ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

山が笑っている

2018-04-23 21:37:49 | Weblog



 4月23日

 さすがに、今日は一面の曇り空になってしまった。
 しかし、この一週間、何と良い天気が続いたことだろう。
 雲一つない快晴の日が3日間も続き、その前後の少し雲が出ただけの晴れの日を加えれば、併せて5日間も、山歩き日和(びより)の日が続いたのだが。
 毎日、心地よい風が吹き、気温も25度前後のほど良い暖かさだった。  
 前回登ってきたばかりの九重の山に、また行くというのも、それはそれで新緑の風景がさらに広がってはいるのだろうけれども。
 そこで、他の山に行くつもりでいたのだが、所用があって行くことができずに、それでもこの天気だ、家でじっとしているわけにもいかず、いつもの家から歩いて行ける自分だけのハイキング・コースをたどることにした。

 家は山の中の集落にあるから、そこから四方に延びる小道や林道跡などを組み合わせて、時には道のない藪の中をくぐり抜けたりして行けば、歩くコースなどその度ごとにいくつも作ることができる。
 昔は、猟犬を連れた有害獣駆除の鉄砲撃ちの人に出会うこともあったが、今ではそうした狩猟の人たちの高齢化のご他聞にもれず、このあたりでもすっかり見かけなくなっていて、それはそれで安心なのだが、そのぶんシカやイノシシが畑を荒らし回ることになってしまい、ともかく自然の中で周りの動植物たちと、上手に折り合いをつけて生きていくほかはないのだが。

 小さな沢水が流れる谷に降りて行き、見上げると向こうの尾根に続く、鮮やかな新緑の光景に、思わず立ち止まってしまった。(冒頭の写真)
 ”山が笑っている”。
 確か、誰かが書いた山の随筆の中にあった言葉だと思うのだが、それがふと頭の中に浮かんだのだ。
 すべての樹々が芽吹き始めて、春の陽光を浴びて輝いているさまは、まさに春を迎える人の心を映すかのように、山が喜んでいるように見えるのだ。
 谷沿いに茂っているミズキなどの木々の枝には、所々紫のフジの花が垂れ下がり咲いていて、その上の小尾根にはコナラなどの浅い黄色の新緑の葉が青空に映えていた。

 その小尾根を越えて、スギの植林地の中を通り、再び小川の流れる谷に降りて、対岸に渡り、古い林道跡を登って行く。
 振り返ると、ヒノキの植林地の向こうの山の斜面に、コナラやクヌギなどの林があって、それが午後の順光を受けて、ヤマブキ色のべた一色の塗り絵のように見えていた。(写真下)




 あのゴッホの絵のような、精神の緊張をはらんだ黄色と青ではなく、穏やかないつしかまどろみを覚えてくるような光景の中に、まさにドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」のフルートの音色が、遠くから流れてくるような・・・。
 春はいいよなあ、春は・・・。

 そして、山裾のなだらかなカヤトの中の道を上がって行く。
 何度も繰り返して言うことになるが、やはり青空の色は素晴らしいと思うし、そして、この少し汗ばんだ体に吹きつけてくるそよ風も心地よい。
 思えば、この世の中で素晴らしいことは、人それぞれに様々な形としてあるのだろうけれども、私にとっては、今こうして、静かな山の中にひとりでいる時ほど、何も考えず心穏やかになれる時はないのだ。
 日々のにぎやかさの中にいたいと思う人もいれば、静けさの中にいたいという人もいて、またそれぞれにその思いが時には入れ替わることもあって、とかく人の心はままならぬものなのだろうが。

 旧約聖書の「イザヤ書」第30章15節に書かれている言葉を、私なりに最初の所だけを言い換えてあげてみれば、次のようになるのかもしれない。

 ”大自然を統(す)べる神はこう言われた”
「あなたがたは立ち返って、
 落ち着いているならば救われ、
 穏やかにして信頼していれば、力を得る。」

 道も定かではない、古い林道跡をたどり、再びコナラ、クヌギの林の中に入って行く。
 樹々の陰影の向こうに、その先にある新緑の木々が見え、青空の色に縁どられていた。
 私は、その涼しげな林の中で腰を下ろして、しばしの休息をとった。
 遠くで、ホオジロの声が聞こえていた。

 しかし、私が生きているこの世の中には、こうした安定した静寂のひと時があるかと思えば、予期せぬ出来事が起きる時もある。 
 それらの出来事を、私たちは何と呼ぶのか。
 偶然、必然それとも幸運、不運。
 その時に起きた事柄は、ただそれだけのことなのに、受け取る私たちの側にすれば、その時の感じ方次第で、様々な出来事になってしまうのだろう。 
 
 天気の日が続いた日々、私は数日前に、この山麓歩きのハイキングに出かけた他は、家にいて、どうしてもやっておかなければならない家の補修作業をやっていた。
 ベランダ・玄関などの、腐食木材の取り換えやペンキ塗りなどである。
 特にペンキ塗りは、晴れの続くこうした時期にやる事が望ましい。

 屋根に上がって一塗りを終えて、昼近くになったので昼食にしようと、ハシゴに足をかけた、その時、そのハシゴが揺れ動いて、私の体は一瞬宙にあり、その後もんどり打って地面に投げ出され、その私の体の上にハシゴが音を立てて落ちてきた。 
 滑り落ちていくその一瞬前に、私は手掛かりもない軒先に捕まろうと手を伸ばして、その指先が離れていく所までは分かっていた。
 しかし、ハシゴが音を立てて崩れてきて、したたかに私のすねを叩いたのに気づいたのは、私が地面に横になっているのが分かってからのことである。
 つまり、そのほんの一二秒の間のことは一瞬の空白の中にあり、巻き戻された映像のように、自分の状況に気づいてから、記憶としてよみがえってきたように思えたのだ。

 高さ2mほどの所から落ちただけで、下は柔らかい地面だし、頭から落ちたわけでもないから、(実はそんな瞬時のことなのに自分でお尻から落ちようと意識したことは憶えているし)、大きなケガをしたわけではないのだが、すねの全体に内出血のあざができて一部傷口になっていて、今でも腫れあがった脚を冷やしていないと痛いくらいなのだが、まだ病院には行っていない。
 というのも、その日の夕方にはまた屋根に上がって、残りのペンキ塗りをして、その翌日にもさらに腐った柱の取り換えをしたりしたぐらいで、今のうちに仕事をすませておかなければという思いがあったからだ。

 そんなことよりも、今回のハシゴ事故では、私がそのことによって知らされた、いくつかのことのほうが大きな意味を持っていたのだ。  
 毎年のように、お年寄りが庭仕事のハシゴから落ちて命を落としたというニュースを聞くことがあっても、今まではそれを他人事のように思っていたのだが。 
 さらにその時は、たまたまそのハシゴに留め金をかけることを忘れていて、さらには地面の所でハシゴの先が柔らかい地面に沈み込み傾かないようにと、わざわざ板を敷いていたことも重なってのことなのだが。 
 つまり、いくつかの偶然が重なって、必然的な不運な事故が起きたわけであり、もし何事も起きていなければ、それは意識するまでもない当然のこととして看過(かんか)されていたことなのだろうに。

 言葉を変えて言えば、物事の偶然的な運・不運など、その物事が起きた後に個人的な見解として受け止められているものであり、現実として物事は単純に時間とともに推移しているだけのものにすぎないのだ。
 それを、自分たちが勝手に運・不運と呼び、しかし何事も起きていなければ、それはただ通り過ぎていった、日常の中の一コマとしての意味しかないはずのものなのに。
(そういうふうに考えたのは、かつて読んだことのある「偶然性と運命」木田元(岩波新書)を思い出したからでもあるが、もちろんそこでは、言葉の定義づけをしているわけではなく、あのハイデッガーの人間存在と時間の観念をもとに、他者と共にあるという観点からその時間構造を考えるべきであり、そこに”偶然と運命”についての解明の鍵があるとしているのだが。) 

 ということは私たちが、運・不運と呼んでいるものはあくまでも、私たちの個人的見解に過ぎず、自分にとっての不運は他者にとっての幸運にも置き換えられるものでもあり、同じように幸運は不運とも置き換えられるものだということなのだろうか。 
 つまり私は、この小さな事故で、ひとつの教訓を学び取ったわけであり、打ちどころが悪くて死ななかっただけでも、幸運なことだったのだ。
 ”物は考えよう”なのだ。

 さらにもう一つ、私は今回ハシゴから落ちていく、ほんの一二秒の時間の間に、一瞬自分の記憶が飛んでいて、その時の視覚的な映像が残っていないことに気づいたのだ。 
 屋根の軒をつかもうとして手が滑って、後は地面に落ちてからようやく事の事態に気がつくまでの、ほんの瞬時の間でしかなかったのだが。

 そこで思い出したのは、今までもここで何度も取り上げたことのある、あのキューブラー・ロスの『死の瞬間』(中公文書)や立花隆の『臨死体験』(文春文庫)に書かれているような、死の瞬間に至るまでのことについてである。
 もちろん今回の私の小さな事故は、それらの本で取り上げられている幾つかの事例とは比べ物にならない、ほんの些細なことでしかないのだが。

 今までに私は何度か、大きな事故や急病で倒れた人たちの話を聞いたことがあるのだが、彼らのほとんどが言うのは、その前後の記憶が全くないということである。
 ということは、つまりそれらの事例が、本に書かれているように、死の瞬間へ向かう時には、人間の脳内では生体防禦反応が働いていて、その時の死に至る恐怖苦痛を取り除くがごとくに、脳内からホルモンが分泌されているということを証明していることになるのか。 
 私の、ほんの瞬く間の一瞬でしかなかった事故でも、おそらく私の恐怖と苦痛を緩和するべくその短い間だけに見合う、防禦ホルモンが分泌されていたのではないのだろうか。 
 死にゆく人たちが(もちろん死から生還したからこそ語れるのだが)、恐怖と苦痛の彼方に見たという、お花畑のトンネルの先に明るい世界が開けていたというのもわかるような気がするのだが。

 わが家の庭でも、今シャクナゲの花が咲いている。 
 気温の高い日が続いたこともあってか、いつもの年より早く2週間前から花が咲き始めて、次々に花開き、シャクナゲの木全体が満艦飾(まんかんしょく)になるほどの満開になった後、今は散り始めているが、もうしばらく1週間ほどは残り花を楽しめることだろう。
 シャクナゲの花は、あの高山帯に咲くハクサンシャクナゲと同じように、ツボミのころの紅色が何とも鮮やかなのだが、やがて桜色から白い色へと変わって花が開き満開になってゆくのだが、ただその前の、それらの花とツボミが相半ばするころが一番の見ごろだとも言えるだろう。(1週間前の写真下)

 家のベランダから眺められるシャクナゲの花、この花を毎年見ることができるように、生きていたいと思うほどだ。