4月15日
このところ、おそらくは最後の”寒の戻り”だろうという日々が続いていて、最低気温がマイナスになる日もあって、まだ朝夕のストーヴが欠かせない。
しかし、先週は初夏を思わせるほどに気温が上がって、花々は一気にツボミから花開き、木々の芽吹きも始まって、もうこの”春本番”への流れは変わらないだろう。
数日前、満開の桜の花の下で、赤桃色のツクシシャクナゲのツボミがひときわ鮮やかだった。(写真上)
今では、庭一面にサクラの花ビラが散り敷いていて、シャクナゲはその赤いツボミから変わった、白桃色の花びらを咲かせている。
寒い時期の、ユスラウメの白い花から始まった、わが家の春の”花暦(はなごよみ)”は、サザンカ、ブンゴウメ、ジンチョウゲ、コブシ、ツバキ、ヤマザクラそして、今が盛りのツクシシャクナゲと続き、見あきることはない。
" わが宿の 花見せむとて 待つ人の 去りにし後ぞ 恋しかるべき ”
これは、もちろんあの『古今集』に出てくる凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)の、有名な歌 ”我がやどの 花みがてらにくる人は ちりなむ後ぞ こいしかるべき” を下手にまねて作ってみたものである。
歌の巧拙は論外だとしても、ただ単純に、家の花が咲くのを楽しみに待っていた、亡き母のことを思い出して、口ずさんでみただけのことであるが。
もう15年も前のことになる。ウメの花が咲いて、次に桜の花が咲こうかという頃だった。
” 願わくば 花の下にて 春死なむ その望月(もちづき)の 如月(きさらぎ)のころ”
あまりにも有名な歌だから、さらにはこのブログでも何度も引き合いに出した歌だから、またも同じようにと気が引けるけれども、やはりこうして年寄りになって、春の花のころになると、今は亡き人たちのことが思い出されてきて、それとともにこの西行の歌を、ふとつぶやいてしまうのだ。
こうして、生命の息吹あふれる様々な花々のツボミや、新緑の葉が芽吹いていく様を見ていると、多くの人が、やはり季節は春に勝るものはないというのも、道理だと思ってしまうのだ・・・それでも私は、小声で冬山の雪景色の姿が好きとは言ってみるのだが。
本来ならば、今頃はもう北海道に戻っているころなのだが、去年のように脚のケガで動けなかった場合などはともかく、どうも年ごとに北海道に帰るのだという、ときめきが少なくなってきたように思うのだが。
もちろん、その原因は自分ではよくわかっている。
その頃は、まだまだ登るべき日高山脈の山々があり、特に春の残雪期にその雪渓(せっけい)や雪堤(せきてい)をたどって登って行く、季節限定のルートが、私の好きな登り方だったから、余計のことだったのだが、他にも丸太小屋を仕上げるための仕事がまだまだいくらでもあったし、さらには私を待ってくれる人がいたし・・・。
そんな大切な私の基地でもあった北海道の家なのに、今では、何匹ものヘビが巣くうだけの、水も出ない、トイレにも不自由するような所になっていて、今ではそんな状態に二の足を踏んでいて、すぐに出かけたいという気にはならないのだが、かと言って自分が好きで住みついた土地を、家をほおっておくわけにはいかないし・・・。
なあに、気に病むことはない。
” 時は流れ、私は残る”(アポリネール「ミラボー橋」)ものだし、”時は偉大な作家だ、いつも完璧なラストを書き上げてくれる”(チャップリン「ライムライト」)だろうし、今は”川の流れのように“(作詞 秋元康)、なるがままにLet it be (ビートルズ)と身を任せていればいいのかもしれない。
今日は、ようやく肌寒い日々が過ぎ去って、さわやかな風が吹き渡り、見事な青空が一面に広がっていて、その下に花々が咲いている。
ベランダに置いたゆり椅子に座って、何も考えないで、ぼんやりと時を過ごすことが、どれほど素晴らしいことか。
つまりこうしていることは、貴重な時間の無駄使いではなく、むしろ今、私に与えられている貴重な時間を十分い味わっていることであり、生きていることのありがたさを感じることのできる時間なのである。
今ちょうど、NHK・Eテレの「100分で名著」の番組で放送されている、あの『自省録』からの言葉を併せて思い出したのだが。
著者のマルクス・アウレーリウス(121~180)は言わずと知れたあのローマ帝国の皇帝でありながら、多くの思索の言葉を残して、”哲人皇帝”とまで呼ばれている歴史上の偉人である。
このブログでは前にも何度か、彼の言葉を取り上げたことがあるが、他の哲学者や倫理思想家などと違って、あの巨大ローマ帝国の支配者として、幾つもの戦いに出陣し、政治的な差配をしていく毎日の激務の中で、彼が書き留めておいたある種の随想録であり、体系的に書かれたものではないけれども、そこには、他の思想家たちの思いつきと比べれば、常に実践的であったその時々の言葉の重みがあるし、まして彼の立場を思うと納得させられることが多いのだ。
” すべては主観に過ぎないことを思え。その主観は君の力でどうにでもなるのだ。したがって君の意のままに主観を除去するがよい。
するとあたかも岬をまわった船のごとく眼前にあらわれるのは、見よ、凪(なぎ)と全き静けさと、波もなき入り江。”
(『自省録』マルクス・アウレーリウス 神谷美恵子訳 岩波文庫)
毎週、例の『ポツンと一軒家』(テレビ朝日系)の話ばかり書いているけれども、謎解きとそれぞれの身の上話が合わさった新な展開が面白くて、どうしても見てしまうことになる。
この番組は、相変わらず視聴率も高く、今まで同時間帯の名物番組だった『世界の果てまでイッテQ!』(日テレ系)を抜くほどまでになったそうだが、この二つの番組の視聴者が全く見事な対照をなしているのが面白い。
つまり、『ポツン』ファンたちの特徴は、そのキーワードとして、"田舎、今都会に住んでいるがその出自(しゅつじ)を田舎に持つ人々、中高年”というのに比べて、『イッテQ』ファンの方は、”都会や地方都市に住む人々、若者から中年”というふうに、そこには際立った差異が見られるということだし。
私はと言えば、それまで『イッテQ』は、海外登山特集の時に何度か見たことはあったが、この時間帯には野球(北海道日本ハムファイターズ)を見たりしていることが多かったから、もともと年に何回かの特別番組だった『ポツン』が、レギュラー番組として始まったのが半年前であり、野球中継もない時期だったから、いつしか私にとっての定番番組になっていったのだろうが。
もっとも、番組スポンサーの立場から言えば、物を買ってくれる年代層の多い『イッテQ』のほうが、対宣伝効果が高いのだろうし、その分制作費用もかかってはいるのだろう。
一方の『ポツン』のほうが低予算のロケだけで、制作費用があまりかからないだろうことはすぐにわかるのだが。
またもや余分な話を書いてしまったが、先週の『ポツンと一軒家』の話に戻ろう。
今回は四国の話で、一つ目は定年退職後の60代の兄弟が、山奥の実家を二人で修理補修しながら、通いで田舎暮らしを楽しんでいるという話で、もう一つは78歳になるというおじいさんとまだまだ元気な72歳のおばあさんが住んでいる家で、脚を悪くしたおじいさんは昔ほどに仕事はできなくなったが、そのぶんおばあさんが他の仕事は引き受けていて、おじいさんが五右衛門風呂を沸かしてくれるだけでもありがたいと言っていた。おじいさんは、その昔、父親と二人で建てた家だから放り出していくわけにはいかないと言っていたし、おばあさんはうなづいて”住めば都”ですからと言っていた。
このおばあさんの一言で、私は上に書いたマルクス・アウレーリウスの言葉を思い出したのだ。
考え方ひとつで、”全き静けさと、波もなき入り江”に憩(いこ)うことができるのだと。