ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

キツネノカミソリ

2016-07-25 22:25:04 | Weblog



 7月25日

 梅雨明け後の、晴れた日が続いている。
 ここは山の中だから、朝は少しひんやりとして20度ほどのちょうど良い気温だが、日中にかけて30度近くにまで上がる中で、雲が広がりあっという間に怪しい雲行きになって、ザーっと一雨来たりもする。
 朝夕にはカナカナカナとヒグラシが鳴き、昼間にはジーと鳴くアブラゼミに混じって、もうツクツクッーシとツクツクボウシまでもが鳴いている。
 夏の盛りの音の風景だ。

 ようやく簡単な手入れの終わった庭を歩いていると、そんなセミたちの短い一生を終えた亡骸(なきがら)が落ちているのを見たりもする。
 そんな庭の日陰になった片隅に、なんと目にも鮮やかに、一本のキツネノカミソリの花が咲いていた。
 この庭でのキツネノカミソリは別に珍しいわけでもなく、その昔、母が周りの野山から一株とってきて植え付けたものが、今では毎年、どこかで花を咲かせてくれている。
 ただしこのヒガンバナ科の花たちは、冬の間、細長い緑の葉を茂らせていて、(その葉の形からもスイセンたちの仲間に近いというのもわかるが)、春にはその緑の葉は枯れてしまい、夏から秋にかけて花を咲かせるのだ。
 このキツネノカミソリも、春先までは確かにそこに緑の葉が出ているのを見ていたのだが、葉が枯れて何もなくなった後、そのことはすっかり忘れてしまっていて、だから今、突然湧いて出て来たかのように、木陰の下にひときわ色鮮やかな花が咲いているのを見て、驚いたのだ。

 それにしても、こうしたキツネノカミソリのように、昔の人がつけた日本の花の名前は面白い。
 そうした花の名前の中でも、春先に小さな薄紫の花を咲かせる、あのオオイヌノフグリ(2月29日の項参照)ほど、思わず笑みがこぼれてくるような名前はないだろう。
 春の温かい日差しを浴びて、一番最初に小さな花を咲かせる草花の名前が、直訳すれば”いぬのおおぎんたま”だとは・・・。
 もっともものの本によれば、この草の実が、ちょうどそのような形をしているからだということで、別におふざけでつけられた名前ではないということだ。
 
 そして、このキツネノカミソリだが、”カミソリ”とはその細長い葉の形が、床屋さんで使われているような昔からの”剃刀(かみそり)”の形に似ているからつけられたものだろう。(今では、家庭用としてそうした一枚刃の”かみそり”は使われなくなり、4枚刃の安全なハンディ”カミソリ”が使われていて、それ以上にほとんどの人は電気カミソリを使っているようだから、あの床屋さんでの”かみそり”は、ますます縁遠いものになっていくのだろうし、この名前の由来も最初からの説明が必要になるのだろう。)
 次に、その”カミソリ”の前に付けられた”キツネ”とはと考えると、こうした木の下の薄暗がりの所に、まるで突然に生えてきてだまされたような、その怪しげな生態を見て、名付けられたのに違いない。
 さらに余談だが、調べていて、このキツネノカミソリの仲間には、まずオオキツネノカミソリがあり、さらにはムジナノカミソリやタヌキノカミソリまでもがあるというような、冗談めいた事実もあった。

 日本の植物には、この”キツネ”だけでなく、身近にいる多くの動物たちの名前が付けられている。
 上にあげた”オオイヌノフグリ”にある、”イヌ”の名前は他の多くの植物たちの名前に付けられていて、大体において”役に立たない”とか”無駄な”という意味が込められているようだが、今やペット・ブームのさ中、多くの飼い主たちにとっては、人間にとっての大切なパートナーにもなっている”イヌ”たちが、”無用な”という意味で使われているのは到底納得できないだろうが。

 つまり、物の名前や私たちが使う言葉も、こうして時代の中でさまざまに変わっていくのだろう。
 ところで、前回あの『枕草子』にちなんで、「すさまじきもの・・・」としてあげた短い拙文(せつぶん)についてだが、それは今でいう”凄まじい”という言葉とは意味が違っていて、当時は”不釣り合いで不快な”とか”興ざめな”とかいう意味合いで、使われていたとのこと。
 私が生きてきた間でも、良いことや良い品物を言うのに、”すてき”や”イカす”から、最近はすっかり”ヤバイ”に変わってしまったし、それでも”かっこいい”という言葉のように、昔からずっと使われ続けているものもある。

 つまり、”言葉は世につれ、世は言葉につれ ”変わっていくものだろうから、あの中村草田男(1901~1983)が、「降る雪や明治は遠くなりにけり」という一句を詠(よ)んだ時の思いもわかるような気がするし、私たち昭和世代の人間たちも、平成生まれの若者たちを前に、世代の差を感じることが多くなってきて、同じように”昭和は遠くなりにけり”と思うのかもしれない。
 そこで言えるのは、当然のことながら、人は自分の生きた時代の経験をもとに、今の年齢の自分の目線で、今の時点からしかものを見ることができないということだ。
 それは世代間の断絶とかを言っているのではなく、むしろ世の中には、年齢差を超えて理解し合えるような事例などいくらでもあるだろうし、そういうことではなく、自分はこれだけの経験を経てきて、その中にはそれこそ無駄なものや語る価値のないものさえ含まれていて、決して今の若者たちより優れた経験をしてきたなどとは言えない場合も多くあるのだし、ただそうしたことを踏まえて、私は自制の意味を込めて、自分は実に狭い視野でしかものを見ていないということを言いたかったのだ。 
 もちろんそれが、一人一人としての際立った個性を持つ、個人である人間の特性でもあり、自分に何らの利があるようにと考える、動物としての本性の一つでもあるのだろうが。

 先日、ふとテレビを見ていたら、よくテレビ番組に出ていて名の知られた動物学の先生が、元気な小学校の子供たち数人を引き連れて動物園に行き、それぞれの動物たちの意外な能力や行動について話してやっていたのだが、次にあの北米に住むプレーリードッグの園地の所に行き、子供たちがかわいいと叫んでいる前で、その先生は、群れで暮らすプレーリードッグたちの生態などをを教えてやり、さらには母親のプレーリードッグが、近くの他の巣穴にいる他のプレーリードッグの子供を殺してしまうことさえあるとまで言っていたのだ。
 子供たちは一瞬、たじろぎぼう然として何も言えなくなっていた。
 先生は、動物界の現実を、正直にありのままに教えてやったつもりだろうが、まだ十分に世の中の仕組みや道理がわかってもいない、感じやすい子供たちにまでも話してもいいことだろうかと思ってしまった。
 そのことを、子供たちに告げることがいけないと言っているのではなく、むしろその後に付け加える言葉がほしかったと思うのだ。
 たとえば、「プレーリードッグの母親が、そうしたことするのは、何としても自分の子どもだけは守りたいという母親の思いから、止むに止まれずにしたことであって、同じ動物の仲間でもある人間の私たちはそこまではしないとしても、君たちのお母さんの気持ちも一緒であって、毎日君たちを一生懸命に守っているんだよ」、とか・・・。

 生存競争の中にある、動物であるがゆえの集団と個の問題は、今までにもここで何度も取り上げてきたことであるが、あの日高敏隆の『利己としての死』や、これもテレビで見たのだが、ライオンに襲われ食べられる一頭の仲間を、遠巻きにして見ているヌーたちの群れなどの話からも言えることだが、つまり人もまた、今いるこの時点からしかものを考えられないものであり、それだからこそ、今いる場所に専心することや、ひたむきに生きることで、おのずから確かな生の存在である自分が見えてくるのではないのかと。

 最近またあの『歎異抄(たんにしょう)』を読み返して、つくづく考えてしまったのだ。
 もう言うまでもないことだが、親鸞(しんらん、1173~1262))の高弟の一人でもあった唯円(ゆいえん、1222~1289)が、浄土真宗の祖ともいえる親鸞の教えを正しく守ろうとして、その師の言葉を中心にしてまとめ上げた、簡潔にして緻密に構成された仏教書であり、今までもそこに書かれたいくつかの言葉をここでもあげてきたが、今回は以下の親鸞の言葉について少し考えてみた。

 「・・・自余(じよ)の行(ぎょう)も励みて、仏(ほとけ)に成るべかりける身が、・・・いずれの行も及び難(がた)き身なれば、とても、地獄は一定(いちじょう)、住処(すむか)ぞかし。
 
 「聖道(しょうどう)の慈悲というは、ものを哀れみ愛(かな)しみ、育(はぐく)むなり。
  しかれども、思うが如く助け遂ぐること、極めて有り難し。」
 
 「弥陀(みだ)の五劫思惟(ごこうしゆい)の願(がん)をよくよく案ずれば、偏(ひと)へに、親鸞一人がためなり。」

 以上の抜き書きの部分を、自分なりに解釈すれば。
 ”様々な行に励んで、仏にまでなろうとした身なのに、・・・どの行(ぎょう)でも、思いを遂げることはできず、(ただ念仏を唱えるばかりであるが、たとえ法然上人(ほうねんしょうにん)からの教えにだまされて、念仏を唱えることで地獄に落ちたとしても、悔いはないし)、むしろ地獄こそは確かに私の住むところになるのだから。”

 ”仏道に悟りをひらく道においては、この世の生き物を哀れに思い、かわいがり、守り育ててやることであるが、しかし、思うように助けてあげることできないのが現実だ。(だからこそ、念仏をし続けることによって、衆生に慈悲の心を示し手助けすることにもなるだろう。)”

 ”阿弥陀様(あみださま)が計り知れないほどの長い間、考えて誓願なされた教えをよくよく考えてみれば、ただこの私、親鸞一人のためであった、(と思えるようになるのだ)。”

 もともと私は、仏門に帰依(きえ)し仏教を学ぶほどの理解力もない、他の多くの日本人がそうであるように、ただの冠婚葬祭の時だけの門徒の一人にすぎないから、たとえこの『歎異抄』繰り返し読んだところで、親鸞の教えを正しく理解することなどできないだろう。
 しかし、そう考えていけば、すべての書物があいまいな意味のないもになってしまう。そうではないのだ。
 文学にしろ哲学にしろ、あるいは音楽にしろ絵画にしろ、すべての人間によって書かれ作り上げられたものの芸術的価値など、その時代その時代によって変わり、ましてや個人個人によっての受け取り方も違うから、何も普遍的な評価がいきわたっているものだけを選んだとしても、それが自分の嗜好(しこう)に合っているかどうかはわからないのだ。

 要するに、個人によって書かれ、あるいは作り上げられたものは、自分が共感し納得できるところだけを、取り入れればいいだけのことだ。
 たとえは悪いけれども、最近いくつもの冤罪(えんざい)事件が明るみになっていることをつい考えてしまう。
 長年の刑務所生活から放たれて、無実の罪が晴れた人の思いは、いかばかりのものか。
 そこで思うのは、その無実の人を犯罪者に仕上げた、警察の取り調べであり、決めつけた犯人を有罪にするだけの証拠だけを集めて、無罪を示すことになるような証拠物件には、一顧(いっこ)だにしないこと。
 つまり、私たちが本を読んだりする場合には、そうした悪い意味での我田引水的な方法と似通ったところがあって、ともかく、自分の理解できるところや共感できるところがいくつかあればいいのであって、大半の部分がわからないとか共感を覚えなかったとしても、必ずやその読書はそうしたものとして有意義なものになるだろう。
 
 それを踏まえて、私が言いたかったことは、大きな誤解を恐れずに言えば、親鸞は仏教の教えに対して、自分でできるしそして誰でもができる”念仏を唱える”ということだけで、すべての人の心が安らかになる、仏の御国の実現を夢想したのだろうが、それはまさに自分自身のためだけのものでもあったのだと思う、いつもの私の妄想として・・・。
 雑念を捨てて、”念仏を唱える”ことだけに執心すること、それはすべての衆生のためであり、親鸞自身のため、自分ひとりのためでもあったのだということ。
 たとえ背後に、僧侶としての妻子持ちという現実生活があったとしても・・・。

 あのバロック音楽の大家であり、クラッシク音楽の祖ともいわれるバッハ(1685~1750)が、現実の世界では教会の音楽運営の激務に追われ、家に戻っても妻や子供たちのにぎやかな家族がいた中で、あれほどの静謐(せいひつ)美麗な音楽を作り続けていたことを、同じように思い浮かべてしまう。

 以上、長々と書いてきたことの結論を言えば、自分はこうして生きてきた、今の時点からしか見ることしかできないけれども、そうして見ている世界は、今まで自分が経験体得してきたものの礎(いしずえ)の上にあり、そのようにして、再びせりあがっていく世界こそ、自分だけのゆるぎない王国としての存在価値があるものだということ。
 あえて言えば、それは言われているような複眼的思考が必要だということではなく、自分だけの強い単眼的な思考で十分であるということ。
 ということになれば、これから読んでいく本も、私の思いにかなう古典文学が中心となるだろうが、ただ”ポケモンGO”をやる人々から遠く離れて、私は自分だけの道を歩いて行くほかはないのだ。

 梅雨が明けて、いつものように遠征登山に出かけようと思っていたのだが、関東・東北の梅雨明けが遅れているうえに、相変わらずヒザの状態が思わしくなく、セミの鳴き声を聞きながら、なんともつらい気分にもなるのだが、なあに山だけが私のすべてではないし、こうしてまだまだ読むべき多くの本があり、見たい映画があり、聞きたいクラッシック音楽があり、そしてAKBがあるのだ。
 このところ、長時間にわたるテレビでの夏の音楽祭があり、AKBが出ているところだけは録画して見たのだが、AKBグループそれぞれの持ち歌や踊りは十分に楽しめたのだが、企画ものとして、他の歌手たちの曲を生歌で歌っていて、その素人並みの音程を外す歌声には、さすがのAKBファンの私も聞くのがつらかった。
 せめて人並みには歌えるように、ボイス・トレーニングやリハーサル練習を繰り返し行っては、せめて恥ずかしくないだけの歌のレベルで、ステージに上がるべきだとは思うのだが。
 もっとも、AKB新選抜による新曲「LOVE TRIP」やSKEの新曲「金の愛 銀の愛」などは、まだまだAKBグループへの希望が十分にある、と思わせるほどの詩や曲調で、順調な仕上がりになっていた。 

 家の庭には、今年もまたクチナシの白無垢(しろむく)の花が咲き始めて、あたりにかぐわしい香りが漂っている。(写真下)
 生きていることとは、こうした何気ない出来事の、小さな喜びの連続としてあるのだろう。

(参考文献:『歎異抄』 安良岡康作 校注・訳 『日本古典文学全集』 小学館)