ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飛行機からの雲と扇状地

2016-08-09 21:08:38 | Weblog



 8月8日

 数日前、北海道に戻って来た。
 ヒザの痛みで、いつもの遠征登山に行くのはあきらめるにしても、もうこれ以上出発を延ばすと、お盆休みの混雑期になって、もう帰れなくなってしまうからだ。
 東京への飛行機の便では、通路側だったが、帯広行きの便は、何とか窓側に座ることができた。
 それにしても、周りは、夏休みを田舎で過ごすのだろうか、子供連れでほぼ満席に近い状態だった。
 その日は、全国的に天気は良かったのだが、やはり夏の昼前後になれば、あちこちで雲が沸き立っていて、山々の展望は望むべくもなく、南アルプスも富士山も見えなかった。
 
 それでも、それなりに、いつもの飛行機からの展望を楽しむことができた。
 というのも、私の好きな山々の展望をさえぎってしまう雲は、いつも邪魔なものだけれども、夏の時期にはその山々の眺めの代わりに、雄大な雲の造形美を見せてくれるからだ。
 その雲は、普通の旅客機の巡航高度である、高度1万メートル付近の高さにまで達するかのような勢いで、下から盛り上がってくる。
 もちろん、それこそが、積乱雲(入道雲)なのだが。
 上にあげた写真には、手前に晴れ渡った北関東の平野部があり、そこから低い山間部にかけて積雲が点々とあり、そして、画面中央奥の上越国境の山沿い辺りには、大きな入道雲が何本も乱立していて、さらにその上には1万メートルをはるかに超えるあたりに、雲の中でも最も高いところにある巻雲がたなびいている。
 私はかつて、ヨーロッパ行き南回りの飛行機便で、遠くヒマラヤの高峰群を見たことがあるのだが、まるでそうした雪の山なみを思わせるような積乱雲の連なりを、今までに何度も見たことがある。

 そして今回、特に興味を引いたのは、晴れている所が多かった、東北縦断のコースの下に見える風景である。
 地図を広げればわかるように、南北に延びる東北地方の、中央部を奥羽山脈が貫き、その左右に、まず西側には、出羽山地から越後山脈へと断続的に連なる山なみがあり、東側には北上山地から少し離れて阿武隈山地に連なる山なみがあり、それぞれの山なみの間が盆地になっていて、その地域内で、独自の自然環境や地方圏文化などをはぐくんできたのだ。
 今までにもう幾度となく、それらの山々や盆地に平野などを、飛行機の上から眺めてきているのだから、今さら改めて書くこともないのだが、同じ山に何度も登るのと同じように、今回もこの季節ならではの景観として、また別の目新しい興味を持って見ることができたのだ。

 下の写真はその一つ、会津盆地とその中心都市、会津若松市の全景である。
 雲の多かった北関東の山々の上を抜けたところで、今までびっしりと広がっていた積雲がまばらになり、まるであのモーセが紅海を渡った時のように(映画『十戒』1956年版参照)、左右の雲が開けて、会津地方だけが晴れ渡った空の下に見えていた。
 そして、会津若松市街地の中心部には、少し濃い緑の城郭公園が見え、その中にはっきりとあの鶴ヶ城までもが見えていたのだ。
 その昔、母を連れて東北旅行をした時に、会津にも寄って、この鶴ヶ城の天守閣にまで上がったことも思い出した。



 さらにしばらく前には、あのNHK『ぶらタモリ』で、この会津若松ロケの放送があり、その時に、地形的水利的な要所としての、築城や城下町形成の話が面白かったので、よく憶えているのだが、この飛行機からの眺めでは、さらに俯瞰(ふかん)的に見ることができて、特に川が平野部に流れ出し、扇状地を形成したその端緒部に城があり、そこからさらに下の方の、周囲部に城下町が広がっていったのがよくわかる。

 こうした山に囲まれた盆地の光景は、次には米沢、さらには山形と、その部分だけが、雲の海から押し開かれたような景観となって広がっていたのだ。
 つまり、夏の雲の形成状態から言えば、周りの山々の上には、上昇気流によってできた積雲の、それぞれの小さな雲のかたまりが並んでいて、まだ平野部には大きな上昇気流が起きていないから、雲も発生せずに晴れているということになるのだろう。(もっとも時間がたてば、さらに大地が温められて、強い上昇気流による入道雲ができるようになるのだろうが。)

 飛行機はさらに少しずつ、奥羽山脈から東寄りに離れていき、仙台上空から北上平野、北上山地、そして三陸海岸から太平洋へと抜けるのだが、その途中で、先ほど会津若松でも見た扇状地の地形が、ここでは真下に、より近い距離ではっきりと見えていた。(写真下)
 それは、今までにも何度も見ていて、気になって地図て調べたこともあるくらいなのだが、多分、今の岩手県奥州市であり、旧水沢市から胆沢(いざわ)町、平泉町にかけて広がる胆沢扇状地(いざわせんじょうち)だろうと思うのだが。



 扇状地とは、山間部を流れてきた川が、急に平野部に出て、そこに上流から運んできた土砂を堆積させていき、その出口(扇頂)の所から下流域にかけて扇状に広げて作った地形のことであり、その扇状地の中央部(扇央)では、川は伏流水になって消えてしまうこともあるが、その扇形に開いた末端部(扇端)では、豊富な湧き水になって噴き出すことが多く、昔から集落地や耕作地として利用されてきているし、ここでもその扇端に沿って、街並みが続いているのが見て取れる。
 特に有名なのは、山梨県の甲府盆地や長野県の安曇野、富山県の砺波(となみ)平野、そして今日は雲があって見にくかったが、那須野ヶ原の複合扇状地などがある。

 こうした扇状地の地形は、現地に立って見ても、それとわかりにくいことが多く、むしろ少し離れた小高い所から見れば、そこで初めて扇状地なのだと気がつくこともある。
 とはいえ、やはりよくわかるのはこうした飛行機などから見下ろした全体像であり、昔の地理の教科書に描かれていた、模型図そのままの形を見ることができる。
  こうして、今回はいつもの山々の姿を見ることはできなかったけれども、鮮やかな夏の雲の姿と扇状地の地形をつぶさに見ることができて、それだけでも、実に有意義な飛行機の旅だった。

 しかし、降り立った北海道は十勝帯広空港の気温は、むっと来る熱気とともに、何と32度とのことだった。
 これでは、九州の山間部にあるわが家での30度よりも、高いではないか。
 とても、北海道に来たのだからと、ぜいたくな避暑気分に浸っている場合ではないのだ。
 
 一月ぶりで戻った、郊外の田園風景は、牧草やビート(砂糖大根)に豆類の緑の濃さが増していて、九州に行く前に黄金色に色づき始めていた小麦類は、今や刈り取り前の黄土色に変わっていた。

 戻って来た家の周りは、私がいなかったその間の気温が低く、雨が多い冷害気味の天気だったと聞かされていたのに、その割には、まさにぼうぼうと言っていいほどに草が伸び放題で、その後も帯広では毎日30度越えの日々で、いまだに草刈はしていない。
 朝は15度近くにまで冷え込んで、仕事をするにはちょうどいい気温なのだが、外に出れば、何しろいつもの大きな牛アブにメクラアブそして蚊たちが、手ぐすね引いて待ち構えていて、こうしてヒザを痛めて山にも登れなくなったヨレヨレじじいなのに、その年寄りの血を求めてわっと集まってくるのだ。

 つまり、暑くて虫もいるから、まだ草苅りをしていないのだ。
 家の中でただぐうたらにダラダラしては、テレビでオリンピックや高校野球、イチロー、日ハム、AKBを見ているだけだから、始末に負えない。
 食っちゃ寝の毎日で、年寄りなのにムチムチと肥え太り、それを知っている虫たちが、外に出てこい大コール。
 仕方なく外に出るのは野外トイレのためで、いつものように木陰に行って、小の用足しをしていると、その哀れな先っちょまでもねらって、やつらが飛んでくるのだ。
 若いころなら、それで刺されて大きくなれば、それはそれで使い道もあったのだろうが、今じゃ昭和の枯れすすき・・・替え歌ふうに・・・。
 ”この暑さに負けた。いいえ、自分のぐうたらさに負けた。この庭を追われて、いっそ丸々太ろうかと。・・・”
 と、くだらない下ネタ話をして、オチのない替え歌を作っては、ウダウダしているじいさんのひとりごとでした。

 それにしても、AKBの新曲「LOVE TRIP」も悪くはないのだが、乃木坂46の新曲「裸足でSUMMER」が、それ以上に、軽快なリズムに乗ったいい曲だと思う。
 ずいぶん前の曲だがあの「バレッタ」と同じように、しばらくは繰り返し聞きたくなる曲だ。
 こういうことを言っては、AKBに悪いけれども、明らかにAKBとは1ランク上の美人ぞろいの乃木坂の歌うビデオでも見て、さわやかな気分になって、いい夢でも見るか。
 
 とか言ってるわりには、いつも悪い夢にうなされたりしている始末で、そういえば、帰ってきたこの北海道の家の、玄関先の屋根の梁(はり)の所からは、何と合わせて4匹もの蛇の抜けがらが垂れ下がっていて、これで地面で見つけた他の2匹分の抜けがらと併せて、ここには常時6匹もの蛇がいることになる。
 それだけ、蛇のエサになる、ネズミ類や昆虫などが多くいるということだろうが・・・それにしても、ここはまるで、”怪談・蛇屋敷”の世界であり、そのためにか、今までに何度か蛇がうじゃうじゃいる夢を見たこともあり、それを思うだけでも、昼間の暑さを忘れて、十分涼しくなりそうだが・・・。
 まだまだ、『真夏の夢』は続くのであります。

 
 (以上のことを昨日書いたのだが、その日には”天皇陛下のお気持ち表明”があり、さらには今日が”長崎・原爆の日”であることなどを思い合わせると、どうでもよいような個人的な身辺雑事の話などはと、いささか気おくれがして、とりあえずこうして一日先送りにして、投稿するに至った次第であります。
 この二つのことに限らず、世の中の多くの人はそれぞれに責任ある位置にいて、それぞれに懸命になって日々を生きているのに。
 それなのに、めぐりゆく季節とともに、ただ風に流れる雲のように、ぐうたらに生きているだけの、自分の生き方は何なのかと、わずかばかりでも顧(かえり)みることのできた1日にもなったのだが・・・。8月9日記)