5月21日
昨日は、朝から見事な快晴の空が広がっていた。
それまでの、夏には早すぎる蒸し暑い空気と入れ替わって、今の時期にふさわしい、春のさやかな空気が戻り入り込んできたこともあって、実にさわやかな一日になっていた。
ライブカメラで見る、九重山牧ノ戸峠の駐車場はクルマでいっぱいになっていて、おそらくは路肩駐車の車列も出ていたことだろう。
今、九重の山々では、ツクシシャクナゲの花は盛りを過ぎていても、もうちらほらと、あのミヤマキリシマの花が咲き始めているころだろうし、何より山麓から中腹にかけては、今こそが目にも鮮やかな新緑の時期なのだ。
私は、家にいた。
そして、庭の草とりをしていた。
休日にはなるべく出かけないというのが、今の私の方針だし、何より、まだ少し痛みの残る脚で歩き回るには、不安のほうが大きいからだ。
そこで、いくらでもあるに家の仕事や庭仕事の中から、比較的に楽な草とりをすることにしたのだ。
もともと、そう広くはない庭とこれまた猫の額ほどの小さな畑だけだから、気の向いた時に少しずつやっても二日ほどで終わるほどの仕事なのだが。
いつだったか、何の番組だったかは憶えていないが、ある年寄りが、大好きなのは庭や畑の草取りだ、と言っていたのを思い出したが、今ではその気持ちがわからないでもない。
雑草は、そのままつまんで引き抜くか、取りにくいものは、小さな園芸用のカマで少し下に差し込んで土ごと持ち上げると、根ごと雑草を引き抜くことができる。
そんな単純な作業の繰り返しなのだが、中にはそうした目障りな雑草の中に、どこから種が運ばれたのか、小さな木の苗や花の咲く草花が芽吹いていたりしていて、ためらう時もあるのだが。
母がいた頃は、草取りは母の仕事だったけれども、花が好きだからということもあってか、ハルリンドウやスミレからツユクサなどに至るまでを、取らずに残していて、庭はまだら模様になってしまっていたくらいだった。
それでも、今では、母がそうした草花たちを取り残しておいた気持ちが良くわかる。
さて、そんな草取りの中で、前から気づいていたことでもあるが、今までは引き抜いていた草を、目を近づけてあらためてしげしげと眺めてみた。(写真上)
それは、高さ数センチほどの小さな草で、芝生地の中にあると見分けがつかないくらいだが、キク科ハハコグサ属に分類されているチチコグサである。
一方のハハコグサは、もっと大きくて30㎝ぐらいにもなり、花序の黄色い花の集まりが目立つ花であり、春の七草の中の一つ、ゴギョウとはこの花のことである。
そして、似たような名前のヤマハハコは、北海道では平地でも普通に見られる花で(私の北海道の家の庭の周りにもあちこち咲いているが)、本州中部の高山帯では高山植物とされていて、さらに大きくて50㎝以上にもなり、白いかさかさしたドライフラワーのような苞片(ほうへん)に包まれた中に黄色い花があるが、ハハコグサほどには目立たない。
確かにこれらの似たような仲間は、花の大小はあれ黄色い花を咲かせて、同じように茎に白い毛が生えていて、茎が枯れた後は、へばりつくように地面にロゼット状の葉を残していて、それだけでも近縁種だとわかるのだが、私はこの草取りの時に、このチチコグサが、小さなウスユキソウの仲間のようにに見えてしまったのだ。
確かに、高山帯に咲くウスユキソウの花には品があって、いつも気になっていたのだが、特に8年程前に、東北の飯豊(いいで)連峰を縦走した時に(2010.7.28~8.1の項参照)見た、あのおびただしい数のミヤマウスユキソウの花々の姿が忘れられないのだ。(写真下)
それらの花々は、北股岳(2025m)から飯豊本山(2105m)にかけての、たおやかに続く尾根の石ころ混じりの草原や斜面に咲いていて、私はその度ごとに何度腰を下ろして眺めては、写真に撮ったことだろう。
この時は、山上三泊四日の山小屋泊まりだったのだが(さらに登山口と下山口の宿にそれぞれ一泊して、併せて五泊六日もの山旅になったのだが)、その三日目の梅花皮(かいらぎ)小屋から大日岳(2128m)を往復して御西(おにし)小屋に至る丸一日は、深い霧の中で展望がきかずに、花々は見ることができたものの、周りの山なみの光景が見られずに、残念な課題を残してしまったので、いつかはこの部分をまた登りなおして、さらには晴れた青空の下で群生する、ミヤマウスユキソウの姿を見てみたいと思っていたのだが。
時の去り行くのは早いもので、いつしかじじいになり果てて、その夢も遠くなりつつあるのだ。
ウスユキソウの仲間は、日本にも数種類があって、今までに私が見たものは、この東北の日本海側の高山に見られるミヤマウスユキソウ、別名ヒナウスユキソウと、中央アルプスの木曽駒ヶ岳周辺で見られるヒメウスユキソウ、別名コマウスユキソウ、それに北アルプスなどの尾根筋などでよく見られるミネウスユキソウだけであり、有名なあの北海道のレブンウスユキソウも見ていないし、別名エゾウスユキソウと呼ばれるニペソツ山や藻琴山の花も時期に合わずに見逃しているし、さらには大平山のオビラウスユキソウ、そして東北の早池峰(はやちね)のハヤチネウスユキソウもまだ見ていないし、さらには谷川連峰や至仏山のホソバヒナウスユキソウにもお目にかかったことはない。生きている間にあといくつ見られることやら。
その中でも、本場スイス・アルプスに咲くウスユキソウ(エーデルワイス)は、若いころのヨーロッパの旅の時に、10日間トレッキングの山旅を続けて山々を楽しんだのだが、時期は9月で、花の時期は終わっていて、残念。
今は、この九州の自宅のせまい庭に、普通は目もくれない雑草として咲いているこのチチコグサを、近づいて見ては、あのウスユキソウに見立てて思いをはせているのだが、これまた草取りの時の一興(いっきょう)とするべきか。
連休前からの、さわやかな五月晴れの続いた日々を、一度も山に登らずに一か月余り、こうして家にいて過ごしていても、それらの日々が決して無駄な一日一日だったというわけではなかったのだ。
こうして今まで、庭木の新緑や草花の芽吹きを幾度となく目にしては、すがすがしい気持ちになり、そうした穏やかな日々が続いたということがなによりのものだから。
大切なことは、たとえ自分の大きな負荷になることが起きたとしても、それを決して不運な重荷だとは考えないことだ。
悪いことがあれば、それは時がたてば、良いことの始まりに代わるものなのかもしれないのだから。
北海道に戻れば、あの家では衛星放送を見ることができない。そのために見たい番組を幾つも見逃してきていて、九州にいるときにようやく再放送で見ることができたこともある。
今回、こんな時期まで九州にいたおかげで、私はあのNHK・BSの『グレートトラバース2』の個別15分番組を見ることができたのだ。
もちろん、私は前にもここで書いていたように、この番組で企画実行されているような山の登り方は、私が目指し続けてきた山の登り方とは、およそ相容れないものであって、どこかスポーツ選手を見る傍観者としての視線で見ていたことは確かなのだが、それでも、山そのものの姿や登山道の状態に変わりがあるわけではなく、映像によって初めて見知ったことも多く、山好きな私には価値のある番組だと言えるものだったのだ。
今回の『グレートトラバース2』は、いまだに再放送され続けている『日本百名山』やその続編の『にっぽん百名山』、さらには『グレートトラバース』の日本百名山編として放送された山以外の、あまり全国的に有名ではないとされる次の百名山、つまり二百名山の山々を取り扱っていて、その総集編の方は見ていたのだが、今回のものはそれぞれの山々を15分の番組として詳しく紹介したもであり、2年前の初回の放送時には見られなかったものなのだ。
それが、今回の負傷で北海道に行くことができずに家にいたおかげで、一番見たかった、北海道・東北・中部地域の二百名山の山々を見ることができたのだ。ああ、何が幸いするかわからないものだ。
今回見た北海道の山々は、ほとんど登っているから懐かしく見て、東北・中部地方の山々には、計画していたが登ることができなかった山々が数多くあったが、もうこの年では、憧憬(どうけい)の山々としてそのまま登ることなく終わるのだろうが。
この番組の主人公である、”プロアドベンチャーレーサー”と名乗っている田中陽希君が目指すのは、悪天候などの悪条件をもいとわず、自分の身体だけで日本全土を登り歩き、カヤックを漕ぎ、一筆書きのルートで日本の名山を登っていくという、まさにアドベンチャー企画のドキュメンタリー番組であって、誰にもできない並外れた体力と意志を持った人だから可能だった偉業ともいえるものなのだ。(日本百名山の人力だけの踏破の記録は彼が行った以前にもあった。)
ただし、これはスポーツ感覚でルート上の山として登って行くだけだから、当然のこととして、私のようにゆっくりと登り、途中の景色や草木や山々の眺めを楽しむという目的ではないから、私が決して出かけない天気の良くない時の登山の映像も数多くあったのだ。
もっとも、この番組は、タイトルに銘打たれているように、ある若者のアドベンチャーの記録映像として見るべきものであって、普通の山の情報番組として見てはいけないものなのかもしれない。
しかし、これも何度も言うことだが、この番組の撮影時には、常に彼と並行して歩き山に登って行く彼の姿を映像に捉えている(それだけでも大変なことだが)カメラマンがいて、その他音声などのスタッフが常時数人はついているわけだから、危険な単独行ではなく、少なくともいくらかの安全の担保が用意された単独行なのだ。
そして、さらに大きな問題なのは、今や登山界のヒーローとなった彼は、行く先々の山の頂上で大勢の登山者ファンたちに待ち構えられていて、祝福を受け励まされていることだ。中には握手を求めるだけでなく一緒に写真を撮ってもらい、色紙を用意していてサインを求めてくる人がいる始末だ。
彼は、そのファンたちみんなに、ていねいに対応しているのだが、時には休みたくてすげなく扱う時もあるのだが。
彼は、このテレビ番組の主役になって出演料を受け取り、プロとして行動しているのだから、あのエンジェルスの大谷翔平選手と同じように、ファン・サービスをするのは当然のことなのだろうが、その責任を十分に感じてはいないようにも思えるのだ・・・。
もっとも、彼がぽろりとこぼしたように、時には一人になりたいという気持ちもわかるし、それなのに、疲れて山頂に着いた彼に、サインをしてもらい一緒に写真に撮ってもらおうという登山者たちの心情が分からない。
彼ら彼女らは、山が好きで山登りに来たのではなく、彼に会うためだけに天気が良くない日なのに登ってきたということなのだろう。
私は、有名人やスターに会うために、山に登りたいとは思わない。
私が望む最高の山は、晴天の日に、ほとんど人に会うこともない山に、ひとりで登って行って頂上に着き、十分にその展望を楽しんだ後、また一人で戻ってくることだ。
十年ほど前までは、よくひとりで、北海道は日高山脈に分け入っては、沢登りをしていたものだった。
秘境の山奥の眺めと、自然のただ中の静寂と、時おりヒグマの気配におびえつつ・・・。
それでも、水源部近くの、岩の隙間から滴り落ちる水を口いっぱいに含み、振り仰ぐと明るく開けた周りの景観から、頂上が近いことを知り、陽を受けた額の汗をぬぐって、ひとりつぶやいていたのだ、”いいぞ、あともう一息だ”と。
”あしひきの 岩間をつたう苔水の かすかにわれはすみわたるかも”
(『良寛』吉野秀雄著 アートデイズ発行、良寛の国上山五合庵(くがみやまごごうあん)時代の歌より)
自分なりに解釈すれば、”うるわしき山の谷間、苔むす岩の間を、かすかに水が流れている。私の命のように細く流れて、何の迷いもなく澄みわたっているのだろうか。”