギリスの大学に通っていた)、地元の病院で詳しい検査を受けなさいとのことだった。
彼女は急いで支度をして、二人でバスに乗り、飛行場まで行った。着くと、すぐにもう出発する時間だった。彼女の瞳には涙が溢れてきた。お互いの肩に回した手に力が入り、必ずまた会えるからと言って、振り返る彼女の姿は搭乗口に消えた。
今にして思うのだが、あの時、本当に気がかりだった彼女の体のことを思い、旅を中断し、一緒にイギリスに戻るべきではなかったのか。しかしその時は、長年憧れていたヨーロッパへの、4ヶ月にも及ぶ旅の、まだ一週間がたったばかりのころだったのだ。
そしてその長い旅が終わって、イギリスに戻り、彼女の下宿先に連絡を取ったのだが、あいにくその時、彼女はアイルランドの実家に帰っていた。
再び会えぬまま、日本に戻り、それから二、三年手紙のやり取りをしていたが、それもいつしか途絶えた。オレはそのころ、北海道に建てている家のことで頭がいっぱいだった。そして久しぶりに届いた手紙には、自転車屋で働くイギリスの男と結婚したと書いてあった。
ヨーロッパの旅の間には、他にも何人かの女の子たちに出会ったが、彼女はいい子だったよ。美人という顔立ちではないが、濃い色のブロンドで、可愛い感じの丸顔にメガネをかけていた。
彼女と一緒になっていたなら、なんて考えないこともないが、それにしても人生の分かれ道なんて、今思えばいろんな所で、いろんな時にあったのだ。しかし、どれが正しかったかということは分からない。ただ、誰のせいなんかでもなくて、その時その時に自分が選んできた、その単なる結果に過ぎないことなのだ。そして今、オレはここに、ミャオ、オマエと一緒にいるということだ。
貧乏について、節約することについて話すつもりだったのに、すっかり若かりしころのことを思い出してしまって、オマエの知らない外国の話になってごめんな。ただあれは、恋したということじゃない、単に好きだったということで、誰にもよくある話だ。オレが若いころに幾つか恋した話なぞ、その年で現役バリバリのオマエには退屈なだけだろうから、しないけれど、まあ今となっては、みんないい思い出だ。
前に、年を取るのも悪くない、いろんなことがはっきりと見えてくるから、といったことを書いたが、ただ若いころの方がいいのは、ひたむきに恋に夢中になれることだ。相手のことも大好きだし、そんな自分も好きだと思えるくらいにね。
何度も言ったと思うが、あのゼフィレッリ監督の映画『ロミオとジュリエット』(1968年)の若い恋の悲劇には、涙もろくなったからでもあるが、何度見ても泣かされてしまう。それとは別に、『禁じられた遊び』(1952年)を見て、子供のころの辛い思い出から、たまらずに泣いてしまうのと同じようなことで、やはりいい思い出というより、辛い思い出だったのかもしれないがね。
ともかく本題の正しい貧乏については、またいつか話そう。」
まあ、犬も食わないのろけ話を結構なことでござんした。ワタシから言わせれば、バカバカしい話だこと。なにをウジウジと考えてばかりいるんだろうね。ワタシはマイケルもあの若いネコちゃんも好き。二匹ともどれだけ真剣か、ちゃんと分かれば、ワタシはそれで十分、余計なことは考えない。
とその時、寝ていたワタシを抱えて、飼い主がベランダへ。そこには、あの甘い悩ましい鳴き声が・・・。
それというのも、またあのマイケルや若いネコちゃんが家にやってきて、悩ましい声を出しては、ワタシに誘いをかけるからだ。三日ほど前のこと、ワタシが一匹の方とニャンして戻ってくると、またもう一匹の方がやって来た。ワタシは慌てて飼い主のいる家の中へ隠れるが、興味はあるからまた外に出て相手の出方を伺う。
やっと一段落ついて、飼い主の傍に戻り、その後の毛づくろいを念入りにする。そのワタシを、飼い主はニヤニヤして見ていた。
このすかんタコが、自分のことはどうなの、あのアイルランド娘とはどうなったの。
「ああ、例のパンを一緒に食べた子のことか。彼女は、実はその節約した食事のせいではないのだけれど、次の日に体の具合が悪くなってしまい、すぐに二人でオスロ市内の病院に行ったんだ。そこでの医師の診断は、すぐにイギリスに戻り(彼女はイギリスの大学に通っていた)、地元の病院で詳しい検査を受けなさいとのことだった。
彼女は急いで支度をして、二人でバスに乗り、飛行場まで行った。着くと、すぐにもう出発する時間だった。彼女の瞳には涙が溢れてきた。お互いの肩に回した手に力が入り、必ずまた会えるからと言って、振り返る彼女の姿は搭乗口に消えた。
今にして思うのだが、あの時、本当に気がかりだった彼女の体のことを思い、旅を中断し、一緒にイギリスに戻るべきではなかったのか。しかしその時は、長年憧れていたヨーロッパへの、4ヶ月にも及ぶ旅の、まだ一週間がたったばかりのころだったのだ。
そしてその長い旅が終わって、イギリスに戻り、彼女の下宿先に連絡を取ったのだが、あいにくその時、彼女はアイルランドの実家に帰っていた。
再び会えぬまま、日本に戻り、それから二、三年手紙のやり取りをしていたが、それもいつしか途絶えた。オレはそのころ、北海道に建てている家のことで頭がいっぱいだった。そして久しぶりに届いた手紙には、自転車屋で働くイギリスの男と結婚したと書いてあった。
ヨーロッパの旅の間には、他にも何人かの女の子たちに出会ったが、彼女はいい子だったよ。美人という顔立ちではないが、濃い色のブロンドで、可愛い感じの丸顔にメガネをかけていた。
彼女と一緒になっていたなら、なんて考えないこともないが、それにしても人生の分かれ道なんて、今思えばいろんな所で、いろんな時にあったのだ。しかし、どれが正しかったかということは分からない。ただ、誰のせいなんかでもなくて、その時その時に自分が選んできた、その単なる結果に過ぎないことなのだ。そして今、オレはここに、ミャオ、オマエと一緒にいるということだ。
貧乏について、節約することについて話すつもりだったのに、すっかり若かりしころのことを思い出してしまって、オマエの知らない外国の話になってごめんな。ただあれは、恋したということじゃない、単に好きだったということで、誰にもよくある話だ。オレが若いころに幾つか恋した話なぞ、その年で現役バリバリのオマエには退屈なだけだろうから、しないけれど、まあ今となっては、みんないい思い出だ。
前に、年を取るのも悪くない、いろんなことがはっきりと見えてくるから、といったことを書いたが、ただ若いころの方がいいのは、ひたむきに恋に夢中になれることだ。相手のことも大好きだし、そんな自分も好きだと思えるくらいにね。
何度も言ったと思うが、あのゼフィレッリ監督の映画『ロミオとジュリエット』(1968年)の若い恋の悲劇には、涙もろくなったからでもあるが、何度見ても泣かされてしまう。それとは別に、『禁じられた遊び』(1952年)を見て、子供のころの辛い思い出から、たまらずに泣いてしまうのと同じようなことで、やはりいい思い出というより、辛い思い出だったのかもしれないがね。
ともかく本題の正しい貧乏については、またいつか話そう。」
まあ、犬も食わないのろけ話を結構なことでござんした。ワタシから言わせれば、バカバカしい話だこと。なにをウジウジと考えてばかりいるんだろうね。ワタシはマイケルもあの若いネコちゃんも好き。二匹ともどれだけ真剣か、ちゃんと分かれば、ワタシはそれで十分、余計なことは考えない。
とその時、寝ていたワタシを抱えて、飼い主がベランダへ。そこには、あの甘い悩ましい鳴き声が・・・。