9月19日
つい先日まで、今年はどうしてこんな時期まで暑いのだろうと思っていたのだが、さすがに季節の歩みは間違いなく、確かに近づいてくる。
庭木の、サクラやスモモやナナカマドなどの紅葉が、少しずつ始まっっている。
天気の悪い日が多くて、いつも薄暗い感じの林内の中に、ぽつんと、一つの黄色が浮かび上がっている。(写真上)
イタヤカエデの葉の中で、どうしたわけか、他の葉はまだ濃い緑のままなのに、一枚だけ黄葉が始まっているのだ。
「誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた。
ちいさい秋、ちいさい秋、ちいさい秋みつけた。
・・・。」
(「小さい秋みつけた」 サトウハチロー作詞 中田喜直作曲)
と、それは、思わず口ずさみたくなるような光景だった。
気温も、朝10度前後にまで下り、今までのTシャツの上に長袖フリースを着こみ、素足だったのに靴下をはくような毎日になってきたのだ。
それは、外仕事をしても、もうTシャツがびしょ濡れになるほどの汗をかかなくてすむということだし、何よりイヤなアブやサシバエ、蚊などがめっきり減って、気持ちよく仕事ができるいい季節になってきたということなのだ。
確かに、しばらく前から、アブやサシバエはいなくなっていたのだが、蚊はまだうるさく私をつけまわしている。
下はジャージの長ズボンだからいいけれど、上はTシャツだから首筋や腕の裏側をねらって襲ってくる。
たかだか、外での立ちションのわずかな時でさえ、奴らはすぐに察知して、集まってくるのだ。
さすがに、年寄りのみすぼらしい出し物の本体を刺すことはないが、支えている手の甲に止まっては刺してくる。
まあそれで、とんだ修羅場(しゅらば)が繰り広げられることになるのだ。
まさに放出しているさ中だけに、腰を少し動かすぐらいでは蚊は逃げて行かずに、仕方なく片手を離して、支えている手のひらをぴしゃりと叩くのだが、蚊には逃げられてしまい、ただ叩かれたその手がぶれて、途中で止めるわけにもいかずに、そのしぶきがあちこちにかかる始末。
全く、このありさまを動画に映して、”Youtube”に投稿したいぐらいだが、余りの”ゲスのきわみじいさん”のバカバカしい体たらくに、即削除になることだろう。
毎度同じような、”どもならん”下ネタはこのくらいにするにしても、それでもいつも感心するのは、蚊の、自分の生死をかけての攻撃心である。
殺虫剤スプレーは、なるべく使いたくはないから、蚊が体に止まったところを見計らって、ピシャリと叩きつぶしているのだが、それでも奴らは、しつこく体の露出した部分を探しては、繰り返し襲ってくるのだ。
もちろんそれは、自分たちの子孫を残すための行為であり、雌の蚊が卵を生み出すためには、どうしても栄養分たっぷりの生き物たちの生き血を吸い取ることが必要であり、すべからく、生物界の生死をかけた本能に従っているだけのことなのだが、刺される側としてはとうてい看過(かんか)できない不快感を伴う小さな闘いになるし、それには今流行りの”ジカ熱”を含めた感染症の恐れもあるのだから(もっともこんな北国にはそんな心配はないのだろうが)。
ただいつも思うのは、この雌の蚊たちの、死さえも恐れぬ勇猛果敢な攻撃心である。
人間を含む動物界では、子供たちを守る母親たちの必死な姿がよく知られていて、その母性愛が称賛されているけれども(昨日のNHK『ダーウィンが来た』では、自分の何倍もの大きさのカラスやトビを相手に闘うタゲリの姿が印象的だった)、しかし、蚊の雌たちは、たまり水に産み付けた卵から子供のボウフラが生まれ、成虫になって行くまでの間を育てているわけではないけれども、自分の卵を産むために、自らの死を恐れずに、巨大な生き物である人間に向かっていく姿こそ、実は形こそ違え、彼らの母性愛あふれる姿ではないのかと・・・。
前回、前々回と、あの”万葉集”からの歌をいくつかあげてきたうえで、さらに今回もまたというのは、いささか面映(おもは)ゆい気もするが、前回あげたのと同じ第十六巻に、実は動物たちの”痛み”について、書かれたいくつかの歌があるのだ。
例えば、”右の歌一首は、鹿のために痛みを述べて作る”という、添え書きが付けられている長歌があり、ここでは長いので引用できないのだが(第十六巻3907参照のこと)。
その内容はといえば、しつらえられた狩場に入ってきた雄鹿が言うには、”お役に立てるのであれば、この命をお大君のために差し上げましょう。ただし私の角から爪や胆(きも)に至るまで、すべてをちゃんと使い切ってください”と。
さらにもう一つ、”右の歌一首は、蟹(かに)のために痛みを述べて作る”という歌もあるのだ。(第十六巻3908参照)
それはおおまかに訳すれば、”難波(なにわ)の入り江に隠れ住んでいた私が、大君に召されて、管弦の演者になるのかと思ったら、天日に干され、碾き臼(ひきうす)にひかれて、塩辛(しおから)にされたよ。”といった意味になるのだろうか。
今から1200年以上も前の、あの飛鳥(あすか)奈良の時代に、すでにというかむしろ今以上に、食料となる動物への、生き物たちへの憐みの思いがあり、その命をありがたく感謝していただいていたということであり、それが、私たち日本人の心根だというふうに信じたいのだが・・・。
考えて見れば、言葉を持たなかったアイヌの人々が、自分たちの伝統や儀式を不文律のしきたりとして、子孫末代に至るまでしっかりと守り通してきたこと、つまりそれは、狩猟によってクマを捕らえた時に行う”熊祭り(イヨマンテ)”の儀式や、あるいは鮭が川をのぼってくる前に行う”鮭祭り(カムイチェップ)”などの儀式などでもわかるように、神の恵みとしての獲物に感謝し、また痛みを与え命を奪うことになる彼らを、安らかな天国に送るためにと、こうした神聖な命の儀式が生み出されたのだろう。
(今、話題の築地市場についてのテレビ番組の中で見たのだが、そこでは今も”マグロ供養(くよう)”の儀式が行われているとのことだし、他の日本各地でも、”何々供養”という形で、その昔から食べ物に感謝する風習が残され続けられているのだ。)
さらに考えて、世界にその源流を探して行けば、一万年以上も前の石器時代に、あのスペインの”アルタミラの洞窟”に描かれた野牛、イノシシ、トナカイなどの姿や、オーストラリアの”アウトバック”や”アーネムランド”周辺の洞窟壁面に、アボリジニーたちが描いたといわれる、数万年前のカンガルーやゴアンナ、エミウなどの姿は、これもまた獲物たちに対する感謝の思いからだったのかもしれない。
しかし、そうした古代人からの思いがある一方では、今や人間だけが、自然環境とは全く異なる自分たちだけの文明による生活空間を作り上げたことで、神(自然)が作り上げた食物連鎖の図式が、ゆがめられたものになってきているともいえるのではないのか。
一般的に言えばの話だが、今の時代に生きる私たちは、家畜たる動物たちや、自然界にあるものとして当然のごとく食べている魚介類などへの感謝の思いが、昔の時代と比べて希薄になってきているのではと考えてしまう。
宗教の世界では、キリスト教にしろ仏教にしろ、自らの身を挺(てい)して犠牲になる話は称賛されてはいるのだが、かと言って、私には自らが犠牲になるなどという殊勝な考えなどは全くないし、それどころか、蚊に刺されてほんの微量の血を吸われるくらいのことで、大騒ぎしている始末なのだから・・・。
それなら、病院に行って献血をして、その時にいくらかの自分の血を小皿に分けてもらい、それを小鳥のエサ台よろしく、蚊のエサ台として庭に置くというのはどうだろうかと、全く、しょーもない馬鹿なことを考えては一日を過ごしているのであります。
蚊の話から、すっかりわき道にそれて、余分なものまで書いてきたのだが、今回は、実はちゃんと私も働いているのだということを書いておきたかったのだ。はい、全く久しぶりに、林業仕事に精を出したのであります。
9月に入ってからの長雨による、家周りや床下浸水の水も引いて、ようやく一日晴れの日があって、早速林内をくまなく調べてみたところ、何と完全な倒木や大きく傾いて切るしかないカラマツの木が、併せて何と26本(うち二本は去年の倒木をそのままにしておいたものだが)、とてもこの秋ですべてを切り分けて、その全部の丸太を運び集めるなんて、とてもできやしないだろう。
しかし、ともかく少しずつでもと、まず完全に倒れている木を、チェーンソーで切り分けていくのだが、直径35cm、高さ20cmもある木だから、そう簡単にはいかない。
根元から折れへしまがった木の、根元の部分を、少し短く50cm位の長さで切り分けていたところ、倒れて横になったままの左右の張力の関係で、チェーンソーのバーごと切っている丸太の間に挟まれて、動かなくなってしまった。
もちろん、そんなことは今までに何度もあったことであり、バールをその間に差し込んでこじ開けようとしたのだが、押しても引いても動かないし、そこで、その時は故障していた古いチェーンソーを使っていたのだが、前回書いていたように、新たにネット通販で買ったもう一台の新しいチェーンソーがあるから、それで反対側から切っていって、ようやくその古いチェーンソーを抜き取ることができたのだ。
しかし、途中で無理をして何度も引っ張ったので、チェーンのコマの一つがねじ曲がっていて、もう元には戻せないから、チェーンを新しく買い換えるほかはなく、さらには何と、プラスチック製のスロットルレバーまでもが折れてしまっていたのだ。
このチェーンソーは、バーゲンで15年ほど前に買ったもので、つまりは17,8年前の製品ということになり、もう部品もなく、この一週間前に修理してもらったばかりではあるが、あきらめるしかなかった。
ともかく、この新しいチェーンソーを買っておいてよかった。少し小型軽量にはなるが、最新式の十分なパワーと新しいチェーンの切れ味のよさもあって、残りの部分の枝はらいと、本体を1.8mの長さの丸太に切り分けていく作業は順調に進み、今日の仕事は、その2本の倒木の切り分けなどを、1時間ほどかけて終了したのだが(写真下)、それも久しぶりの仕事で無理をしないようにとの配慮からであり、若いころとは違うのだからと自分に言い聞かせた。
その後で、これも久しぶりに、家の五右衛門風呂を沸かして、その温かいお湯につかったのだ。あー極楽、極楽と。
こうして田舎暮らしのじいさんの、久しぶりの仕事の一日は終わったのであります。
今日は、このブログを書かなければいけないし、そのうえ、北海道日ハムの試合はあるわ、長時間歌番組でいつAKBが歌うかわからないわ、全くヒマなじいさんの割には、あわただしい、”秋の日はツルベ落とし”の、一日ではありました。
”敬老の日”、今気づいたのだが、そこで、ワオーン、ワンワンと遠吠えを一つ。