ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

酔狂なるもの

2015-09-07 21:55:30 | Weblog

 9月7日

 季節は移りゆく。
 朝の気温が10度を切るようになり、かといって昼間は晴れて日差しが熱くなり、25度の夏日になる日もある。
 暦(こよみ)の上での、人間が決めた月ごとの区切りとは何のかかわりもなく、あいまいさの中で、ほんの少しづつ様変わりしてゆくうつろいの中で、季節はいつしかその色を変えていくのだ。
 夕焼けの空が、少しずつ秋の色になっていく。(写真上)

 ある時、そんな季節の変化に気がついた人が言うのだろう。今まさに始まったかのように、”秋が来たな”と。
 そして、それぞれの人にとって、それが何年目かの、何十年目かの秋を迎えることになるのだ。
 人類誕生以来の、数百万年もの歴史の中で、繰り返されていくもの・・・。
 不変なるものの、変化していくさま。

 もう一月以上も、山に行っていない。
 それは前回の北アルプスへの遠征登山が、あまりにも良かったものだから(8月4日、10日。22日の項)、次なる山行へと踏み切れなかったこともあるが、もともと8月半ばから9月の初めにかけては、山にはそれほど見るべきものがなく(高山植物の花々は終わり、残雪もあらかた消えて)、どこか寂しい景観になるからでもある。

 といっても、少し前までは、暑いだけの稜線歩きから逃れるために、毎年少なくとも一二度は沢歩きの山登りを楽しんだものだったが、最近では、年のせいか、自分でも岩の上を飛び歩くときの、バランス感覚などの危うさを感じ始めて(5年前の野塚岳、’10.8.20,22の項参照)、それからは年寄りの慎重さで、そんな沢登りはと敬遠するようになったのだ。

 あのボーヴォアール(1905~1980)の名著、『第二の性~女はこうしてつくられる』の題名を借りて言えば、”こうして、年寄りはつくられていく”のだろう。
 そうして、日々体力の衰えを自覚しては、運動することに、出歩くことにおっくうになっていき、家に閉じこもりがちな、いわゆる”引きこもり老人”になるのだろう。
 もちろんそれは、それぞれの年寄りたちの意識や考え方、日常生活習慣の違いなどにもよるのだろうし、前にも書いたように、マスターズの競技会で世界記録を更新し続けている人もいれば、80歳近くになっても、今までの千数百回登頂の記録をさらに伸ばすべく、富士登山を続けている人もいるのだ。
 ”ものは,考えよう”で。

 しかし、だからと言って何もしないでいることが悪いわけではない。
 ”引きこもり老人”になることで、わずらわしい世間からは離れて、誰にも邪魔されずに、それだけひとり沈思黙考(ちんしもっこう)できる時間が増えるわけであり、そこで自分の思索の世界をふくらませ、あるいは”過ぎし来し方”へのさまざまな思いにひとり浸ることもできるわけだから、それほど悪いものでもないのだ。 
 つまりは、自分が今”在る”状況を否定的にはとらえないで、すべては生きている自分がいるからなのだと、”脳天気”に考えたほうがいいということだ。
 (ところで一言、この”脳天気”の用語法は、”能天気”のほうが正しい使い方であるとのことだが、私はこのブログでは、一貫してこの”脳天気”のほうを使っている。そうなっている自分というよりは、そうしている自分だからという意味を込めてなのだが。)

 ともかく、一か月以上も山に登っていないと、さすがの私も山の空気を吸いたくなるし、そこで、あの大雪山情報の人気ブログ『イトナンリルゥ』を見ては、そろそろ色づき始めた山の紅葉が気になってはいるのだが。
 そして、確かに時期的なことと私のぐうたらな生活から、山に行く気にならなかったのだが、もう一つ気がかりな点を言えば、あの3か月前の大雪山黒岳の下りでのひざの痛みが、いまでは慢性的になっているからでもある。
 もっとも、その後あの鹿島槍から五竜岳へと縦走したくらいだから、たいしたことはないのだろうが。

 色とりどりの、夏の高山植物の花々が咲き乱れていた、山上の楽園も今や消え去り、その色あせた稜線に代わって、今度は目にも鮮やかな紅葉模様が織り込まれていく、山上のフィナーレの舞台が始まるのだ。
 春夏秋冬、確実に毎年同じように、しかし微妙に少しずつは異なる、その装(よそお)いを変えていく山の姿を、私は見たいのだ。
 そこで思い出すのは、あの『万葉集』の中の一首である。        

「春は萌(も)え 夏は緑に 紅(くれない)の まだらに見ゆる 秋の山かも」

(『万葉集』 巻第十 「秋雑歌 山を詠(よ)む」 伊藤博校注 角川文庫)

 この歌は、『万葉集』の中では、別段あまり取り上げられることもない山を見ての歌だが、新緑の萌黄色(もえぎいろ)と夏の生命力みなぎる緑色、さらに秋になってその中のいくつかの木々が鮮やかな紅に染まる光景を、まるで今の時代の私たちが、写真のスライドショーで見ているかのように、そんな山の姿が目に浮かんでくるのだ。
 ただ私なりの欲を言えば、難しいことではあろうが、ここにもう一つ冬の白を加えてほしかった、という思いもあるのだが・・・。

 それにしても、この『万葉集』における山を詠んだ歌については、このブログの8月10日の項でもあげたように、大伴家持(おおとものやかもち)による、夏に雪を頂く立山(当時はたちやま、立山=剣岳)の、今に変わらぬその姿を見事に表現したものから、富士山、筑波山(つくばさん)や九州の九重の山々などに至るまでの、当時の日本の名山の記録としても、実に興味深い歌が数多く残されている。
 そしてそれらの山は、当時はもちろん神の居ます神聖なる山としてあがめられていただけでなく、一方では、すでに山登りの楽しみや眺望を楽しむために、今の登山の目的と何ら変わることない思いをもって、普通に登られていたのだ。

 同じ大伴家持の「筑波山に登るときの歌」長歌一首。

「・・・常陸(ひたち)の国の 二並ぶ 筑波の山を 見まく欲(ほ)り・・・暑けくに 汗かき嘆(なげ)き 木の根取り うそぶき登り 峰の上を・・・時となく 雲居雨降る 筑波嶺を さやに照らして いふかりし(いぶかしく思っていた) 国のまほら(一番良い所)を つばらかに 示したまえば 嬉しみと・・・」

(『万葉集』 巻第九 「雑歌」 伊藤博校注 角川文庫)

 どうしても、日本の山は、山岳信仰や、修験道の山として登られてきたという印象が強いのだが、それらの宗教登山以前から、山はこうして普通の人々によって、山の楽しみを味わいながら登られていたのだということだ。
 『万葉集』にしろ『方丈記』や『徒然草(つれづれぐさ)』にしろ、こうして日本の古典を読むことによって、昔の人の心根の中に、今も変わらぬ日本人の思いがしのばれて、ひと時の間、千年余りの時空を超えて、穏やかな気持ちでこの歌い手たちと語り合えるような気さえするのだ。

 こうした日本の古典文学を、再び読み直す気になったのは、中年の域に差し掛かったころからであり、今や老境の時代に近づいて、私なりの思いで、それが私の誤読や誤った理解の仕方であるとしても、年寄りのかたくなさで気にもかけずに、再び本をひも解き楽しむことができるだけでも、ありがたいことだと思うのだ。
 これだから年寄りはやめられないのだ。今にして思えば、幾たびもの無謀な行いを、ただの幸運だけで切り抜けてきた私の人生、若くして死ぬこともなく、この年まで生きてこられたことに対する、心の奥からふつふつと湧き上がる感謝の思い・・・。

 そこで話は変わるけれども、今朝のテレビを見ていて、それは”夫ロス”、つまり連れ合いの夫を亡くして心の痛手を負った女の人たちの特集番組をやっていて、ほんの少し見ただけなのだが、その中で、夫を亡くしてふさぎ込んでいたある女のひとが、娘たち二人に連れられて”嵐”のコンサートに行って、そこですっかり”嵐”のファンになり、今ではそれが生きがいの一つになっている、というコメントを寄せていた。
 中高年の女性たちが、”嵐”のファンになることは、まさに中高年のおやじたちがAKBのファンになることと何ら変わりはないのだ。
 
 さらに、最近のネット・ニュースで見たのだが、AKBメンバーたちのそれぞれのファン層が、年代別に分けられた表になって掲示してあって、その中でも、今年の総選挙で1位になった指原莉乃(さっしー)の支持層の分布が、実に興味深かった。
 彼女は、AKBのファンなら誰でもが知っている通り、親しみやすい顔立ちではあるが決して美人ではなく、歌も踊りも格別にうまいというわけではない。
 ただ彼女には、ライバルでもありよき仲間でもある、去年1位で今年3位だった渡辺麻友(まゆゆ)が言っているように、確かに”唯一無比(ゆいいつむひ)”のものがあるのだ。

 それは、彼女の天性のものでもあるきれいに伸びた脚と、受け答えに機転のきくバラエティー番組向きな彼女のトーク力であり、さらに言えば、”判官(はんがん)びいき”の日本人の心情に合うような、逆境からの逆転力に、つまり自らのスキャンダルで、東京のAKBから博多のHKTへと左遷(させん)されたにもかかわらず、いつしかHKTを他のAKBグループに引けを取らぬような人気グループにしたてあげたことである。
 さらには、HKTのメンバーを引き連れて、あの明治座と博多座の座長公演を成功させたのは、それがもちろん、彼女の手腕だけではないことは分かってはいても、彼女の統率力と盛り上げる力の確かさを感じさせるものだったのだ。

 そんな”さっしー”のファン支持層分布だが、なんと選抜上位16人のメンバーの中で、唯一10代20代の、つまり彼女と同年代の支持層が少なく、逆に他のメンバーと比べても突出していたのは、50代60代の支持層だったということ。
 そこで言えることは、若い層に人気のあるメンバーは、ある意味で同年代の仮想恋愛の対象になるような、アイドルとしての生身の女の子として見られているわけであり、中高年世代の支持が少ないのは、ロリコン趣味の人はともかく、彼女たちの幼さや美しさが、あまりにも自分たちの世界とは離れていて、はかなげなものに見えるからだろう。
 一方で、”さっしー”の支持層は、若い人ほどに生々しい思いで彼女を見ているわけではないのだ。
 歌や踊りがうまいわけでもなく、美人でもなく特別かわいいわけでもない彼女は、若い人たちにとっては、どうしても憧れや仮想恋愛の対象にはなりにくいし、その半面、彼女が持ち前の明るさで逆境を乗り越えてきて、安定した明快なトークで回りを納得させているのを見て、中高年世代の人たちは、自分のできないことをやってきた彼女に、”ヒーロー”(本当は”ヒロイン”だが)の姿を見ているのではないのだろうか。 
 ”嵐”のファンになった、中高年のお母さんたちが、彼らに、自分の青春時代を重ね合わせての、”白馬の王子様”としての”ヒーロー”であり続けてくれることを願うように。

 つまり、アイドルが好きな多くの人たちは、自分の心の空白のいくらかだけでも埋めてくれる対象として、彼ら彼女らが存在していてくれれば、それでいいだけのことなのだ。
 そういう意味では、私は、確かにアイドルとしてのAKBの誰か一人だけのファンというのではなく、秋元康が歌の詩を書いて、彼がプロデュースするAKBグループ全体のファンなのであり、それだからこそ今は、AKB情報サイトを見たりして、そんな彼女たちの日々の動向が気にかかるわけでもあるのだ。
 
 この8月末の新曲、「ハロウィン・ナイト」は、前作の「僕たちは戦わない」とは全く逆のコンセプトで作られたもののようであり、ただ肝心の秋元康の詩が何のメッセージ性もなくていまいちの感じはするが、曲とダンスの振り付けは単純でわかりやすく、こった仮装パーティー衣装のデザインもさすがだと思うが、You Tubeで見るPV(プロモーション・ビデオ)では、若い人より中年層が多いファン層を考えてか、おじさんおばさんたちのダンス・シーンが多くて映されていて(まったく制作側の勘違いもいいところだが)、ファンからすれば、もっとAKB選抜メンバーたちの踊るところを見たいのに、制作サイドは何にも分かっていないのだと思ってしまう。
 おじさんの私がそう思うくらいだから、若いファンにとってはなおさらのことで、こんなビデオを見せていれば、ますます”ダサイ”AKBだと思われてしまい、さらに若者たちから敬遠されることになりやしないかとさえ思ってしまう。

 何度もここに書いていることだが、私にとってのAKBの最高の曲は、時代の世相を反映した歌詞・曲もさることながら、ダンス振り付け衣装・メイクアップ、そしてそれらのすべてを映し出したミュージック・ビデオの出来を含めて、「UZA(うざ)」であることに何ら変わりはない。(’14.11.24の項参照)

 その昔、もしあなたが無人島に一枚のレコードを持っていくとしたら、という半ば荒唐無稽(こうとうむけい)な有名人へのアンケートがはやったことがあったが、今の時代は、レコードどころかCDでさえもその盛りの時期を過ぎていて、今ではパソコン経由でダウンロードしたiPodやハイレゾ・ウォークマンで音楽を聞く時代になっていて、大量の音源を何曲でも入れて聞くことができるのだから、その質問自体が意味をなさないのだろうけれども、ここは質問を変えて、単純にあなたがずっと聞き続けていたい曲は何ですか、というアンケートにすればいいのだ。
 それも1曲だけ、あるいは3曲だけということにすれば。

 今の私の答えは単純だ。1曲だけ選ぶならば、バッハをおいて他にはないし、ただその一つを選ぶのには頭を悩ませるだろうが、「平均律クラヴィーア曲集」にするか「フランス組曲」にするか、それとも「無伴奏ヴァイオリン(あるいはチェロ)・ソナタ集」かあるいは「マタイ受難曲」にするか。
 3曲にすれば、当然、上で迷った曲選びの中のもう一つを加えることになるだろうが、さらに迷うのは最後の1曲だ。
 当然AKBの「UZA」を入れたいところだが、あの乃木坂46の「君の名は希望」もあるしと考えて、それでもバッハのもう1曲を落としてこの2曲を入れるほどではないし・・・とありもしない質問に考え込んでしまう、自分だけの遊びの楽しさ。

 まあ、つまるところ今の時代は、聞きたい曲はいつも聞けるわけだから、そう真剣に考えることもないわけで、それ以上に、人は誰でも今聞いている曲がいつもいいと思うから、民謡、歌謡曲、AKB、ロック、ジャズ、クラッシック、民族音楽、タンゴ、ファド、シャンソン、カンツォーネなどなど、その時点その時点で聞いている曲が、最高の一曲なのかもしれない。
 何よりも今は、好きな時に好きな曲を聞ける時代であり、そこに”亀の甲より年の功”のことわざ通りに、今や経験を積んでいろんなことが分かる年寄りになったことの利点があり、それゆえの満足感があるのだ。

 そんな年寄りだが、最近の朝の冷え込みで、どうやらうるさい蚊も少なくなり、よしと覚悟を決めて、伸び放題の庭の雑草取りに外に出て、さらに草苅り鎌による芝生の刈り込みも始めたわけなのだが、さぼっていた分の作業は、その倍返し以上に時間がかかることになるのだ。やれやれ。

 ただし外に出ればいいこともある。前回にも書いた、カラマツ林の中のラクヨウタケ(ハナイグチ)は、さらにあちこちに出ていて、今回もザルいっぱいの収穫で(写真下)、これもまた三杯酢にして漬け込んで瓶詰(びんづめ)にしたところなのだ。

 ひとり酒も飲まずに、酔狂(すいきょう)なるをもって良しとする。