ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

それぞれの生きる道

2017-08-28 21:15:57 | Weblog



 8月28日

 気温が低く、曇りや小雨の日々が続いて、それは二週間近くにもなったのだが、数日前から、ようやく青空が広がりはじめて、気温も30度を超えるまでに上がり、まるで、内地の梅雨明けの夏が来たかのようだった。
 そして、今年もまた、わが家へと続く道端に、いつものオニユリの花が咲いていた。(写真上)
 それまでつぼみのままだったのに、この天気に合わせて花開き、2mほどにも伸びた茎の下の方から、毎日二三輪の花を咲かせてくれている。遠くから見てもすぐにわかるほどに、そこだけが昼間のかがり火のように明るいのだ。

 この数日の暑い天気は、二度目の夏とでも呼びたいほどだった。
 私が用事があって九州に戻っていたころ、7月の半ばには、この北海道の十勝地方は、連日猛暑日が続いていて、37度もの気温を記録していたのだが、もちろん今は、それほどまでの暑さではなく、朝夕の涼しさは北海道ならではのもの。
 
 それまでの不順な天候続きの後に、ようやくこうして、いつもの暑い夏が来たのだから、私が外に出ると、待ちかねていたかのように、アブや蚊たちがわっと集まってきて、Tシャツから出ている腕のまわりや首筋を刺してくる。
 もちろん私は、あの偉い聖人たちのように、こんなじじいの血でよければと、吸われるがままにしておくことはできないから、そのうちの何匹かはピシャリと叩きつぶすのだが、どうしてもどこかは刺されてしまう。
 その後が、めっちゃ、かゆーいのだ。
 
 相変わらずに、庭の草はぼうぼうに繁ったままで、その草刈りどころか、わずか5分ほどでも外には出たくないのだが、一日のうちには、どうしても何度かは外に出なければならない。
 それも、家の中にトイレのないわが家だから、小用はそこらあたりにまき散らしているのだが、その間にも蚊やアブはやってくる。 
 ヤツは両手を使っているから、今なら大丈夫だと知っていて、寄ってくるのだ。
 私も、その蚊やアブたちに、何をむざむざと血を吸わせてなるものかと、片手を離して応戦する。
 小さな放物線を描いて出ていた水流は、大きく乱れ、時には自分の着ているものにさえ降りかかる。あちゃー。

 まったく、周りに人がいないからいいようなものの、もし人が見たなら、シッコしながらなんで踊っているのだろうと思うことだろう。
 人の行動は、不思議に見えても、必ず何かの理由があるものなのだ。

 一方の蚊やアブたちにしても、考えてみれば、自分が叩かれ殺されるかもしれないとわかっていても、その思い以上に、本能が彼ら彼女らを突き動かして、巨大な栄養倉庫である人の体へと向かうのだ。
 つまり、おもに人を刺しに来るメスたちは、卵を産むためには、どうしても人間たちの栄養豊かな血が必要なのだ。 
 その栄養を取り込んで、ギンギラの活力に満ちた体になった彼女らは、やがて小さな水たまりに卵を産んで、それがボウフラになり、やがては蚊へと羽化していくことになるのだ。
 死の恐怖以上に強い、次世代へと託す生の本能・・・それが、人間を含めて、すべての生物たちに共通する種の絆という本能なのだろう。

 昨日放送されていた、日本テレビ系列の「24時間テレビ」を見ていて、そのことをまた感じさせられた。
 もちろん、番組のすべてを見たわけではなく、テレビをつけた時にところどころ見ただけでではあるし、時にはいささか鼻につく感動仕立ての構成に、チャンネルを変えてしまうこともあったが、その中でも例の人気シリーズ「はじめてのお使い」で、目の不自由なお母さんの代わりに、4歳の女の子が何の不満も言わず(4階までの階段を登って家に帰るのさえ大変なのに)、忘れものためにまたお買い物に行きなおして、その帰りを両親と少し上のお兄ちゃんとで心配しながら見守っているシーンに、家族の思いがあふれていた。
 そのお兄ちゃんの、幼稚園の七夕の短冊飾りには、”おかあさんの目がよくなりますように”と書いてあった。

 さらにもう一つのエピソードから・・・、駅のホームで貧血になり気を失って転落し、走ってきた電車にひかれて、左足ひざ下を失ったスポーツ万能だった女子高生は、それでもあきらめずに、義足をつけてアーチェリーでのパラリンピック出場を目指していて、同じ障害者たちを励まそうと、北アルプス槍ヶ岳登山に挑戦する。
 私は、この槍ヶ岳には十度近くも登っているのだが(’11.10.16,22の項参照)、岩場での恐怖心さえ抱かなければ、そうむつかしい山ではなく、十分なサポートがあれば小学生でさえ登れるくらいなのだ。
 ただ、行き帰りに三日もかかるような長距離に、そして負担のかかる下りに、義足で耐えられるのだろうかと心配したのだが・・・頂上に着いた彼女の笑顔がすべてを物語っていた。

 そこでふと思い出したのは、一か月ほど前にNHKテレビで見た短い番組、”みちのくモノづくり”に出ていた、ひとりの年寄りの旗指物(はたさしもの)師のことだ。
 大震災の年でも、途切れることなく開催されてきたあの”相馬野馬追”の祭り、そこに出場する騎馬武者たちの姿を飾る幟(のぼり)の旗、その旗指物を作る82歳の男の話だ。
 それまでは、10年前に息子に三代目を譲って仕事のほとんどを任せていたのに、去年その息子が突然の急病で亡くなり、やむを得ずに再び仕事に復帰して、大切な過程である旗指物を川面にさらす”友禅流し”の時などは、息子の嫁に手伝ってもらったりして、不自由な老齢の体で仕事を続けているのだが、”野馬追というのはただの祭りではない、絆だ”と言うその目には、自分の仕事への強い誇りが感じられた。
 そして、仕事をしながら彼がつぶやいた言葉、”仕事ができるうちは生きているということだから”・・・。

 私は、深く感じ入ってしまった。
 それは、何と簡潔直截(ちょくさい)に胸を打つ言葉だったことだろう。

 生きているから働くのであり、働いているということは、とりもなおさず生きているということなのだ。
 ずいぶん前のことだが、これもまたテレビで見た話なのだが、ガンの宣告をされた医師が、冷静に自分の余命期間を聞いて、何をしたかというと、その日が来るまで今まで通りに、患者を診察し手術をこなして、やがて亡くなってしまったということなのだが、それが一つの美談として取り上げられていて、その時、私はそうではなく、彼は他人のためではなく、結果的に他人を助けたことになるのだろうが、むしろその時間を自分が生きるために、仕事を続けることを選択したのだと思ったのだ。
 つまりそれは、彼にとって何かいいことをしようとしたのではなく、天命のままに、生きてる限りはしっかりと仕事をして生き続けたということであり、私はその彼の、人間としてあるべき、生きるという強い意志に感心したのだ。

 私の北海道の友人達は、それぞれに皆、サラリーマンでいう定年退職の年を迎えているのだが、誰一人として今の仕事をやめようとはしていない。
 余計な理屈や説明などはいらないのだ。ただ、働けるうちは働くということが、人としての生き方なのだから。

 以下、何度かここにあげてきた言葉だが、こうしたことを書くときにはいつも思い出してしまうのだ。

 ”お前がどのような運に生まれついているにせよ、働くにしくはない、
  ・・・
    労働につぐに労働をもってして、たゆみなく働くのだ。”

(『仕事と日』ヘーシオドス 松平千秋訳 岩波文庫)

 ”華佗(かだ、後漢の時代、紀元2~3世紀の医者)が言に、人の身は労働すべし、労働すれば殺気消えて、血脈流通すといえり。およそ人の身、欲を少なくし、時々身を動かし、手足をはたらかし、歩行して久しく一所に安座せざれば、血気めぐりて滞(とどこお)らず、養生の要務なり。”

(『養生訓』貝原益軒 伊藤友信訳 講談社学術文庫)

 それなのに、私はひとり、ぐうたらな毎日を送り、ひとり生き続けているのだ。
 何という、不条理だろうか・・・。

 家の林のへりに沿って咲いている、オオハンゴンソウの花が盛りを迎えている。(写真下)
 死者をよみがえらせるという、あの反魂香(はんごんこう)からその名前を付けたとされている、外国種のキク科の花であるオオハンゴンソウは、その名の通りにお盆の前から咲き始めて、今が盛りになっている。
 その数ほどに、私の知っている亡くなった人たちがいて・・・いつかは・・・。

 クルマで道を走っていると、さらにもう一つの別の外来種である、もっと色の濃いアラゲハンゴンソウ(キヌガサギク)も咲いていて、道の両側が黄色のベルトになって続いている・・・十勝の秋だ。