ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

鵺の鳴く夜は

2018-04-02 22:24:53 | Weblog



 
 4月2日

 何と素晴らしい、春の日々だろう。
 8日間、続けて快晴の日が続iいたのだ。
 さすがに昨日は雲が出て、午後からは曇り空になってしまい、今日もまた朝から晴れてはいたが、やがて雲も出てきて快晴というわけにはいかなかったが、もう二三日はこんな穏やかな晴れの日が続くとのことだ。 
 確かに、こうして春と秋の季節には、長々と西から伸びてきた高気圧帯に覆われて、天気の日が続くことが多いのだが、この春ほどに長く晴れの日が続いたことは、私の記憶にはない。

 もちろんこれは、私にすれば、絶好の山日和(やまびより)が続いたことでもあって、喜々として山登りに出かけてもいいところなのだが、この間はずっと家にいて、散歩や長距離ハイキングに行ったぐらいで、山には登らなかったのだ。 
 というのも、今の時期の九州の山は、冬から春の端境期にあたり、あまり見るべきものがなくて、せいぜい山麓から沢沿いの、ヤマザクラやマンサク、ダンコウバイ、クロモジなどの黄色い花を見るくらいでしかないので、山慣れしていて狡猾(こうかつ)な見方しかできない年寄りとしては、どうしても今一つ出かける気にはなれないのだ。

 もし私が本州中央部のように、周りに残雪の山々が幾つもあるような所に住んでいたのなら、ホイホイと喜んで出かけていただろうに。
 しかし、考えてみれば、全国に住む山好きな人たちは誰でも、今いる所からと限られる中で、それぞれに登る山を計画しては工夫しているのだろうし。
 例えば、もし沖縄に住んでいて、山登りが好きになった人はどうしているのだろうか。 

 私が東京の会社を辞めて、田舎に移住しようと考えた時に、候補地として考えたのは、北海道と長野県であり、いずれも山のことを念頭に置いていたからでもある。
 特に、北アルプスの山々に囲まれた、松本を中心とする安曇野(あずみの)の風景には、最後まで北海道との間で迷ってしまい、何度も松本や大町の職安(今でいうハローワーク)に通ったくらいだったのだが。 
 さらにこれは、後になって気がついたことだが、東京は、すぐそばに山があるわけではないから、登山口に着くまでに多少時間はかかるにせよ、どの地域の山に登るにも、様々な交通機関を利用できて、日本の主な山々に登るには最も便利な都市だということだ。

 しかし、結局は北海道を選び、体が元気なまだ若いころに、大雪山と日高山脈の山々に集中して登ることができたのは、自分が選んだ山人生としては最高の選択だったと思う。
 今では、様々な紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、こうして九州に戻ってきて、それでも、年寄りにもやさしい九重の山々に心暖かく受け入れてもらっているのだから、何を不満に思うことがあるだろうか。
 たかだか天気が続いたぐらいで、残雪の山に行けたのにと思うのは、命短い年寄りの情けない法界悋気(ほうかいりんき)のなせるわざ・・・何事も分相応に考えて、まずは今ここに生きていること自体に、感謝すべきなのだが。

 庭の、梅の花はもうほとんど散ってしまったが、今を盛りに白いコブシの花が満開になり(冒頭の写真、背景の緑の新芽はニシキギ)、手のひらほどの大ぶりなヤエツバキの花(写真下)も開き始めて、さらには沈丁花(じんちょうげ)の香りが、家の中にまで匂ってくる。



 そして、ヤマザクラのツボミも日ごとにふくらんできていて、今か今かと待ちかねていたが、この連日の暖かさで昨日今日と一気に花開いたのだ。
 いつもの年よりは10日余りも早く、これまた家のヤマザクラの開花日としては、もっとも早い記録になるだろうが、半ば嬉しく半ば心配なような・・・。

 今年の冬の寒さには震え上がりながらも、季節の中ではやはり冬が一番好きだし、雪山の姿こそ自然界の最高の見ものだと、あたりはばからず豪語していた私だが、こうして、体全体を包む陽の暖かさを感じ、次から次に花が咲き新緑が萌え出るころになると、やはり春に勝るものはないという思いになってしまうのだ。
 さらには、あちこちから鳥のさえずりも聞こえてくる。

 その中でも、今は一羽のカシラダカが、家の周りでなわばりの場所を決めるかのように、きれいな声で鳴いている。 
 わが家は山間部の斜面地にある集落地にあり、昔は草原も多かったから、特にホオジロが多くいて、春になるとあちこちから、”源平ツツジー白ツツジ”と聞きなすことのできる、さえずりが聞こえていたものだが、今では草原が手入れされずに放置されていて、いつしか樹木類が増えてきたからでもあるのだろうが、すっかりその数が減ってしまった。
 家の周りで見ることのできるホオジロ類の鳥は、ホオジロや今さえずっているカシラダカの他に、ホオアカやミヤマホオジロがいる。
 全体的に地味な縞模様の鳥が多い、このホオジロ類の中で、見た目の色が目立つのは、北海道で見ることのできるシマアオジ(黒い顔と黄色い腹)と、このミヤマホオジロだろう。 
 冬鳥としてやってくるので今はもういないし、地鳴き意外にそのさえずりの声を聞いたことはないのだが、何といっても、オスの頭から胸にかけての黒と黄色の配色模様が素晴らしい(メスは茶と黄色)。 
 そのミヤマホオジロの学名が、”Emberiza elegans”と名付けられているように、その頭頂部の冠羽を逆立てた姿が、確かにエレガントでナイスなのだ。
(ちなみに、カシラダカも冠羽を逆立てることから、その名前が付けられたと思われるのだが。)

 鳥の話からいえば、古代万葉の時代から、日本の人々は、様々な鳥にことよせて自分の気持ちを託していて、一つずつ挙げていけばきりがないのだが、まずは、ちょうど家の桜が咲いたばかりの今の季節に合わせて、万葉集の中からの一首。

”うぐいすの 木伝う梅の うつろえば 桜の花の 時かたまけぬ” (かたまく=方設く、時が近づく)

(『万葉集』巻第十「春雑歌より花を詠む」1854 伊藤博訳注 角川文庫 以下同様)

 確かに、家の庭でも隣り合って梅の木と桜の木が並んでいて、梅の時期からずっと、鳥たちがやってきているのだが、それはウグイスではなくて、あの鳴き声も体もガサツなヒヨドリなのだ。 
 時には、そのヒヨドリのいない間にと、黄色い体に白いくまどりの眼がかわいい、小さなメジロたちの群れがやってくることもあるのだが、体の大きなヒヨドリを怖れて、すぐに枝先を離れてしまう。

 さらにもう一首、これはまだこれからの季節の話なのだが。

”旅にして 妻恋すらし ほととぎす 神なび山に さ夜ふけて鳴く”(神なび山=神なびて神霊が満ちる山、古代明日香の宮の裏山)

(『万葉集』巻第十「夏雑歌より長歌の後の反歌として」

 確かに、北海道の林の中にある家に住んでいると、夜中に林のふちの方から、このホトトギスの”テッペンカケタカ”という鳴き声が聞こえてきたりして、まだ慣れない最初のころは、何事かと思ったくらいだったのだが、万葉の人々は、こうして夜にひとり寝をしている自分の思いを、恋人を求めて鳴くホトトギスの声に託したのだろう。
 ちなみに、腹が同じボーダー柄で同じような体形をした、このホトトギスとカッコウとツツドリの区別は、見た目だけでは難しく、結局はその声で区別をつけるしかないのだ、カッコーはその名のとおりに、全世界共通語でカッコーと鳴くし、ツツドリもまた野太い声でツツーと鳴いている。 
 当時、このホトトギスは夏の季節を告げる”時鳥”と呼ばれ、カッコーは”呼子鳥”と呼ばれていたが、時にはこの二つを”郭公(かっこう)”と書いて混同して使われたりもしていたという。(『古語辞典』旺文社編)

 それはともかく、多くの鳥たちにとっては、夜中は休息の時であり、敵から身を守るためにも静かにしているものだが、その夜にこそ鳴く鳥たちもいるのだ。 
 その代表的なものは、フクロウの仲間であり、ゴロスケホーホーと鳴くフクロウや、ホーホーと鳴くアオバズクなどは誰もが知っている通りである。 
 他には、北海道の草原のそばで夜でも、”ジッジッジー、ズビヤクズビヤク”と大きな風切り音を立てて急降下するオオジシギには驚かされるし、「どこが夜見えない鳥目なんだよー」と突っ込みを入れたくなるほどだ。 
 他にも、林の中で、”キョッキョッキョ・・・”と鳴き続けるヨタカや、昔の日本映画で横溝正史原作の『悪霊島』(1981年)の宣伝用フレーズで有名になった”鵺(ぬえ)の鳴く夜は恐ろしい”の、”鵺”とはトラツグミのことであり、確かに夜中に、林の中から”ヒヨーヒヨー”と細くひそやかな声が聞こえてくると、不気味な感じがする。

 ここまで書いてきて、思い出したのは、京都の町はずれにある、外国人向けの宿に泊まった時のことだ。 
 前にも何度か書いているように、だいぶん前の東京にいたころのことだが、私にはフランス人の友達がいて、さらには、フランスにいた彼のご両親や妹さんなどのご家族とも、親しくさせてもらうようになっていたのだが、そのご両親が亡くなられてからは、彼ともすっかり疎遠になっているのだが、それはともかく、この話は、フランス人の彼が日本で結婚することになって、家族が皆で日本にやってきて、私が案内して奈良に京都を回った時の話なのだ。
 
 その時は、日本人の花嫁は結婚式の前の準備で来ることができずに、結局、そのフランス人一家に私を入れた5人での、2泊3日の旅だったのだが、京都の宿は、東山の山裾の辺りにあった外国人ツーリスト向けの宿であり、幸いにも予約した時に、一番大きな5人部屋が空いていて、皆で一緒に泊まることができた。
 そして、外で食事した後は、すぐに宿に戻って、皆早めにベッドに入ったのだが、しばらくすると、おやじさんが隣のおかあさんにぼそぼそと話しかけていて、それが息子の彼にも聞こえたらしくて、私に英語で通訳して話してくれた。
「おやじが、あの動物の鳴き声が気になって眠られないと言っているんだ。」
 
 確かに、この宿の周りには一部、水田地帯が残っていて、そこでクイナが鳴いていることは私にもわかってはいたが、むしろ京都にもこんな静かなところがあるのだ、というぐらいにしか思っていなかった。 
 もともと、おやじさんはフランスの田舎育ちなのだが、異郷の地で初めて泊まる宿で、夜中、クイックイックイッ・・・と聞いたこともない生き物の声が聞こえてくれば、”あれは何だ、日本に棲む怪獣の声か”と気になって、さらには昼間見た、寺社仏閣の暗闇に立ち並ぶ仏像たちの無表情な顔を見ていたから、余計に妄想が重なりふくらんで、眠れなくなったのだ。
 私がクイナのことを息子に説明してやり、彼がおやじさんに話してやると、今まで不安そうに眼を見開いていたおやじさんの顔に、小さな笑みが浮かんで、納得したようにうなずき”オワゾ”という言葉が聞こえてきた。

 私はもちろんフランス語は話せないのだが、単語やフレーズのいくつかは知っていたし、それをもとにたまには少しだけ理解できる話もあった。 
 私は当時も、クラッシク音楽ファンであり、それも輸入盤マニアでもあったから、イギリスに”L'OISEAU-LYRE(オワゾリール)”という名前のレコード会社があり、そのロゴ・マークが”オワゾリール(コトドリ)”であることも知っていたから、おやじさんが”オワゾ”と言った時から、私もおやじさんが鳥だと理解していることがわかったのだ。
 私は、おやじさんの顔を思い浮かべながら、ベッドの中でしばらくは笑いを押し殺していた。 
(ちなみに、おやじさんの顔は、あのフランスの昔の名優リノ・ヴァンチュラをやさしくしたような感じだったのだが。)

 そして、その後、このフランス人家族と会うに時は、いつもあの”オワゾ”事件の話になって、大笑いしたものだった。
 その6年後、このおとうさんとおかあさんは、もう一度私に会いたいからと言って、私の住む北海道にまでやってきてくれて、私は、その時は彼の日本人の奥さんと二人をクルマに乗せて、今度は4人で北海道一周のドライヴ旅行をした。
 そして、札幌は千歳空港で、お互いに涙を浮かべながら別れたのが、二人の姿を見た最後だった。

 二人が日本に来た時の、この二つの旅行の思い出と、私がヨーロッパ旅行のついでに、フランスのリヨン郊外の彼らの家を訪ねた時の思い出を併せれば、それは長い話になってしまうのだが、あのご両親と私との間の思い出もまた、お二人がなくなった今では、残る私だけが知っていることであり、私が死んでしまえばそれらのことも消え去っていってしまう。

 そして、やがて今日のような春が来ては、夏になり、明るい秋の後には寒い冬が来て、季節がめぐってゆき、それぞれの人々が生きた世代が代わってゆき、少しずつ更新されていくだけのことだ。
 過ぎゆく時間の中で、何も悔やむべきことはなく、何も惜しむべきこともない。

 年を取るということは、こうして自分の心の中で、楽しく思い出のページをめくってゆくことができるということなのだろうか。


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