ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

常緑樹

2019-12-11 21:41:27 | Weblog




 12月11日

 別に、くたばりかけていたわけではなく、今まで定期的にあげていた、ブログ記事を書けなくなったわけではない。
 前回書いたように、体のあちこちで起きていた、様々な年寄り特有の病状がひどくなったわけでもない。
 ただ、遠い町への病院通いが何度も続くと、次の日はもう何もする気が起きずに、今まで以上にぐうたらに過ごしてしまう、毎日が続いていたのだ。
 しかし、それは何もしなかった日々だったというよりは、毎日をただひとり静かに送っていたというだけのことであり、ベランダの揺り椅子に座って、温かい初冬の日差しを浴びながら、庭の樹々を見たり、ひざの上に置いた本に目を通したりと、きわめて心穏やかに暮らしていて、生きている実感をありがたく感謝する日々でもあったわけで・・・、それはそれで、十分に価値ある日々だったのだ。

 庭から見える樹々は、もうほとんどの紅葉が散ってしまい、今では最後まで残っていた、半日陰に生えているドウダンツツジの黄葉が残っているだけで、確かに今年の遅い秋もこれで終わってしまい、後は雪が降るのを待つだけなのだ。
 庭にある幾つもの樹の中で、スギやヒノキの常緑針葉樹や、ツバキにシャクナゲといった常緑広葉樹たちは、変わらずに緑の葉を茂らせている。
 しかし、それらの樹々もよく見れば、常緑という名前のように、一年中緑の葉でいるわけではない。
 実は、その中の一部の葉は、落葉のための黄葉の時期を迎えていて、もちろん常緑という名の通りに、ほとんどの葉は緑のままなのだが、その中にいくつかの黄葉した葉が見えているのだ。
 つまり、常緑樹という名前の木は、一年中緑の葉のままでいるわけではなく、その内では、役目を終えた葉が黄葉し落葉していくという、世代交代の循環が行われているのだ。
 しかし、このシャクナゲの木の上には、来春に咲く花の白いつぼみがあり、この冬の間に、少しずつ大きくふくらんでいくのだろう。(冒頭の写真)

 生きものの世界とは、そうしたものであり、人の世界もまた何ら変わることはないし、順次、世代交代していく世界であり、それでいいのだ。
 年寄りたちがのさばり、百鬼夜行(ひゃっきやこう)のていでふんぞり返っている世界など、人間以外の、他の生きものたちの世界にはありえないことだ。 
 それで、私もそろそろ”ドロンする”ことにさせてもらいたいのですが、そこが情けない年寄りの強欲さで、あの山に登りたいあの花も見たいと思うことばかりで、テレビの山番組や山の雑誌を、老人性のかすむ目で見ながら、その瞳は青年のように輝き憧れるのだ。
 ああ、”すさまじきものは、年寄りの冷や水”なのだが。

 さて、久しぶりに書いた個人的日記としてのこのブログなのだが、2週間以上も間が空き、さらにはこの九州に戻ってきて以来、まともなブログ記事を書いていなかったために、今回は、それらの日々の総括編として、記事のいくつかを要約して書いていこうと思っているのだが。
 まず、こちらに戻ってきて、あの井戸水が涸れた北海道の家と違って、水が出ることがどれほどありがたいことか、何かにつけて蛇口をひねれば水が出るし、水洗トイレは使えるし、炊事はもとより風呂にも毎日入れるし、その残り湯で洗濯もできるし、今はまさに、”水もしたたるいい暮らし”ができているのだ。
 次には、毎朝新聞が読めることだ。北海道の家でも、新聞がとれないことはないのだが、私みたいにたびたび家を不在にすると、その度ごとに連絡するのも大変で手間がかかるからと、遠慮しているのだが。

 つまり、そういうわけで、この九州にいる半年の間しか新聞を読んではいないのだ。 
 しかし、さすがに新聞だから、ネットニュースみたいに一行だけで終わらずに、詳しく説明してあるのがいいし、何より文化欄や読書欄のニュースが豊富で、何ともありがたい。
 最近の記事から言えば、あの宗教学者の山折哲雄さんが、これは時々連載されているコラムなのだろうが、あの古代の神話や物語の中で使われている”隠れる”や”隠す”という言葉について、近年の葬儀や埋葬に対する日本人の意識とともに、その意味合いも変わってきたのではないかと述べておられたのだが。

 さて、そのことと直接のかかわりはないのだけれども、私がふと思い出したのは、あの万葉集の中に収められた大津皇子(おおつのみこ)とその同母の姉である大伯皇女(おおくにのひめみこ)のそれぞれの歌一首である。まず大津皇子の歌から。

”ももづたふ 磐余(いわれ)の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠(くもがく)りなむ”

 これを、自分なりに訳してみれば、”私が、磐余の池で鳴いている鴨たちを見るのは、今日を限りとしてのことになり、私はこの世から消えてしまい、あの世へ向かうのだ” ということになるだろうか。 
 そして、この弟が埋葬された後の、大伯皇女の一首は。

”うつそみの人にあるわれや 明日よりは 二上山(ふたかみやま)を 弟世(いろせ)とわが見む”

 そしてこれも、自分なりに、”現世に生きる私は、もう弟とは会えないから、明日からは、あの弟が埋葬された二上山を、弟だと思って生きていきます”というふうに訳してみた。

 (『万葉集の名歌』佐々木幸綱監修 中経文庫)

 天皇継承をめぐる争いに巻き込まれて、処刑されることになった大津皇子だが、その前には、伊勢神宮の斎宮(さいぐう、宮に使える皇族の巫女)でもあった姉に、はるばる会いに行っていたことなど、その時の歌も残されていて、この二人の悲劇の姉弟の話が、今でも、つらく伝わってくる。

 次に、哀しい話をもう一つ、たとえて言えば、あのギリシア神話にあるように、人間が一度開けた”パンドラの箱”はもう元には戻らず、世界には多くの異なった言葉と無理解の世界が広がっていってしまったのだ、という話を思い起こさせるように、それは、ある種の無力感さえも感じさせるニュースだったのだが。
 あの混乱の中にある、アフガニスタンの復興開発に、人道主義的な良心から我が身を投げうってかかわってきた、医師中村哲さんが襲撃された事件ほど、世界にいる多様な価値観を持つ人々の存在を考えさせるものはなかった。

 それに合わせたわけではないのだろうが、同じころ新聞の文芸欄に、イギリスの法律経済学者であり哲学者のジェレミ・ベンサム(1748~1832)と、その後継者ミルの思想についての話しが掲載されていた。
 ”功利主義”と呼ばれる、”最大多数の人々の最大幸福を求めて”という思想は、いかにも民主主義の時代にふさわしい考え方に見えるのだが、しかし、一歩誤ればその考え方は、行き着く先での、絶対少数者たちの否定にもつながる危険性もはらんでいるのだ。
 それを、今回の中村医師の貧しき少数者たちへの奉仕の精神と、どう考え併せていけばいいのだろうか。

 それにしても考えさせられるのは、同じ同世代の人間でも、こうして自分のためだけに生きてきて、毎日をぐうたらに過ごし、体のあちこちが痛いと弱音を吐いているだけの、私という人間の生き方の幅がいかに狭いことかなのだが。 
 しかし、もう今から悔い改めても遅すぎることだし、思えばこの地球上に、何兆個もの命の個体数があるかは知らないけれど、それぞれが、与えられた自分の命を守り生き続けていくよう生まれてきたのだから、セミはセミなりに、短い夏の間のひと時に鳴き続け、海に住むマグロは一生を泳ぎ続けることで生きていき、人もまた、四の五の言わずに自分の命がある限り、その日が来るまで生きて行けばいいのだろう。

 たかが体中のあちこちに異変が起きたぐらいで、泣き言を言うのはやめて、おつむてんてん、チョウチョウが飛んで、頭の中は毎日青空で、余計なことは考えないようにしよう。
 歌にあるように、なるようにしかならないのだから。
 ”Whatever will be,will be . Future is not ours to see."

(1956年のあのヒッチコック監督による映画「知りすぎた男」の主題歌「ケセラセラ」として、主演女優のドリス・デイによって歌われて大ヒットした。

 長い間休んでいたこのブログに、書きたいことはいろいろとあったのだが、体力が続かなくて、ほんの一部のことしか書けなかった。
 これからは、自分で勝手に決めていた、月曜日や火曜日という枠にとらわれずに、思いつくまま気ままに、その時々に書いていければいいと思ってはいるのだが、果たしていつまで続けられることやら・・・。