ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

梅は咲いたか

2019-02-25 22:03:38 | Weblog




 2月25日

 一週間前、去年よりも一か月も早く、庭のブンゴウメの花が咲いていた。
 昨日今日と、気温が12℃近くまで上がり、青空の下、もう五分咲きほどになっていた。

 繰り返し書くことになるが、今年は目に見えてはっきりとわかるような暖冬の年だった。
 まず、この冬は、一度15㎝ほど積もったことがあっただけで、初めての経験だと言えるほどに雪が少なかったし、昔は一晩に50㎝近くも積もったこともあったというのに、もちろん気温も高めに経過していて、この冬は、ー5℃まで下がった日が一日二日あったかどうか。
 かつては気温がー15度まで下がり、保護カバーを付けた水道管などが凍りついたこともあったくらいで、いつもならひと冬の半分は、朝のうちは窓ガラスが凍ったままで、それが溶けてくる昼頃になって、ようやく窓ガラスの水滴を拭き取れるようになるほどだったのに、この冬はそれがたったの二三日あったぐらいだったのだ。

 こうした、気候の変化で、もちろん良かったことも悪かったこともある。
 確かに言えるのは、この年寄りにとって、これほど楽な冬はなかったということだ。
 私は一日中ぐうたらに家にいることが多いから、このすきま風の多い古い家では、石油ストーブをつけていても寒いと思う日が、一冬に何日もあったのだが、この冬は、裸で”ふんどし踊り”ができるほどに、なわけはないけれど、そんな冗談が言えるほどに楽に過ごすことができたということだ。
 もちろん、逆に悪いこともある。
 今年は、大好きな雪景色が見られた日が少なかったし、雪山にもいつものようには行けなかったし、さらには、毎年遠征登山に出かけていた(去年は足のケガで断念したが)北アルプスや東北などの山々の雪も少ないということで、この夏のお花畑などの植生への影響が気になるし。
 まあ、とかくこの世は、”ああ言えばこう言う”世界ではあるのだが。

 ところで山についていえば、最近YouTubeで、北アルプスの西穂高岳(2909m)と中央アルプス宝剣岳(2931m)への厳冬期登攀の模様を映した、個人の映像を見たのだが。
 それは、あの自撮り映像で有名な登山家、栗城史多(くりきのぶかず、1982~2018、去年8度目のエベレスト挑戦に失敗し亡くなった)の、ヒマラヤはダウラギリ(8167m)でのインターネット中継以来、こうしたYouTubeやSNSの場でも、一般の人たちが気軽に登山記録を動画で発表することが多くなり、今までテレビ番組などでしか見ることのできなかった登山ルートでの情報を、こうした一般人の投稿映像という形で見ることができるようになって、登山に関心のある私たちにとっては、ありがたいことだし、いい時代になったものだとは思うのだが。
 それらの映像は、今やハイビジョン画質から4K映像の世界へと、高画質で見ることができるような時代になっていて、今では、10数年前までのDVD映像ではとても見る気がしないほどになっているのだ。
 ということは、それまでにテレビ録画で録りためていた、多くの昔のDVDディスクはどうすればいいのかとも思うが。
 最近の山番組は、いうまでもなくこの新しい画質で撮りなおされているし、それをブルーレイ・ディスクに録画してはいるのだが、将来的には4K から8K 画質へとさらに進歩していくことになるのだろうが。
 もちろん記録的な価値のある、古い映画などはそのまま資料として保存していてもいいのだが、もともと、DVDやBR(ブルーレイ)のディスク自体が劣化していくものだろうし、冷静になって考えてみれば、自分自身がそんな先まで生きているかどうかも分からないのに、とんだお笑い種(ぐさ)の話ではあるのだが。

 どうも話が主題からそれて行ってしまうが、今回、YouTubeでの西穂と宝剣の映像を興味深く見せてもらって、ともかくは、その感想を書いておくことにすると、まず西穂の場合は、晴れていても、時々地風雪が吹き荒れるさまなどは良く撮影されていたが、片手にカメラを持っているために、どうしても岩稜帯の危険な岩場での映像は撮ることができないから、普通に見た人は、簡単なコースだと思ってしまうのかもしれないが、雪のある時は危険なルートになるということを、一場面ぐらいは入れてほしかったのだが。
 そして、もう一つの宝剣岳へのルートは、冬季の雪崩を避けて、サキダルの頭(2885m)東側の小尾根をたどって主稜線に出て、北へと続くナイフリッジの稜線をたどっていたのだが、私も積雪期にこの南側からのルートで宝剣まで行こうとしたことがあって、もちろんいつもの単独行だから、このサキダルの頭から続く三ノ沢岳分岐の先の所で、宝剣岳へと続く凍結した岩稜帯を見て(写真下、奥は木曽駒ヶ岳)、あきらめて戻ってきたことがある(夏はそれほど危険な道でもないのだが)。





 ただこの時に、宝剣岳の代わりに三ノ沢岳(2847m)に行くことも考えていたのだが、こちらには思った以上に雪があり、そのうえに前日、木曽駒ヶ岳(2956m)に登った時の天気は良くて、朝は千畳敷から見る宝剣岳がモルゲンロート(朝焼け)に染まり、夕方は南アルプスの峰々が赤く染まっていったのに、翌日は上空は雲に覆われて天気は下り坂になり、ここで三ノ沢もあきらめて、唯一残った縦走路を南下して行き、雪の少ないなだらかな尾根道の先にある島田娘(2858m)まで行ったのだが、しかし、そこから眺めた、空木岳(うつぎだけ、2864m)と南駒ヶ岳(2841m)が並んだ姿が素晴らしかった。(写真下)





 ともかく、私の体験から見ても、西穂もこの宝剣へも、ロープウエイが運行されているからこそ、冬季にも比較的簡単に取り付けるコースだと思うし、完全装備で仲間と一緒に登って行く姿を見ているのは楽しかったが、一方で私が不満に思ったのは、あの西穂の映像でもそうだったのだが、あくまでも登山ルートでの登り下りの様子だけが主になっていて、景色の展望が少なかったことである。
 仲間との互いに確保しながらの登攀や、さらには雪崩時のビーコン(無線発信機)の訓練などが長い時間撮影されていて、それは、雪山での必要条件なのだから良いとしても、下山後の駅舎でのおしゃべりシーンなどを入れるくらいなら、せっかくの好天の日だったのだから、頂上からの展望をもっと映し出してほしかったと、そのことが惜しまれてならない。 
 もし私だったら、頂上からの展望に多くの時間をさいていただろうし、まずは広範囲を映す展望から始まり、ズームに換えて一つ一つの山をねちねちと撮っていただろうに、と思うのだが。
 もちろんそれは、他の人に見せるためではなく、あくまでも後で、自分で繰り返し見ては楽しむためなのだが。
 つまり、今までもこのブログで何度も書いてきたことだが、他のスポーツと違って、山登りには各人それぞれの好みがあって、それぞれの登り方や楽しみ方があるのだからと、改めて知らされたような気がしたのだ。 
 それは、どれが正しくどれが良くないかという問題ではなくて、いつも遭難という危険を承知のうえで、それぞれの感性に応じて、自分の登り方で山を楽しむべきということなのだろう。

 いつものように、だらだらと山の話を続けてしまったが、ここでもうあと一つだけ、どうしても書いておきたいことがあって、それは、昨日からテレビ・ニュースで流されていた、あの日本文学研究者のアメリカ人(のちに日本に帰化した)、ドナルド・キーン(1922~2019)さんの訃報(ふほう)である。

 今年もう96歳という、かなりのご高齢であるから、お亡くなりになったこと自体にそれほど驚いたわけではないのだけれども、外国人でありながら、日本文学研究を通じて、これほどまでに日本人の心深く分け入って、日本人というものを理解された人は他にいなかったのではないのか、と思えるほどの人だったからだ。
 私たち日本人が日本人であるがゆえに、その日本人的体質の中に浸かりきっていて、そのままでは見えていなかったものを、外国人という、ある意味で言えば、無垢(むく)な判断力をもって、日本人の文学的、歴史的なつながりの系譜としての、日本人のこころの研究し続けたこと、そして、それを英訳本という形で海外に広めてくれたこと。
 私たちは、その彼の研究の成果を通じて、今まで営々と続いてきた日本人の”やまとごごろ”の一端を、改めて知らされることにもなったのだ。
 私は今までに、彼の生前に放送されていた多くのテレビ対談番組を見てきたし、その英語なまりの強い日本語はご愛敬だとしても(最近、活躍が目立つあのロバート・キャンベルさんの日本語は見事であるが)、ともかく、その話言葉は正しかったし、いつものユーモアを含めた話しにはつい引きずり込まれたものだった。
 思えば、私の日本古典文学懐古への思いには、偉大なる日本文学研究の先達(せんだつ)の一人でもある、このドナルド・キーンさんの影響を、少なからず受けていたとも言えるだろう。
 人種文化を超えて、日本にたどり着き、その世界に在(あ)ろうとし、人生のほとんどを日本文学研究に費やしたドナルド・キーンさん・・・。
 日本の文化勲章までももらった彼にとって、日本は、幸せな人生としての終着点になったのだろうか・・・合掌(がっしょう)。

” (日本の古典近世文学の)日記作者こそ、まことに「百代の過客(かかく)」、永遠の旅人にほかならない。彼らの言葉は、何世紀という時を隔てて、今なお私たちの胸に届いてくる。そして私たちを、彼らの親しい友としてくれるのである。”

 (参照:『百代の過客』ドナルド・キーン著 金関寿夫訳 講談社学術文庫、他に『果てしなく美しい日本』講談社学術文庫、『日本の面影』(NHK日本放送出版)。