ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

終わりある無限に続く道

2015-09-28 22:11:53 | Weblog



 9月28日

 毎年、今の時期になると、大雪山の紅葉を見るために、同じような場所に出かけて行っては、同じような写真を撮り続けている。
 毎年、変わり映えのしない似たような景色なのに、あきることもなく同じ場所に通い続ける気持ちというのは、どう説明すればよいのだろう。
 
 あの富士山について、誰もが認めるその大いなる美しさは、それだけにもう使い古された陳腐(ちんぷ)な美しさに過ぎないのだろうか。しかし、いざその前に立てば、それが何度目であっても、やはり迫りくる圧倒的な景観を前に、その美しさを口にしないわけにはいかないだろう。
 深田久弥は、その名著『日本百名山』の中で、富士山の美しさを”偉大なる通俗”と呼んでほめたたえていたが、それと同じようなことで、万人に知られる紅葉名所の山へ、毎年繰り返し同じ景色を見続けていても、なおかつその時期になると自然に足が向くというのは、これもまた”偉大なる通俗”の美しき魅力に引き寄せられるためなのだろう。

 ということで、冒頭の上の写真にあるように、今年の秋もまた、大雪山の銀泉台から赤岳への道を往復して、山の紅葉景観を楽しんできたのだ。
 前回は、この前の日に、旭岳温泉口からロープウエイに乗って姿見駅まで上がり、そこから裾合(すそあい)平を経由して安足間(あんたろま)岳を往復してきたのだが、好天の日が続くのにそれだけではもったいないと、今度は裏側の、銀泉台(ぎんせんだい)口から赤岳を目指すことにしたのだ。
 昨夜も続けて民宿に泊まり、朝早く再び霧の中を走って、ぐるりと大雪山を回り込んだ裏側に向かったのだが、昨日と違い、平地だけを覆っていた低い霧はすぐに晴れて、朝から雲一つない快晴の空が広がっていた。
 これなら、昨日登った安足間方面に今日行けばよかったのにと思わないでもなかったが、いやそれでも、今日はこれで別な所で快晴の山歩きを楽しめるわけだから、いちいち考え直す筋合いのものでもないのだ。ともかく、山はどこであれ晴れた日に登るに限るのだから。

 大雪湖のほとりに作られた、レイクサイト駐車場に車を停めて、銀泉台行の、狭い砂利道での混雑を防ぐためのシャトルバス(500円、30分ごとの運行)に乗り込む。
 こんな天気の良い日の、紅葉が盛りの銀泉台行のバスなのに、全員が座れるほどに空いていたし、この駐車場のクルマからしてまだ数十台にも満たなくて、そんなガラ空き状態に驚いたほどなのだが、それというのも、二日後に始まる5連休の休みが控えているからなのだろう
 何よりも、人が多すぎることが嫌な私にとっては、連休前に快晴の日にめぐり合えて、ただただありがたや、ありがたやと感謝するばかりなのだ。

 少し遅くなったが、銀泉台登山口を8時半過ぎに出発する。
 別の貸し切りバスから降りた、タイトスカートのバスガイドさんに案内されて、観光客が数人、歩きなれない砂利道を歩いていて、15分ほどで私と相前後して、第1花園の紅葉斜面を眺める展望ポイントに着き、皆が歓声を上げていた。
 それがニセイカウシュッペ山(1883m)を遠景にした、上の写真の光景なのだ。今年もなかなかに素晴らしい紅葉だった。
 
 もちろん時間が決められている彼らは、そこまでなのだが、登山者の私たちにとっては、お楽しみはこれからなのだ。
 さらにゆるやかに登って、今度はその第1花園の斜面をトラヴァースするように登って行くのだが、その途中で何度も立ち止まっては、ウラジロナナカマドなどが織りなす紅葉風景を写真に収めていった。
 前後に数人ずつのパーティーがいて、彼らの話し声が気にはなったが、まあこの天気と今が盛りの紅葉とあれば、致し方ないことなのだろう。
 昨日の10時間近い歩きの後の筋肉痛は、意外なほどに脚には出てはいなかったが、それでも疲労感は隠せず、やっとのことで歩いているという感じだった。
 
 次の第2花園わきの、チングルマの暗い紅葉を見ながら上がると、駒草平の岩礫(がんれき)台地で、なんと遅咲きのコマクサの花が二輪ほど咲いていた。
 しかし、なんといってもこの秋の赤岳コース最大の見せ場はここからだ。
 まずは、ゆるやかに下るハイマツの道のかなたに、東ノ岳(2067m)が見えてきて、そして赤岳から続き下ってきた尾根斜面の紅葉が、今までに見たこともないほどに鮮やかに、青空の下に照り映えていた。(写真下)


 

 暗い赤色のチングルマから、赤と橙(だいだい)色のウラジロナナカマド、黄色のダケカンバやミヤマハンノキ、そして、まださえざえとした浅黄色のカヤなどの草と、深い緑のハイマツなどが織りなす、秋のひと時を彩る色彩の競演は、まるでパレットに盛られた絵の具のようだった。
 紅葉は雨に濡れた姿こそ、情緒があって美しいという人がいて、そうした”陰翳礼賛”(いんえいらいさん、谷崎潤一郎の随筆集)の日本的な美の感覚も分からないではないが、単純な感覚反応しか持っていない脳天気な私にとって、やはり紅葉は、盛りの時の快晴の空の下で見るのが一番だと思っている。
 東ノ岳の左手遠くに、二ペソツ山、石狩岳、音更山、三国山と続く東大雪の山々が連なって見えている。その先遠くには阿寒の山々も。

 そしてこのハイマツの中の道を、ゆるやかに下っていくと、色づいたダケカンバやナナカマドなどの木々の下を通り、そこを抜けると眼前に、このコースで一番の紅葉風景が広がっているのだ。
 いつもはまだ残っていることの多い、第3雪渓の雪はすっかり消えていて、そのまるでカール状にえぐられた雪渓跡を、ぐるりと縁取るように囲む、紅葉文様が美しい。(写真下)




 この付近だけでも、何度も立ち止まり、何枚もの写真を撮った。
 そして、雪渓わきの岩礫帯のつらい登りになる。
 もう十数年も前の昔のことだが、天気は良かったけれども風の強い日に、この赤岳コースをたどって、紅葉が盛りの、と言っても風でだいぶん葉が飛ばされてはいたが、身をかがめながらようやくのことでこのポイントにまで来て、さらに風が強くなるだろう中、この雪渓わきの急な登りもあるし、これ以上頂上を目指す気にもならず、そのまま引き返したことがあったのだ。

 しかし今日は快晴の空の下、風も弱く、さらに上にもまだ見どころの場所はあるし、と登って行くことにした。
 その途中から振り返る見る、先ほどのあの第3雪渓末端の紅葉ポイントから、ハイマツの駒草平、そして背景に、北大雪の武利岳(むりいだけ、1876m)と武華山(むかやま、1759m)が見える光景もまた良かった。(写真下)


 

  やがて、つらい登りが終わり、ひと時のゆるやかな草原台地の道をたどると、右手にも紅葉の帯が続いている。
  そして第4雪渓(ここの雪ももう消えていた)、わきの最後の急坂を登りきると、ゆるやかな礫地の台地上にあがり、行く手には、小さな砦(とりで)のような岩塊が盛り上がる赤岳山頂(2078m)が見えている。

 それでも、もう今日の私の脚にはいっぱいいっぱいだった。
 いつもならこの先の、小泉岳(2158m)から白雲岳(2230m)にまで行って、あの旭岳にかけての紅葉帯の縞模様を見たいところだが、とてもその元気はなかった。
 頂上の周りには、10人余りの登山者たちが休んでいた。
 私はいつものように誰も来ない岩の上に上がって、そこからの遮ることのない展望を楽しんだ。
 白雲岳から旭岳(2290m)、間宮岳(2185m)、北海岳(2149m)、北鎮岳(2244m)、凌雲岳(2125m)、黒岳(1984m)と続く、大雪山の核心部・・・巨大なお鉢(はち)噴火口の周りを取り囲むように、それぞれの場所に、溶岩円頂丘としてトロイデ状に盛り上がってできた山々。

 私たち人間からすれば、到底考えることもできないような遠い昔に形作られて、さらにこの後も私たちが想像することもできないような、これからの無限の時間の中でも、存在し続けていくであろう山々の姿、自然の姿・・・それに比べて、まさに取るに足りない時間の中で、宇宙の星のまたたきの一瞬のように、限られた短い時間を生きるに過ぎない人間を含めた地球上の生き物たち。
 なあに、深く考え悩むことはない。みんな一緒なのだ。短かろうが長かろうが、泣こうが笑おうが、大した違いなどありはしないのだ。
 ただ、この終わりのあるしかし無限な思いが続く、自分の道の中で、本人がどう深刻に、あるいは楽観的に受け取れるかの違いだけで・・・。

 だから私は、自分自身の脳天気な考えに従って、晴れた日の山に登るのだ。良い天気の日には、”そうだ。山に行こう!”ってね。
 そして、体全体の疲労を強く感じながら、ひたすらに登り、歩き続けることだ。
 どこかで聞いたことのある歌の、替え歌ふうではあるけれども、”さあさ、みんな、無になって登ろう!”。

 頂上には、わずか15分余りしかいなかった。
 一つには、周りの人たちの大きな話し声が気になったからであり、もう一つには、今日は早く下に降りて、友達の家にも寄りたかったし、風呂に入ってゆっくり汗を流してから家に帰りたかったからでもある。
 とはいっても、よれよれ年寄りの脚だから、そんなに急いで下っては行けない。速足の若者に一人二人と抜かれながらも、同年配の人たちを抜いたりして、ようやく例の紅葉鮮やかな第1花園の斜面に戻ってきたが、もう午後の斜光線で影が深くなっていた。
 相変わらずに、観光客たちでにぎわっているポイントを過ぎて、最後は何人か抜いて、道路跡の遊歩道を必死の速足で歩いた。
 そして、ぎりぎりの1,2分前に、30分ごとのシャトルバスの発車時間に間に合ったのだ。
 ”年寄りの割には、おぬしなかなかやるな”とは誰も言ってはくれなかったが、登り3時間足らず、下り2時間5分というのは、昨日の10時間山行の後にしては、まして最近はぐうたらに歩いていて、登りも下りも大して変わらない時間の私としては、まあ十分すぎるほどのタイムだった。小鼻ぴくぴく。

 そしてレイクサイトに戻り、今度は自分のクルマに乗ってしばらく走り、友達の家を訪ねて、久しぶりでの友達家族との話は楽しかった。変らぬものがいつもそこにあることが、私の気持ちを安らかに包んでくれるのだ。
 しかし、ついつい2時間余りも長居してしまい、それからまだ家に帰りつくまでに長い時間がかかるのだ。
 ただただ、早く家に帰りつきたい一心で、途中で風呂に入るのもあきらめて、AKBの「グリーン・フラッシュ」の一節ではないけれども、”夕暮れが夜に変わるころに、今日のその哀しみは置いていこう”と口ずさみながら、ようやくわが家にたどり着くことができたのだ。
 二日にわたる、紅葉の山旅は十分に満足のいくものだった。母さん、ミャオありがとう。
 何はなくとも、”幸せの青い鳥”は、ささやかな灯りがともる、こんなボロい家にもあるのだということ。

 ところで、結局、家で風呂には入れないから、汗まみれの体のままその日は寝たのだけれども、例の井戸水が枯れて一か月ほどになり、今はようやく少しは水は出るけれども、いまだにいつまた止まるかと心配で、買い置きの2Lのペットボトルの飲用水があるからいいようなものの、とても五右衛門風呂に入れるまでの余裕はないのだ。
 さらに、これからは寒くなっていくばかりだし、今年はわずか3回風呂を沸かして入っただけなのだ。
 年を取るにつれて辛くなるだろう、ここでの水不足、風呂、外でのトイレなどは、今後、いささかもよけては通れない大きな問題となってくることだろう。
 すべて脳天気に過ごして、あの植木等の歌のように(古いなあ)、”そのうち何とかなるだろう”というわけにはいかないのだ。

 だから、そうした日々の小さな困りごとなどが重なると、さすがの私も気楽な毎日を送るわけにはいかなくなる。
 そこで、テレビ録画したAKBの元気な孫娘たちの歌と踊りを見るのだ。あ、ヨイヨイと。
 ところで先日、山から帰った後の洗濯物などを洗おうと、街のコインランドリーに行ったのだが、そこでバイクで来ていた中年世代らしい3人に会って、洗濯機などの使い方を教えてあげた後、昔は私もそうしてバイクで北海道旅行に来ていたものだからと、少し話をして、ついでにAKBのことを言ったところ、なんとそのうちの一人がAKBのファンだったのだ。

 それも私と同じで、お金を使ってCD買ったりコンサートに行ったりするというのではなく、お金をかけずに、もっぱらテレビ録画で見ているだけであり、さらには私が今までもここで書いてきたように、AKB情報サイトで、いわゆる”オタ”(おたく)たちの、自分の”推しメン”以外の子たちへの悪口がひどすぎるということ、それもAKBによって私たちが元気をもらっているというのに、何も分かっていないと彼は言ってくれたのだ。パチパチパチ、拍手。
 彼は、私が出会った初めてのAKBファンだったし、それも少し離れたところから見ている、私と同じ”ゆるい”しかしまじめなAKBのファンだったのだ。
 
 ところで、この連休からの一週間の期間中に、BSやCS放送での無料放送があって、AKBやSKEそしてNMBのコンサートやミュージック・ビデオにドラマなどの番組があって、しっかりと録画した。
 その中で、NMBの4時間ものコンサートが二本もあり、ようやくそのうちの一本を何回かに分けて見たばかりなのだが、NMBの知らない子たちが歌う知らない歌とダンスが多かったのだが、見ているうちに、みんなの一生懸命ぶりが画面からも伝わってきたし、NMBでは歌も踊りもうまくて全体を引っ張る力のある、山本彩(さやねえ)があってこその、グループであることがよく分かったのだ。

 若い娘たちが、憧れのNMBに入ることができても、それからなのだ。研究生から始まり、やっと三つのチームのうちの一つに昇格できても、さらにシングルCDを歌う16人選抜に選ばれるまでの道のりがあり、さらにそのNMB選抜の上位メンバーたちのやっと一人か二人が、AKBグループとしての代表である16人のAKB選抜に選ばれるのであり、その中で、指原莉乃(さっしー)や渡辺麻友(まゆゆ)のように総選挙で1位に選ばれて、センターで歌うことができるようになるまでには、気が遠くなるような段階を経ての、”超選抜”と呼ばれる上位だけの世界があり、下位のメンバーたちにとっては夢のまた夢でしかないのだ。

 それでも彼女たちは、一段でも上の世界を目指して、歌にダンスにマイクでの話にと必死にがんばっているのだ。
 周りのメンバーたちは大切な仲間であり、しかもライバルたちでもあるのだ、少人数の固定されたメンバーからなる他のアイドル・グループとはそこが違うところであり、上にあがって行くか、それともその他大勢として納得してそのまま居続けるのか。
 華やかな歌と踊りの向こうに垣間見える、残酷な生き残りゲームの中に、彼女たちはいるのだ。
(そんな話を優れたドキュメンタリーとして描いたフジテレビ制作の『AKBと日本人』はYouTubeで見ることができる。)
 
 さて話を戻して、その無料放送で、初めてAKBのテレビドラマ『マジすか学園』を見たのだが、ヤンキーの不良少女たちが巣くう女子高で、ケンカに明け暮れる少女たちの話であり、そこにはまじめな普通の生徒はもとより学校の先生一人も出てこない、非現実的なSFもどきの、今どきの若い監督たちが作るような、漫画的であり、ホラーSF的なドラマであり、私としては、言うまでもなく現実的な話に基づく芸術作品としての映画を評価しているのだから、とてもこの荒唐無稽(こうとうむけい)なドラマなど、見る気にもならないのだが、それでもほとんどは私が知っている、AKB期待の若手メンバー総出演とあって、とうとう全10話の全部を見てしまったのだ。
 そして、主演の二人、島崎遥香(ぱるる)と宮脇咲良(さくら)に、はっきりと演技力の差があるように、演技経験も少ないAKB内だけでの、それも人気メンバーだけに絞った人選で、あまりにもバラバラな演技力の差が、ドラマとしての価値を薄めていたように思えた。
 ただメンバーそれぞれが一生懸命にやっていたし、何より監督はじめとしたドラマ作りのスタッフたちの確かな仕事ぶりは認めざるを得ないものだが。

 ただ、繰り返し言うけれども、AKBファンであるから見ただけで、そうでなければ見る気にもならなかっただろう。
 AKBのアイドルの少女たちを使って、このヤンキー学園ドラマで、何を訴えたかったのか。
 彼女たちのアイドル・イメージを崩すことで、別な魅了を引き出したというのか。確かに、現在のAKBグループ内それぞれの個人事情なども反映させた、しゃれたつもりの脚本セリフなのは分かってはいるが、少女たちが暴力の世界で目指す具体的な目的も、強い絆も連帯感も中途半端でしかなく、とても私がAKBの歌によって瞠目(どうもく)させられた、あの秋元康作詞のきらめく世界の、ほんの少しでも見ることができなかったことが残念でならない。

 それはもう一つのドラマ、民放の深夜帯に放送された乃木坂46のメンバーたちによる『初森ベマーズ』でも、同じことが言えるだろう。
 にわか仕立ての女子高ソフトボール・チームが、大会を勝ち上がり優勝するするという話であり、あまりにも現実と遊離した漫画的な話で、そんなばかばかしい話を真剣にやるのはいいとしても、まだ演技の基礎もない乃木坂メンバーたちの子が、こんな三文ドラマでは、むしろさらし者に見えるほどだった。
 みんなAKB以上にかわいい子たちばかりなのに、そしてAKB以上にいい歌を歌っているのに、もったいない。
 これも秋元康の手によるものと知って、いささかの失望を覚えないわけにはいかなかった。
 
 せっかくの、300人近いAKBグループのメンバーがいるのだから、その中で、これぞという歌のうまい選抜メンバーによる歌を聞きたいし、これぞというダンスのうまい選抜メンバーによるダンスを見てみたいし、これぞという演技のうまい選抜メンバーたちによるドラマや舞台を見たいのだが。
 確かに、運営サイドの企画によって、それぞれの小さな舞台での試みがなされているのは、分かってはいるけれども、できることなら、単なるアイドル集団としてだけではなく、それぞれのスキルを持った専門家集団としての、AKB選抜があってもいいと思うのだけれども。
 ただし、最近では、NMBダンス選抜と”さやねえ”の歌による「MUST BE NOW」が発表されて、久しぶりにあの「UZA」に次ぐ作詞・作曲・ダンスと三拍子そろったものが出たと、今後に期待を抱かせるのだが。(今度のNHKの朝ドラの主題歌は、その歌のうまい”さやねえ”が中心となって、AKBが歌っているのだ。)

 最近テレビ番組で見たのは、こうしたAKB関係のものだけでなく、あのジャズの巨人ジョン・コルトレーンのヨーロッパ・ツアーのビデオや、クラッシックのコンサートやオペラについてもふれたかったのだが、また別の機会に書くとして、なんといってもひとこと言っておきたいのは、あのラグビー日本代表が、なんと南アフリカを破った、終了間際の逆転トライである。
 今まで私が見てきた、大学ラグビーの早明戦での語り継がれる試合などもすべて吹き飛んでしまうほどの、まさに作られた劇的なドラマを超える、真実のみが語ることのできる衝撃があったのだ。
 百本ものつまらないドラマや映画を見るよりは、一つの感動的なスポーツの試合を見るにまさるものはないし、また百試合ものつまらないスポーツ・ゲームを見るくらいなら、一つの感動的な映画やドラマを見るにまさるものはない・・・と思っているのだが。

 高校生のころ足の遅いフォワードとして、スクラムを組んでいた私は、ある時、偶然に回ってきたボールを受けて、一度だけのトライをしたことがあったのだが・・・。遥か彼方の、遠い日々・・・。