ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

かぎろひの立つ見えて

2017-09-11 23:01:25 | Weblog



 9月11日

 朝の薄い雲が取れてきて、今十勝平野の上には快晴の空が広がり、日高山脈の山なみがくっきりと見えている。
 それなのに、こうして山にも行かずに、家に居ることほど、どこかもどかしくつらい気持ちになることはない。
 それも、大雪山の上の方は、今が紅葉の盛りだというのに・・・。

 もちろん今日は、その大雪山に行くつもりでいた。
 昨日の夜には支度して、天気予報でも、午前中は晴れのマークがついていたので、明日こそは山に行けると思っていたのに・・・。


 まだ暗いうちに起きて、すぐにネットで衛星画像を見てみると、昨日から道内の早い所では、夕方から雨が降り出すと言っていたが、その寒冷前線の雲のかたまりの接近が早まり、夜が明ける前の今の時点で、その外側の雲が、道北を除く北海道全体にかかっていた。 
 それで、もうあきらめ半分だったのだが、さらにしばらく待って、旭岳のライブカメラを見てみると、旭岳(2290m)にも左に見えている安足間岳(あんたろまだけ、2194m)にも、雲がかかり始めていた。
 雨の確率は低く、今の雲が雨雲ではないにせよ、私がいつも心がけている、晴れた日の山々を眺めながらの登山は、とてもできそうにはなかった。
 私は、山に行くのをあきらめて、玄関に出していた山道具を片付け、着かえたたばかりの登山着をまた普段着に着かえた。

 こうして、当日になって、天気が思わしくなくて、予定した山に行かないのは、私にはよくあることだ。 
 と言っても、天気が悪く雨になったからというのなら、それも仕方ないのだが、私の場合、曇り空でさえ避けたいからなのだ。 
 原則、快晴の天気の時にしか、山に登りたくはないのだ。 
 何というわがまま、何というぜいたくなのだろうか、私の人生と同じように。

 それは、残り少ない人生の時を、好きな山登りで楽しもうとしているのに、いつも些細な理由でやめにしていて、それでいいのかという思いと、残り少ない人生だからこそ、より良い思い出の時にしたいのだという思いとで、いつも自分の心の中で小さくもめることになり、思い切った決断がうまくいった時の心地良さか、取り戻すことのできない小さな後悔のどちらかを味わう羽目になる。
 実は数日前にも、似たように天気判断を迫られて、結局その時も行くのをやめたのだが、結果、後でライブカメラや他のブログなどを見てみると、それはまさに登山日和の一日になっていて、私の判断が間違っていたことを知らされたのだ。

 こうして、あの時やっておけばよかったのにという後悔の思い出と、あの時決断してやったからよかったのだという満ち足りた思い出は、いつも人生の中では、相半ばすることになるのだろう。
 ただ、人によっては、その時々の結果の印象から、その決断が良かったか悪かったかの比率が、偏(かたよ)ったものになるのだろうが。
 もともとが、性格的にも”お天気屋”な私は、悪く言えば、”ぐうたら”で”ずぼら”で、いつも”いいかげん”な人間だから、そうした決断が失敗だったとしても、一日たてばほとんど忘れてしまい、今まで通りに続く”ぐうたら”な毎日に戻り、安住してしまうことになるのだ。

 その昔、残業月に200時間以上の毎日の仕事に、それでも好きな音楽や映画にかかわる仕事だからと、半ばマゾヒスティックな喜びにひたりながら働き続けていたのだが、いつも疲れた体で”午前様”になって家で寝るために帰っていた毎日に、ある時ふと疑問に思い、気づいたのだ。 
 それは、悦びと束縛、疲労とそれに見合う報酬とが、錯綜(さくそう)して組み立てられている今のこの仕事は、街角に立って体を売ってお金を稼いでいる人の仕事と、何らか変わりはないのではないのかと。
 そこで私は、自分の体を売りながらこのまま心も体も疲弊(ひへい)していくよりは、貧しくともわがままでぐうたらになることに決めた。

 それまでに何度も訪れて、すっかり気に入っていたあの北海道に、それも私の大好きな日高山脈の見える所、北海道の広さを目の当たりにできる、あの十勝の大平原に行こうと。
 もともと、自然が好きで山が好きな私には、都会の十分な暮らしから一転して、過酷な貧しい生活に変えることなど、大した問題ではなかったのだ。
 それは、東京での便利で豊かな生活と、家族的な関係のをすべて捨て去ったとしても、自然の中での生活は、不自由な生活を超えて、十分に見合うだけの、いやそれ以上の私にとっての”エルドラド(理想郷)”の世界に見えたのだ。
 その思いは今も変わらないし、私のあの時の決断は正しかったのだ思っているし、思うことにしている。
 それだから、少しでも否定的な考えがよぎった時には、自分に言い聞かせているのだ。
 最初の目的は何だったのか、今、その時の願いのまま、自分で家を建てて北海道に住み、そこで静かにぐうたらに暮らしているのだから、多少の不便さは当然のことだし、それ以上に何を望むことがあるのかと。 

 とまで、結論づけてくると、今日、紅葉が盛りの大雪山に行けなかったことぐらい、ちいせえ!ちいせえ!
 ほうれ! 昨日の夕焼け空の日高山脈の眺めだけでも、十分にその埋め合わせはつくというものだ。
(写真上、左から1643峰と1823峰、中央右にピラミッド峰(1853m)からカムイエクウチカウシ山(1979m)へと続く。)
 そしてその茜(あかね)色の空から、振り返って西の空に目を向けた時、ちょうど地平の林の上から、驚くほどに大きな月が昇ってくるところだった。(写真下)




 この夕方の日の入りと、朝の日の出のころという状況こそ違え、どうしてもあの万葉歌人の柿本人麻呂(かきもとひとまろ、660~724)の有名な歌を思い出してしまうのだ。

「東(ひんがし)の野には かげろひ(かげろう、曙の光)の立つ見えて かえり見すれば 月かたぶき(かたむき)ぬ」

(『万葉集』巻一 四十八番、『万葉集上巻』伊藤博 校注 角川文庫、以下同様)

 『万葉集』は、あらためて言うまでもないことだが、奈良時代末の759年ころに成立し、その歌は二十巻約4500首もあり、雑歌(宮廷他の公式の場における歌、季節の風物、自然の情景などを詠んだ歌)、相聞歌(離れた恋人夫婦などが詠みかわす歌)、挽歌(亡き人を悼みしのぶ歌)の三つに大別されているが、その雑歌の中で、後年になって特に自然の景観などを詠っている歌をまとめて、分かりやすいように、叙景歌(じょけいか)として分類しては論じられることがある。
 その『万葉集』きっての歌人の一人である、柿本人麻呂には優れた叙景歌がいくつもあり、その中でも特に有名なのは、朝焼けの光景を詠った上にあげた歌であり(もっとも、この歌には皇位継承のさなかにあった軽皇子(かるのみこ、後の孝徳天皇、718~785)の思惑などが巧みに読み込まれていて、その猟場での光景だともされているが)、さらにもう一つの有名な歌、巻七の冒頭(一〇七二番)に収められている”天(あめ)の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠(かく)る見ゆ”もまた、今の時代にも通用するような、童謡的でしかも大人の世界をも描いている、ロマンティックな表現が素晴らしい。

 叙景歌と言えば、教科書にも載っているほどに有名な、あの山部赤人(やまべのあかひと、?~736)の”田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける(巻三の三二一番)”がその代表的な歌ともされているが、山好きな私としては、前にもここであげたことのある、あの大伴家持(おおとものやかもち、718~785)の、立山を詠んだ歌を最も気に入っているのだが。
 ”立山(たちやま)に 降りおける雪を 常夏(とこなつ)に 見れども飽(あ)かず 神(かむ)からならし”(巻十七の四〇二三番)

 この歌については、あの深田久弥氏の名著『日本百名山』での、立山・剱岳の山名説明の所でも明らかなように、立山(たてやま)を”たちやま”と呼び、その”たちやま”は”太刀山”と書き、そしてその太刀(たち)は剱(つるぎ)という字と同義だから、昔の立山(たちやま)は、今の剱岳を中心として立山を含む、広い山域を指していたのだろうと考えられるが、確かに富山平野側から見れば、今でも針山のごとくに林立する剱岳の姿が、ひときわに目立った存在であり、昔の人にとっても、畏(おそ)れ多い山に見えたことだろう。

 任地の越中に赴(おもむ)いた大伴家持は、その途中の峠道から初めて見た立山(太刀山)=剣岳が、夏なのにまだ多くの雪を谷筋に残していて、その人を寄せ付けないような神々しい姿を、歌に詠まずにはいられなかったのだろう。
 私はこの剱岳の姿を、様々な山の頂から見ていて、特に初冬の季節に、剣御前から見た姿が忘れられない。 
 そして長らく、まだ見たことのない北側からのその姿をと思い、毛勝(けかち)谷の雪渓をつめて毛勝岳頂上に至り、その頂上にテントを張って翌朝にかけて、ゆっくりと眺めて過ごしたいものだと思っていた。 
 しかし、もうこの年で起き上がりこぼしの体になってしまった今では、その夢をかなえられそうにもないのだ・・・。
 年寄りになると、確かに”山は逃げていく”のだろう。 
 
 この十勝地方では、昼頃には一時快晴の空が広がっていたのだが、再び薄い雲に覆われて、薄日の差す天気に代わり、やがて雲は厚くなり、夕焼け空になることもなかった。
 大雪山・旭岳のライブカメラでは、朝からずっと雲がまとわりついていて、日中はその姿も見えなかったのだが、夕方になって曇り空の下、ようやく旭岳の姿が見え、頂上西側の火口壁が雪に覆われているようだった。昨日から今日にかけて、初雪が降ったことになるのだろう。
 昼のニュースで、昨日の白雲岳で雪が降っているシーンが映し出されていたし、このあと数日は続く悪天候で、山は上の方が雪化粧してしまうのだろうし、紅葉は今日の曇り空の下で、その盛りの時を過ぎてしまうことになるのだろう。 

 私は、今日山に行かなかったことで、今年の山上での紅葉を見逃し、去年は台風後の倒木片づけ作業で山どころではなくて(2016年9月の項参照)、何と二年も、大雪山の盛りの紅葉を見なかったことになるのだ。 
 それでも私には、蓄(たくわ)えがある。
 さらに前の、2015年9月、銀泉台から赤岳まで行った時の記録が残っている(’15.9.28の項参照)。 
 あの時は、きれいだった。
 その思い出があるだけでも、十分だ。

 若いころは、日高山脈の山々の挑戦が主体だったけれども、年寄りになった今、私を楽しませてくれるのは大雪の山々であり、これからも毎年、私は大雪山の夏の花と秋の紅葉を見に出かけて行くことだろう。
 お迎えの、その日が来るまで。