ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

新緑の山、周遊

2015-04-27 21:31:53 | Weblog



 4月27日

 前回の英彦山登山から一週間もたっていないのに、また山に行ってきた。

 理由は幾つかある。
 一つには、今まさに、里も山も新緑の季節の真っただ中にあり、前回の英彦山の山歩きで、そんな春の山のよさを満喫することができたただけに、また別な山で同じように新緑の中を歩きたいと思ったからである。
 さらに、北海道に行かないのなら、ここでもっと山を楽しまなければと思ったからでもある。
 そして、前回の登山が二か月ぶりだったために、その後四日間もひどい筋肉痛で歩けなくなったから、間を空けずに行けばそうはならないことを、自分の脚に言い聞かせ試したかったからということでもある。

 その結果はといえば、またも私の思い通りの、静かな心地よい春の山歩きになったのだ。
 さらにありがたいことには、その数時間の山歩きの後の翌日でも、心配していた筋肉痛はやっと気づくくらいにかすかに残っていただけであり、つまり年寄りだからと自分に言い訳することもなく、日ごろから定期的に山に登っていれば、あるいは、あのエヴェレストの三浦雄一郎さんのようにトレーニングを続けていれば、脚もまた山登りに対応できる力をつけるようになるということなのだろう。

 行ってきたのは、九重山系の黒岳(1587m)である。
 九州の山々は、本州などの山々と比べれば、標高も低く、火山系の裸地で高山感のある阿蘇、九重、霧島などの火山群は別としても、 ほとんどの山が森林限界以下の林相に覆われていて、つまり山頂まで木が生えていて、それも日本アルプスなどに見られるシラビソなどの亜高山針葉樹林帯はなく、その下部になる落葉広葉樹林帯(いわゆるブナ帯)と、さらに平野部へと続く照葉(しょうよう)樹林帯からなっているのだ。
 もっともそれは逆に言えば、新緑の時期にはふもとから山頂部まで新緑に覆われることになり、さらの紅葉の時期もこれまた全山が紅葉するということにもなるのだが。
 ただし、標高が低いだけに、その分山に入る林道は開削(かいさく)しやすく、頂上付近までスギやヒノキの植林で覆われている山もあり、いささか人工的なパターンが目について、登行意欲を失わせることにもなる。
 私がいつもここに書いているように、日本の名山を選ぶ時の第一の条件である山の姿かたちからいえば、山体を取り巻くそうした植林地の人工的な幾何学模様が、自然景観を損なう大きなマイナス・ポイントになることは言うまでもない。
 (極端な例を言えば、あの富士山でさえ、山中湖や三ッ峠山から見た富士山の東側山麓を区切る演習場のラインが、その他の切り売りされている区画などとともに、いたく自然景観を壊す人工的なラインに見えてしまう。)

 ともかく黒岳について言えば、九州の山では珍しく、ほとんどが落葉広葉樹林帯の原生林の覆われた山であり、アプローチは有名な名水の里”男池(おいけ)”への道としてよく整備されていて、静かな森林山歩きを楽しむのには最も適した山であると言えるだろう。
 今までに、この黒岳には数回ほど登っているが、最近は頂上に行くのではなくて、その周囲をめぐる森林トレッキングを楽しむようになってきたのだ。(’11.11.20の項参照)
 というわけで、今回は、まだ新緑やツクシシャクナゲ群落を見るには早すぎるということもあって、頂上付近は割愛して、山腹をめぐる新緑の山歩きをすることにしたのだ。 

 そして、新緑の木々を見るのなら、何も朝早くから出かけることはないし、前回の英彦山の時と同じように、いつもの通りにのんびりと家を出て、登山口の男池(おいけ)駐車場に着いたのは、9時を大分過ぎたころだった。
 停まっていたクルマは10台ほどで、もうみんなは朝早く出発したのだろうから、前後に他の登山者の姿も見えず、今回も一人きりの静かな山道を楽しんで歩くことができた。
 つまり、夏山の時のように、午後には雲がわいて稜線が覆われてしまうから、早立ちが一番ということもなくて、こうして春の新緑や秋の紅葉を目的に山に登る時には、なるほどむしろ出発時間を遅らせて行けば、静かな山歩きができるのかと、今にして気がついた次第である。

 整備された男池園地の遊歩道から分かれて、黒岳山麓の林の中に入る。
 二次林からなる小径木の明るい林の中に、道が続いている。(写真上)
 今までに、ここでいつも立ち止まり、同じような新緑の写真を何枚撮ってきたことだろう。(この山が紅葉の時期にはまだ北海道にいて、わずかに上に書いたように’11.11.20の時にだけ終わりの紅葉を見たことがあるのだが。)
 ともかく今は、晴れた日の空のまぶしさと、新緑の葉の明るさと、鳥たちの声だけが聞こえる静けさと・・・この今の時を、幾らかでも記憶にとどめておくべく、私は歩きながら立ち止まりを繰り返して、何枚もの写真を撮った。

 その先から、ゆるやかにひと登りしたところで、湧水の出る”かくし水”に着いてのどをうるおし、そこからは木々の根が浮き出た小尾根を登って行く。
 コナラ、ブナ、カエデなどの木々の間から青空が広がって見え、シジュウカラや渡りの途中のコルリの声、さらにアオゲラの声とドラミングの音も聞こえていた。
 息を切らして登り詰めていくと、もう下りてくる人がいたが、そこから急斜面を少し下ると、窪(くぼ)地になったソババッケに着く。
 ぽっかりと開いた木々の間から、平治岳(1643m)と北大船(1706m)が並んでそびえ立ち、その山腹は新緑が下から上がり始めたところで、ヤマザクラも点々と見えていた。

 一休みした後、そのまま黒岳と大船山(だいせんざん、1787m)との間の狭隘(きょうあい)地の道をたどって行く。
 分岐から右手に行けば、平治と北大船の鞍部になる大戸越えと向かう道になり、6月初めのミヤマキリシマ開花のころには、登山者でにぎわうことになるのだ。
 さて、ヤブレガサの新しい葉が広がり始めた平坦地から、次の窪地へとゆるやかな登りが続き、窪地に出るとまた次の登りへと数回ほど繰り返して、岩の多い道をたどって行く。
 所々にツクシシャクナゲの木があるが、まだつぼみは冬芽のままで、満開になるのは一月も先のことだろう。
 木々の間から左手に高く、黒岳山頂でもある高塚山が見えている。(黒岳山頂部は複数個のコブからなっている。)
 風穴から分岐に着いて、ひとりの登山者が休んでいたが、以後は誰とも出会わなかった。
 左手に黒岳山頂への道が急斜面を登っていて、その先で右へと大船山へと向かう道が分かれる。

 そのままゆるやかな新緑の林の中を下って行くと、上峠への分岐標識が出ている。(4年前の’11.11.20の項でたどった道だ。)
 今回は同じ道はたどらずに、そのまま七里田温泉方面へと向かうが、その途中で左手にはまるで桜並木のように、いっぱいに白い花をつけたヤブデマリの木が続いていた。
 その木々の間から、今度は黒岳のもう一つの頂である天狗岩の岩峰群が見えている。
 杉林を抜けて、その先は、テープなどの道しるべを頼りに複雑な浅い谷地形の所を下って行き、最後のジグザグの大下りで、今水から上がってきた林道に出る。
 めったに車が通ることもなさそうな古い林道跡で、新緑の日陰になった所で一休みした。

 今回の山歩きで、時々口をついて出たAKBの曲は、まだ一二度しか聞いていない新曲ではなく、その前のヒット曲あの「Green Flash(グリーン・フラッシュ)」 からの終わりの方の歌詞だ。

 「ほんの少しだけ遠回りもいいよね。明日いいことあるかもしれない・・・。」 (秋元康作詞)
 
 もう一つは、乃木坂46の3月に出た曲、「命は美しい」からなのだが、この曲はあの「君の名は希望」につぐ乃木坂の名曲として、また別に詳しく書くつもりだが、ここでは、出だしの「月の雫(しずく)を背に受けて、一枚の葉が風に揺れる。その手離せば楽なのに、しがみつくのはなぜだろう・・・」(秋元康作詞)というフレーズを繰り返し歌っていたのだ。

 あれほどまでに、クラッシック音楽一辺倒だった私が、いつの間にか、こうして世間からはアイドル好きだとさげすんで見られるような、AKBのファンになってしまったのだ・・・。
 しかし、考えてみれば、これらの歌が口をついて出る時に、実は、私はメンバーの子たちの誰かを思い浮かべているわけではなく、単純に、歌の詩(ことば)として思い出しているだけなのだ。
 つまり、私は可愛い顔をした羊たちが好きというよりは、その羊たちを導き進ませている羊飼いである、秋元康の手並みに感心させられているのではないのか、そして彼の手になる羊ショーのファンになったのではないのか。
 先日のNHK・BSの『AKB48SHOW』で、あの”みーちゃん”峯岸みなみが、AKBの”衣装ミュージアム”を取材訪問して、その時に話していた言葉が印象に残っている。
 というのも、彼女は今までにスキャンダラスなニュースに度々登場していて、ネットの書き込みで非難されることも多いのだが、とは言っても、彼女は今では3人になってしまった1期生の一人であり、長い間AKBとして在籍しているだけに、自分たちAKBのことを冷静に見ていて、次のように話したのだ。

 「AKBの強みって、特に歌がうまいダンスがうまいというわけでもなく、他のアイドル・グループと比べて特別かわいい子が多いというわけでもないし、ただ秋元先生の歌詞と”しのぶさん”(AKBの衣装担当で総支配人)の衣装という二大要素でもっているようなものだから。」

 彼女のこの言葉は、目の前に”しのぶさん”がいたからでもあろうが、その衣装のことはともかくとしても、その他の言葉は、自分たちの位置を的確に理解してのまさに”的を射た”見事な一言だったのだ。
 それも彼女は、最近ではスキャンダルのこともあって人気は低迷し、16人の選抜メンバーからも外されることが多く、卒業をうわさされる一人でもあるのだが、この時の言葉は、あの峯岸みなみの、22歳の娘の思いなのかと、今さらながらに彼女の感受性の鋭さに、まさしく瞠目(どうもく)されるような思いがしたのだ。
 特に、”秋元先生の歌詞”というところで・・・分かってくれていたんだ、彼女は。(詳しくは次回に。) 

 人は誰でも多面性の人格を持っていて、それだけに、その人となりを十分に理解するのは難しいものだ、と思いながら、私は立ち上がった。
 さてと、まだこれから、1時間ほどの上峠への登りがある。
 しばらくは、まだ轍(わだち)跡の残る、古い林道の道が続いている。
 と、木々が低くなり、ヤブの向こうが開けて、新緑の斜面が黒岳南面へと連なっている光景が広がったのだ。(写真下)



 今日一番の展望だった。
 午後にかけて薄雲が広がり、青空が少なくなって、平板な景観になってはいたが、それでも初めて一面に開けた場所に出て、私はうれしくなり何度もカメラのシャッターを押した。
 
 それからまた、あの歌を「明日いいことあるかもしれない」と口ずさみながら、林道をたどって行った。
 その先で道は二つに分かれ、間違いなく左に行ったのだが、小さな小屋のような所でその先の道が分からなくなってしまった。”好事魔多し”のたとえ通りだ。
 しかしまだ晴れていて、黒岳の位置と峠の方角も見えているからと強引に、林の中のゆるやかな山腹斜面を登って行った。
 二度ほど岩壁に突き当たり、左手に進むと、何と左下から登ってきた道らしい跡が見え、ちゃんとした標識も立っていた。
 これで一安心だ。それでも歩く人が少ないのか、道が分かりにくく古いテープなどを目印に登って行くと、4年前に来て見覚えのある上峠(約1010m)に着いた。

 そこで、地図上では草や荒れ地マークがついていて、前から展望がいいのではと気になっていた、西側に続く尾根をたどってみると、残念ながら尾根を境に南面はスギやヒノキの植林地になっていて、展望は得られなかった。
 しかし、何とその代わりにうれしいことに北斜面には、あのサイゴクミツバツツジが今を盛りに点々と咲いていたのだ。(写真下)



 途中風穴から下る途中で、山腹に咲いていた一本を見ただけで、このツツジは終わりかと思っていただけに、まさに期待していない望外の喜びだった。
 これだから山歩きはやめられない。
 これから先は、4年前に通った道だ。あの時は、紅葉の美しさに、何度足を止めてカメラを構えたことだろう。
 しかし、今は新緑のさ中にあって、林の中は、萌木(もえぎ)色のまばゆい明るさの中にあった。 
 そして足元を見ると、何とあの”山奥の貴婦人”ヤマシャクヤクの花がそれも開き加減に咲いていたのだ。(写真下、なかなか花が開いている所は見られない。)
 

 さらに、あの『男はつらいよ』の寅さんの、”啖呵売(たんかばい)”ではないけれど、”ちゃらちゃら流れる御茶ノ水、粋(いき)なねえちゃん、立ち・・・。さあ、どろぼう、これもおまけだ持ってけ”とばかりに、次なる花の大盤振るまい。
 今頃は、北海道の私の家の林の縁では、いつも通りにあの”オオバナノエンレイソウ”のツボミがふくらんでいて、やがては咲くことだろうが(’12.5.24の項参照)、その紫色をした変種のものが、”ムラサキエンレイソウ”であることは知っていたのだが、何度も言うように、春に九州にいることが少ないものだから、今まで見たことがなくて、これまたうれしい初めての出会いになったのだ。(写真下)



 新緑の色と匂いに包まれて、色鮮やかな花たちに出会い、静寂の林の中の道をひとり歩いて行くこと。
 もしこの山道のどこかで倒れたとしたら・・・やがて夜になり、私の動かない体の上に月の光が差し込んでくるだろう・・・。
 
 「願わくば 花の下にて春死なん その望月(もちづき)の如月(きさらぎ)のころ」

 このあまりにも有名な歌を残した西行の思いが、ひと時、分かるような気がした。

 さらに下ってヒメシャラの木のトンネルをくぐり抜け、新緑の林の道を下って、自然炭酸水で有名な黒岳荘にたどり着いた。
 そこでは何と、あのツクシシャクナゲの花が、いち早く満開になって咲いていた。
 そこから、4年前の時と同じように、ヒッチハイクで、男池方面に向かう車に乗せてもらった。
 私よりは年上のお年寄りだったが、いろいろと楽しく興味深い深い話を聞かせてもらい、歩けば40分余りかかるところを、これもまた感謝するばかりであった。

 こうして、黒岳周遊の山歩きの旅は終わったのだが、高低差は男池から一番高い風穴付近でその差400m、6時間ほどの適度な時間でもあり、まさに私だけのいいトレッキング・コースになったのだ。
 そして最初に書いたように、ありがたいことに次の日も、ほとんど筋肉痛を感じることもなかった。

 ”静かに、心満ち足りてあること”、他に何が必要だろうかと思い直すような山歩きだった。

 先にあげたAKBの「Green Flash」の一節のように、”ほんの少しだけ遠回りもいいよね、明日いいことあるかもしれない”と。

 以上またしても、乃木坂46の歌や、秋元康やAKBのことについて書こうとしていたのに書けずに、もうここまでで疲れてしまった。また、次回へと回すことにしよう。
 この黒岳周遊の山歩きの日からずっと、毎日快晴のさわやかな青空の日が続いている。今日は、北海道を含めて全国各地で、30度を超える真夏日になったとか。
 もし、信州の松本辺りにでも住んでいれば、あるいは前橋辺りにでもいれば、今登りたい残雪期の山が幾つもあるというのに。
 つい、一週間前までは、筋肉痛で、もう本州への遠征登山などできなくなるのではと弱音を吐いていたのに、何と場当たり的ないい加減な性格なのだろう・・・。

 「・・・すべて足りたその上に、

 立派な心を持つなんて無理というもの。・・・」 

(『ジャム詩集』 堀口大學訳 新潮文庫より)