ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

シャクナゲに降る雪

2014-12-22 21:18:35 | Weblog


12月22日

 寒い日が続いている。
 十日前に雪が降って以来(初雪はその前だったそうだが)、もう何度目かの雪である。
 しかし、降るのはいつも数cm足らずくらいだから、大部分は溶けていたけれども、日陰などにはずっと雪が残っていた。
 さらに、昨夜も雪が降り、天気は回復したものの、今日も一面の銀世界である。
 風が強く寒くても、早い雲の流れの中、青空の下の雪景色はいつ見てもいいものだ。

 庭のシャクナゲの木の、丸まった厚い葉の上にも雪が降り積もっているが、その葉が分かれ出る枝の先端部には、細くとがった冬芽がある。 
雪は葉の上に積もらせて、固いツボミの方には雪は積もらせないように、空を向いて光を受けられるようにしているのだろうか。
 ちなみに、この写真で、花が咲くのは中央上の一つだけの大きな芽であり、左下の赤茶色の小さな芽は、花ではなく葉のツボミである。

 こうして雪の日が多いために、まだまだ庭の手入れは終わってはいない。
 庭木の剪定(せんてい)から、涸れた枝木の整理、 枯葉の片づけなど、このままの雪模様の日が続けば、年内にはとても終わらないだろう。
 もっとも、誰かに見せるための庭ではないのだから、多少荒れた庭でもそのままでも構わないのだが。
 思うに、年を取るということは、こんなふうに次第に人の目を気にしなくなっていく、ということなのではないだろうか。

 まず食事は、食べればいいからと、簡単なものですませるようになり、衣類なども洗濯さえしていればと、毎年変わらずに同じものを着続けていて、出かけるのもおっくうだからと、何事にも必要に迫られなければ重たい腰を上げない。
 それだから、本来のぐうたらな性格と相まって、ますます出不精(でぶしょう)になり、人と会うのさえ面倒に思えてくる。

 昔、子供のころ、用事を言いつけられて、ある田舎の知らない人の家に行ったことがある。
 開いていた玄関から声をかけると、薄暗い部屋の中から、よろよろと一人のじいさんが歩いてきて、その鬼気迫(ききせま)る姿に、思わず後ずさりしそうになったほどだった。
 それは、暑い夏の盛りのことだったのだが、やせこけた顔に目は鋭く、白髪は乱れ、上の前開きの下着はだらしなくボタンが外されていて、肋骨(ろっこつ)が浮き上がって見え、下は”ふんどし”だけで 、おまけに見てはいけないものまではみ出していたのだ。
 私は、頼まれたものを渡して、お礼の言葉を聞くのもそこそこに、逃げるようにしてその家を離れた。そして、帰りの道すがら、私は幼いながらも自分に言い聞かせたのだ、”あんな年寄りには絶対なりたくない”と。 

 それが今、私はそうしたじじいの年代に近づいてきていて、身の回りのすべてが面倒におぼえてきて、もう人の目も気にせずに、こうして毎日”のんべんだらり”と暮らしていけばいいと思うようになってきたのだ。
 それは年代こそ違うけれども、私の好きなあのAKBの歌「UZA(うざ)」の世界にも似ている気がする。(11月24日の項参照)

 ”君は君で愛せばいい。相手のことは考えなくていい。・・・うざ、うざ、うざ。自由に。うざ、うざ、うざ。勝手に。うざ、うざ、うざ。嫌われる、モノローグ(ひとりごと)。”(作詞・秋元康)

 年寄りは、年を取れば取るにつれ、”幼児帰り” するようになるというけれども、私は今、その前の段階の、この歌にあるような、生意気で自分勝手な若者の時代に戻ってきているような気もするのだが。
 やがては、さらに”幼児帰り”するようになって、あのじいさんのような姿で、”ふんどし”をヒラヒラさせながら、チョウチョウを追って、家の周りを歩き回ることになるのではないのだろうか。

 ただ、今の私の、このぐうたらで出不精な生活が、人間嫌いや、深い厭世観(えんせいかん)からきているわけではないということだ。
 人間に興味があるからこそ、前回書いたように、誰かを好きでいたいと思うし、AKBの孫娘たちのことが好きだし、友達や知人と会えばつい長話をしてしまう。
 家にいても、録画を含めれば(その全部を見ているわけではないけれども)、テレビにかける時間が数時間になることもあるし、毎日少しずつでも本は読んでいたいし、クラッシック音楽も聞きたいし、ネットの記事をあれこれ見るのも面白いし・・・つまりはすべてが、人間社会にかかわることなのだ。
 こんな田舎に隠棲(いんせい)していても、あの鴨長明(かものちょうめい)や吉田兼好(よしだけんこう)に西行(さいぎょう)や良寛(りょうかん)などの思いには及ぶべくもないとしても、さらには日々山々の思いにあこがれていたとしても、そこは人の子、人々への思いが尽きることはないのだ。
 そこで、ミーハー的で三文(三面)記事的ではあるが、私の最近気になったことどもについて、日付順に書いていけば。

 まずは、前々回に書いた『メチャ2イケてるッ!』でのAKB”たかみな”ドッキリ卒業の番組でのことが(12月8日の項参照)、何と現実になって、その番組放送二日後に、AKB劇場で当の本人が正式な卒業発表をしたことだ・・・まだ23歳なのに、早すぎると思うが。
 今のAKBグループ300人ものメンバーたちを一つにまとめているのは、なんといっても総監督”たかみな”の力によるものだと、誰もが思っているのに、その彼女が1年後には卒業していなくなるというのは、AKBファンの一人として、はたから見ていても大変な出来事だと思う。
 次期総監督に指名された、京都出身の横山結衣(ゆい)へのプレッシャーはと、今から心配になるのだが、すべて”案ずるよりは生むがやすし”のことわざどおりに、いつしかことはうまく運ぶようになるものなのだろうが・・・あのシャクナゲのツボミが、時期になればひとりでに花開くように。

 一週間前のBS・TBSでの『奇跡の絶景・霊峰富士 
色づく秋』、その冒頭部分で背後に流れていたのは、あのカントルーブ編作曲による『オーヴェルニュの歌』からの「バイレロ」だったのだが、その透き通ったソプラノの歌声に魅せられてしまった。
 しかし、
最近クラッシック音楽の新録音にもあまり注意を払わなくなっていたから、誰が歌っているのかはわからない。
 この『オーヴェルニュの歌』は、 レコード時代から好きでよく聞いていたのだが、それはあの民謡風な色合いがよく出たダヴラツが歌うものか、あるいはコンサートふうなキリ・テ・カナワのものか、それとも比較的新しいCDで、教会音楽風にデジタル効果を効かせたた”エリジュウム”でと聴いてきたのだが、やはりそこは欲張りな音楽ファンの一人であり、また違った歌声で聞きたくもなるのだ。
 確かに、この「バイレロ」は名曲であり、あのフランスのオーヴェルニュの高原で、羊飼いの娘が歌うにふさわしい歌なのだ・・・青空の下、草原の上をあの歌声が流れ渡っていく・・・。 

 次は、前回空からの眺めとして書いたあの越後駒ヶ岳(2003m)が、何とタイミングよく、BSの『日本の名峰・絶景探訪』シリーズの一つとして放送されたのだ。
 今までにこのシリーズの登山者として何度も出演している、女優の春馬ゆかりが ガイドに案内されて、晩秋の越後駒に登るという構成はともかく、そこに映し出された新雪の越後駒ヶ岳に中ノ岳(2085m)、八海山(1775m)、荒沢岳(1969m)などの山々の姿が素晴らしかった・・・あの山には、登らなければならない。
 ただし残念なのは、頂上がガスに包まれていて、全く展望がきかなかったことである。
 ”画龍点睛(がりゅうてんせい)を欠く” のたとえにある通りに、頂上で何も見えなかったというのは、視聴者から見てもその山にとっても不幸なことであり、このブログでも書いているように、私としては、そんな山は登った山の一つには入れたくないほどである。たとえば、一度目の時にはガスで何も見えず、再登頂を果たした南アルプスの塩見岳のように。(’12.8.10の項参照)
 こうした民放の番組では、タレントや俳優と一緒だと、どうしても彼らの限られた期間でのスケデュールがあり、多少の天気のくずれぐらいでは登山を強行しなければならないが、同じ山番組のNHKの『にっぽん百名山』では、計画変更が可能なガイドさんだけとの撮影だから、ほとんどの映像が晴天登山になっていて、登山の第一の目的である展望撮影が十分にできているのである。
 結局は、何を主役にしたいのかという意図の違いなのだろうが・・・。

 そしてNHK・Eテレの『日曜美術館』では、今回は”やきもの”の「古田織部(ふるたおりべ)」いわゆる”織部焼”についてであり、非常に興味深く見ることができた。
 私が昔働いていた東京の編集出版会社での担当は、音楽・映画だったのだが、そのころ別の部署に”やきもの全集”のセクションがあり、その一巻ごとの校正刷り上がりや完成した本そのものも見る機会があったのだが、何しろ若い盛りで、まして自分の好きな担当の音楽・映画だけでいっぱいだったから
、それらの”やきもの”の良しあしなどわかるはずもなかった。
 今回取り上げられた”織部焼”にしても、その風変わりな破調の形に魅力があるのだと知ってはいても、その背景にあるものまで詳しく調べることはなかったから、今回の番組で初めて知ったことも多く、千利休(せんのりきゅう)の一番弟子とも言われ、戦国時代の武将でもあった古田織部の、天才的審美眼とその悲劇については、状況こそ違え、同じ戦国の世の運命の中で生き延びてきた、あの絵師、岩佐又兵衛の生涯を思い起こさずにはいられなかった。(’09.3.28~4.8の項参照) 

 最後には、昨日の深夜帯に放送されたNHKの『ベビーメタル現象 世界が熱狂!』を録画しておいて見たのだが、面白かった。
 4年前に、13歳から10歳だったアイドル・グループの少女たち3人が、何とあの”ヘヴィーメタル”のロック音楽に乗せて激しく歌い踊るという、今までになかったスタイルを作り上げてデヴューしたのだ。
 その名も”ベビーメタル(BabyMetal)”、もちろんそれは”ヘヴィーメタル(HeavyMetal)”という言葉にかけているのだが。
 その”アイドル少女”と”ヘヴィーメタル”という意外な結びつきに、日本の漫画文化、コスプレ・ファッションさらには外国の”ロリータ”趣味も加わって、外国の若者を含むおじさん世代にまで広がる爆発的な人気になっていて、そのロンドン公演の一部が放映されたのだ。

 特筆すべき点は二つ。まずは、ボーカル担当の17歳の子の、のびやかな歌声の素晴らしさだ(私の好きなAKBにあれほどの声を出せる子はいないかもしれない)。
  さらに二つめは、同じ日本人によるバックバンドのヘビーメタル・サウンドの見事さ・・・私が、ロック音楽を聴いていたころは、日本人バンドなど論外で、外国のギタリストとは明らかなテクニックの差があったのに、という思い。(ジミー・ヘンドリックスはもとより、ロビン・トロワーにジョン・マクラフリンが当時の私のお気に入りだった。)
 他にも、掛け声とダンス担当の15歳の二人の子も可愛いし、三人の踊りもよくあっている。
 さらにありがちな、”フジヤマゲイシャ”的な、今までの日本文化代表スタイルではなく、”お稲荷(いなり)さん”のキツネの仮面をかぶり、ピースサインではなく、影絵で使うキツネの指形にしたことなどだが・・・すべては、何といっても少女3人を舞台に送り出した後ろにいる人、今の時代の世界を良く知っている、そのプロデューサーの才能を思わずにはいられなかった。

 世の中の変化には、いつも良いものと悪いものがあると分かってはいても、それでも何と面白いことが多いのだろうと思うし、また何といやなことが多い世の中だろうとも思ってしまう。
 いつの時代にも、人々は、そうした相半(あいなか)ばした思いの中で生きてきたのだろう。

 その冬芽が、シャクナゲの花になるにせよ、シャクナゲの葉になるにせよ、そうして生きてきたのだしこれからも生きていくのだろう。
 またある時には、季節外れの寒さや嵐によって、そのツボミが失われてしまうこともあるだろうが、絶望することはない、その成長が止まったかに見えた枝先も、また次の年には・・・。