ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

サザンカの垣根

2016-12-12 22:47:35 | Weblog



 12月12日

 日に日に、寒くなってくる。
 昨日の朝は、気温が-4度まで下がり、日中も10度を超えることはなかった。
 もっとも、北海道の日本海側では90cmもの雪が積もり、一方で、冬場は晴れて、雪が少ない代わりに寒さが厳しい、わが十勝地方では、マイナス10数度まで下がり、日中もマイナスのままの真冬日になったとのこと。 
 十勝に住む人々にとっては、1月下旬前後のマイナス20数度までにもなる、冬本番の時と比べれば、まだまだ寒さもこれからなのだろうが、こうして内地の本州四国九州に暮らす人々にとっては、その数字を寒さとして実感することはできないだろう。
 しかし、すきま風が多く、断熱効果が乏しいわが家では、ポータブルの石油ストーヴに電気ストーヴそしてコタツと、部屋ごとに部分的に体を温めるしかなく、北海道の家での、家じゅうを温める薪(まき)ストーヴの、いつまでも続く温かさを思わないではいられない。

 というふうにグチったところで、仕方のないことで、それならば全身を温めるためにというわけでもないのだが、”たきびだ たきびだ おちばたき・・・”(童謡『たきび』 巽聖歌作詞、渡辺茂作詞)と、これでもうこの秋三度目になる”落ち葉焚き”をした。
 前回書いたように、わが家のあまり広くもない庭は、広葉樹はもとより針葉樹を含めての、落ち葉に埋め尽くされており、そのうちの一部はたい肥を作るために埋めて置き、一部は”たき火”で燃やしてしまい、ただ大半のものは雨や地面からの湿気で、いわゆる”ぬれ落ち葉”状態になっており、そのまま地面の肥やしにするほかはないのだが。
 庭を掃き集めて、大きな小山ほどにもなった枯葉の山に、火をつけて燃やしていく。
 他にも一緒に枯れ枝などを燃やしていくから、結構な火の勢いになり、風の弱い日を選んで、事前に周りに燃え広がらないように水をまき、燃えている間はそばで見守っていなければならない。
 ものの30分くらいなのだが、体中が温められてというか、汗が出るほどまでに熱くなり、ミャオがいつもこのたき火のそばに寄ってきていたのを思い出すし、時には母もやってきて、アルミホイールに包んだサツマイモを投げ入れたりしていたものだった。
 前にも書いたことで繰り返してしまうが、”年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず”(『唐詩選』 劉希夷「代悲白頭翁」より)。

 たき火の近くにある、サザンカの花が散り始めていた。
 童謡『たきび』の二番には、サザンカが出てくる。
 ”さざんか さざんか さいたみち・・・”

 紅葉が終わって、色彩に乏しいこの季節、さらには春先近くまで、それぞれの木が花を咲かせてくれる、このサザンカは実にありがたい木である。
 冬場の今が盛りのサザンカの花は、家の近くに高い生垣にしてある所があって、毎年見事な花のカーテン模様を見せてくれる。(写真上)
 こうした季節ごとの”見もの”があるからこそ、年寄りは、日々の散歩を止められないのだろう。
 世の中や、人々のうわさ話を聞くよりは、こうした樹々や草花たちの、”叫びとささやき”の声を聞いていたほうが、どれほどましなことか。
 こうして、日々、年寄りは自分で年寄りになっていくのだろう。

 一日前にあった番組を録画して、昨日見た。
 2時間15分(実質2時間足らず)の番組だったが、久しぶりに長時間番組をそのまま通して見た。
 テレビ朝日の”古館伊知郎『忠臣蔵』吉良邸討ち入り実況中継”である。
 
 題名からもわかるように、問題はいろいろとあるが、新しい史実によって、その時の状況が明らかにされていき、その分では実に興味深く面白い番組だった。
 つまり、私たちが子供のころから通して、映画やテレビ・ドラマや歌舞伎として見てきた『忠臣蔵』が、実際はその事件の後で、いかにしてさまざまに喧伝(けんでん)され、脚色されて伝えられてきたかが、よくわかるのだ。
 私たちは、当然のこととして、今までに、誰もが共感できるように面白く脚色された、ドラマとしての『忠臣蔵』を見てきたわけであり、今回、史実として解明されたことが多々あったとしても、私たちの娯楽作品としての『忠臣蔵』像が変わることはなく、むしろこの”赤穂浪士吉良邸討ち入り事件”には、さらなる事実がいろいろとあるやも知れず、おそらく多くのことは謎のまま残されることにもなるのだろうが。

 思えば、今まで伝えられてきた日本のそして世界の歴史のすべては、その出来事を見たあるいは聞いた一部の人たちによって、あるいは命じられて事実をゆがめたりして、書き残されてきたものだろうから、様々な視点から見られるべき事実が、いつも一部の側面だけからしか、見られていないということになるのかも知れない。
 そこで、この事件に付帯する人情話などを洗い流していけば、確かな真実として残るのは、”浅野家藩主浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が、江戸城松の廊下で高家筆頭(こうけひっとう)吉良上野介(きらこうずけのすけ)に切りつけて、取り押さえられ、切腹を命じられて、浅野家は断絶し、その二年後に浅野家元家老の大石内蔵助(おおいしくらのすけ)をはじめとする浅野家浪士四十七士が、吉良邸に討ち入り、吉良上野介の首をとり、その後彼らは全員切腹を命じられた” ということだけであり、その途中の様々な出来事は、中には真実もあったろうが、ほとんどは背びれ尾びれをつけて、面白く語り継がれてきたものなのだろう。

 しかし、それが一つの創作劇として、芸術作品として作り上げられていれば、それはそれで十分に価値あるものであり、子供のころいつも正月に見ていた『忠臣蔵』の映画が、近年になって映画とは違う新しい事実が出てきたからといって、あの豪華俳優陣によって楽しませてくれた、映画『忠臣蔵』の価値に変わることはないし、もちろん日本の伝統古典芸能として、営々と続けられてきた歌舞伎『忠臣蔵』としての価値が変わることなど、いささかもないのだ。
 ただ、この番組を見て言えるのは、様々にあふれる現代の情報社会に住む私たちが、いかにさらなる情報を求めているかということであり、つまり、高度に発達した研究機関やマスメディアがある現代だからこその、ドキュメンタリー番組隆盛の時であり、その裏には真実追及の好奇心旺盛なる人々の需要があるからということなのだろう。

 そうした意味で、この番組で明らかにされた幾つかの新事実はまさに興味深いことであったし、さらには、あのNHK・BSの”英雄たちの選択”でおなじみの歴史学者、磯田通史氏の解説があったことで、タレント・ゲストだけの安売り企画とは一線を画していたことにもなるのだ。
 さらに付け加えれば、番組中同時進行する、緒方直人扮する大石内蔵助以下の、浪士たちの討ち入りのドラマの模様を、実況する古館伊知郎とは別に、状況を説明する影のナレーターがいて、それは何と、あの元NHKの美人語りべアナウンサーの平野啓子さんだったのだ。
 古典物のナレーターとしては、この平野アナウンサーと女優の檀ふみの二人が双璧(そうへき)だと思うのだが、もっと優れた古典ものの番組での、語りべの声を聴きたいものだ。

 ただし、私たち年寄りには、あの時代の現場に、現代人たる古館アナウンサーが入って行って、実況中継するなどという、奇想天外な設定には違和感を覚えてしまうし、そうして時代を飛び越えたり、体が入れ替わったりという設定は、現代のありうるかもしれないという、仮想空間になじんでいる若い人たちの発想だからできることであり、この番組企画にかかわったプロデューサーたちもまた、若い人たちに占められているということなのだろうが。
 つまり、赤穂浪士の討ち入りという、新しい史実を加えたドキュメンタリーの劇中劇の中に、ネクタイを締めた現代人のアナウンサーがいるということを、何の違和感もなく受け入れられる、若い人々の世界になったということなのだろう。

 ちなみに、日本だけでなく全世界で評判の、あのアニメ映画『君の名は』を、私は見ていないし、すすんで見に行く気もしない。
 都会に住む男の子と地方に住む女の子の、体が入れ替わるという設定に、まず私はついていけないのだ。
 現代科学の進歩で、世界や宇宙のことが微細な事実まで明らかになっていき、今や人間自体の生成過程にまで及ぼうかという時代だからこそ、近未来にはありうるかもしれないという、仮想設定が受け入れられるのかもしれないが、20世紀からの、プラグマティズム(実用主義、実際主義)や即物主義思想の流れの中で、生きてきた私たち年寄り世代にとっては、あまりにも現実からかけ離れた仮想世界には、そう簡単にはなじめないのだ。

 さらに言えば、この番組では、民放としてのコマーシャルの時間を挟まなければならない宿命なのか、その前後に同じ映像を繰り返す(最近のバラエティ番組にありがちな)、二重説明になっていて、そのくどくどしさにはうんざりしてしまう 。
 そして、現代の東京から時代をさかのぼる説明としての、スライド映像の数々も、余分な説明だし、むしろ、当時の広重に北斎などの浮世絵があるのだから、それらの絵をスライドふうに流したほうが良かったのになど、番組としての構成の単純さにも、不満な点が多かった。

 さらには、番組の結論として、「これは単純な”勧善懲悪(かんぜんちょうあく)”の世界を描いたものではなく、結局は殺し合いの世界だし、本当はどちらの側にも言い分があるわけだから」、と司会者に語らせてはいたが、これもいかにも取って付けたような結論であり、そう思うなら、相手の吉良側の劇中劇を加えるべきだったと思うし、もっとも、わずか2時間ほどで語りつくせるほどの物語ではないのも事実なのだが。
 この討ち入り事件後、50年近くもたって、ようやく人形浄瑠璃(じょうるり)”仮名手本(かなでほん)忠臣蔵”として上演され、その時ですでに全十一段に分けての長大な物語として演じられているくらいであり、史実とは別の話が書き加えられているとはいえ、とても2時間ほどの番組で説明するというのが、土台無理な話なのだろうが。

 ただ、最後に一つ、スタジオのセットは、あの浪士たちの菩提寺(ぼだいじ)である泉岳寺に模して作られていて、あの日のように薄く雪が積もっている感じになっていて、その参道の両側は低く刈り込まれたサザンカの植え込みであり、そのサザンカの花の上にも雪が積もっていた。
 討ち入りは、元禄15年(1703年)の12月14日(現在の西洋暦で言うと1月30日)のことである。 


 同じ謎めいた話ならば、事実を積み重ねていき、最後の真実にたどり着く、謎解き物語のほうが面白い。
 これも10日ほど前に、NHK・BSで再放送された番組なのだが。
 ”スリーパー、眠れる名画を探せ~イギリス美術界のシャーロック・ホームズ~”(1時間55分、2004年制作)
 まだ40代の若い美術商フィリップ・モウルドが、長い間、世の中に埋もれたままになっていた名画、いわゆる”スリーパー”を探し当てていく、その過程を追ったドキュメンタリー番組である。
 
 世界中のオークションに出される予定のパンフレットにある、出自不明の絵の中から、これはもしかしたら有名画家の名画の一つではないのかと、あたりをつけて調べていき、確信を持ったところで、そのオークションで競り落とし、名コンビともいえる修復画家に依頼して、特殊な光を当てて、その絵の上塗りされた状態を探り当て、後になって書き加えられた部分を洗い流し、さらには継ぎ足されたキャンバス画像を、元の大きさに戻し修復して、本来の肖像画の姿に戻していくのだが、その出来上がった絵は、そのオークションの時の元値の、何十倍何百倍の値段がつけられるようになるのだ。
 例えば、”大陸系の画家が描いた肖像画”として不明なまま売りに出されていた絵が、有名な肖像画家トーマス・ローレンス(1769~1830)の筆によるものだとわかったり、今まで一枚もないとされていた、ヘンリー7世の長男であり、若くして死んだアーサー皇太子(1486~1502)の肖像画が、継ぎ足され、背景を塗りつぶされていた状態だったことが判明した時、さらには”ロード・ストレンジ”と呼ばれていた熱血漢の国会議員ジェイムズ・スタンリーを描いた、トーマス・ハドソン(1701~1779)による肖像画が、さらにもう一枚あるとわかったことなど、その謎解きドキュメンタリー・ドラマから目が離せなくなる2時間だった。

 そして、背景にある、イギリス貴族社会の、現代に続く秩序あり品位あるたたずまい。
 若いころのヨーロッパ旅行で、訪ねたイギリスの友達がその貴族階級の一人であったことなどと併せて、もっともこの番組で見たのは、私の知らないはるかに高いクラスの人たちの世界ではあったが、実に興味深く見ることができた。
 そして、NHKの共同制作と記載されていたが、BBCの制作だと思わせるほどに、しっかりとした構成になっていて、何の違和感もなく最後まで見続けることができた。

 こうした、思いがけない見つけものに出会えるからこそ、年寄りになりつつある今でもまだ、もう少しだけでも生きていたいと思うのだ。
 まして、過分な欲や余分な執着心が取れてきた今だからこそ、多くの物事がいろいろと見えてくるようになるし、今のじじいの時代こそが、実は人生の中で一番良い時なのかもしれないと思っているから、なおさらのことなのだが。
 誰が言ったかは忘れたけれども、確かに”人間とは好奇心の生き物である”。

 夕方少し歩いた見晴らしの良い所から、赤く染まる山々を眺めた後、中空を見ると、日が落ちて青ざめてきた景色の中で、さえざえとした月が輝いていた。葉を落として、天空に枝を伸ばす木のそばで。(写真下)
 あのアンリ・ルソー(1844~1910)の『カーニヴァルの夕べ』の絵のように。